第15話
「ふたりとも眠そうだなー」
「意図せず夜更かしした……」
「夜更かしは美肌の敵じゃねーの?」
天敵だよ、と返してあくび。夜更かししなくても一限はキツいのに、就寝二時はありえない。
『お詫びに最後列を確保してあります』
というメッセージが謙太郎から届いたのは、私が大学に着く三十分前のことだった。そんな早くからなにしてんだ、とは思ったが、まぁカナちゃん関連のことだろう。
机に手をついて、額をゴンっとぶつける。
「昨日はマジでスマンかった」
「お、おう……」
「あとハジメ。ここ最近ずっと不快な思いをさせました。申し訳ありませんでした」
周囲には昨日の五限、六限をとっている学生が多くいる。仲良くはなくても、同じ学年、同じ学科であれば、顔くらいは知っているものだ。
興味深そうにチラチラ観察するのやめてください。
「謙太。お詫びをするときは坊主にするもんだよ」
「ぶっは!」
「そんで号泣しながら会見すんの」
顔を上げた謙太郎が、ちょっとだけ気まずそうに笑う。だけど、場を持たせるための無理をした笑顔より、ずっと自然であった。
キューティクルの死んだ金髪を弄って言う。
「剃ったら振られそうだわ」
振られてしまえ。そしてそのまま女の趣味を変えろ。元セフレと言い、カナちゃんと言い、こいつは女の趣味が悪い。
「向こうが納得したかは分かんねぇけど、一応ちゃんと話した。で、火曜と水曜は一緒に飯食おうってことでまとまった」
「は?結局カナちゃん来んの?」
「いや、俺が抜ける。ということで、今日はカナと先帰ります」
じゃあハジメとふたりかー、と呟いた晃太郎の言葉で思い出した。伝えてなかったわ。
「私も今日予定ある」
「は?え?俺ぼっちじゃん!」
「たまには早く帰んなよ」
そういえば今日も迎えに来ると言っていた。まだ居るはずがないことを分かっているのに、つい扉のほうを確認してしまった。
何学科なんだろう。私は、聖のことをなにも知らない。昨日まで名前すら知らなかった。もっと。
もっと?
「そういや、盗撮魔ちゃんの名前なんだった?」
「ニイモト、ショウ」
「へー、あれでショウか。読めねーわ」
スマートフォンが震えた。
『ご飯、外行きましょう!』
ナイスでグッドでベストなタイミング。
聖も今日は一限があると言っていたし、私と同じく朝が辛かっただろう。
『そうしま聖』
『恥ずかしいので名前ネタ禁止』
『力尽くで止めてみよ、聖闘士もっちゃん』
『聖闘士ネタも禁止!!』
猫姫クロリーナのスタンプを送る。ごめんあそばせ。
猫執事クロスチャンのスタンプが返ってくる。仕方ありませぬ!
「なんかすげー仲良くなってね?」
「意外とウマがあってしまった」
しょう。ショウ。聖。
昨日初めて名前を呼んだときの顔をもう一度見たかった。初めて私の名前を呼んだときの顔も。
ころころと変わる表情を見るのも、予期していない反応をするのも、聖といるのはとても楽しい。
『また私がお店決めちゃって良いかな』
『いいよ』
『むしろお願いします』
ふぅん、同じカフェじゃないんだ。行ってみたかったところなのか、以前行ったことがあるところなのか。どちらにしろ楽しみだ。
今日の講義も聞き流す。高校生までと違い大学の試験は持ち込み可であったり、レポートの提出であったり、試験勉強が必要な教科というものが少ない。その分、自主性というものがやたらと試されるが、私はこちらのほうが気が楽だと思っている。
水曜の一限は試験がない代わりに小論文を提出させる。出席して、教科書とレジュメさえあれば、試験は乗り切れるのだ。
だから九十分のあいだ、ただ聞き流して、ときどきウトウトして、聖とメッセージのやり取りをする。
謙太郎は初めから爆睡している。
「ハジメ、ハジメ」
「ん?」
「今週の土曜、ひま?」
スケジュールアプリを開いて、バイトのシフトを確認する。予定なし。
「ひま」
「合コンきてください」
「またかよ。毎週やってんじゃん」
毎週どころか、もっと高頻度で参加している気がした。二、三日に一度のペース。
いつもだったら断っている。けれど。
「いいよ」
「マジ!?よっしゃ!あいつらハジメ呼べってうるさいんだよ」
当日になったら嫌になる気がするけれど、それはそれ。いまは気分がいいから。
彼氏が欲しいとは思わないが、たまには交友関係を広めてみるのも悪くないはず。
土曜日のスケジュール欄に『飲み会』と入力した。合コンと記載するのは癪だし、飲み会でも間違えてはいないだろう。
「かなり規模デカイから、ま、ただの飲み会になるだろ。あとで詳細送る」
晃太郎の言葉に被さるようにチャイムが鳴った。
突っ伏した体勢から起き上がった謙太郎に、親切な私はスライドの写真を送ってやる。なんて優しい。
「あー、メシどーしよっかなー……」
「自炊しろ、自炊。お、ハジメ、サンキュー」
「自分もやらねーくせに無茶言うな!」
三人揃って自炊もしない怠惰野郎だ。むしろ、きちんと毎日自炊している大学生なんて、今のところ出会ったことがない。どこかにはいるのだろうが、残念なことに私の周りにはいない。
やるとしても炊飯器でご飯を炊くとか、鍋で大量のカレーを作るとか、そんなもの。鍋ごと冷蔵庫で保管すれば数日は生きていける。簡単につくれて、しかも美味い。カレーは偉大。
「ケンくん」
「……おう。待たせた」
「カナちゃん。昨日はごめんな」
昨日と同じ服。お泊まりでしたか。
それもそうか。まぁ、喧嘩のあとは盛り上がると言うし、色々。
「ううん。あたしのほうこそ」
晃太郎には謝っても、私のほうは見ない。いきなり態度が軟化されても気持ちが悪い。こんなものだろう。
カナちゃんのことは好きになれないが、べつに恨みがあるわけではないのだ。私のせいで破局した、なんて事態が避けられて、ひとまずは良かったことにする。
あとは、なるようになればいい。
「は、あの……はじめ、ちゃん」
「聖」
「おはよう」
胸元で小さく振られた手を、なぜか私は握っていた。
いつもの変な顔をする前に、勝手に繋いだ手を引いて歩き出す。だって、謙太郎や晃太郎に見られたくなかった。
「じゃね」
「ぉ、おーぅ……」
今日もかよ、という謙太郎の声は聞こえないフリをした。
マジで、お前そういうとこだぞ、謙太郎。
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