第30話

「瑞ちゃんはぁー!すぐこういう悪戯するー!」

「そういうところも好きでしょ?」

「否めないぃぃ!」


ペンギンショー、最前列。


記者会見のカメラマンみたいにカメラを構えた聖が、いまだに悶えていた。

怒っているわけではない。待ち受け、戻してないみたいだし。


大した悪戯ではない。スマートフォンの待ち受け画面を、勝手に私の写真に変えただけ。

なかなか気づかないから自分でネタバラシしてやろうとも思ったが、自分で気づいた聖の反応が最高に面白かったので、言わなくて良かった。


「しかもぉー!一番可愛いと思ったやつぅー!」

「変えちゃダメだよ」


「………ぅゔん!ぜったい変えないッ!」


本当に、聖は面白い。発言も、動きも、何もかもが面白い。

ほら、ペンギンショー始まるよ、と声をかければ、途端にキリッとした顔をしてファインダーを覗き込んだ。


カメラなんてスマートフォンで充分だと今でも思うが、聖が覗き込むファインダーから見える景色はいつも気になる。だけど、私が覗き込んだところで聖と同じ景色が見られないことも、もう知っている。


ヨタヨタ歩くペンギンは可愛くて、飼育員さんの指示をきかないペンギンは面白くて、なによりもその光景を連写するシャッター音に一番笑った。


カシャンどころか、カシャカシャカシャって隣からずっと聞こえて来るのだ。こんなの、笑わずにいられないだろう。


最前列で写真を撮れたことがよっぽど嬉しかったらしく、聖はホクホクしていた。私を盗撮した時と同じ顔をしていて、「私ってペンギンと同列だったのかな」なんて思ったりもしたけれど。


退場の列がなかなか進まないと思いきや、そういえば参加者プレゼントがあることを忘れていた。

係のお姉さんがニコニコしながら子どもやカップルに、手のひらサイズのペンギンを渡している。


女の子には赤リボン、男の子には青リボン。


「ありがとうございまーす!メリークリスマース!」


「瑞ちゃん!ペンギン!」

「ふふ、そうだね」


聖の手には赤リボンのサンタペンギン。強く握りすぎて首がしまってますけど。


「あ、お姉さん。私、青い子でもいいですか?」

「どうぞどうぞ!はい、メリークリスマス!」

「ありがとうございます。メリークリスマス」


ニコニコしたお姉さんに微笑み返しておく。クリスマスイブにお疲れ様です。顔は笑っていても、内心はリア充爆発しろとか思っているかもしれないし。


「瑞ちゃん、青にしたの?」

「うん。聖が赤だから」

「ぅひぃ」


え、なに、新しい発作!?と思って顔を見たら、なんだかずいぶんデレデレしていた。可愛い顔を全力で台無しにするのが、聖である。


カワウソのちっちゃいおてては最高に可愛かったし、ショーでは見れなかったイルカはそれでもスーパースターだった。

なぜか大きなリクガメで興奮している聖も面白かった。


「小さい水族館だと思ってたけど、楽しかった」

「けっこう長い時間いたね」


「あ、お土産屋さん見て良い?」


まだ夕方とも言い難い時間だが、ホテルまでの移動を考えれば丁度いい時間とも言える。水族館で一日潰せるとは思ってもいなかった。


ぬいぐるみラックからニョキニョキ出ているチンアナゴとニシキアナゴのぬいぐるみ。ピンクのイルカ、黄色いイルカ。水族館にいないくせに、シロクマのぬいぐるみ。幼女のお眼鏡にかなったらしく、買って欲しいと駄々をこねている。


ショップの中心で、目当てのものを見つけた。行きの電車内で見たホームページにあったのだ。


「聖、イワトビペンギンとコウテイペンギン、どっちが好き?」

「え、イワトビペンギン……かな」

「ふぅん。じゃ、レジ行ってくる」


なら迷う必要はない。少し重たいメタルキーホルダーをふたつ手に取って、とっととレジに並ぶ。ここの装飾もクリスマスモードだ。


会計を済ませてショップを出ると、なぜかチンアナゴぬいぐるみと戯れていた。幼女はまだ駄々をこねている。


心の中でこっそり、幼女にエールを送る。是非そのわがままで、シロクマくんを連れ帰ってあげてほしい。


「お待たせ、聖」

「なに買ったの?」

「はい。クリスマスプレゼント」


安物で申し訳ないけど。


紙の袋から取り出したメタルキーホルダーを、聖の手に押しつける。


「え、えッ!?」

「ホテル代、出してもらったし。それとも、いらない?」

「いる!いる!いります!ください!」


聖の手のひらに落っこちた、イワトビペンギンのキーホルダー。デフォルメされたイワトビくんが、大きいカメラを構えている。


「ええ、かわいい」

「おそろい」

「ええええ、かわいいぃぃぃ」


私がつまみあげたのは、コウテイペンギンのキーホルダー。なぜか薔薇を咥えている。ちょっと格好いいのが腹立つ。


「こっちが良かった?」

「ちがうぅぅぅ、瑞ちゃんがかわえぇの……」


「あはは!嬉しい?」


うん、うん、と頷く聖は本当に嬉しそうで、こんな安いキーホルダーをクリスマスプレゼントにしてしまったことに、少しだけ後悔した。



ホテルにチェックインしたら夕飯を食べに行き、そのあとホテルでだらだらする。という計画らしい。

関係の進展でも求められるのかな、と考えなかったわけではないが、聖はいたっていつも通りの雰囲気だし、口説き落としてやろうなんて気概は一切感じなかった。


デートだなんだと言っても、正直ふつうに遊びにいくことと何が違うのだろうと思う。

高校生の時に付き合っていた彼氏とはどうだっただろう。とびきり楽しかった記憶もなければ、退屈だったということもない。


一度体を許したあとはそればかりで、少し不満だったことは覚えている。


「よくこの時期に部屋とれたね」

「父から株主優待券をもらいました!」

「……聖ってお嬢様だったりする?」


連れてきてもらったホテルはいかにもラグジュアリーな雰囲気で、ロビーにはやたらと良い香りが漂っていた。

ビジネスホテルと比べると広めの部屋には、大きなベッドがふたつ。ウェルカムドリンクも用意されている。


「ううん、一般家庭。両親揃って株主優待券を集めるのが趣味なの」

「カメラじゃないんだ」

「カメラはねぇ、お爺ちゃん」


祖父がイタリアの人と言っていたが、その人だろうか。


「お爺ちゃん、カメラマンだから」

「マジか、よくわかんないけどすごい」


「私のコレもお爺ちゃんのお下がりだよ」


レンズは自前、と言いながら机にカメラを下ろした。重そう。


目の前にいる聖がどんな人か、私は知っている。けれど、目の前にいる聖がどんな人生を送ってきたのかは知らない。


友だちのことをもっと知りたいと思うのは、普通のことだろうか。どこまでが普通で、どこからが行きすぎた好意なのか、私にはわからない。


わからないけれど、知りたいと思う。


「ねぇ、聖」

「うん?」

「聖のこと、教えて。もっと」


驚いた目で、緩んだ唇で、聖は笑って頷いた。



「そう、だからね、写真の撮り方はぜんぶお爺ちゃんに教わったの」


聖の祖父が仕事で日本に来た際に、日本人である祖母を見初めてイタリアに連れ去ったらしい。随分な大恋愛劇を繰り広げたらしく、話を聞いているだけでも面白かった。


祖父母がイタリア在住というだけで、生まれも育ちも日本。ただ、両親の仕事が忙しかった幼少期の一年だけイタリアで暮らしていたそう。


そんな話を、こじんまりした居酒屋で聞いている。


「カメラマンになろうとは思わなかったの?」

「…………思ってたよ」

「ふぅん」


レモンサワーのグラスが、暖かい店内にあてられて汗をかいていた。結露が濡らしたテーブルを、おしぼりで拭く。


「瑞ちゃんのそういうとこ、すごい好き」

「え、机拭くところ?」

「じゃなくて、突っ込んで聞いてこないところ」


こういうときの「好き」はさらっと口にするんだなぁ、と場違いに思う。


意味ありげな間は、たしかに気になる。写真を仕事にしたかったのに、なんで専門学校ではなくこの大学にいるの、とか。どうして諦めたの、とか。聞いてしまいたい気持ちもある。


だが、明らかに話しにくそうな顔をしている相手にグイグイいくのは、カナちゃんレベルの空気を読まない力が必要ではなかろうか。


「聖が話したいって思った時にきく」

「じゃあ今言う」

「ふふ、うん、じゃあきく」


大した話じゃないよ、と前置いて、聖は口を開いた。


「それなりに上手に撮れるようになって、私はセンスがある!って馬鹿みたいに勘違いしてたのね、高校生の頃」


聖の写真好きだけど、と返したら発作を起こしそうなので、ここは黙っておく。


「専門行けば良かったのに、カメラひとつで世界を周るんだって両親に大見え切って、卒業後にイタリアに飛んで、一年で挫折して帰ってきた。実績もなければコネもないんだから当たり前だよね。だからみんなより一年遅れ。そのくせ諦めきれずにカメラ持ってフラフラして、挙句の果てに留年。ダサいでしょ?」


「うん、ダサいね」

「直球ぅ……」


凹んだ聖がテーブルに突っ伏した。


だって、ダサいでしょって問われたら、ダサいねって返す他ないでしょう。そんなことないよ、夢のために一歩踏み出しただけで立派だよ、なんて薄っぺらい言葉が届くとは到底おもえない。


「だけど、そのおかげで聖は私に会えたでしょ」

「うわぁ………すき」

「あぁ、あー、なるほど、だからか。理解」


聖の写真には、聖の気持ちが乗っかっている。


あの日見せてもらった一冊目のアルバムで感じた気持ちが、あの頃この人が抱いていた気持ちの一部分。


「なんで、二年目からちょっと元気になったの?」

「…………それ、瑞ちゃんが聞く?」

「…………理解したから言わなくて良いよ」


ここまで曝け出しておいて、なんでここまでヘタレなのだろうか。

瑞ちゃんを見つけたからだよ、なんて言われても、私も困るけど。


できるかな、とふと考えた。


女同士のセックスなんてしたことがないから想像すら難しいが、身近にマスターという例があるので別世界の話でもない。


グロスの落ちた唇。キスはできる。全然不快じゃない。マスターともできる。

謙太郎、晃太郎、カナちゃん……おぇ、この三人はない。


裸で抱き合う。深夜、後ろから抱きしめられるのは心地よかった。早朝、胸に顔を埋めて、頭を抱えられるのは気持ちよかった。裸でもたぶん、大丈夫。

マスター、違和感がすごい。謙太郎、晃太郎、カナちゃん……おぇ、この三人はない。


「あぁ、できるわ」

「なにが?」

「ううん、独り言」


ネイルが落とされてもキチンとケアされた指先に、背筋がゾクっとしてしまったことは、聖本人にも、マスターにも内緒にしよう。


私たぶん、聖とセックスできる。



結論から言うと、ホテルは最高で、セックスはしなかった。

そのかわり、深夜に聖の布団に潜り込んだら悲鳴をあげられた。ヘタレもここまでくるとプロを名乗れる。


シャンプーやコンディショナー以外にも化粧水や乳液、パックなど質の良いアメニティーが充実していて、お風呂で遊ぶだけでも最高に楽しかった。

レインシャワーで海外映画ごっことか、後で思い出しても馬鹿の所業だと思う。仕方ない、一般家庭や学生アパートにレインシャワーなんてあるわけないのだから。



大学生は馬鹿やってナンボでしょ。

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