第64話 心霊写真と恋の噺8

七人の子どもが死亡した地震と地崩れの事故。

大学の創立時期ではなく、それ以前の事故の記録を調べたら簡単に見つかった。

この場所が鷹取条南大学になる前のことだもの。そりゃ、創立当時のことを調べたって分かるわけがない。


ここから先の話は、あくまで私たちの想像でしかない。

当時のことも、幽霊のことも、現代を生きる私たちには簡単に理解できることではないのだから。


「原因はやっぱり、祠だろうね」

「だねぇ。あの子たちが開けちゃったのかな」


今まで霊障もなかった林で突然心霊写真が撮れるようになった原因。

おそらくは、校外学習の小学生が祠をあけてしまったからだろう、というのが私たちの見解。


現れたり消えたりする祠は、結局のところ謎のままだ。

だって、防空壕自体は事故のあと埋められてしまったらしいから。


意味があるのかは分からないが、今日、私と聖は揃って寺に赴いている。もちろん、お祓いのため。

いま、諸々を終えて、寺のお座敷でお茶を頂いているところ。線香の匂いで落ち着くのは日本人のサガだろうか。


あのお婆さんが悪い霊だとは思えないけれど、不思議体験をしてしまった張本人として、私も一応お祓いを受けた。

今回のことで別の悪いモノを引き寄せたりしてはたまらない。


「お婆さんと話して、聖のこと大事にしようって思った」

「え、好き」

「……私も」


それはそれは嬉しそうに、へらっと笑った。


結局私の勘違いだったけれど、もし本当に聖のお腹に子どもがいたとして、私はどこまでその子に愛情を注げるだろうか。

自分でも分かるくらい、私は出来た人間ではない。


想像もできないような苦悩と葛藤があって、もしかしたら聖や、その子にあたってしまうことがあるかもしれない。

自分でも知らなかったような、醜い顔を持っているかもしれない。


だけど、あぁ、ひとつ分かることがある。


もしも聖が、子どもの父親を、相手の男を心から愛していたら、私はきっと泣いてしまうだろうな。


「いやいや、お待たせしました!ようやく見つかりましたよー」


にこにこしながら入ってきたのは、この寺の若い住職だった。若いと言っても、おそらく私の父と同世代だろうけど。


祠の前で出会ったお婆さんの話をしたら、心当たりがあるので待っていてくれ、と言われたのだ。


「イトさんは十三歳で亡くなっていますから、違うのかもしれませが。もしかしたら、と思ってしまいましてねぇ。よっこらせ、っと。こちらですね」


ごとん、と置かれた薄い木箱はかなり古いものであるらしく、墨で書かれたような文字は掠れて読めない。


「本当に、私たちが見ても良いのでしょうか……」

「お会いしたのは二橋さんですから。もしその霊がイトさんだとすれば、彼女は貴女に読んでほしいと思いますよ」


彼がイトさんと呼ぶのは、彼の祖母の従姉妹にあたる人物である。あの地崩れで亡くなったうちのひとりだ。


イトさんの父親は外国の方だそうで、聞けば聞くほど、あの方がイトさんなのではと思ってしまう。


木箱のなかに入っているのは、イトさんが出せなかった恋文だ。

蓋を慎重にあけると、薄茶けた紙が何枚も入っていた。


掠れているけれど、ずいぶん達筆であることが伺える。


『こいしいあなた』


手紙を覗き込んでくる聖の香水を感じながら、読み慣れない字体をゆっくりと解していく。


『あなたのことを、夢にみました。あなたのなまえのやうな、それはそれは美しい八重のした。あなたをながめながら、いとはわらつておりました。


こいしい。あいたい。おそばにありたいと泣くイトを、だうぞおゆるしくださいな。


イトはどこかをかしいのでござゐます。


毎夜、毎夜、さけぶのです。


こいしい。あいたい。おそばにありたい。


やえさん。やえさん。やえさん。イトとなまえをよんでほしい。』


手紙を、ぽとりと箱に落とした。もう一枚を、手にとる。


『正一さんが憎い、みのるくんが憎い。


やえさんがイトのものにならぬといふならば、せめてイトがやえさんのものであつたらと、せつせつとねがふばかり。


いやしいイトをおゆるしくださいな。


みのるくんが憎いのに、やえさんの面影をみつけて、イトのむねがまた、さけびだすのでございます。


こいしい、にくい、こいしい、にくい。』


どの手紙も、似たようなものばかり。十三歳の少女の胸には重すぎる恋心が乗せられている。


恋が分からないと悩んでいた一年前の私では、きっと読めなかった手紙だ。

イトさんは、愛しい人の子どもの遊び相手だった。彼女はその"みのるくん"と一緒に死んだのだ。


私の肩に顎を乗せた聖が、そっと私の頬を拭う。

恋物語や家族愛の映画を観たって、泣くことはそんなにないのに。


どうして、イトさんの手紙はこんなにも切ない。


「うちの一族ではイトさんのお話は有名でしてね。ほら、あんな事故がありましたから、この手紙もイトさんが亡くなったあとに読まれてしまったのですよ。当時は一族の恥だなんだと騒がれたようでして、いま話を聞くと、ずいぶん可哀想なことをしたなぁと思うのです」


住職が、優しげな顔でぬるいお茶をすすった。


「あぁ、写真がありましたね。えーと、どれどれ……あ、これだこれだ。これが、イトさん。この女性がヤエさんで、こっちの子がミノルくんです」


小さな男の子と手を繋ぐ髪の長い女性の隣に、質素なワンピースを着た少女が恥ずかしそうに立っている。

後ろに写るのは、この寺だろう。


白黒の写真の中で、イトさんはたしかに笑っていた。少し恥ずかしそうだけれど、たしかに笑っていた。


恋はひとそれぞれだ。


聖は私に恋をして、私も聖に恋をした。


正直なところ、得体の知れない感情に勝手に恋と名付けただけだと、今でも時々思う。けれど、私はこれを恋だと決めたのだ。


イトさんも、胸にのし掛かるそれを、恋だと決めた。


「写真の子はミノルくんだったのかなぁ」

「ん……そうかもね」


「お二人は恋人同士、なのでしょうか。あぁ、いや、良いんですよ。デリケートなことですから。僕はね、イトさんとヤエさんの恋物語が好きなのですよ。切なくも思いますが、一生のうちどこかで、イトさんのような熱い恋がしてみたいなぁ、なんて年甲斐もなく思ってしまいましてねぇ。ははは!お恥ずかしい」


人の良さそうな住職が笑う。私と聖も、笑う。恋というのは厄介だけれど、やはり人間の憧れで、そしてどこかに幸福を伴うものだ。


"みのるくん"が聖を呼び、私がイトさんに出会った。あのお婆さんがイトさんなのかも分からないけれど。


でも、そこに何か意味があれば良いのにと、そう思う。



住職に礼を言って、寺を後にする。もちろん、お祓いに関してはきっちり有料だった。


行きは駅からタクシーに乗ったが、帰りはのんびり歩いて駅に向かうことにした。片道三キロ、結構ある。


いつもの通り、利き手を聖に握られながら、田舎の道を歩く。


途中の空き地でエロ本の自販機を見つけて、聖とげらげら笑い倒した。話には聞いたことがあったけれど、初めてみた。

トタン小屋にペンキで「本 ビデオ 自販機」と書いてあるのを見つけて、何事かと覗いたらアダルト天国だったのだ。


歩いていると、そんな面白い発見もある。


「ねぇ、瑞ちゃん」

「うん?なぁに」


「もしも、だよ。もしも、そんなこと絶対に一切、まったく、これっぽちも、神に誓ってあり得ないんだけど」


前置きが長い。


あ、黒猫!あ、行っちゃった。黒猫に横切られたら不幸?は?黒猫ちゃんに出会えたらハッピーに決まってる。失礼な。


「聞いてる?」

「聞いてる。超聞いてる」


「もし、私に子どもができたら、瑞ちゃんその子のこと愛してくれる?」


その話、数日前に似たようなやりとりをしましたけど。


あの時は私の勘違いだったけれど、私は真剣に考えて、真剣に言葉を選んだ。

ふたりで考えよう、聖の選択を受け止めようと思ったのは、きっと今でも変わらない。


「私はねぇ、心が狭いから、たぶん無理だと思った。イトさんと同じ。きっとね、瑞ちゃんが好きで好きで大切だから、その子どもも表面上はニコニコ可愛がる。だけどね、心の中では憎い憎いって、そればっかりになる。一度は手放そうとしたけど、たぶんもう、私は瑞ちゃんのこと離してあげられない」


瑞ちゃんの元彼だって憎いのに。そう言ってふにゃふにゃ笑う聖の表情には、憎悪のカケラもない。

聖の言葉と、聖の表情と、聖の態度と、相変わらず食い違うそれらに、私はやっぱり惑わされる。


それでまた、聖のことばかり考えさせられる。


私もそんな予定はないから。いまの時点では子どもが欲しいとも思えないから。

だから聖は、私だけ好きでいればいいよ。


「………私は、どうだろう」


聖の子ども。聖が生むというのなら一緒に育てるつもりでいる。本人にも、そう言った。


「そう、だなぁ………うん、愛してあげる」

「ぅゔん!」

「あはは!発作ひさびさ」


誰も通らない道で、聖の体を引き寄せた。至近距離で、茶色い目を覗き込む。

私と聖は、イトさんとヤエさんじゃない。


私の恋は、私の恋だ。

聖の恋と、私の恋は違うもの。私はもう、それを知っている。


「どんなに憎くても、愛してあげる。殺したいほど憎くても、愛してあげる。その努力をしてあげる。聖が好きだから」

「ンンッ!殺し文句ッ!」


聖がイトさんと同じ?ふふ、それは違うよ。きっと違う。

イトさんと同じなのは私だ。


"みのるくん"のなかにヤエさんの面影を見つけて憎みきれなかったから。ヤエさんを愛しているから、イトさんはみのるくんを愛した。愛しているから、なおさら憎かったのだ。


私ね、人間の心が分からないアンドロイド扱いされることが良くあるけれど、こう見えて読解は得意なの。


蝉の声が響く。心霊現象と冒険が、夏に溶けていく。

あぁ、一生ネタにできる経験をしてしまったなぁ。


悶えている聖に、最後の追撃をぶち込んだ。



「聖のこと愛してるから、聖のぜんぶ……愛してあげる」

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