第61話 心霊写真と恋の噺5

バイト終わり、オンボロ原付でとことこと夜道を走る。

相変わらず人も車もいない道を原付で爆走。と言っても、気分だけ。おそらくメーター通りの速度は出ていないだろう。あまり速度を上げすぎると、オンボロでポンコツな原付くんから異音が聞こえるのだ。


人通りも車通りもない深夜の片隅で、故障した原付を押しながらとぼとぼ歩く羽目になったらたまったものではない。


何人もの主人を渡り歩いてきたコイツも、おそらく私の代で最後になる。だって、譲ってあげるような後輩もいないし。


三階建ての小さなマンション。駐輪場に原付を止めて見上げると、三階の角部屋はまだ煌々と明かりが灯っていた。

まぁ、起きているのは知っていたけれど。


昼間、祠の話を聞いてから怖くなってしまったらしい聖が、おそらく部屋で震えている。

人死が出たという話でもなく、ただあるか分からない祠の噂を聞いただけだ。そこまで怖がることもないだろうに。まぁ、あの写真のこともあるし、仕方ないのかもしれないが。


部屋番号を押して、オートロックのインターフォンを鳴らす。


『瑞ちゃぁーん!』

「はいはい、瑞ちゃんですよ。あけて」


返事の前に、ウィーンと静かに自動ドアが開いた。

深夜、マンションの廊下には私の足音だけが響く。車の音もない。通り過ぎた部屋から入浴中らしき香りが漂ってきた。


「瑞ちゃん!」

「深夜だから静かにして」

「お疲れ様おかえりなさい待ってた!」


ドアからにゅっと顔を出した聖は、安心しきったような、嬉しそうな顔をしていた。

私がいたからなんだという話であるが、たしかにひとりよりも心強いだろう。


玄関に聖をぎゅうぎゅうと押し込んで、自分の体も捩じ込む。聖の部屋の匂い。


パンプスを脱ごうと片足になった瞬間、結構な勢いで聖が飛びついてきた。ご主人様の帰りを心待ちにしていた大型犬じゃあるまいし。

バランスを崩さないように壁に手をついて、どうやら本気でビビっていらっしゃる大型犬の背中を撫でた。


「聖、とりあえず中いれて」

「ごわがっだよぅ!」

「わかった、わかったから」


体を引き剥がすと、今度は顔じゅうに口づけが降ってくる。ちゅっちゅっと音立てながら三回ほど唇を吸われたところで、額を押さえつけることに成功した。


この犬、玄関でなにやってんだ。靴脱げないし。


やっぱり犬だよなぁ。大きくてもふもふのやつ。あ、あれだ。


「茶色いボーダーコリー」

「んぇ?」

「ポチ、お座り」


聡明な牧羊犬は、私がわりかし本気で怒っているのを察して、素直に膝を抱えて座った。うるうるした目で見られても、玄関で事に及ぶのは頂けない。

だいたい、自分だけ風呂に入って私には靴も脱がせないとはどういう了見だ。


飼い主は私。聖は犬。


「ぼーだー?こりー?」

「犬。でっかいやつ」

「いぬ」


パンプスを脱ぎ捨て、玄関の鍵をかける。ついでにチェーンもかける。

お座り状態の聖を置き去りにリビングに向かえば、背後から聖の呼び止める声が聞こえた。


「うぇぇ!?私は!?お座りやめていい!?はじめちゃん!?」

「反省して」

「してる!してるから!ひとり怖いの!そっち行っていい!?瑞ちゃん!?瑞ちゃんいるよね!?」


つけっぱなしのテレビから深夜バラエティのやかましい音が垂れ流しになっている。リモコンを操作して音量を一気に下げた。


この芸人、品がなくて好きじゃない。小学生には人気みたいだけど、うるさいばっかりで何が面白いのか分からない。見た目も汚ないし。


無音が怖かったのだろうか。年寄りの家なみに大音量だった。うちの祖父母宅ですらこんなに音は上げない。


「いいよ、おいで」

「瑞ちゃ!」

「ストップ、待て!」


リビングに飛び込んできた犬に手のひらを向ければ、聡明でしつけのできたワンコはぴったりと動きを止める。

無言のまま十五秒。


両手を広げる。


「よし」

「ワン!」

「ちょ、勢い強いから」


あー、嬉しそうだこと。しっぽがぶんぶん。見えないけれど、見える。

落ち着かせるつもりで背中をトントン叩いてやれば、また嬉しそうにワン!と鳴いた。


無駄吠えのしつけもしたほうがいいのかな。


「いるの」

「なにが?」

「こ……こども……」


理解が追いつかなくて、聖を抱きしめたまま首を傾げる。


何がいるって?え?子ども?


「………えーと、誰の子ども?」

「え、そそそんなの分かんないよ!」

「分かんないの!?えっと、えー、私こういうときどうしたら良いか分からないんだけど」


私も分かんないよぅ!と縋りつかれた。


誰の子どもか分からないって、それ結構大事なのでは?いや、そもそも子どもがいる時点で大事件なのだけど。

私、こういうときどういう反応したらいいの?いや、ショックを受けていいんだよね?それは分かるけれど、突然の告白すぎてちょっと感情が追いつかない。

私というものがありながら!ってヒステリックに怒った方がいいのかな。


私に相談してきたってことは、聖も本意じゃなかったってこと?相手が分からないって言うし、複数人いたとか?

継続して関係をもったわけじゃなくて、複数人と一回こっきりとか?

まさかの処女懐胎じゃないよね?なに、聖、神さま産むの?


処女懐胎は冗談として、でも聖、そんなそぶり見せなかったし。


怖がっていたわけじゃなくて、ずっと不安だったってこと?

なんでそんな大事なこと……


「なんで相談してくれなかったの」

「あの状況で言えるわけないでしょ……」


でも、相談して欲しかった。まがりなりにも私、聖の彼女なのに。


私だから言えなかったのかな。


聖も私のこと好きでいてくれてるはずだけど、もしかして私だけじゃ満足できなかった?いや、そんなことは考えたくない。


聖は本意じゃなかったって、そう思って良いんだよね?


「いつ、わかったの?」

「今日の、お昼。オカ研に行ったとき」

「そか」


オカ研に話を聞きに行く前、トイレに行ったときかな。

あのとき強く握られた手は、不安だったから?そうだよね、悩まないはずないよね。


たしかに私は誠実な人間じゃないかもしれないけど、でも聖のことが好きなのは確かだよ。初めて好きになった人だもの。恋を教えてくれた人だもの。


そんなことで、聖のこと手放したりするもんか。


「とりあえず、明日病院行こう。ついていくから」

「ん?病院?」

「うん、ちゃんと検査したほうがいい。聖がどういう決断するにしても、私は受け止めるし。何があっても、聖のこと好きでいるから」


堕ろすなら、その費用を半分もったっていい。誰の子か分からないなら、相手の男に相談することもできないだろう。

産むと言うなら、それでもいい。私も一緒に育てる。


幸い、ふたりとも卒業単位は心配ないし、あとは必修と卒論だけだ。大学は休学しなくても済むだろう。


だけど、聖の内定はどうなるだろう。早々に就活を終えたのは良かったのかもしれないが、シングルマザーになったばかりで就職というのも大変なことだ。


私が頑張るしかないかな。最終面接までこぎつけられた企業はまだひとつもないし、良くて二次の結果待ちだ。


「聖の子だったら、私も一緒に育てるよ。私も頑張るから。明日一緒に病院行って、ちゃんと検査して、ふたりで決めよう。ご両親のご挨拶も行かないとね」

「待って待って!ストーップ!瑞ちゃん、なんの話!?」


「え、聖の子どもの話」


抱き合っていた体を離して、間抜けな顔をしたまま私の顔を見ている。

そっと伸ばされた手が頬に触れて、そのままぎゅうっとつねられた。


「いふぁい」

「ごめん、もう一回言ってもらっていい?瑞ちゃん、なんの話?」

「しょうの、こどものはなし」


たっぷり五秒。首を傾げて、また五秒。


「瑞ちゃんのシナプスってどうなってるのかな?」

「なんの話?」

「こっちのセリフ」


真剣に考えなければいけない話題だろうに、今はふざけている時ではない。否、こんな時だからこそ、少しくらいふざける余裕が必要なのだろうか。


「えっとね?なんでそう思ったのか分からないけど、私、子どもいないからね?えーと、妊娠もしてないし、その疑いもないからね?」

「ん?」

「浮気なんかしてないし、えっちなことも瑞ちゃん以外としてないからね?アーユーオーケー?」


ん?んー?


数秒間だけ思考を巡らせて、ようやく聖の言葉が追いついた。

聖、子どもいないって。その疑いもないって。頭のなかで言葉を繰り返したら、へにゃへにゃと腰が抜けた。


「びっくりした……よかった……」

「えっと、勘違いさせたみたいでなんかごめんね?あ、あ、でも、嬉しかったよ。瑞ちゃんの思考回路は意味不明だったけど、愛されてることはよく分かりました!えへへ」


私の前にしゃがみこんで、頬を緩ませたまま笑う。そのまま唇を寄せて、何度かキスされた。


良かった。唇も体も、まだ私のものだった。誰にも触らせてなかった。


「えへへじゃないよ……だって……子どもいるとか言うから……」


そう言ったら、聖の緩んだ顔がぴきんと固まった。

え、今度はなに。


「瑞ちゃんのトンデモ思考回路のせいで忘れてたぁ……」


しゅっと素早く振り向いて、きょろきょろと部屋を見渡す。なにかを確認して、安堵のため息をついた。


なに、ゴキブリ?


「あ、ああああのね」

「う、うん」


「いるの、子ども。私のお腹じゃなくて……その」


ユーレイ。


真剣で、でも少し怯えた目。


「………明日、病院じゃなくてお寺いこうか」



私の彼女は、どうやらマジで憑かれたらしい。

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