第19話
「なにしてるの、聖」
「天国と地獄を味わってた」
「運動会かな」
突っ込んではみたけれど、頭の中で流れるのはクシコス・ポストだった。切り替えてみたが、今度は威風堂々。あれ、天国と地獄ってどんな曲だっけ。
「で、なにしてるの聖」
「だから天国と地獄を」
「やめなさい」
頭だけ布団に突っ込んだ聖を、無理矢理ベッドから引き剥がした。
匂い嗅ぐなって言ったのに。
というか布団の匂い嗅いで天国と地獄ってなに。天国は百歩譲っていいとして、地獄ってなに。
「って、瑞ちゃん!ななな、なにそのカッコ!」
「パジャマ」
「卑猥!」
失礼な。
ブラもパンツも見えてないよ。
だるだるのオーバーサイズTシャツ。唯一のスウェットを除けば、部屋着は全てこんな感じだ。宅配便が来たときに少し慌てるくらいで、別に不都合はない。
「……えっちだ」
「見る?」
「捲らないで鼻血でちゃうから!」
残っていた緑茶ハイを飲み干して、新しいものを開ける。氷も足す。
聖のぶんも用意してから、化粧台の前に座り込んだ。髪乾かすの面倒くさいなぁ。
ジャバジャバ使う用の安い化粧水を、手のひらにジャバジャバ出した。いいの、ジャバジャバ使う用だから。
あぁー、化粧水が染み渡る。
カシャン。
「今?」
「今しかない」
「じゃあ、はい。ピース」
カシャン。
化粧台の前であぐらをかいたまま、聖が構えるカメラに向かって指を二本立てる。
「すっぴんだ、私」
「最高に可愛いです」
「ふふ、ありがと」
大きなレンズが、大きな目みたいに見える。なんだか、猛禽類に狙われる小動物になった気分。
猫がカメラを怖がる理由が、なんとなく理解できた。
指を立てた手を下ろして、猛禽類の目を睨む。食べられてなんかやらないぞっていう、威嚇。
カシャン。
身体の奥底まで覗かれるみたいで、ちょっと居た堪れない。
目みたいなレンズを、逸らさずにじっと見つめる。
カシャン。
聖がカメラから目を離した。
「飲もう、瑞ちゃん」
「うん。満足した?」
新しく注いだ緑茶ハイが冷たくて美味しい。さっきまで飲んでいたハイボールの何倍も、こっちのほうが美味しい。
「ぜんぜん」
「そか」
「いただきます」
ぜんぜん、と言いながら、撮らないんだ。
撮っているとき、聖はなにを考えているのだろう。
「私のこと撮ってて、楽しい?」
「それはもう、うん、最高に」
「顔?」
それもある、と頷いて、緑茶ハイをひとくち。ポテトチップスは減らない。
お風呂に入って、ふたりとも酔いが覚めてしまった。だから揃って、またアルコールを流し込む。
お互い、お酒はそこまで好きじゃないのに。
少しだけ、無音が流れた。
「本当はね、建物とか、景色とか、そういうのを撮るのが好きなの」
「うん」
「無機物の……お人形さんみたいに綺麗な子だって……気づいたら手が勝手に撮ってて……撮れば撮るほど、夢中になっちゃった。ごめんね」
お人形さんみたい、か。可愛い子によく使う比喩だけれど、私はあまり言われない。小さい頃は言われてたようだけど、記憶にある中で一番多い褒め言葉は『モデル』みたい、だ。
あぁ、喋るマネキンって言われたことはあったな。あれ、動くマネキンだっけ。
「どうだった?」
「え?」
「喋ってみて、名前知って……友だちになって……いま、撮ってみてどうだった?喋るマネキン、どうだった?」
聖の目が、ゆっくりと見開かれた。
コップの氷が、からんと鳴った。
「もっと」
お風呂上がりの匂いがした。
ほんの少し、香水の香りが残っていた。
「もっと、好きになった」
スマートフォンが震えた。
聖の唇が、震えた。
「マネキンじゃない。生きてる、感情のある……感情の乗った瑞ちゃんを撮って……わ、私に視線を向けてくれる瑞ちゃんを撮って、もっと……もっと、好きになった」
そっか、と呟いて、聖に近づいて、正面から抱きしめるように肩に頬を置く。
盗撮魔が、新本聖になった。
「私も。盗撮魔ちゃんが聖になって、好きになったよ」
恐る恐る、聖の手が腰に触れる。薄い布越しに、柔らかいひとの肌。私と同じ匂い。
ちょっと、ゾクっとした。
「い、いいにおいがする……やわい……や、やわこい、ほそい……はぁ、かわいい……いきててよかった、まじで……」
「ふふ、あはは、あはははは!台無し、聖!なんでこの雰囲気で変態発言するの!ほんと、あはははは!」
カシャン、と鳴った。
笑いが止まらない。また、カシャン、と鳴る。
何枚か撮って、私の笑いがおさまった頃にようやく、聖が口を開いた。
「だって!推しが向こうから接触をはかってきたら、言わずにいられないでしょ!」
あぁ、理解。なるほどね、わかった。
推し、だ。どうやら私は、聖に推されていたらしい。アイドルかな。
撮ってから言うところが、また聖らしくて好きだと、そう思った。
シングルベッドに大人二人は、まぁ狭い。来客用の布団なんて気の利いたものはないし、母が泊まりに来る時は寝袋持参だもの。
向かい合うと近すぎるので、お互いに背を向けてお休みなさいと言った。
アルコールが頭をぐるぐるかき混ぜて、目を閉じているのに世界がぐらぐら揺れる。酔っているときのこの感覚、気持ちが良いんだよね。
風呂上がりの血行が良い時にアルコールを追加したせいか、そう大した量でもないのに、ふたりそろってクラクラしていた。
ちょっとずつ、意識が落ちていく。とろり、とろり。
いつもよりひとつ多い体温が暖かい。
他者、という違和感と緊張と心地良さ。とろり。
背後の聖が寝返りをうった。太ももにスウェットが触れて、聖の足先がふくらはぎをつつぅとなぞった。わざとかな、わざとだろうな。
うなじに吐息。暖かくて、冷たくて、湿っぽい。ひとの呼吸、肌に唇が触れそう。
あぁ、眠い。
腰を這うようにゆっくりと伝ってきた手が、私のTシャツを意図せず捲りながら緩く、緩く抱きしめた。
力が入らずに投げ出された私の手に、する、する、と指が絡まる。
握り返したいのに、もう力が入らない。
寝ぼけてるのかと思ったけれど、存外意識のはっきりした声が聞こえた。夢かな、夢じゃないよね。
「こんどは、ネイルオフしてくるから……ヘタレじゃ、ないもん」
音にできたかは、定かでない。でも、言葉に乗せる努力はした。
落としちゃうの、ネイル。かわいいのに、もったいない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます