第11話

大学の駐輪場に原付をとめてキーを引っこ抜いた。先輩から受け継いだこれは、先輩の前にも何人か所有者がいる。私で実に四代目だ。


見た目からオンボロの原付は見た目にそぐわず現役で、とろとろ走る分には何の不都合もない。


ただし随所にちょっとした不具合は出ている。下手したら私が最後の所有者になるかもしれない。

たとえばこの鍵。錆びているわけでも欠けているわけでもないのに、角度が悪いと抜けてくれない。初めのうちは随分と手こずった。今では一発で引っこ抜ける。

たとえばスタータースイッチ。すでに機能していないこいつは、ただのお飾りだ。エンジンはキックでかける。初めのうちは随分と手こずった。今ではヒールでもキックスタートできる。


スクーターは良い。ヒールでも乗れる。回せば走る。クラッチ操作をミスってエンストすることもなければ、半クラで左手がヘトヘトになることもない。

ヒールで乗るなんて危険だと言われたらその通りだし、否定もしない。あくまで自己責任。東京のように交通量の多い道を走るわけではないので、事故を起こすとすれば高確率で自損だろう。私が勝手に怪我をするだけ。

まぁ、保険も入っているし。誰かにパンプスでも乗れるよ!とお勧めするわけでもあるまい。


ミラーで前髪を直し、安い半カップのヘルメットをかけた。高いフルフェイスみたいに盗まれることもないので、いつも適当に引っ掛けているだけ。


「ハジメ、おっすー」

「おはよう、晃太」


指先に鍵を引っ掛けてチャラチャラ言わせている。ご自慢の髪の毛がヘルメットでぺったんこだ。

晃太郎が乗り回しているバイクは、私の原付より五倍の排気量を誇る。ギリギリ車検がいらない中型二輪。

昨年の夏休みに謙太郎を含めた三人で免許合宿に行った。私は原付免許で充分だったのだが、なんとなく空気に流された。


免許を取得して以来、私はオンボロの原付きしか乗っていない。まだ一年ほどしか経っていないにも関わらず、すでにマニュアル車に乗れる自信がなかった。


「あ、いたいた。けーんたろー!」


晃太郎が声を張り上げた先に謙太郎がいた。ちょうどタンデムシートからカナちゃんが降りたところ。なるほど、昨日はお泊まりでしたか。

謙太郎が乗っているのは原付二種。通勤快速なんて呼ばれているそれだ。

免許を取ってもさほどバイクに興味がなかったくせに、カナちゃんと付き合い始めて速攻で中古車を買った。


「謙太郎、おっすー」

「はよ」

「カナちゃんもおっすー」


晃太くんおはよ、と挨拶しても、相変わらず私には何も言わない。返事を貰えないだろうことは分かっているので、私もなにも言わない。


今日も絶好調に香水臭い。鼻曲がりそう。


どうでもいいような話をしながら、だらだらと第一校舎に向かう。どうでもいいような話についていけないのは私だけ。

三人でいるときはもっと下らない話で笑っているけど、カナちゃんが混じると話題は軽音サークルのことが主になる。

いくら太郎たちの繋がりで面識があるとは言っても、内輪の話に馴染めるほどではない。


先週の火曜、昼食にカナちゃんが乱入してから、四人で行動することが増えた。講義がかぶることはほとんどないが、昼食や講義のない合間の時間に、気づくとこの子がいる。


私が話すのは晃太郎と謙太郎。カナちゃんが話すのは晃太郎と謙太郎。

私はカナちゃんに睨まれる。話しかけることはしないくせに、鋭い視線だけ飛ばしてくる。


面倒くさい女だなぁ。


「あたしこっちだから」

「おう」

「あ、ケンくん。今日も二限おじゃましていい?」


もう一度、おう、と返事をして謙太郎はカナちゃんの少し乱れた髪を直した。見せつけてくれる。まぁ、僻んだりしないけど。


カナちゃんの背中を見送って、自分たちの教室へ向かう。


「スマン」

「なにがー?」

「晃太郎に言ったんじゃねぇよ」


謝られたところで、という話。

カナちゃんのご機嫌伺いで、あの子がいるときは謙太郎と私はあまり話をしない。そのせいかこの一週間、カナちゃんがいないところでも私たちは戯れ合うことをしなくなった。


私が不快だからどうにかしろ、というわけにもいかないだろう。


謙太郎とカナちゃんは付き合っていて、カナちゃんは私が邪魔で、私と謙太郎は友達だ。

私のためにカナちゃんと別れろというのもちゃんちゃら可笑しい。ならば私と謙太郎が友人を辞めれば良いのか。


恋人は別れることが出来るけれど、友人は"別れる"ことが出来ない。友人を辞める、それすなわち絶縁だ。


酔っ払って謙太郎の部屋で雑魚寝したことがある。一度や二度じゃない。だけど、そういう空気になったことは一度としてなかった。

意識して避けていたわけでもなく、純粋に"そういうことになる"と微塵も考えなかった。


だから安心して良いよ。


私が言うのは違うだろう。なにより、謙太郎がすでに言っているだろう。

それでもあの子は安心出来ないのだ。私が謙太郎のそばにいることを許せないのだ。


じゃあ、どうすれば良いんだろうね。


「なぁハジメ、彼氏つくらねぇ?」

「カナちゃんのために?」

「あ、いや、スマン」


楽しくないな。

私に彼氏ができたところで、カナちゃんの不安はきっと無くならないよ。あの子の不安を排除するためには、私が謙太郎とつるむのを辞めるほかない。


軽く俯いた謙太郎の横顔を見た。


恋愛対象としてときめくことはない。いいな、と思うこともない。

友人としては好ましいけれど、ただそれだけ。

私たちの間に漂う、なんとも言えない空気に気づいた晃太郎がソワソワしていた。こいつも恋愛対象としてはない。


「まぁまぁまぁ!仲良くやりましょうや!ね!」

「鬱陶しい、晃太」


私と謙太郎のあいだに身体を捩じ込むように、晃太郎が無理に明るい声を出した。肩に置かれた手をぺしっと振り払う。


こいつも被害者だよなぁ。


「ところでお二人さん、統計の課題やった?」

「やってねぇ。一限でやる」

「ハジメは?」


課題と言っても提出義務があるわけではない。ときおりメールで提出しろだの、印刷して提出しろだの言われるが、先週言い渡されたそれは別物。今日の講義で使うから計算だけ終わらせてこい、というやつだ。


「やった」

「お、マジか!あとで見せてー」

「やだ」


ケチかよ!と叫びながら戯れついてきた晃太郎を振り払って、少しだけ無理をして笑った。たぶん謙太郎も少しだけ無理をして笑った。きっと晃太郎も少しだけ無理をして、はしゃいでいた。


楽しくなくなってしまった。


マスターから貰った高級基礎化粧品の魔力も、ネットで買った新しい靴の魔力も、賞味期限切れ。

お気に入りのカバンが、肩に食い込んだ。


あぁ、楽しくないな。

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