第63話 心霊写真と恋の噺7

コンビニのビニール袋をガサガサ言わせながら、歩きにくい林の中を進んでいる。

闇雲に探し回るには広すぎるけれど、なけなしの目撃情報で最奥部だということは分かっていた。ひとまず小山の麓まで進み、そこから山に沿う形で探していく予定だ。


「私、瑞ちゃんのこと大好きだよ」

「うん。知ってる」

「顔も、体も。可愛いところも、面倒臭いところも、ぜんぶ引っくるめて大好き。こんなに好きになれる人、この後の人生すべて費やしたって見つけられないだろうなってくらい、好き。もし瑞ちゃんと別れても、私ね、一生瑞ちゃんのこと好きでいると思う。分かるの、それくらい好きなんだってこと。愛してるって思うよ」


腐葉土に足をとられながら、ヨタヨタと歩き続ける。ミンミン、ジワジワ、セミが煩い。

相変わらず最高気温を更新し続ける毎日だけれど、木々の中にいるとかろうじて涼しい。直射日光が当たらないからだろうか。


幽霊や祠なんて知らなければ、美しい木漏れ日に目を細めていたかもしれない。


「でもね、瑞ちゃん」

「うん」


先ほどから、セミの鳴き声に被せるように聖がスキスキ鳴いている。

声のトーンが真面目な告白ではないから、私も適当に聞き流す。たぶんどうでも良いことを言おうとしているだろうことは、私でも分かる。


「さすがにね、どうかと思う」

「なにが?」


「靴」


靴。いつもどおりだけど、なにか?


「林の中を歩くって分かってるのに、なーんでヒールなのかな!?」

「汚れても良いやつって思って」


気に入ってヘビーローテーションしていたが、さすがにボロくなってきたので処分しようとしていたのだ。

ヒールもそこまで高くないし、もともと捨てようと思っていたものなので、汚れても惜しくない。そういう意味で最適だと思っていた。


聖は歩きやすそうな白いスニーカー。


言いたいことは分かる。私もちょっとばかし、ヒールはどうなのかと思っていた。けれど、普段スニーカーをあまり履かない私は、汚れても良いスニーカーなんて持っていないのだ。


私もどうかと思う。


でも、聖の白いスニーカーもどうかと思う。なんでそんなに汚れが目立ちそうな真っ白いやつを選んだの。


「あのね!いくら大学のちっちゃい林だからと言って、さすがにヒールは選ばないよね、ふつう!どうするの、隠れた根っことかに躓いた、ッ、らッ!イダッ!」

「自分が躓いてるし……もう、ほら、大丈夫?」


「うわぁん、瑞ちゃんのせいだぁ」


なんか今日の聖めんどうくさいなぁ。


ぷりぷり怒り出したり、転けただけでめそめそしたり、情緒どうなってるの。幽霊のせいなの?なに、瘴気ってやつ?


土がついた聖の手を掴んで引き起こしたら、勢いのままちゅっと唇を奪われた。


「……情緒、平気?」

「目の前に瑞ちゃんフェイスがきたから、つい」


怪我はなさそうだったので、面倒くさい聖は無視してふたたび歩き出す。

昨晩、散々私をいたぶり倒したら元気になったらしく、怖い怖いと騒がなくなった。


けれど、だからと言って解決したわけではない。

白い手の写り込んだ心霊写真は健在だし、聖が目撃した子どもの幽霊だって解決していない。


祠があるにしろ、ないにしろ、お祓いに行くのは決定。

今朝、素っ裸でタオルケットに包まったまま、個人でお祓いをしてくれるという寺に電話をした。電話口の男性は馬鹿にするでもなく真面目に話を聞いてくれた。写真も、行ったその日のうちにお焚き上げしてくれるそうだ。


ちらちらと情緒不安定な聖を確認しながら歩くこと数分。

ふと、目の前の空間が開けた。


「聖!」


「瑞ちゃ、ん?」

「祠……」


開けた空間の奥、ぽっかりと空いた洞窟と祠。そして、ななつの地蔵。洞窟の入り口に古い紙垂がぶら下がっている。


「聖……だれか……いる」


本当にあった、と思うと同時に、祠の前にしゃがみ込んだ小さい人影が目に入った。

背中が曲がった、白い髪の小さな老婆だ。


「えっ、瑞ちゃん」

「あー、えっと、話しかけてみよ」

「えっ」


両手をあわせて熱心に祈る老婆に近寄ると、足元で腐葉土がさらさらと音を立てた。

聖が言うような子どもの幽霊と違い、黒くもないし、明らかに実体がある。


一瞬、幽霊かと思ってびっくりしてしまった。


怖くない、ふつうの上品なお婆さん。おそらく、わざわざ祠に手をあわせるために、大学の敷地内に入り込んできた地元のひとだ。


老婆が手を下ろしたのを見計らって、驚かせないように恐る恐る話しかける。


「あの、こんにちは」

「……あら、あらあら、こんにちは」

「はい、こんにちは」


振り返ったお婆さんは優しそうな顔をしていたけれど、年齢はよく分からない。お年を召した方の年齢を予想するのは難しい。


私の祖父も八十を過ぎているが、いまだに六十代だと思われることがよくあるのだ。

この人も髪は真っ白だけれど、もしかしたら私が思うよりも若いのかもしれない。


「学生さんかしら」

「あ、はい。鷹条大の、四年生です」

「あらあらあら、いいわねぇ……おともだち?それとも恋人さんかしら、うふふ」


驚いた。


同性ふたりが並んでいるところを見て恋人かもしれないという発想を抱くのは、若くたって難しい。いくらジェンダーフリーが広まりつつあると言っても、世の中はやはり異性愛が主流だ。


嫌悪の様子もなく、年を召した人に問われたら驚くと言うもの。


素直に頷いた。


「恋人です」

「あらぁ、素敵ねぇ。私もねぇ、昔、女の人を好きだったのよ。病気なんじゃないかって、自分で疑ったりもしたわ。うふふ、私の想いは叶わなかったけれど。素敵な世の中になったわねぇ」

「そう、ですね。ありがとうございます」


不思議なお婆さんだ。ニコニコして、ふわふわした雰囲気は、少し聖に似ている。

聖が年をとったら、こんな感じになるのだろうか。


老婆の隣にしゃがんで祠を覗くと、開いた観音開きの奥にびっしりとお札が貼られていた。ベタベタと無造作に貼られたそれは異様な雰囲気で、ちょっと怖い。


「よく、来られるんですか?」

「そうねぇ、あんまり来ないのだけど。ほら、開けられちゃったから」

「あ、扉ですか」


地元民でもない一学生の私は知らなかったが、この周辺の人にとっては大事な祠なのだろうか。


「ここ、大事な場所なんですか」

「大事、ねぇ。ここにね、私の好きだった人の息子が眠ってるのよ」

「さっき言っていた、女の人の、ですか?」


えぇ、と頷いたお婆さんは優しい、それでいて寂しそうな目をしていた。

記録には残らない、何かがあった。


「この洞窟ね、昔、貴女がまだ生まれてない頃のことね。防空壕だったの。この辺りは疎開先になっていてね、都会から逃げてきた子どもがたくさんいたわ」

「戦争……」

「えぇ、怖かったわ、とっても。戦争が終わってからね、ここは子どもたちの遊び場になった」


耳の奥で、ウォーーーンと唸るような甲高いサイレンの音が聞こえた。


「ある時、子どもたちが遊んでいるときに地震があってねぇ。地崩れが起きたのよ。遊んでいた子どもが七人、生き埋めになったわ。その中にね、私の好きだった人の子どももいた」


なにも、言えなかった。


軽々しく、そんなことがあったんですね、なんて言ってはいけないと思ったから。

記録に残っていない、防空壕と、そのあとの地震。地崩れ。巻き込まれた子どもの、死。


「いまの学生さんは知らないかしら。うふふ、ここの林はね、事故を防ぐために植林されたのよ。ごめんなさいねぇ、ちょっと嫌な思い出話だったわね」

「いえ………」


知らなかった。

どうして、なぜ、記録に残っていなかったのだろう。


戦争の記録も、事故の記録も、なぜ人工林が作られたのかも、忘れてはいけない記憶ではないのだろうか。


「恥ずかしいです。三年以上ここに通っていて、なにも知らなかった」

「良い子ね。貴女はあの人に似ているわ。目がそっくり。桜の名前をもった人でね、貴女に似てとても綺麗な人だった」


ここに来る前に寄ったコンビニの袋をガサゴソとあけて、中身を祠の前に並べていく。


いちごミルク、バナナミルク、コーヒー牛乳、コーラ。チョコレート、チューイングガム、飴。菓子パン、おにぎり。


聖に憑いているのが子どもの霊だと言うので、あえて子どもが好みそうなものを選んだのは正解だった。七人分、足りるかな。


並べ終えて、観音開きの扉をそっと閉じた。いたずらに開きっぱなしにしていいものではない。

両手を合わせて目を閉じたら、隣のお婆さんが優しく微笑む気配がした。


「ありがとう、優しい子だわ」


首を横に振る。


私は優しくなんてない。利己的な人間だ。

ここに来たのだって、聖が来たいと言ったから。危ないと思って、幽霊に怯えた私は聖をとめた。


どうして子どもの霊だったのか、私は知ろうとすら思わなかった。

あまつさえ、心霊写真の謎を暴く冒険だなんて思っていたのだ。


「いいえ。ここで子どもが亡くなったと聞いて、貴女は心を痛めたわ。知らないことを恥ずかしいと思えた、素直で優しい女の子だわ」


事故があった当時、多くの人が悲しみにくれたのだろう。だから、二度と同じ事故が起こらないようにと、木を植えた。小山と地続きになった人工林には意味があった。


この人は、いったいどんな思いでこの祠に手をあわせ続けたのだろうか。私には想像することも難しい。


この人が好きだった女の人。好きな人に、聖に、私じゃない男との子どもがいたとして、それでもその子を可愛がって、それなのにその子を事故で亡くしたとしたら。


鼻の奥にツンと痛みが走って、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。誰かの痛みが流れ込んできたような、感情の奔流。


「は、じめ、ちゃん……」

「あら、あらあらあら。ごめんなさいねぇ。若い子を泣かせるなんて。うふふ、年をとると慰める言葉が分からないわ。駄目ねぇ」


ぶんぶんと首を横に振って、涙を拭う。


「ありがとう。貴女が来てくれて良かったわ。綺麗で、優しくて、まるでもう一度、あの人に会えた気分よ。うふふ、よいしょっと。いつまでもこんなところに留まっちゃ駄目ね。年寄りはもういくわ」


立ち上がろうとしたお婆さんに手を貸して、小さな体を見下ろす。しゃがんでいたから背中が曲がっていたように見えていただけで、お婆さんの背中はしゃんと伸びていた。


ちらりと聖を見たお婆さんが、ゆっくりと話しかけた。


「怖かったかしら。貴女も、もう大丈夫よ。恋人さんが、扉を閉めてくれたから」


あの子どもの霊のことか。原因はやはり祠だった?聖に憑いた子どもの霊が見えるとでも言うのだろうか。

語りかけられたことに驚いたのか、聖はきょとんとしている。


戦時を生きていたくらいだから、やはりそれなりにお年を召しているのだろう。皺は多くとも彫りが深く、若い頃の美しさが窺える。

日本人以外の血が入っているのかもしれない。目の色素が薄かった。


やっぱり、聖に似ている。


「おひとりで、大丈夫ですか」

「ええ。ついてきて、なんてわがままは言えないわ。もちろん、ついていくなんてこともしないわよ?うふふ」

「あの、私の名前……瑞です。二橋、瑞」


覚えておくわ、はじめさん。そう頷いたけれど、お婆さんの名前は教えてくれなかった。


荷物もなく、お婆さんは林の出口へと向かう。振り返って、軽く手を振ってくれた。


「あ、あの!」

「あらあら、どうしたの?」


「どうか、お元気で」


うふふ、面白い冗談を言うのね。そう言って、お婆さんは去っていった。


目をまん丸にした聖がこちらを見ていたので、目尻に残った涙を拭って微笑みかけた。

私はこの人を、大事にしよう。


「はじめちゃん……」

「いこっか、聖」


「あれー?ショウさんとハジメさんだ!」


びっ、くりした!


お婆さんが去っていった方向から、ガサガサと音を立てながら叶が顔を出した。後ろに卒業したはずのソウマ先輩もいる。


「なに、逢引き?」

「え、いや、違うけど……叶、なにしてんの」


「相馬先輩のトランペットの練習!ここ、先輩の秘密の練習場所だから」


よっ、と手を挙げつつ、今日仕事休みなんだよね、なんてどうでも良いことを教えてくれた。興味ないですけど。


たしかに、開けたこの場では楽器の練習にちょうど良いのかもしれない。


「あ、叶たちさっきお婆さんとすれ違わなかった?」

「いや?」


おかしいな、と思いつつ祠を振り返る。


「あれ?」


ない。


祠も、紙垂が掛かった洞窟も、お地蔵さんも。

残っているのは、私が並べたジュースやお菓子だけ。


「あ、あれ?ん?あれ?」


聖を振り返る。顔が引き攣っている。だよね、祠、急に消えたらその顔にもなるよね。


「聖……」


引き攣った顔のまま、聖がすぅと大きく息を吸った。


「あの、ね、瑞ちゃん。よく聞いて」

「え、もしかして聖、祠が消える瞬間みた?」


「違うの。


祠なんてなかったの。そう聞こえた気がする。


所在なさげに立ち尽くした叶とソウマ先輩を見ても、よく分かっていない顔をするだけ。そりゃそうだ。この二人はいなかったのだから。


「ごめん、もう一回言って」

「最初から祠なんてなかったよ。瑞ちゃん、ひとりで喋ってた。ずっと、ひとりで、喋ってた」


ゾゾゾ、と背筋になにか走った。


「ここに着いたら、瑞ちゃんフラフラ歩き出して、しゃがんで、ひとりで喋って、急に泣き出して……こ、怖かった」

「うそ、でしょ」


振り返ったところには、やはり何も残っていない。

お元気で、と言った私に、彼女は"面白い冗談を言うのね"と笑った。



「瑞ちゃん、いったいと喋ってたの」

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