ex. 魔界の王は追いかけたい 4

ツチヤヒロミ、漢字は知らない。


教育学部中等教育学科の三年生であるらしいというのは先日聞いた。全体的に派手な装いが目立つが、なによりもこちらを睨みつける目が怖い。


目つきが悪いとか、睨まれているから怖いとか、そういうことではなく、とにかく目が怖いのだ。


黒々とした瞳はいかにも偽物らしく、白眼の範囲が狭まったせいか、どこか動物じみている。いや、感情のない機械の液晶のほうが正しいかもしれない。


おそらくそれは、彼女がつけているカラコンのせいなのだろう。黒眼を大きく見せるカラコンが、彼女の瞳から光を奪っている。


こっわ。


「えっとー?つ、ツチヤさん、どうしました?」

「ヌクイだっけ?まぁいいや。そのブスがミスコン出るなら、アタシ出ないって言いにきただけ。エントリー取り消しといて」


「は?ハァ!?マジで言ってます!?」


うわぁ、ブスって言われた。

面倒くさいことになっている気がする。


ちらっと聖の顔を確認すると、どうにも考えていることは同じなようで、頬に『面倒くさい』と書いてあった。


ん?いや、ちょっと怒ってる?


初対面から数分も経っていない。が、彼女の主張は分かりやすかった。


この人はどういう理由か私を敵視していて、私がミスコンに出るなら自分は出たくない、と言っている。ただそれだけ。


「えっと、いちおう委員長に確認取ってもいいですか、ね」

「は?なんで?出る出ないはこっちの自由でしょ。義務じゃないんだし」


成り行きを見守ろうかとも思ったのだが、叶が助けを求めるようにチラチラとこちらを伺うもので、そのたひに派手女も私を睨みつける。


面倒くさいなぁ、もう。


「別に、私も誘われただけだし。出なくていいよ」

「ちょ、ちょ、ちょ!ハジメさんもストップ!委員長に確認するから!」


「は?アンタ逃げんの?」


…………はい?


「最初に逃げようとしたのは貴女でしょ?」


しょうーーーーー!?


「瑞ちゃんが出たら勝てないことが分かってるからエントリー辞退するんですよね?ひとりでギャアギャア騒ぐのは勝手ですけど、知り合いでもない人に『ブス』はどうかと思いますよ。いらないので喧嘩売りつけないでください」


しょうーーーーー!?聖こそ喧嘩売りつけないで!?いや、この場合は買ったのか?いらないなら買わないでほしいのだけど!


アンタだれ、と派手女が低い声を出す。聖はそれに答えずに、私を見てにっこり笑った。


「帰ろう、瑞ちゃん。不快な"ブス"のせいで気分悪くなっちゃった」


しょうーーーーー!?


それは『恋人がブスと言われて気分を害した』という意味であって、この人に向かって『ブス』と詰ったわけではないよね!?


というか待って、私がブスって言われただけでそんなに怒るもの?なんか、あの、それは嬉しいのだけど。


「誰がブスって……?アンタいま、アタシのことブスって言った?」

「言いましたけど?瑞ちゃんと比べたら、世の中の女ほとんどがブスでしょ。貴女も例外なく、瑞ちゃんと比べたらブスですよ」


「ハイ!ハイ、やめ!喧嘩やめ!聖がごめんなさい!ということで叶、悪いけど私辞退で!じゃ!ほら、聖、いくよ!」


何か言おうとした派手女の視線から聖を遮るように体を割り込ませ、カバンと聖の手を掴んだ。


ハジメさんって大きい声出せるんだ、という叶の声が聞こえたが、あの子たぶん思考が止まっている。


ぷんすか怒っている聖の手を引いてサークル棟から走り出たところで、本の忘れ物がないか聞き損ねたことに気がついた。

いまさら戻ってもあの女と鉢合わせるだけだろうし、仕方がないから今度聞こう。


ああいった面倒な人種とは距離を置くに限る。


「機嫌なおしてよ、聖」


笑いかけたら、ムッとした顔でそっぽを向いた。ちょっとだけ可愛いと思ったのは内緒だ。




カメラのお手入れをしている聖の横で、私は叶から送られてきた長い長いお便りを読んでいる。どうやらあの後、なんとか派手女を宥めすかして、上手いこと事情を聞きだしたらしい。


とはいえ、なんであそこまで敵意を持たれていたのかなんて興味はない。

大学生活を送る上でここまで接点がなかったのだから、これから先も交わらずに生活していけるだろう。気にするだけ無駄だ。


そりゃ、面と向かって罵詈雑言を吐かれたら腹も立つが、私があずかり知らぬところで悪口を言われていたって知らないのだから被害はない。好きにしてくれて良い。


叶のメッセージを読み進めていく。


「思い出してもムカつくー!」

「あはは!」

「あははじゃないよ!瑞ちゃんがブスって言われたんだよ!ギルティ!もうね、呪いかけたもんね!急いでるときのコンビニで絶対に並ぶ呪い!新しい靴買ったら絶対に靴擦れする呪い!カップ焼きそばの湯切りを失敗する呪いぃぃ!」


全部地味だけど嫌な呪いだなぁ。


こういうときに『死ね』だなんて言えない聖が、私は好きだ。そもそも、怒って誰かと喧嘩するところだって初めて見たし。


だからこそ、必要以上に驚いたし、慌てたのだ。


「エントリー辞退するなら、普通に『辞退します』で良いじゃん!なんでわざわざ『ブスが出るなら出ない』なんて攻撃するのかな!私の瑞ちゃんは世界一可愛いもん!美人だもん!顔面兵器だもん!」


顔がどうこうじゃないよ!あの人は心がブスなんだよー!と叫んで、聖がフローリングに転がった。


「私の瑞ちゃんは顔も内面も美人さんだもーん!黒猫姫だもん!ムーカーつーくぅー!」


怒れる聖に笑って、でも私があの女に嫌われるのも仕方ないことなのかな、と叶のメッセージを読んで思った。


それは私の方があの女より美人だとか、そういう話ではない。


「私、ツチヤさんと中高が同じだったらしい。しかも一年と二年で同じクラス」

「えっ」


「あの人に興味なさすぎて、名前も顔も知らなかった。あはは」


失礼な話だと思う。同じ中学から同じ高校に上がった子はひとりだけ覚えている。クラスメートの猥談に答えた私に向かって『ハジメはそんなことしない!』と叩きつけてきたあの子だ。

あれ以来、彼女が私の後ろをついてくることはなくなって、そのまま疎遠になってしまった。


そういえば、そんな思い出を残している子さえ、私は名前を覚えていない。


一年のとき、ミスコンに出ないかと誘ってきたカピバラ男の隣にツチヤさんもいたらしい。まったく記憶にない。


『久しぶり』


と、声をかけてきたあの人に、私は言ったそうだ。


『誰?』と。


それだけではない。その翌年、再度声をかけてきたときにも、ツチヤさんはカピバラの隣にいた。まったく記憶にないけれど。

カピバラ男本人も言っている。昨年、話しかけた時に『誰?』と言われた、と。


カピバラ男のホクロはおぼろげに覚えていたが、その隣に女がいたかどうかなんて記憶に残っているわけがない。


ミスコンの存在すら忘れていたくらいだ。


「あー、それ聞くと瑞ちゃんも悪い気がするような、しないような……」

「いや、私が悪いからね。クラスメートの名前すら覚えてないんだもん」


「でもでも!だからって瑞ちゃんをブス呼ばわりはギルティ!暴言を吐かれたからって相手を殴っちゃダメなのと同じ!」


そうだね、と頷いてみせる。


フローリングでうつ伏せになった聖が、こちらを伺うように見上げてきた。見事な上目遣い。

手でちょいちょいと呼び寄せれば、芋虫みたいな動きで近寄ってくる。


おかしいな。上目遣いは可愛かったのに、動きが全然可愛くない。


とりあえず、膝の上に乗ってきた頭を撫でてやる。私のワンコ。


「本当に、出ないの?」

「ん?うーん、あの人があれだけ嫌がってるのに、わざわざ出るのもね。また聖が喧嘩買ってもアレだし」


「ゔ……なんか、ごめんなさい」


そうじゃなくて、と前置いて、頭を撫でていた手で頬をつまむ。むにむに、柔らかい。メイクを落としてケアしたばかりなので、しっとりもちもちだ。


「聖が怒ってるところ、あんま見たくない」

「んぁぁおえぇぇ……トキメキで心臓が変な動きしたぁ……」


はは!と声をあげれば、頬を掴んでいた手がとられ、ゆるりと指を絡めた。

手の甲をさすろうとした指を咄嗟にぎゅっと絡めてとめる。


私、まだお風呂に入ってないから。だめ。


「せっかく瑞ちゃんがやるって決めたことだったのになぁ」

「ん?」


「趣味探しの一環じゃなかったの?」


ん?

なんで聖が私の趣味探しのこと知っているの?


「最近の読書月間も、退屈オバケを追い出そうとしてるんだと思ってたけど……あ、あれ?違うの?」

「違くないけど……なんか、バレてたの恥ずかしい」


膝枕をしていて甘やかしているのは私のはずなのに、聖は私を甘やかすみたいに優しい顔をする。お尻の下がもぞもぞした。


「楽しそうな瑞ちゃんに水をさされたのが、一番いやだったよ、私」

「ん……うん」


まだ返信をしていない画面をもういちど確認して、少しだけ考える。


本当はコンテストなんかどうでもいい。どうしてもやりたいものでもなければ、楽しそうだ、という予感もない。

ツチヤさんの言葉を借りるなら、義務じゃあないのだから。


あるのは、いちどやると口にしたことを、人間関係が面倒なことになっているから、という理由で投げ捨てようとした罪悪感だけだ。


「聖は、みたい?」

「瑞ちゃんの顔面なら永遠に見てたいけど」


「そうじゃなくて。コンテストに出てる私、見たい?」


ぽかんと口を開けて私を見上げる聖の顔は、ちょっとだけ間抜けだった。

この顔をしてるとき、たぶん聖の頭の中では思考がくるくる回っている。だから、私はそれが終わるのを待っている。


「…………撮りたい、かな」


カシャン、と空耳が聞こえた。


そっとスマートフォンを手に取って、叶に返信を打ち込んでいく。

聖が撮りたいのなら、いくらだって撮っていい。


私は、聖に撮って欲しい。



「じゃあ、聖が赤い衣装着てね」



なんでそうなるの!?という聖の絶叫に、私は大笑いで答えた。

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