第80話

チエリさんと晃太郎の出会いは古本屋だったそうだ。なんとロマンチックな。


本を取ろうとして手が触れ、「あっ!」となったわけではないらしい。


いつも同じ時間に漫画コーナーで立ち読みしていて、次第に話をするようになったとか。初めて会話をしたのが昨年の大鷹祭あたりだと言うので、私と聖が知り合った頃と重なっている。


聖とチエリさんが一緒にいるところも目撃しているはずだし、言えよ、と本気で思う。


「カッコいい男の子がいるなーって思ってたんだよね」

「かっこ、いい?」

「おいハジメ、疑問符やめろ」


少年漫画と青年漫画をあらかた読み尽くして本棚を物色している晃太郎に、チエリさんから声をかけたという。

晃太郎が少女漫画を読み始めたのは、どうやらチエリさんの影響であった。


さすがに友人歴三年目ともなれば、聞かずともわかる。

晃太郎が少女漫画を必死に読み込んだのは、物語に夢中になったからだけではなく、おそらくチエリさんとの話題が欲しかったからだ。


「ということで、クロリーナさま。晃太郎くんとお付き合いしても良いでしょうか」

「いや、私に許可求められても……」


「や、まぁ、ほら、もっちゃんと付き合ってるって知らなかったし。下手したら二股になるのかなーとか、思ったり?思わなかったり?」


あぁ、『彼氏一号二号』問題ね。男女が行動を共にしているだけで恋愛が絡むと思われるの、どうにかならないかな。


晃太郎も晃太郎だ。私にちゃんと話し合え、というアドバイスをぶつけてきたくせに、自分たちだって意思の疎通が不足している。

本命の彼女がいると誤解されたまま付き合い始める、だなんて中々恐ろしいスタートではなかろうか。


いやいや、ハジメは彼女じゃないって説明したし!と慌てて手を振っているが、チエリさんに伝わらなければ意味がない。

私も聖の言葉にしょっちゅう惑わされるから分かる。冗談めかすばかりで、本当に伝える気があるのかな、と時折思うから。


「私と晃太と謙太。本当にただの友人なので。誰一人として恋愛が絡んだこともないし、肉体関係もないから。謙太の元カノで面倒なことになりかけたから、先に言っておくね」

「と、クロリーナさまは言っておりますが、いかがかな、晃太郎くん」


「まー、うん、そのとーりです。つか、真面目な話、マジで俺と謙太郎とハジメはただの親友です」


ばっと顔を上げて、晃太郎を見た。嬉しそうなチエリさんと、照れ臭そうな晃太郎。


でもたぶん、いま一番喜んでしまっているのは私だろう。


「……親友」

「だろ?ちげーの?え、違ったら俺、すげー恥ずくね?」

「違くない。嬉しい。ありがと」


おう、と笑った晃太郎の頬をチエリさんがむぎゅっと掴んだ。それと同時に、私の頬を聖がぎゅうっと掴む。


何事なの。


「あのね、瑞ちゃん!瑞ちゃんたちが三人で付き合ってるとか噂されるの、ただ男女で一緒にいるからってだけじゃないからね!そう!いう!親密な空気が勘違いさせるの!」

「え、そんな噂されてんの?こわ」


「されてるよ!いっつもいっつも、晃太郎くんたちが瑞ちゃんの両わきガッチリ固めてさぁ!いかにも『オレらの女守ってます』って感じじゃん!遠巻きにそれを見せつけられるたびに私の胸はキリキリしてるの!」


頬がぎゅうぎゅうと押されて、少し痛い。赤くなりそう。


頬から手を引き剥がして、ついでに指を絡めた。相変わらず短く整えた、素の爪をすりすりとさする。

好きだなぁ、聖の指。大きいかもしれないけれど、やっぱり華奢。白くて、指が長くて、綺麗だと思う。


「あ、たしかに電車の中とか守ってもらってる」

「あれな。車両変えてもハジメについてくるヤベーやついたから」


「待って、瑞ちゃん。その話知らない」


絡めていた指がギリギリと握りしめられる。痛い痛い、ちょっと、マジで痛い。折れる。


そういえば話したことがなかったと思い、握られた指をどうにか緩めながら、電車で出会った変質者の話をした。

違う車両に乗っても必ず私の目の前に立つ男は、今でも高頻度で遭遇する。が、痴漢をされるわけでもなく、ただ視線を送られるだけ。今のところ実害はないので、とあえず放置していた。


「早く言ってよぅ!そんなことなら、瑞ちゃんをひとりで帰らせるとかしなかったのに!」

「クロリーナさまの美人度、人外レベルだもんね。神社にいる狐の化身って言われても、あたしたぶん信じるわ。つか、痴漢とか大丈夫なの?」


「痴漢が狙うのは可愛い子じゃなくて大人しそうな子、らしいから。私、どこからどう見ても痴漢されて黙って我慢する女には見えないでしょ」


聖にするりと頬を撫でられて、そのままくいと引き寄せられた。至近距離にある茶色い目が心配の色を浮かべて覗き込んでくる。


キス出来そうな距離だなぁと、場違いに思った。


「あのクソサラリーマンのこともあるし……お願い。心配だから、変な人いたらちゃんと教えて」

「クソサラリーマン?」

「ベロベロに酔っ払って瑞ちゃんに乱暴しようとしたクソリーマン。嫌がってる瑞ちゃんの顔が見えたときね、本当にはらわたが煮えくりかえりそうだった」


今まで出会った変質者リストに照らし合わせても該当せず、しばらく考えたところでようやく一名がヒットした。


ストゥルティの元常連、カワタさんだ。記憶の彼方にすっ飛ばして、存在ごとまるっと忘却していた。いたなぁ、そういえば。


すりすりと撫でる手に、自分から頬を寄せる。暖かくて気持ちが良いのだ、聖の手は。


「聖が助けてくれたの、嬉しかった」

「んぁぁぁ、私の彼女が可愛い」


「スッ!トーップ!アベック二組!いい加減にしろ!うちらを置いてけぼりにすな!胸焼けするわ!とくにそこの今にもチッスしそうな女ふたり!麗しいわ!背後に花が咲き乱れとるわ!帰ってやれ!そして飯を食え!フレンチを!この美味そうな魚を!食え!」


優花さんが噴火した。


ふたりの世界に入り込んでいたのはどうやら私たちだけではなかったらしい。晃太郎とチエリさんが、初々しく真っ赤になっている。


うわ、なんか……晃太郎のこういう顔を見るの、なんとなく気まずい。


化粧っ気のない素顔に、スタイリングもされていないショートボブ。ジーンズ、スニーカー、ダサいTシャツ。

チエリさんはお世辞にも見た目に気を遣っているとは言えない。丸顔に垂れ気味な目、可愛い造形をしているのだからもっと気を遣えば良いのにと思わないでもないが、所詮ひとの事なので特に何か言うつもりはない。


ただ単に、あの面食いの晃太郎が選んだ女の子がチエリさんなんだなぁ、と思っただけだ。


聖は料理の写真を撮り、優花さんはリア充がどうのと文句を垂れ、真理さんは黙々と食べ進める。

晃太郎とチエリさんは、ときおり目を合わせては照れたように笑う。


晃太郎の視線には、チエリさんへの好意が詰まっていた。


カノジョが欲しい、カノジョが欲しいと騒いで、馬鹿のひとつ覚えみたいに合コンに参加していたくせに。その裏では可愛い恋を育てていたとか、なんだか腹立たしい。


でも良かった。


彼女が欲しいから付き合い始めたのではなくて、チエリさんが好きだから付き合い始めたのだと、言われなくても伝わる。もしも下半身だけで物事を考えていたら、最低クソ野郎だと詰らなければいけないところだった。


まぁ、それとは別に、半分趣味と化している風俗遊びは控えたほうが良い。場を荒らしそうだから言わないけれど。あとでこっそり忠告してやろう。


「チエにもモッチンにも裏切られるなんて……お前らは仲間だと思ってたのによぉ。ハァ、人生つら。脂肪は落とせないし、イイ男も落とせないし、そのくせ沼には落ちるし、挙句ガチャは爆死するし……マリリン、こうなったらうちらでユリユリしようぜ。百合営業ってやつ」

「どこにむけて営業すんだよ。冗談は脂肪だけにしろ」


優花さんたちの会話に、また声をあげて笑った。あぁ、『楽しい』。


フレンチもワインも、子供舌の私には美味しさが分からないけれど。美味しそうに頬を緩める聖を見て、ふと思い出した。


誰ひとりとして、私たちのことを"普通じゃない"なんて言わなかった。まるでそれが当たり前みたいな顔をして、簡単に受け入れている。


ねぇ、良かったね、聖。


言わなかったけれど、怖がっていたことを知っているから。私に拒否されたり、気持ち悪いと思われるのが怖いと、いつの日か言っていたことを覚えているから。


ねぇ、聖。シャングリラは、案外すぐそこにあるのかもしれないよ。

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