第32話

花はたしかに綺麗だが、私と聖の共通認識として、花そのものにあまり興味がないことが明らかになった。


なんとなく寂しいフラワーガーデンと、なんとなく寂しいバラ園。客の数も牧場と比べて疎らで、それもまたどことない寂しさに拍車をかけている。


バラ園の片隅で繰り広げられる熱烈なキスシーン、というハプニングは正直二度とゴメンだった。水音が響くくらい、色々と絡まっていらしたし。

お邪魔にならないよう、音を立てずにコソコソとその場を去る様は、現代の忍者と言っても過言ではないだろう。

何食わぬ顔をして会話の続きを試みようとしたが、内容なんて頭からすっぽ抜けていて、ふたりとも実に間抜けな顔を晒していたに違いない。


「花だね」

「うん、花だね」


という毒にも薬にもならない適当な感想に、ふたりそろって大笑いして、キスシーンの気まずさはサラッと流れていった。


このフラワーガーデン、有名と言っても県内のみの話らしく、インターネットで検索してもまとめサイトの一番下にあるかないかといった程度の知名度であることも判明した。


県立公園に移動してからは、ひっきりなしに聖からシャッター音が聞こえる。侘しさすら感じる花畑は、どうやら聖の琴線に触れたらしい。


撮ったものを確認する聖の肩越しに、小さな液晶を覗き見る。


「おお、すごい。満開のバラ園に見える」

「うちの子は緑に強いのだよ!」

「カメラによって緑が強いとか青が強いとかあるの?」


寂しいバラ園も、聖の手にかかれば美しい花園に変わる。

またひとつ、あのオレンジに私の写真が増えるのだ。


少し離れた聖が、私にレンズを向けた。大きな瞳孔が、私を狙う。


「瑞ちゃんのカメラ目線、すごいゾクゾクする」

「そうなの?」


「うん。挑発されてるみたいで」


カシャン、ひとつ鳴る。


お望みならばと睨み返す。


カシャン、とひとつ鳴る。


食われてなるものかと、ファインダーの向こうに視線を送る。


カシャン、とひとつ鳴る。


このヘタレ。心で挑発して、笑う。


「ゾッとするほど綺麗」

「好き?」

「…………うん」


聖がカメラをすっと下ろした。へらっと笑って、もう一度うんと頷いた。


今日の狩も私が勝ち、ということで。



公園内にあるカフェはバラ園を一望できる位置にあり、満開だったらさぞかし絶景だろうなと思わせる。

今の時期、ガゼボ風の屋外席はとにかく寒い。


暖かい屋内で観賞したいところだが、カフェの中に入ってしまうとイルミネーションが見えないらしい。こういうところが、所詮田舎のデートスポットという感じがして、案外嫌いではない。


透明なポットから紅茶を注ぐと、湯気とともに華やかな香りが立ちのぼる。


「めっちゃ良い匂い」

「ね、なんのお花かよく分からないけど」

「聖のやつと色がちょっと違う……?」


寒いけれど、風が吹き込まないだけまだマシ。

イルミネーションの点灯を、フレーバーティーを飲みながら待っている。


私のフレーバーティーはバラと何か、聖のフレーバーティーもバラと何か。別のものだが、忘れてしまった。だって、メニュー名がどれも無駄に長いのだ。


飲んでみたが、なんの花かはやはり分からない。お洒落な味であることだけは理解できる。


「暗くなるの早いね、今の時期」

「うん。東京と違って街灯少ないから、ちょっと怖いよね」

「あー、私の実家、東京だけど田舎だからなぁ」


私が生まれ育った場所は、たしかに東京である。しかし東京といっても都心まで快速に乗って二十分。各駅に乗ろうものなら馬鹿みたいに時間がかかる。


地元の中学は人数が少なく、私が通っていた時にはギリギリの人数で一学年ふたクラスを維持していた。昨年ついに別の中学と統廃合され、母校の名は地図から消えた。


大した思い入れもないくせに、母校がなくなるというのは、思いの外寂しいものだ。


「瑞ちゃん、原宿とか行ったらスカウトいっぱいきそう」

「四枚」

「四枚?」


原宿に遊びに行ったのは人生で二度。高校に進学した直後だった。調子に乗って遊びに行ったが、あまりの人混みに辟易して、あの空気に慣れることができなかった。


地面が見えないほどの人混みとか、お祭りでも見たことがない。


「もらったモデル事務所の名刺」

「マジで」

「マジで。嬉しかったから記念にとってある」


一度目で二回声をかけられ、二度目でまた二回。ふたつは名前も知らない事務所だったが、残りのふたつは私でも聞いたことがある名前だった。


悪くない、と思ったのは確か。綺麗であろうとする努力を本格的に始めた時期であり、それを認めてもらえたようで嬉しかったのだ。

でも、その四枚の名刺は私と姉の関係を決定的に壊した代物でもあった。


「ふたばに、あ、姉ね。あの人に口をきいてもらえなくなったのが、その時」


外の寒さ故か、とっとと冷めてしまった紅茶で唇を濡らす。良い香りだが、美味しいかと問われると不明。味音痴には高難度だ。


姉のふたばが私に話しかける時は、自嘲的な嫌味を言うときだけ。彼氏や友だちに私の悪口を垂れ流して、彼氏と別れれば「瑞は良いよね、顔が良いから人生イージーモード」なんて投げつけてくる。

夕飯ができたと呼びに来る時でさえ、乱暴に部屋の扉を叩くだけだった。


姉との関係をどうしてよいものか分からずにいた私に、母は「ふたばちゃん、反抗期だから。許してあげて」とただそう言った。そんなふたばの長い反抗期は未だに続いている。


ふたばは「お母さんは可愛い瑞のことしか見ていないから」と言うけれど、母の優先順位はいつだって気難しいふたばにある。


私はただ、あのつまらない家から離れたかった。そんなつまらない理由で実家を離れた私が、誰よりもつまらない人間だということはとっくに理解できている。


友人はいた。けれど、中学も高校も、つまらなかった。夢中になれる部活もなく、熱中できる趣味もなく、虐められることもなく、トラブルを起こすこともなく。彼氏を作ってみても、日常は変わりなく。そこそこな青春、それなりな人生。

特別に心を許せる女友達はいない。男友達は結局異性。『なぁ、俺たち付き合わね?』なんて、一番いらない一言だった。


私はきっと、『楽しい』が欲しかった。人より興味の幅が狭い私には、それが何より難しい。


「つまんない話しちゃった」

「ううん」


茶色い目で真っ直ぐに私を見る。


太陽が傾いた薄暗さのなか、唐突に眩しいほどの光が弾けた。まるでパレットのように、イルミネーションの透けた色が、聖の頬を染める。


「今は?瑞ちゃん、今は楽しい?」

「…………聖といるのが、一番楽しい」


私も、と頷いた。


いつもの挙動不審さはどこへやら、聖の視線は私から動かない。縛り付けられたみたいに、私の視線も動かせない。


私は聖といるのが楽しい。


この時間を謙太郎や晃太郎に邪魔されたくない。チエリさんたちに、奪われたくない。私の興味関心を指し示す針は、ここ最近ずっと新本聖という女を指し続けている。

私は聖の、一番の友だちになりたい。


なにか言おうと、聖が口を開いた。


「瑞ちゃん」


聖は私が好きだ。その好意が示す先を、私はもう知っている。


どうしたいかを考えろ、とマスターは言った。どうしたいか、どうなりたいかを考えろ、と。


この時間が続けばいいと、私は思った。聖と笑っている時間が楽しいから、聖が隣にいる時間が好きだから。


考えて、考えて、聖が恋人になりたいと言うなら、それでも良いと結論をだした。つもりだった。

想像して、想像して、聖がセックスをしたいと言うなら、受け入れようと思った。つもりだった。


そうすれば、この『楽しい』に終わりがくることはないって。一緒にいるためなら、それくらい容易いって。


なのに、どうして。


「瑞ちゃん、あのね」



怖く、なってしまった。



「あ、聖。イルミネーションの写真撮ってよ」

「え?」

「それでその写真、ちょうだい」


聖がほんの少し、唇を噛む。


お願い。お願いだから、そんな切なそうな顔をしないで。


だって。


だって。


だって。


やっと見つけたのに。『楽しい』を、やっと見つけたのに。

恋を返せないくせに恋人になんてなったら、お互いの熱量に差ができて、きっと壊れてしまう。


だから、言わないで。まだ、『楽しい』ままでいさせて。


カシャン、とひとつ鳴った。


私が『楽しい』ままでいたいから、私は聖にこの時間を強要するのだ。最低だ。

私を好きな聖が好きだから、恋人にはなれないくせに、私を好きなままでいてと願う。そんなの、最低と言わずしてなんという。



あぁ、イルミネーションが目に染みる。

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