ex. ありったけの未来をくれてやる 4

帰ってきた両親は両手に買い物袋を抱えていて、それを真っ先に受け取ったのは娘ふたりではなくサツキさんだった。


父も母もそれを当たり前のように受け止めている。サツキさんがいかに二橋家に馴染んでいるのかがよくわかった。


持ちきれなかった荷物を取りに父がガレージへ戻ったタイミングで、母親の肩を叩く。


「お母さん」

「瑞、おかえりー」

「ただいま。友だち紹介していい?」


硬直していた聖がガタガタ震えて、またすぐに硬直した。と思ったらまたガタガタし始めた。


ガタガタちゃんの肩を両手で掴んで、母親の方へ押しやる。


「この子、新本聖さん。なかよし」


「ごごごご紹介にあずかりました、瑞さんと同じ大学の新本聖です!ほ、本日はお日柄もよく、このような日にお招き頂けたこと、大変嬉しく存じます!皆様におかれましても、ご清祥のこととお喜び」

「聖、ストップ。落ち着いて。深呼吸、はい、吸ってー」


すぅぅぅぅ。


ふっと破顔した母が、間髪入れずに笑い出した。


「あはははは!瑞が友だち連れてくるって聞いて、まさか彼氏かと思ったら、あはははは!」

「えと、あの、な、なんかスミマセン……」


「いいよー、ありがとね。瑞と仲良くしてくれて。新本さん、でいいのかな?顔しか取り柄がない子だけど、迷惑かけてない?」


聖が首を横に振る。

なにか変なことを口走るだろうなとは思っていたが、結婚式のスピーチみたいなことを言いだすとは思わなかった。


なに、お日柄も良く、って。


「私の方こそ、瑞さんと仲良くして頂けて毎日幸福が突き抜けております!瑞さんが存在するだけで世界に平和が訪れるというのに、お側において頂けるなど奇跡にも等し」

「聖、ストップ。落ち着いて。深呼吸、はい、吸ってー」


すぅぅぅぅ。


なに、存在しているだけで世界平和、って。ノーベル平和賞もらえるじゃん。


「お母さん、ショウちゃんがチキン買ってきてくれたから、とりあえずお昼食べようよ」

「それぜったい瑞セレクトでしょう。これ食べたら、ふたばまた運動しないとねー。あ、お餅焼く?」


聖が小さい声で、チキンとお餅……?と呟いた。


フライドポテトが白米のおかずに並ぶ家だ。さすがの私もこれが世間一般とは多少ズレていることを知っているが、二橋家では常識。郷に入れば郷に従え、ということで慣れてほしい。


母とサツキさんがいそいそと昼食の準備をする中、私は脚立を引っ張り出してくる。椅子代わりである。


四人家族の我が家はダイニングテーブルも四人用だし、椅子も四脚しかない。折り畳みの予備椅子にはサツキさんの上着が掛かっているので、残りひとつ、聖の椅子がなかった。


お客様である聖を脚立に座らせるわけにはいかないので、これは私の椅子だ。


「お母さーん。剃刀の替え刃知らないか?」

「あ、お義父さん!スミマセン、置き場所分からなかったので、台所に置いてあります」

「買い忘れたのかと思った。サンキュー、サツキくん」


棒立ちになった聖が、またビクンと震えた。今日だけで聖の寿命が数ヶ月は縮んでいる。


可哀想ではあるけれど、連れてきてしまったものは仕方ない。


「お父さん、お父さん」

「お?瑞ちゃーん、おかえり!いつ帰ってきたの?」

「さっき。友だち紹介していい?」


イケオジ、と隣から聞こえた気がする。

そうなのだ。縁戚関係者のあいだでも、父はイケメンで通っている。少し髪が薄くなってきているけれど。


母と結婚する前の写真を見せてもらったときは、田舎のヤンキーだな、としか思えなかったが、昔から女に囲まれていたという話は多方面から聞いていた。


元ヤンキーのおっさんが聖をぎろりと睨んだあと、すぐに相貌を崩した。


「彼氏じゃないのか!良かった!瑞の父です、よろしく」

「…………にいもと、です」


「お父さんねー、瑞が男に盗られたってずっと騒いでたからね」


恋人ができたことを"盗られた"と表現するのであれば、間違いなく聖は私のことを盗んでいった張本人である。


男か女か、の違いでしかない。


一瞬だけ睨まれたことで完全に萎縮してしまった聖は、いまや首を縦か横に振るだけの人形になってしまった。


あぁ、ダメだ、これは。友だちという紹介でも間違えていないのだし、もはやこのまま通したほうが良いのかもしれない。


時期尚早だったかな、と少しだけ後悔した。




フライドチキンと餅と味噌汁、という若干意味の分からない組み合わせの昼食を終え、早々に聖を自室に避難させた。


両親のどうでも良い質問になんとか二言、三言返事をしていたが、パニックを起こすとまた変なことを口走りかねない。


聖は私の腹筋を崩壊させる天才なのだ。

あのままだと、私の方が餅を喉に詰まらせそうだった。


「しょーさーん、重たいんですが」

「重くないもん。体重、リンゴ三個ぶんだもん」

「ショウ・ホワイトちゃん、耳にリボンつける?」


ベッドの上で私の背中にしなだれかかったまま、かれこれ二十分。

聖としては両親への挨拶は失敗だったらしく、先ほどからずっと、この調子で落ち込んでいる。


体の力を抜いて、聖に体重をかけられたまま重力に身を任せる。ゆっくりとベッドに倒れ込んだ。


上に乗られると食後の胃が苦しい。聖を横に転がして、いそいそと体の位置を整える。

向かいあえば、見事に凹んだ顔をしていた。


「甘やかしヨシヨシえっちして」

「ヨシヨシえっちが分からないんだけど、私がしていいの?」

「……私が瑞ちゃんの乳首を吸うので、瑞ちゃんは私の頭を撫でてください、二時間」


二時間!?長くない!?

幼児退行プレイってこと?実家で挑戦するには難易度高くない?


ごそごそとTシャツに入り込んできた手の進行を食い止める。


「ヨシヨシするのはいいけど、乳首はダメ。二時間はさすがに乳首とれる」

「とれたら桐箱に入れて大事にする」

「へその緒か」


ふふっと笑えば、聖の口からも笑いが漏れ出した。


頭を抱き寄せ、胸元に着地させる。甘やかされたいようなので、そのまま後頭部を撫でてやった。


「ふぁぁぁぁ」

「……よしよし」

「ふぁぁぁぁ!」


油断すると動き出す不埒な手を阻止しつつ、首を巡らせる。相変わらず統一感のない雑然とした部屋だこと。

ここ数年座ることすらしていない学習机の周りに、高校時代の教科書や大学入試の際の資料が散らばっていた。


あの辺りにあるかな。


「アルバム、見る?」

「見るー!見る見る!超見る!」


ガバッと起き上がった聖の目がキラキラしている。へにゃへにゃになっていたくせに、アルバムひとつでここまで回復するのなら、最初に与えておけば良かった。


学習机に立てかけてあるものは高校時代のものばかりではなく、中には中学時代のノートや、小学校で使っていた道徳の教科書なんかも出てきた。


卒業アルバムは無視。内容は覚えていないものの、卒業文集など見られたらいたたまれない。


「あった」


「五万円くらいでいい?」

「なにが?」


いや、財布まで持ち出して何してるの。


「クレジットカードは使えますか?」

「使えませんけど?」

「じゃあ現金で……」


諭吉を出すのはやめなさい。いや、何にお金を払おうとしてるの、この人。


「アルバムごと買い取りたい」

「非売品なんだけど」

「そんな御無体な!」


意味の分からない聖を笑い飛ばしながら、ベッドに腰掛ける。


青い表紙のアルバムには『はじめ』と書いた名前シールが貼られている。私がメインに写っているものばかりで、ふたばの部屋には『ふたば』アルバムがあるはずだ。


「お名前シール可愛すぎかよギルティ。はやく!はーやーくー!瑞ちゃん!ハリアップ!」

「はいはい」


表紙を開く。


「…………神の理不尽を感じた瞬間」


私の膝の上で開かれたアルバムを覗き込んで、聖が何故か合掌した。


クマの耳がついた水色のベビー服を着てニコニコ笑っている赤ん坊。まだオムツが外れていない幼女の手首を握っている。


私とふたばだ。


「なんで赤ちゃんの頃から顔面が完成してるの?」

「顔、あんまり変わってないでしょ」


「生みたい。瑞ちゃん、私、瑞ちゃんのこと生みたい。初めて子ども生みたいって思った、瑞ちゃんを生んで育てたい」


親子になるのはちょっと……

あぁ、でも同性カップルになるわけだし、将来的に籍を入れるとしたら養子縁組になるのかな。二橋聖、悪くない。


騒がしい聖と一緒にページをめくっていく。


「これは?超可愛いんだけど」

「唐揚げ食べたまま寝落ちたやつ」

「唐揚げになりたい」


ならないで。


アルバムの中の赤ん坊は少しずつ成長して、子どもにかわっていく。


幼稚園の黄色い帽子をかぶって泣きじゃくっていたり、恐竜のおもちゃを振り回して遊んでいたり。

砂場用のスコップを持って男の子とチャンバラしていたり、ヒーローの変身ベルトをつけてポーズをとっていたり。


さすがに幼稚園児だったころの記憶はほとんど残っていない。なにもかも恐竜だらけなんだけど、私そんなに恐竜が好きだったっけ。


幼女が少年のようにかわっていく。


「これ、何年生?可愛い」

「三年生、かな。男の子みたいだよね」


「可愛いよ」


半ズボンに半袖のTシャツ。短い髪に、膝の絆創膏。


そして、濃紺のランドセル。欲しいと言った覚えのない、濃紺色。


「この頃から男の子の友だちが多かったんだね」

「ん、うん。五年生のときに、私のことを男の子だと思ってた六年生に告白されたことある」


「マセてる!」


私は女だよ、と返事をしたら、騙された!と走って逃げられたのだ。そんなことを言われても、と思ったのは覚えているが、結局その後どうなったのかは記憶にない。


少しずつ、写真が減っていく。


「小学校の卒業式?」


卒業証書の筒を持って両親と並んでいる写真には、れっきとした"女の子"が写っている。

少しだけ伸びた髪をピンで留めて、クラシックなワンピースを着て仏頂面。


仲が良かった男の子たちに「女みてぇ」と言われて、たしか不貞腐れていた。


「え、仏頂面すぎて可愛いさ突き抜けたんだけど……なにがあったの?」

「生理がきた」


「な、なるほど?」


六年生の後半で生理がきて、胸が膨らみはじめた。どんなに男の子のような格好をしたところで、私はどうやっても女でしかない。


少年にしか見えない女の子ではなく、男の子の服を着た女の子になった。

私はそれをとりたてて悪いことだとは思わなかったけれど、世界の色はたしかに変わっていった。


私は自分が女だという自覚があったし、男になりたいと思ったことは一度としてないのに。

もしも男だったら、と考えるようになったのはここ数ヶ月のことだと思う。何がきっかけかは忘れてしまったが。男装だったかな……


どうして私は、男の子みたいな格好をしていたのだろう。たぶん、動きやすかったからだ。

どうして私は、男の子の友だちばかりだったのだろう。それが楽しかったからだ。


中高、そして今。見た目が女でしかなくなっても、私はきっと何も変わっていない。


母が買ってくる服は、いつも男児用の服だった。

父が買ってくれるおもちゃは、いつも男児向けのものだった。

今では想像もつかないほどのわんぱく少女だったけれど、小学生の頃はたしかに楽しかった。


どうして私は『ハジメ』と名付けられたのだろう。


このアルバムを捲ったのはいつぶりか。記憶の彼方に放り投げていた懐かしい景色が、写真を通して戻ってくる。


聖がパラパラとアルバムを捲って、濃紺のランドセルを背負った"私"を、指先で撫でた。


「可愛いなぁ」



なんとなく安心したのは、なぜだろう。

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