第16話
衝撃的な事実が判明した。
繋いでいた手を持ち上げて、ジェルネイルの施された指先を眺める。衝撃的すぎる。
手のひらと手のひらを重ねて、もう一度驚いた。
「手、おっきいね」
「……コンプレックス」
「そうなの?指も長くて綺麗だと思うけど」
私の手より、ひと関節ぶん大きい。おそらく私の手が小さいこともあって、なおさら大きく見える。
「メンズの手袋、Mサイズがピッタリ……」
「それは大きい」
身長はそこそこ高いくせに、手と足は小さい。靴はどれもSサイズで事足りた。
コンプレックスというほどではないが、せめて指は長く見えるように、ネイルは心持ち長めに整えている。形はポイント。
聖は反対に短めのスクエアオフ。
目線の高さがさほど変わらないと気づいたのはだいぶ以前のことなのに、いまだに"聖は小さい"という印象が抜けない。
態度の問題かな。
……私の態度がデカいのか?
「瑞ちゃんは、小さいね」
「足も小さいよ」
「ネイルかわいい」
そうでしょう、そうでしょう。
十月らしく、オレンジと黒を基調にしたハロウィン仕様だ。右手親指のカボチャくんがお気に入り。ジャックオランタンというやつ。
見せる機会はないが、足もお揃いだ。
ただ、根本が伸びてきてしまっているので、あまりマジマジと見ないで欲しい。
当たり前のようにバス停まで歩いて、当たり前のように東口行きのバスに乗せられた。西口行きのバスもあるが、あちらはぐるっと遠回りになる。
バスに乗り込んで吊革を掴んだ。満員にはならないけれど、いつもそれなりに混んでいる。大学前の停留所からでは、余程運が良くない限り座れない。
右肩にかけていたカバンが聖にあたらないように、左肩にかけかえる。聖のリュックは足元。前に抱えるにしても大きすぎるもんね、それ。
「さっきの子、般若みたいな顔してなかった……?」
「さっきの子?あ、カナちゃん?あの金髪野郎に引っ付いてた」
「そう、香水臭かった子」
やっぱりつけすぎだよね。そう思って笑った。
気が弱そうなフリして案外言うなぁ、なんて返したが、そもそも気が弱い奴は盗撮なんかしない。それもあんな堂々と。
「あれは金髪野郎のカノジョさん。カレシと仲良しの女に自分の男が盗られないか不安で仕方ないらしい。危うくそれで友人関係が崩壊するところだったよ、昨日」
私の主観まみれでカナちゃんには申し訳ないが、ここ最近悩まされてきた状況を軽く話してやる。友人の気まずい謝罪とか、香水臭い昼食とか、アンタ呼ばわりとかね。
「えぇ……」
「それ引いてる顔?」
奥歯になにか挟まって、必死に舌で取ろうとしているような顔。
「ドン引きしてる顔」
「一段階上の顔だった。まぁ、だから、昨日お昼一緒にいてくれて嬉しかった。ありがとね」
「ぅ!」
お、発作か?と思いきや、また少し違う顔をしている。
「私は……いまこの瞬間が、そのぉ……すごく、嬉しい。です」
「そか」
私は、いまこの瞬間がとても楽しい。
バスのステップを降りる時に気づいた。
聖は定期券だ。ということはバスと電車での通学。定期券に印字されているのは、私が暮らすアパートから二駅離れた駅名だった。
たった二駅、されど二駅。都心であれば二駅程度歩けるが、田舎の二駅は二駅にして二駅にあらず。
ど田舎にある鷹取条南大学のメインキャンパスに通う学生は、その多くが一人暮らしか寮住まいである。ときおり一時間以上かけて実家から通学する奇特な学生を見かけるくらいだ。
そういえば、軽音サークルの三年生に二時間半かけて通っている人がいた。遅刻寸前のときは新幹線を使うらしい。ブルジョワだ。
「今日もピンク街?」
「今日は住宅街」
東口のアーケードを歩く。学生の多い街のため、総人口の少ない田舎のくせにシャッターはどこもきっちり上がっていた。
揚げ物の良い匂いをさせた肉屋、コロッケ五十円、メンチカツ八十円。安い。強面の店主がニコニコしている八百屋、ミニトマトひとパック百円、原木椎茸ひと籠七百円。安い。
ご年配の女性向けブティック、セール中。歴史の長そうな靴屋、近隣中学校の体操着を売っている。
赤と青がグルグル回る理髪店、平日お昼限定カット八百円。お爺ちゃんが中で新聞を読んでいた。
「ほうじ茶の匂いがする」
「そこのお茶屋さん、有名なんだって」
体の中から健康ブレンド茶一キロ二千五百円。高いのか安いのかわからない。
「え、こんなところにもタピオカ屋がある」
「お客さん入ってるところ見たことないよ」
タピオカはまだ東京でも流行っているのだろうか。
「いいなぁ、こういう昔ながら洋食屋さん」
「ここのハヤシライス美味しかった」
「今度いこうね」
洋食の看板をかけているけれど、洋食という名の和食。すごい、since一九四二年。戦前から営業している。
「似顔絵だって。聖描いてもらいなよ、セイントな感じで」
「セイントな感じってなに!?」
似顔絵描きます、千円。顔の特徴を大袈裟に描いたポップな色紙が並んでいる。
私が描いてもらうとどうせすごいつり目に描かれるのだ。そんなに吊ってないよ、目。
「ねぇ聖、このお蕎麦屋さんも古そう」
「と見せかけて、創業六年」
「老舗ビジュアル詐欺じゃん」
いかにも古い店構えに騙されたが、暖簾に書かれた創業年は六年前。建物だけ古いのかな。
「どこにでもあるね、吉野家」
「私は松屋派」
「わかる。プレミアム牛めし一択」
私がこの駅に来るのはバイトのためか、飲み会のためくらいしかない。東口の商店街をこうしてじっくり眺めるのは、実は初めてのことだった。
この辺りをよくぶらついているらしい聖のコメントはなかなか面白い。
賑わいを見せていたアーケードを抜けると、一気に住宅街になった。
「建物、どこも古いね」
「そこのお家、庭に井戸あるよ」
「え、うそ。ほんとだ、ガチの井戸だ……」
低い塀の向こう側に、いかにも女の幽霊が出てきそうな井戸があった。被せてある木の板がまた、雰囲気を出している。
そのくせ、大きめの家は新築らしく、駐車場には高そうな外車と軽トラックが並んでいた。出しっぱなしにされた三輪車とビニールプール、小さな子どもがいるらしい。
「たぶん、そこ曲がったところに……」
「お店の名前なんだっけ」
聖のスマートフォンを覗き込む。こんな住宅街にあるとは思えない、なんだかお洒落な英語名。
「あ、あった」
「ハンバーガー屋さん!」
「……好きって言ってたから」
ハワイアンな店構えは、明らかにこの辺りの雰囲気と馴染んでいなかった。
有名チェーンの安っぽいジャンクフードも大好きだが、江ノ島や福生にありそうな肉肉しいハンバーガーも大好きだ。
テラス席に親子連れが座っている。
「いこう、聖!」
「ぅゔん!」
「今!?」
なにか発作が起きる要素があっただろうか。私が原因らしいと分かっていても、そもそもどういう条件で発作を起こしているのか知らなかった。
考えても分からないものは分からないので、聖の手を引いて店に入る。
「いらっしゃいませー!」
「ふたりです」
「カウンター、テーブル、テラス、お好きな席にどうぞ!」
どこがいい?と問うと、変な顔をしたままテーブルを指さした。聖はまだ発作中。
カウンターには若い男性客がひとり、女性店員と楽しげに喋っている。
「メニューとお冷です。初めましてのお客様ですかね?」
「あ、はい」
「ありがとうございます!女性にはちょっと量が多いので、シェアして頂くのがオススメなんですが、少なめも出来ますので。お決まりになりましたらそこのベルを鳴らしてください」
陽気な兄ちゃんだ、と思いきや、ネームプレートに『てんちょー!』と書いてあった。店主だったらしい。
「半分こしよ、聖!」
「ぅゔん!」
「だから今!?」
発作中の聖を放っておいて、サーフボードの絵が描かれたメニューブックを開く。
クラシックバーガー、チーズバーガー、ベーコン&アボカド、クラシックパイン……
ロコモコ、ハンバーグプレート、クラシックポテト、オニオンリング……
「聖、どれがいい?」
「え、瑞ちゃんが好きなやつでいいよ?」
「一緒に選ぼうよ。はい、メニュー」
一瞬だけ変な顔をして、差し出したメニューに目を落とす。
「せっかくだからオススメメニューがいいな」
「じゃあそうしよう」
和牛クラシック、三種チーズ&北海道ベーコン、太陽トマト&プレミアムビーフ。
ベーコンも捨てがたいけど、やっぱり和牛かプレミアムビーフだな。
「よし、聖。せーので指そう」
「え、え!?」
「せーの!」
ふたつの人差し指が同じ写真の上で止まる。
太陽トマト&プレミアムビーフ。
だよね!
「ハンバーガーにはやっぱりトマトが必要」
「うん」
「よし、呼ぼう」
重たいベルをとって左右に振ると、想像していたより大きな音がした。ちりんちりん、なんて可愛らしいものじゃない。
「はーい!ただいまー!」
お冷を手にした店主が近づいてくる。
健康的な短髪に日焼けした肌、アロハシャツの上からでも分かる筋肉。サーフボードが似合いそう。
「太陽トマト&プレミアムビーフと……ポテト食べていい?」
「オニオンリングも」
「はーい。トマトビーフに、ポテトとオニオンリングっと。ポテトとオニオンリングはソースが選べますがどうしますか?ケチャップ、バーベキュー、チリケチャップ、サワー、レモンマヨ」
メニューの下部に書かれた『ソースを選べます。追加+四十円』を指さす。ドクロのいかつい指輪が目についた。
「瑞ちゃん、どれがいい?」
「うーん……お勧めはどれですか?」
「俺はねー、ポテトにチリケチャップ、オニオンリングにレモンマヨかな」
じゃあそれで、と頷いて、冷たい水を一口飲んだ。
「シェアする、よね?半分に切りましょうか?」
「あ、お願いします」
「じゃ、取り分け用の皿もお持ちしますね!」
テラス席のお子様が、ケチャップで手をベタベタにしているのが見えた。子どもの世話ばかりで、母親らしき女性の皿はいっこうに減らない。ママは大変だ。
「聖、写真撮らないの?」
手で大きなカメラを構えるポーズをとってみせる。私を撮る時の、聖の真似。
聖との距離が縮まって以来、そういえば盗撮される機会が減っていた。
「ぅえぇ!?あ、えぇぇ」
「いいよ、撮っても」
「ぇええ、ぁぁうぁ……ぁぁ、ぇぇ……」
なんのモンスターだよ、と笑いつつ、オレンジのリュックを指さす。入っているんでしょ、あのデカいカメラ。
「それとも盗撮の方がお好み?」
「うぇぁぁぁ……あの、えー……撮っ、ても……いいのでしょうか」
「うん、いいよ」
挙動不審になりながら、リュックをごそごそ。リュックの中から、もうひとつ大きな入れ物が出てきた。
ばりばりとマジックテープを開けると、あの大きな黒いカメラ。
「でか」
「あ、うん、ペンタックス」
「ペンタックス?」
聖の指先を追うと、カメラの上部に白い文字で『PENTAX』とあった。
カメラなんてキャノンくらいしか知らない。
「今日のレンズはシグマだけど」
「しぐま」
また知らない単語が出てきた。
カメラを覗き込んで、机の上にあったグラスをパシャリ。否、ガシャン。
目を離して、何やらボタンやツマミを弄って、もう一枚。ガシャン。
「デジカメじゃないの?」
「デジカメ、ではあるね、うん。デジタル一眼レフカメラ」
操作して、液晶部分を見せてくれた。映っていたのは結露が浮かぶグラス。たったそれだけの写真が、なんだかとても綺麗に見える。
「さっき弄ってたのは?」
「お店、けっこう暗いから。露出とかISOとか諸々」
「あい、えす、おー」
なんだそれ、48のつくアイドルグループか?
露出狂とかの露出?なにを露出するの?
ファインダーがどうとか、光量がどうとか、シャッター時間がどうとか、八割くらい何を言っているのか聞き取れなかったけれど、楽しそうに教えてくれる。
そんなに早口で喋らなくとも、ちゃんと聞くのに。
「お待たせしましたー。ポテトとオニオンリングです。お熱いのでお気をつけください。こっちがチリケチャップで、こっちがレモンマヨ」
テーブルに置かれたそれを、聖のほうに押しやる。写真を撮る前に食べてしまったら台無しだろう。
ありがと、と囁いて、撮っては設定を変えて、また撮って、聖が満足するまで私はその姿を眺めていた。
「撮れた?」
「うん。ありがと……瑞ちゃん、食べないの?」
「ん?ハンバーガーと一緒に撮るかなって」
冷めてしまう前にとも思うが、残り一品を待つくらいは構わない。美味しいポテトは冷めても美味しいのだ。
ほら、そうこうしている間にハンバーガーもきた。
ファインダーを覗きながら、太いレンズをグリグリと回す。カメラを構える聖は、なによりもしっくりきた。
「おまたせ。食べよう、瑞ちゃん!」
嬉しそうですこと。
ポテトもオニオンリングも、ぜんぜん冷めていなかった。超うまい。さくさく、ほくほく。チリケチャップはチリと言ってもあまり辛くない。レモンマヨはこれだけ延々と舐めていられる。うまい。
どう考えてもかぶりつくことを想定していないサイズのハンバーガーに、大口をあけてかぶりつく。
うぉ、ソースこぼれてきた!ちょ、トマト出る!あ、うま!
ガシャン。
「ぅむ?」
シャッター音に顔を上げると、巨大なひとつ目がこちらを見ていた。
「あ、ごめん。つい」
「私べたべたなんだけど」
「それがいい」
わからん。
カメラに向かってキメ顔をするのは、それはそれで恥ずかしいけれど、ハンバーガーにかぶりついてべたべたになっているところを撮られるのは更に恥ずかしい。
「だ、だめ?です、か?」
「いいけど」
聖も食べなよ。
ガシャン。
だから私いまべたべただってば。
「ピースとかしたほうがいい?」
「そのままで……あ、いや、それはそれで」
「あはは!まぁいいや、美味しいよ」
汚れていない手の甲で、ポテトとオニオンリングの皿を聖のほうに押しやる。
こんなに至近距離で盗撮されるのは初めてだなぁ。
あぁ、もう盗撮じゃないのか。普通に撮影だ。
汚れてしまうからと、ハンバーガーを食べるときはさすがの聖もカメラを置いていた。私も聖も、ソースとトマトの汁でべたべた。おしぼりが大きい理由がよくわかる。
美味しいご飯と、面白い聖と、シャッター音。また来週も、誘ってくれるかな。
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