第70話
「告白をしようと思います!」
私と聖と叶、一文字族。三人で集まることに、そういえば違和感を感じなくなった。
"あたしのケンくんに手出さないで"みたいなことを言われたのも、もはや懐かしい思い出だ。
レモンサワーのレモンをマドラーでざくざくと突き刺しながら、叶は戦争に赴く青年のような、自らの死を悟ったような顔をしている。
「がんばれー」
「棒読み!ハジメさん、マジでそういうところだと思う!」
「どういうところ」
ショウさんと猫にしか興味ないところ!と叫ぶように言われた。
ざわざわと喧しい居酒屋なのであまり目立たないが、だからと言って叫ぶのはどうかと思う。酔っ払いが集う店でも、酔っ払いは鬱陶しいものだ。
「叶ちゃん、ジャズサークルに入るんじゃなかった?」
ぽとりと落とされた聖の言葉に、叶の顔が引き攣った。
かと思えば、猛然とレモンに攻撃をする。輪切りレモンはもう満身創痍だ。勘弁してあげて欲しい。
男性陣がいるところでは、叶はカシスオレンジやカルーアミルクなどの可愛いカクテルを飲む。けれど、その実、この子は案外おっさん臭い酒を好むのだ。
最初の一杯はビールだし、そのあとはハイボールやレモンサワー。翌日が休みであれば焼酎の水割りを好む。
「そのつもりだったんだけどさぁ……ほら、わかるでしょ?」
「いや、わかんないけど」
「ハ!ジ!メ!さん!」
だって、分からないものは分からないもの。
私のことをアンドロイド扱いしたのは叶なのだから、きちんとアンドロイドにも理解できる言葉で教えてほしい。
「あぁ、なるほど」
「ショウさんは人間だから分かってくれるよね!さすが!人間!」
「種族を褒められたのは初めてだなぁ」
明らかにウイスキーが少ないハイボールを一口飲んで、机の上の結露を拭いた。ついでに汗をかいているジョッキも拭う。
放置すると机の上がびちゃびちゃになるのだ。気持ち悪いからこまめに拭くことにしている。
「あたしさ、軽音のときそれで失敗してるじゃん?ケンくんのことで」
「………ソウマ先輩でも同じことをしかねないってこと?」
「そ。そういうこと。だからね、入らないかって誘われたけど、迷ってんの」
それは、たしかに。
この子は色恋が絡むと猛烈に面倒くさい女になる。男絡みだと急に空気が読めなくなり、いろいろぶち壊す。
いつも明るくヘラヘラしている晃太郎がキレるくらいだもの。
「だからね、フラれたら入ろっかなって」
「叶ちゃん、それ逆に気まずくない?」
「同じこと繰り返して失敗するよりマシでしょ?」
同じことを繰り返しそうな予感でもあるのだろうか。
そもそも、叶と謙太郎の破局は私の存在や、周囲の声に惑わされたところが大きい。
ソウマ先輩の交友関係が、叶に同じ轍を踏ませそうなものだとすれば、たしかに足踏みをする気持ちも分かる。
けれど、ソウマ先輩に微塵も興味がない私は、あの人の顔面すらはっきりとは思い浮かべられない。彼の交友関係など、微塵も知らないのである。
「謙太と晃太は特殊だと思うけど」
「なにが?」
「彼氏一号二号なんて呼ばれるようなやつ、なかなかいない」
苦笑いしながら、叶が「たしかに」と漏らした。
いくら交友関係が広くても、付き合ってもいない女の彼氏扱いされるなんて非常に特殊な事例だと思う。
謙太郎たちの事例以外では、たとえば男女の幼馴染くらいではなかろうか。その例で言っても、そんなからかい方をされるのは、おそらく中高生くらいまでだろう。
「カナがトチ狂ったのってさ」
「トチ狂ったとか言わないでくださいー!」
「カナがトチ狂ったのって」
言い直したし!と突っ込まれたが、面倒くさいので軽く無視する。
だって、トチ狂ってたでしょ。間違えていない。
「謙太の愛人扱いされてたからでしょ?」
「まぁ、それはそうなんだけど……でもあたし、たぶん他の人より嫉妬深いから……」
はぁー、この女面倒せぇ。
私は謙太郎が叶を大事にしていなかったとは思わない。叶と付き合い始めた当初、あいつの付き合いが悪くなったのはよく覚えている。晃太郎も文句を言っていたから。
謙太郎は私たちと飲みに行くより叶といることを選ぶほうが多かったし、叶と付き合い始めたからバイクを買った。詳しくもないくせに、プレゼントのためにデパートの化粧品売り場に一時間入り浸った。
謙太郎の"大事にする"行為のなかに、私という女友達を切り捨てる、という選択が存在しなかっただけだ。
それが周囲の声と相俟って、悪い方に作用してしまった結果。ふたりはうまく噛み合わなくなってしまった。
「ソウマ先輩が叶のこと大事にしてくれたら大丈夫だよ。叶、可愛いんだから、大事にしてくれるよ。先輩も」
「…………ハジメさんさぁ、マジで、ホントに、そういうとこだから」
「うん。そういうところだと思うよ、瑞ちゃん」
ふたりしてさっきからなんなんですかね?
私は思ったことを言ったまでだ。
謙太郎のそばに私みたいな女がいなかったら、叶と謙太郎はうまくいっていたのではないか。
ソウマ先輩のそばに、そういう女友達がいなければ。ソウマ先輩が叶のことを大事にしてくれるのならば。
大丈夫じゃないかなぁ、と私は楽観的に思う。
「あたしさ、ハジメさんが男だったらゾッコンだった。ズッブズブに惚れてたと思う」
「瑞ちゃんが男の子だったら、今頃無自覚ハーレム築いて大変なことになってるから……」
「あー、想像できる。あたしはそのせいでメンがヘラって、他の女をナイフで刺すの。ブスッ!て」
この会話に、私本人はどう入っていけば良いのか。
私が男だったら。想像したこともなかった。
私が男だったら、どうなっていたのだろう。
他の男の子たちと雪合戦して顔面に傷を作っても、『ハジメくんはそんなことしない!』とは言われなかった。
高校でできた彼女とセックスしても、『ハジメはそんなことしない!』とは言われなかった。
仲が良いと思っていた、ただの男友達に『なぁ、俺ら付き合わね?』なんて言われなかったかもしれない。
謙太郎と晃太郎が『彼氏一号二号』と呼ばれることもなく、謙太郎と叶を破局させることもなかった。
ふたばと不仲になることもなかっただろう。だって、男だったら長男になるわけだから『ハジメ』という名前の弟がいても、ふたばが傷つくことはない。
「男だったら良かったなんて思ったことなかったけど、今初めて男に生まれたら良かったって思った」
「えっ!?瑞ちゃん、ハーレム作りたいの!?」
「ハジメさんだったら、今からでも作れるでしょ。逆ハー」
ふたりがグラスを持ったまま、私の顔面を凝視している。
いや、そういうことではないんだけど。とは言えない空気になってしまった。
「待って、この顔で男だったらって思ったらヤバくない?恐ろしいイケメンが世に爆誕するのでは?は?ヤバ」
叶がなにか言っている。
改めて考えてみたが、もし私が男でふたばとの仲が悪くなければ、わざわざ実家を離れて鷹条大を受験することはなかっただろう。
諸々の大前提が崩れ去るわけで、いまとは全く違う出会いを果たし、全く違う人生になっていた。
想像できる範疇を超えてしまう。
「クッッッソかっこいいんだが!?顔面良すぎない!?ハジメさん今からでも良いから男にならない!?えー、むりむり、顔が良すぎる!」
「男装ならしてもいいよ」
「マ!?」
ガッタン!と椅子が跳ねるくらい興奮されても……
髪は切りたくないので結ぶかウィッグになってしまうけれど、男装くらいならお安い御用である。
先ほどソウマ先輩に告白する!と大見得切ったばかりだというのに、現金な子だ。
男装だったらスーツ!、と主張する叶と、いやいや軍服!、と主張する聖。なんでもいいが、私がやるときは聖も道連れだからね。これは決定事項。
アルコールが入って頬を赤く染めた聖を眺めていて、ふと思った。
「聖は?」
「んぇ?」
「聖は、私が男でも好きになった?」
聖が何かを答える前に、叶が「オッフ……」と謎の言葉を発した。
叶もまた、聖と同じくらい謎音のレパートリーが豊富である。
「あ、えー、えーと?たぶん、瑞ちゃんが女の子だから、好きになった、かなー?」
「ふぅん。じゃ、いいや」
「ハージーメーさん!すぐ"ふぅん"で流すのダメ、禁止。言葉にしろ!」
言葉にしろ、と言われると困る。
ふぅん、と思ったから、ふぅんなのだ。長いこと『ふぅん』と共に生きてきたので、きちんと悩まなければ、考えなければ、と思うようになった今でも、『ふぅん』を言語化することは難しい。
私が女だから好きになった、という言葉は、私の胸にすとんと落ちてきた。
たぶん、これは安堵だ。安堵したから、『ふぅん』で流せる。
もし、「瑞ちゃんが男の子でも好きになったよ」と言われたら。
「男だったらもっと楽しく生きられたかもしれないって思ったけど、でも男だったときの人生が想像できなかった」
叶はうんと頷いたけれど、聖はなにも言わない。
男だったら全く違う人生を歩んでいた。想像力の範疇を超える、想像。
私の性自認は、どこまでいっても"女"だ。
もしも男だったら。
それはもう、"私"じゃない。二橋瑞という、同姓同名の別人だ。
どんなに想像を巡らせても、男の私というのは別人にしか思えない。
男の瑞ちゃんでも好き、なんて言われたら、別人を好きと言われているようで、きっと私は嫌な気持ちになった。胸の、この辺りがモヤモヤしていたに違いない。
「聖が……私が女だから好きだって言うなら、それで良かったなって。女として生きてきて良かったなって、思っただけ」
「オッフ…………"ふぅん"のなかに意味詰め込み過ぎでしょ、ハジメさん」
真っ赤になっているのは何故か叶で、肝心の聖は驚いたように、でもやっぱり寂しそうな顔をしていた。
私の今の言葉、聖にはどう聞こえた?
もし二ヶ月前だったら、もし四ヶ月前だったら、もし半年前だったら。
その時の聖はどんな顔をしてたんだろうね。
「あーぁ。あたしもソウマ先輩と幸せになりたいー!」
「告白するんでしょ」
「するけどー……」
フラれたら慰めてあげる。私の言葉に叶が笑って、それに合わせたように聖も笑った。
「フラれましたって言ったら、どうせまた"ふぅん"って言われるんでしょ!」
「うん。ま、がんばれ。応援してるから」
私は叶が羨ましい。
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