第9話
六粒で三千円超。
盗撮魔ちゃんがお礼にとくれたチョコレートは菓子職人コンクールで賞もとっている有名店のものだった。
OLの本命バレンタインチョコじゃあるまいし。教科書を見せてもらった礼に渡すものじゃない。そんなのコンビニの百円のチョコで充分だ。私だったらそうする。
朝食代わりにしようと一限の講義中に箱をあけたが、適当に食べてしまうには気が引けた。だって一粒が五百円するんだよ。
「ひとつくれ」
「やだ」
「ケチかよ」
晃太郎の手をはたき落として、宝石みたいなそれをかじる。
「鼻血出そう」
「は?」
「濃厚すぎて鼻血出そう」
結構本気で言ったのだが、なにやら二人のツボにハマってしまったらしい。
この講義の教授はそれなりに厳しいので静かにしてほしい。
口の中に強烈なカカオの印象を残しながら、後味をラズベリーの甘酸っぱさで洗っていく。うま。
一口で食べてしまう気になれず、前歯でちびちび齧る。カカオすご、鼻血でそう。
ヨーコちゃん。実際の年齢は知らないが見た目の年齢が若いことから、学生たちから舐められがちなひと。鈴木教授と呼んでも良いけれど、残念なことにこの大学に鈴木教授は三人いる。
たとえ本人がヨーコちゃんと呼ばれることを嫌がっていても、二つの要因が重なって大半の学生にヨーコちゃんと呼ばれていた。
学生たちに舐められがちだからこそ、ヨーコちゃんは授業態度に厳しい。
『学食がいい?それとも外行く?』
送ったメッセージに即座に既読がつく。向こうもスマートフォン見てたかな。
『外行きましょう!』
『行きたいカフェがあるんだけど、そこでも良いかな』
続け様にふたつのメッセージがポコポコと送られてくる。
昼食は学食とコンビニで済ませてしまうことがほとんどで、私はあまり周辺の飲食店事情を知らない。お勧めを聞かれるより、決めてもらったほうがありがたい。
『いいよー。あんまりお店知らないから助かる』
執事服の黒猫がハートを巻き散らす可愛いスタンプが返ってきた。なにこの猫、可愛い。有料スタンプじゃん。買おうかな。
『大学から離れちゃうんだけど平気ですか?』
『今日一限しかないから平気』
また黒猫執事くんが返ってくる。可愛い、買おう。
私もお返しに違う猫のスタンプを送りつける。キジトラの上にポップな字で「楽しみ」。
『待ち合わせどうしようか』
ぽんぽんと続いていたやりとりに少し間が開く。既読はついている。
『迎えに行ってもいいですか?』
敬語とタメ口の混じったメッセージ。慣れ親しんだ晃太郎たちとは違う、言葉を考えるほんの少しの緊張と逡巡。
『403の後ろに座ってる』
「なにニヤニヤしてんの」
「してない」
画面を覗こうとした晃太郎の手にシャープペンシルの先を突き刺した。
「いてぇ!相手は男か!?」
「うるさい晃太郎。静かにしろ」
「すまん」
盗撮魔ちゃんだよ、と返すと、ふたりがギョッとした顔をした。
『終わったらすぐに行きます!』
また黒猫執事のスタンプ。
え、なにこのスタンプシリーズ、めっちゃ可愛いじゃん。猫殿クロ之丞、猫侍クロ之進、猫忍者クロ丸、猫太夫おクロ。
盗撮魔ちゃんが愛用しているのは猫執事クロスチャンだった。
それに合わせて、私は猫姫クロリーナを買ってやった。これぞ無駄遣い。
参りますぞ!とキメ顔のクロスチャンに、よろしくてよ!とキメ顔のクロリーナを送った。
「ぜってー男かと思った」
「晃太、あと五分で終わるんだから静かにして」
「ガキだから、こいつ」
沈黙したメッセージアプリを気にしながら、ギリギリまで喋り続けるヨーコちゃんの声を聞いていた。
「おっしゃ!食堂行こうぜ!」
「俺今日うどん」
「うどん不味くねー?味薄いんだよなー」
黒いリュックにぼこすかと荷物を放り込みながら、早すぎる昼食の話をしている墓場太郎。いつもだったら私もそこに参加するが、今日の私はオシャレ女子大生らしくカフェご飯だ。
荷物置きのために独占していた隣の席から、ふたりのベースとギターを渡してやる。よくこんな重たいものを持ち歩けるものだ。
「あ、あの」
「うおっ!」
「あ、すみません」
大袈裟に驚いた晃太郎の視線を追うと私の待ち人がいた。
ブラウンのスカートにベージュのニット、白のスニーカー。秋色コーデに大きなリュックがアンバランスだ。
「お待たせ」
「ううん。待ってない、けど」
「行こうか」
カバンを手に立ち上がれば、ヒールと床が硬質な音を立てる。新しい靴はいい音がする。
「じゃーね」
「お、おう」
「あ、ちょい待ち」
呼び止めた謙太郎が耳元で小さくつぶやいた。なにかあったらすぐ連絡しろ、だって。余計なお世話だよ。
元セフレへの人柱のほうが五倍くらい危険だ。本当に、お前が言うなって話。
とりあえず肩に一発食らわせて、それほど大きくない講義室を後にした。
「チョコおいしかったよ」
「あ、ほんと?よかったぁ」
「まだ全部は食べてないけどね。でも良かったの?あれ高かったでしょ」
照れたように笑ってこちらを見る。
ほんの少しだけ私より低い目線の位置。私の身長は低くない。女性の中ではそこそこ高い方だろう。
ヒールのアドバンテージを失ったら、もしかしたら彼女の方が高いかもしれない。
盗撮魔ちゃんはやっぱり小さくなかった。
「実は商品券持ってて」
「あー、なるほどね。ふふ、納得」
「ぅゔん」
え、なに!?と思って盗撮魔ちゃんを振り返れば、奇怪な動きで顔を覆っていた。
え、なに。
「なんでもないです!忘れてくださいごめんなさいすみません」
「うん?うん……あはは、おもしろ」
顔を覆ったまま何やらモゴモゴと呟いて、次の瞬間にはキリッとした表情で前を向いた。
盗撮なんかしそうもない顔をしているくせに堂々とカメラを構えてくる女。群れている虫みたいな女と比べてずっと可愛いのに、それをかき消してしまうほどおかしな言動。だけど喋ってみると結構ふつうのひと。
彼女を見ているのはとても面白かった。
キャンパスを出てバスに乗り、大学名がつけられた駅に向かう。鷹取条南大学前駅。大学前と言いつつ、駅からバスで十五分ありますけど。この周辺では比較的大きな駅である。
大きな駅といっても都心部とは比較にならないが、この片田舎では都会の扱いだ。23区出身の身からすれば、大きなショッピングモールがあるのは都会じゃない。
あと有名ファーストフード店の看板がくるくる回っている。
「駅前?」
「西口からちょっと行ったところ。あ、こっち」
ただでさえ人口密度がスカスカなのに、平日の昼となるとゴーストタウンのようだった。
とくに夜間営業の店が集まる西口は非常に静かである。商店街のある東口の方がまだ賑わっているだろう。
キャバクラと居酒屋の間をくぐって、誰もいない道を歩く。ピンク街、なんて呼ばれるラブホが集まるエリアだ。
「私、連れ込まれる感じ?ご休憩?」
「ちが、ちがう!こここ、この辺なの!本当に!ちがうから!違うからね!?」
スマートフォンの地図を見ながらあたふた。重たそうなリュックからガサガサと音が鳴る。
「そうなの?まんざらでもないと思ってたんだけどなー」
「まんざ!?えぇ!?え……えぇ!?」
「あはははは!おもしろ!ごめんごめん、落ち着いて」
彼女の手の中で、位置情報を示す青い点が点滅していた。目的地まで十メートル。
この辺りは見覚えがありすぎる。時間帯は違えど、週に三度以上訪れている。
「ここじゃない?」
「あ、あ!ほんとだ。入りましょう!」
「ふーん。こんなところにカフェなんてあったんだね」
築年数が古そうなビルの前に、洒落た看板が出ている。黒板にチョークで書かれたそれは手書きだろうか。学食に比べたら良い値段だが、カフェのランチとしては妥当な設定か。
薄暗い階段をのぼった先、木製扉の向こう側には居心地の良さそうな空間が広がっていた。客はひとりもいないけれど。
明らかに気を抜いていた店員に指を二本立ててみせる。
「ふたりでーす」
お好きな席にどうぞと言われたので、窓際のソファ席にした。四人掛けだけど、私たち以外に誰もいないから良いだろう。混むようだったら席を移させてもらおう。
「何にする?えっと、はい、メニューどうぞ」
「私、きのこの和風ソースハンバーグ。Aランチセット」
「え!?もう決めたの!?早くない?」
入り口の看板をみて決めた。あれもこれも、と悩むと決められないので、こういうときはフィーリングでパッと決断するに限る。
「え、えと……私は」
「ゆっくり悩んでいいよ」
「ぅゔん!」
だからそれなに?突然奇声をあげて、両手で顔を覆う。本日二度目。
お冷です。と運ばれてきたそれは、グラスもお洒落だった。おかわりはセルフらしい。
「お決まりでしたらお呼びください」
「はーい」
レギュラーメニューではなく、ランチ限定メニューを真剣に見つめている。
本日のランチ限定メニューは三品。サツマイモソテーと鮭のピカタ、きのこの和風ソースハンバーグ、オーガニック野菜のクリーム煮。
Aセットはご飯とサラダ、Bセットはパンとサラダ。どちらもドリンクかスープを選べる。
「どれで悩んでるの?」
「これとこれ」
指さしたのはピカタとクリーム煮。
オーガニック野菜とか無農薬野菜とか、いったいなにが違うのだろう。味覚音痴にはいまいちわからない。
「じゃあ、私ピカタにするからクリーム煮にしなよ」
「ぅえ!?」
「そんで半分こしよ。シェアってやつ」
あ、そういうのダメな人?と聞くと、首が横にぶんぶんと振られた。ならば決まりだ。
オーダー表を持ったままこちらを注視していた店員に目を合わせると、そそくさと移動してきた。
「ピカタのAセットと、クリーム煮の……どっちがいい?」
「あ、Bセットで」
「ドリンクかスープ、どちらにしますか?」
本日のスープは……コンソメ。
「スープで」
「私も、スープで」
「はい。ご注文繰り返します。サツマイモソテーと鮭のピカタ、Aセットをおひとつ。オーガニック野菜のクリーム煮、Bセットおひとつ。どちらもスープでお間違い無いですか」
窓の外をちらりと見やる。さすがに2階の高さでは山は見えない。とくにこのピンク街はそれなりに建物が密集している。
本当に、なにもない。このあたりは。
「良かったの……?」
「ん?うん。美味しかったら今度はハンバーグ食べに来ようね」
「ぅぅゔん!」
三度目。正面から目撃するのは初めて。
「あはは!だからなんなのソレ」
「気にしないで!ただの発作だから!ほんと、内から溢れ出るパッションが制御不能なファントムとなって口から射出されようとするのを押さえつけてるだけだから!」
「あはははは!やばい、意味わかんない!」
お腹を抱えている私を指の隙間から覗いて、また「ぅゔん!」と唸った。どこから出てるの、その声。
「死にそう」
「私の方が笑いすぎて死にそうだから」
落ち着いて水を飲んで、試しに微笑みかけたらまた発作を起こして、それを見た私が静かな店内に不釣り合いなほど笑う。
グラスの冷たい水は、ほんの少しだけレモンの香りがした。
「あ、マスター」
「え?」
「アレ、向かいのビルから出てきた女の人。バイト先のバーのマスター」
グレーの上下スウェットが壊滅的に似合わない女が、ビルの外階段に腰掛けてタバコに火をつけた。あちこち跳ねたショートカットはどう見ても寝起きである。
バーの閉店は朝の四時。店で寝て、どうやら今起きてきたらしい。
あまりダラけたところを見せてくれない人だから、格好つけていない姿を盗み見るのは新鮮だ。
「あのビルの5階、バーなんだよ。あそこでバイトしてる」
「バーテンダー!?」
「最近やっとまともにシェイカーふれるようになった」
空中でシャカシャカとシェイカーを振る真似をしてみせる。
初めのうちはハイボールやウイスキーのニートなど、シェイカーを一切使用しないお酒しか作らせてもらえなかった。酒の種類やカクテルの名前を覚えながら練習して、ついこの間ようやくマスターから合格をもらえたのだ。
酒を好むわけでもないのに、よくもまぁ続けられていると自分でも感心する。好きじゃないから一年半も掛かったのかもしれないが。
でも、カクテルは見た目が可愛い。カクテル名の由来だとか、カクテル言葉だとか、ウンチクを覚えるのは嫌いじゃなかった。
「格好いい。絶対似合う」
「そう?今度来る?」
「い、行く!行きます!」
お待たせしましたー、と運ばれてきたプレートから美味しそうな匂いがした。お洒落だし美味しそうだけど、量が少ない。晃太郎だったらオヤツにもならないだろう。
「あの……」
「なぁに?」
「写真、撮ってもいいかな」
私の?なんて馬鹿な発言はしない。彼女の指は、私の目の前にあるピカタを指している。
カメラ女子の本領発揮というやつですか。
「あのデカいカメラ?」
「あ、いや、えと、あの、スマフォ」
「あはは!いいよ、べつに」
皿の位置やカトラリーの位置をちょこちょこと調整して、スマートフォンを構える。カメラのアプリを入れているのか、シャッター音はしない。
何枚か撮って、また位置を直して、また撮る。
向かい側で見ていると、皿やカトラリーの配置にはまとまりがないように見えた。
「そっちも、いい?」
「どうぞ。こっちくる?」
「ぅゔん……ぅん、いきます……ありがと」
彼女の発作のツボがいまいちわからない。わからないけれど、"発作"を起こしている彼女を見ているのは気に入っている。
座席の奥に詰めて、スペースを開ける。遠慮がちに座った彼女は不自然なほど遠かった。間に見えない子どもが座っていそうな、変な隙間。
ベージュのニットを掴んで、こちらに引き寄せた。
「ふふ、なんでそんな端っこに座んの」
「あ、ちょ、ほんと、すみませんごめんなさい許してくださいココでいいです!」
「あははは!」
こちらを見ないまま皿の位置を調整して、パシパシと写真を撮っていく。向かいにあるクリーム煮の皿が映り込んでいたのか、乱暴に押しやる手にまた笑った。
皿もカトラリーも、やっぱり変な配置。サラダの位置なんか明らかに遠い。
真剣な目で画面を見つめる彼女に気づかれないように、こっそり身を寄せて手元を覗き込んだ。
パシと瞬いて、保存されたそれを確認。
「ふーん、こんなふうに撮れるんだ」
「のぉうわッ!ちょ、ちか!」
「え、すご、写真うま。加工してないでこれ?」
保存されていたクリーム煮の写真も勝手にスライドして見てやる。先ほど撮っていたもの以外を見るのは、さすがにマナー違反が過ぎるだろう。
サラダの位置がおかしいのではないか、なんて思っていたが、写真に撮ってみると違和感どころかサラダが程よい背景になっている。
ピカタがきらきらして、美味しそうだった。
のけぞった彼女の腰を捕まえて、満足するまで見てやった。ほんのりと鼻をくすぐる甘い香水の匂い。
あぁ、うん、やっぱりカナちゃんはつけすぎだと思う。
「私にも写真送って」
「ハイ、ショウチイタシマシタ」
「ふふ、ごめんね。パーソナルスペース広めのひと?」
ノモト教授以上にロボットみたいな動きで、ダイジョウブ!ダイジョウブ!と繰り返しながら自分の席に戻っていった。
鮭のピカタも、クリーム煮も、味音痴にも分かりやすいくらいには美味しかった。
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