ex. 魔界の王は追いかけたい 10

現在は稼働が中止されているゴミ焼却炉のフェンスに寄りかかって、赤いドレスの聖が本を読んでいた。


驚いて停止してしまった猫みたいな顔をしている。


講堂と呼ばれる『大鷹アリーナ』とグラウンドのあいだにあるゴミ焼却炉。以前から稼働はしていないが、いまだにこのエリアは関係者以外立ち入り禁止となっている。


一歩、二歩、近いても聖は逃げない。


「捕まえて良い?」

「ん?んー?」


まぁいいや、捕まえよう。


本を取り上げて、聖の手首を掴んだ。普段は私よりも暖かい肌が、秋の風に晒されて冷たくなっている。


「は、瑞ちゃん、なんでここにいるの?」

「聖が逃げたから」

「ん?んー?」


講堂から逃げ出してから、ずっとここに居たのだろうか。分かりにくいからやめてほしい。無駄に走り回ってしまったじゃないか。


「なんで逃げたの」

「え、えー……なんでだろ……魔王さまが性癖すぎて興奮してたところにノンケの台風がきて居た堪れなくなった?」


「翻訳して」


聖の手首を離さないまま手元に目を落として、驚いた。

先ほど聖が読んでいた本は、失くしたことすら忘れていたあの小説だった。


「えっと、あー、その……えっとぉ、あれです、あれ。この女は私の女だ!って言いたかった、的な」

「カピバラ男にムカついたって解釈でいい?」

「か、かぴばら?」


よく分からないが、ようはカピバラ男のクソ告白が原因で間違いはないだろう。

マイクを通して「恋人がいるので付き合えません」とでも言えば良かったのだろうか。否、それでも聖は逃げ出すような気がする。


魔界堕ちした妖精姫と、孤独な魔王、か。


なんだっけ、ストーキングするくせに逃げ癖があるんだっけ。そのまんま聖じゃん。


「まぁ、狩も楽しかったし」

「狩?ごめんね、瑞ちゃん。私も人のこと言えないけど、会話しよう?」

「逃げ回ってた聖が言うの?」


変な顔をした聖が面白くて笑ったら、小さい声でごめんなさい、と呟いた。私も聖も楽しんでいたし、べつに怒っていない。

そもそも、追いかけっこの原因を作ったのは私なのだから。謝るのは私の方だ。


「口内炎治ったよ」

「え?ん?口内炎だったの……?な、治って良かったね?」


「うん。だから、もうキスできるよ」


マヌケな顔を晒して止まってしまった。フリーズでもなさそうだけど、なんで止まっているのだろう。

聖がなにかしら考えていることは間違いなさそうなので、ひとまず待ってみる。


「……口内炎があったから、ちゅーもえっちもさせてもらえなかったってこと?」

「言ってなかったっけ」


「言ってないよぅ!それはもうどうでも良いけど!でも、ちゃんと言葉にしてよぅ!」


どうでも良いのか。やっぱり初期の拗ねモードと、あの追いかけっこは別だったらしい。

まだ何か言いたげな顔をしているので、大鷹祭の終了後にきちんと時間をとらねばならない。


今回のような喧嘩ごっこくらいなら良いが、これが盛大な喧嘩に発展しようものなら大変である。

聖のことだから、いずれ海を超えて逃げ出しそうだし、それを追いかけて飛行機に乗る自分も容易に想像できた。


まぁ、イタリアでもフランスでも南極でも、逃げたいなら逃げれば良いよ。追いかけて捕獲するから。


そういえばと思って、薄汚れてしまった本をぱらぱらと捲る。


「これ、どこで見つけたの?」

「そこの一番上」


聖の指を辿ると、行き場を失ったような古本が何冊も積み上がっていた。雨ざらしにされていたようで、一番上のものなんて表紙の色が抜けている。かろうじて経済学の教科書であることが読み取れた。


私の失せ物は、どうやら人目につかないままゴミになりかけていたようだ。


本の隙間から、紙が一枚ぱらりと落ちた。


「瑞ちゃん、なにか落ちたけ……ど、写真?」


「あ。え、あ、え?」


指でつまみ上げた写真に写っていたのは、まだ垢抜けない女子高生ふたり。


これ……


「私だ」

「…………え!?」

「高二の文化祭、かな」


執事服を着せられ仏頂面の私と、人懐っこい笑みを浮かべたショートカットの少女。


なんでこんなところに挟まっていたのだろう。


「えぇぇぇ、女子高生の瑞ちゃんかわえぇぇぇ!なにこの写真、国宝級の宝じゃん!ください!」

「落ち着いて」


「かわい……あ!あー!この子!」


驚愕の声を上げた聖に合わせて、私も頷いた。


写真の背景に写るのは懐かしい母校の教室。机と椅子を並べただけ、手作りの店内はいかにも高校の文化祭だ。

たしか、メイド・執事喫茶。喫茶とは名ばかりで、ペットボトルの飲料を紙コップに注ぐだけ。


私はクラスメートに強請られるまま執事服を着て、ほんの短い時間、仏頂面で接客をした。


この直後だったはず。人懐っこい笑みを浮かべたこの子に『ハジメはそんなことしない!』と叩きつけられたのは。


思っていた以上に、自身があの言葉に傷付けられていたことに、私はおそらくマスターに出会って知ったのだ。笑い話にして、傷口を隠してしまっていただけ。

そして、立ち止まった私の手を引いたのが聖だった。


「…………二橋さん、新本さん」

「ぁ、ツチヤさん……こ、こんにちは?」


「いや、こんにちは、じゃないから。なにしてんのこんなところで。そろそろ結果発表始まるんだけど」


立ち入り禁止ロープの前に、花魁姿のツチヤヒロミがいた。

たしかに、その格好ではロープを跨げないだろう。


三つのコンテストは、結果発表が全て合同だ。大鷹祭のコンテストは、やはり所詮遊びでしかない。

彼女がもし噂通りにアナウンサー志望なのだとしても、大鷹祭のミスコンくらいでは自慢にもならないだろう。


派手な衣装に、派手なヘアメイク。あと、仏頂面。


「みんな探してるから、早く戻ってきて」


すっと、懐かしい写真を掲げる。思わず唇の端が上がってしまった。

やっぱり、そうだよね。だけどさ、分かるわけないでしょ。



「久しぶり、ヒロミ」



写真の中のこの子と、花魁姿のツチヤヒロミは、たしかに同一人物だった。


「あ!それ!」

「ひとの本、勝手に捨てないでよ。しかも私の写真挟んでるし」


「か、返して!」


跨げなかった立ち入り禁止ロープに阻まれて、ツチヤヒロミがつんのめった。


返して、と言われても。


「本は私のだし。写真は捨てたんでしょ」


睨まれた。


晃太郎も大学デビュー男だが、これまた見事な大学デビューを果たしたものだ。分かるわけがない。

高校二年の半ばで疎遠になって、しかもこの変わりようだ。


「忘れてたくせに!」

「うん、ごめんね」

「ハジメのバカ!」


ブスの次はバカ呼ばわり。

ちらっと聖の表情を確認したら、やはりムスッとしていた。


顔を思い出せないどころか、名前を聞いても一致しなかった。こういうのは言わぬが吉。


こうして見比べて見ると、やはり面影はある。でも、そのカラコンはやめたほうがいいと思う。


「思い出したから許してよ」

「ぅ、そういうとこホント嫌い…………あたしも……あのとき、変なこと言ってごめん。なんて言ったか忘れたけど」


忘れたのかよ。


「でも!ハジメのこと傷つけたのは分かってて……それで……大学一緒だって知って嬉しくて」


なのに、私は忘れていた、と。


聖の手首を握ったまま、ロープに足止めされたツチヤヒロミに近く。

うーん、派手だけど、やっぱり聖のほうが美人だし可愛い。


「ねぇ、私ってブス?」

「は?嫌味?」

「いや、ヒロミが言ったんだけど」


そうだっけ?ととぼけた顔は、そう言われてみればうすらぼやけていた記憶と一致するような気がした。


風が冷たい。


肩の留め具を外して、重たいマントで聖をぐるぐる巻にした。


「瑞ちゃん、私ときめきで死ぬかもしれない」

「ここで死なれたら後処理が面倒だから耐えて」

「がんばる。あったかい、好き、結婚して」


微妙な顔をしているツチヤヒロミに、にっと笑ってみせる。


挙動不審で可愛いでしょ、私の彼女。


「アンタら、どういう関係?」

「見ての通りの関係」


「…………意味わかんない」


いいや、早く行こう、と背を向けた彼女に続いて黄色いロープを跨いだ。


逃がさないように掴んでいた手が引き剥がされて、緩く指先が絡まった。

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