ありったけの感情をのせてくれ
うちたくみ
第1話
彼女がその長いレンズをぐっと回すと、まるで目の中で瞳孔が開いたり閉じたりするようにガラスの向こう側に見える影も大きくなったり小さくなったりする。私はそれが好きだった。大きな瞳で見透かされているようで、いつも居た堪れない気持ちになるけれど。
食われてなるものかと、私はレンズの向こうを睨み返す。
白い手に不釣り合いなほど大きなカメラが、いったいどれほど値を張るものなのか、私は知らない。彼女はボディよりもレンズの方が高価なのだと言うが、どちらにしろ私たち大学生が簡単に手にできるようなシロモノでないことだけは確かだ。
大学一年、文化祭。
最初に声をかけたのは私だった。狼狽える彼女は、いかにも捕食を待つ小動物のようで、名前も知らない女の子の手を私は握った。
勝手に撮るなんてとか、肖像権がどうとか、そんなことを騒ぐ女性たちは、おそらく外部から学祭に遊びに来たひとたちであった。ようこそ、片田舎へ。
よく覚えている。何も言えずにおろおろしている女の子を囲んで、よくもまああれだけみっともない罵詈雑言が飛ばせるものだ。
「ごめんごめん、いいの撮れた?」
は?という顔をしたのは小さな彼女だけではなかった。群がるハエたちも唇をぽかんと開けていた。
髪型もメイクも量産型。群れで生きるこの生物は仲良しこよしというルールをひとつでも犯すと、すぐにハーレムを追放される。ただし、群れの平均さえ守っていれば、城塞のように堅固な守りを発揮したりもする。変な生き物だと思う。
平均より低すぎるのはもちろんだめ、高すぎてもだめ。良くも悪くも平均的。みんな違ってみんな良い、なんて小学校で言われてきたけれど、その教えを真っ向からブン殴るような、へんな生き物である。
「ほら、見せて」
「あ、え、いや」
「あれ?あんまり良くなかった?ポージング?表情?撮り直す?」
ゴツいカメラの液晶を覗いたけれど、そこに写っていたのは私のよく知る、撮ったらすぐに画面に表示されるそれではなかった。
今となっては暗号のようなその英数字がどういったものなのか分かっているが、当時の私にとってはチンプンカンプンだった。だって、学校じゃ習わないもの。露出とか感度とか絞り値とか。教えてもらった今でも、時折混乱する。
デジカメじゃないのかよ、なんて心の中で毒づいたけれど、デジカメだった。画面を切り替えると、保存された写真が表示されることを、当時の私が知らなかっただけのこと。
デジタル一眼レフカメラ。
彼女が背負ったオレンジリュックに、いつだっておさまっているそれ。
職業カメラマンが構えているあれや、カメラ女子なんて持て囃されるハエがもっているそれ。私にとってのカメラはスマートフォンでとれるお手軽なそれ。良いじゃん、今のスマフォのカメラ、めっちゃ綺麗に撮れるんだよ。
もじもじしている彼女を少し高い位置から見下ろしていると、気づいたときには群がるハエが消えていた。
「あぁ、いなくなったね。まだ近くにいるだろうし、ちょっと歩いてから解散しようか」
「あの……!」
「うん?なぁに?」
俯いて、カメラをもって、もじもじ。もじもじ。もじもじ。うっすらと見える口元は開いたり、閉じたり。
キッと顔を上げたもじもじちゃんは、まるで世界を救いにいく勇者のように決意をたたえ、そして泣きそうな顔をしていた。
「ご、ごご、ごご!」
「午後?うん、お昼になるね」
「ご、ごめんなさい!」
漫画だったらガバッという効果音がついていただろう。それくらいの勢いだった。
なんのことかわからないなぁ、と誤魔化すこともできたけれど、勇気をもって謝罪してくれたわけだし、私は彼女の"犯罪"を軽く許すことにした。
ハエにたかられていた彼女に声をかけたのはなんとなくだったけれど、ハエを追い払える確信はあったのだ。
もしあのときハエたちに「写真を見せろ」と言われても、なんの問題もないことを初めから知っていた。本当は私が助け舟を出す必要なんかなかったのだから。
「いいよ、別に。綺麗に撮ってね、これからも」
今も、あの時も、その前も、盗撮魔のカメラには私の姿が詰まっている。
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