寸劇

 私たちは住んでいる家が近いこともあって、食事は外で済ませてもその後はお家デートになることが多い。お互いインドアなので特にその傾向がある。

 平日は遅くまで仕事をしていて、同じチームで顔を合わせているとはいえ、2人きりになってプライベートな時間を過ごせる機会はあまりない。だから週末になると、その時間を埋めるようにどちらかの家に泊まるのが習慣になりつつある。

 一応交際のことは会社の人には黙っている。公になると別部署に飛ばされる可能性が高いし、黙っていた方が何かと都合が良いからだ。ただ一人例外――寺内さんにはバレているけれど、彼が他の人に私たちの関係を口外している様子もないので今は様子見といったところだ。



「ねー」


「はい」


「む……」



 水野がこちらの呼びかけに答えたところで顔をのけ反らせてソファに頭を預けた。

 付き合うようになってから2人がけのソファーを買ったのだが、なかなか快適で気に入っている。良い買い物をしたと思う。



「どうしたんですか」



 膝立ちになって上から顔を覗き込まれた。



「なんで川添さんとか金田さんにはタメ口なのになんで私には敬語なのー」


「年上ですし、尊敬している人には敬語を使いたいものです。ずっとこうだったじゃないですか。今更ですね」


「んーでもさぁ、付き合ってるのに敬語使うってどうなの……」



 水野がこういう敬語ズバズバ系のキャラ? だってことは分かってるのだが……。

 誰に対してもそうならまだしも、川添さんや金田さんといった年下にため口を使っているのを見ると、自分に見せない一面を他の人には見せているんだといった意味で面白くない。



「嫌ですか」


「なんか距離感じる。金田さんとかと喋ってる時の方がなんか楽しそうに見えるし」


「さすがに会社の中でにため口を使う訳にはいきませんよ」


「いや、分かってるよ……でもオフの時くらい良いじゃんか」



 仕事とプライベートは切り離しているので、私も会社では年下年上、役職問わず誰に対しても敬語を使っている。

 でもオフの時や2人きりの時は別だ。恋人同士ならもっとラフになっても良いのではないか。



「仕事の時と私生活の時で話し方を毅然きぜんと切り分けられるほど私は器用な人間ではありません」


「いや、嘘じゃん。絶対器用」


「そういう意味でははるちゃんの方が器用だと思いますけどね。とてもじゃないですけど同じ人間には見えませんから。会社の時と今とで」



 ソファに胡坐姿、ダボダボの服を身にまとった私の姿を上から下まで見た後に水野は言った。



「……」



 ……今明らかにディスられたよな。



「……私にも演技を教えてくれますか?」


「え……?」



 もたげていた頭を起こして水野を見る。



「こうしましょうか。私たちは同じ大学の先輩と後輩です。サークルの飲み会の帰り、終電を逃した後輩は先輩の家に泊まりに来ました、という設定で寸劇してみませんか」



 水野は人差し指を縦にして自分の唇に押し当ててふふっと笑った。

 面白い提案をしてくるものだ。



「ふっ……なにそれ。どっちがどっちよ」


「私が包容力のある先輩。はるちゃんは甘えたがりの後輩です」


「先輩の家に泊まりに来たって……ここ私の家じゃんっ」


「もう始まっています。はるちゃんは先輩である私に敬語を使ってくださいね」


「じゃあ飛鳥もため口使ってよ……ください」


「ふふ」


「……」



 もう始まっているらしいが、いざ始まるとなると何を言っていいのか分からない。



「冷蔵庫開けて良いですか」



 小声で水野が聞いてきたので無言で頷く。

 水野は冷蔵庫を開けると、こちらを見た。



「飲みすぎちゃったの? お水飲む?」



 わぁ、タメ口だ!!

 ……無駄にテンションが上がってしまうが、今は寸劇中だ。どうやら私は飲み会でたくさん飲んだ設定っぽいな。よし……。



「お水は……大丈夫です。お酒ありますか?」


「今日は飲みたい日なんだね、何か嫌なことでもあったの?」


「特にないですけど……。いや、えっと……振られちゃって……」



 咄嗟に口実を作ってしまったが、こういうストーリーがあった方がきっと面白いから良しとする。でもこういうの結構恥ずかしいかもしれない。



「かわいそうに……お酒で癒えるならいくらでも」



 冷蔵庫からビールを取り出した先ぱ……水野はテーブルの上にそれを置いた。



「ありがとうございます……」



 なんでお礼言ってんだ。これ私のじゃんか! ……と思いつつもなんか楽しいので良しとする。

 ビールの口を開けてグビっと飲んだ。



「今度からお店じゃなくて私の家で飲んで欲しいな。今日もサークルの男子、じろじろ君のこと見てて心配だったんだよ」



 手が髪の毛に触れた。スッと撫でられる。

 目を合わせるととろんとした目で見られていてドキっとする。……水野は既に完全に役に入りこんでる感じがする。



「そうなんですね……あはは。でも先輩が私のこと気にかけてくれることは嬉しいかも……ねぇ、こんなんで良いの? なんかこれめっちゃ恥ずかしいんだけど!」



 もうだめだ、水野の作り出す甘い雰囲気に流されている自分、恥ずかしい。水野のことを先輩呼びしちゃってることがもう恥ずかしい。



「それで良いです、続けましょう」



 水野は先ほどと同じ様に小声で言って微笑んだ。



「……」



 落ち着かないな、これ。いつまで続けるんだろう。



「ねぇ、どうして君は嫌なことがあるとお酒を飲みたくなるの?」


「え……身体が熱くなってほわほわっとして、嫌なことを忘れられるからですよ。先輩も一緒に飲みませんか?」


「じゃあ一口」



 水野は私の飲みかけのビールを手に持ち一口飲んだ。口元がビールで湿っていて妙に色っぽい。一歩こちらに近づき、内緒話をする時のような姿勢を作ったので耳を傾ける。



「身体を温める方法なら他にもあると思わない?」


「あ……ちょっ」



 そのまま抱き着かれて上半身を包まれた。



「私がいっぱいよしよししてあげるからね」



 密着した状態のまま首元で囁かれ、頭を撫でられる。じわじわと温かさが体内に広がっていく。単に体温で温められているのか私がこのシチュエーションにドキドキしてるだけなのか、アルコールによる作用なのか、もはや分からない。



「……」



 待ってこれ……。

 水野が先輩だったら良いのにとか一瞬思ってしまったんだが。



「今日はこのままくっついて一緒に寝ちゃう?」


「だ、だめですよ。私はソファで寝るので先輩はベッドで……」


「えー、でもくっついてるとあったかいよ?」


「……」


「ねぇ、ベッド行こう?」


「え……はい」



 こんな誘われ方されたら断れない。手を引かれてベッドまでやって来る。

 ベッドってことは……、まさかアレも寸劇の中に入ってたりするのだろうか。



「ぎゅー」


「……」



 横になって、上から再度抱きしめられた。

 柔らかな胸が鼻の先に当たる。柔軟剤なのかシャンプーなのか分からないが良い匂いがする。何だこの幸せは。

 されるがままになっているけれど、役柄的に「甘えたがりの後輩」だからこのままで良いか……。



「こうされると落ち着くよね。私の好きな人はいつもこうして抱きしめてくれるんだ。その度に心が満たされた気分になる……」


「え、好きな人って……?」



 顔を上に向ける。



「はるちゃんのことですよ……」



 おでこに軽くキスをされた。



「……」



 私は恋愛経験は人並みにあっても、慣れているわけではない。水野みたいなタイプと付き合うのは初めてで、このか弱い女の子を不安にさせないように試行錯誤している中で、自分の気持ちを一番伝えられる方法を探していた。私の「好き」という気持ちが逃げないように、確実に伝わるようにと念じながらいつも抱きしめていたけれど、ちゃんと伝わってたのかなと思うとすごく嬉しくなる。



「はるちゃんは敬語で攻められるのと、このまま攻められるのどっちが好きですか」



 しみじみしていたのに「攻める」というパワーワードが耳に舞い込んで来て我に返った。



「えぇ、待って。これそういう流れなの……? わっ」


「今日はこのまま攻めた方が良いかな? いっぱい慰めてあげるね」



 水野はベッド上にあるリモコンを操作して部屋の電気を消した。



「ちょ!? まじなの?」


「敬語……」



 私の上唇に押し当てられる人差し指の第一関節。



「始めようとして、ます……?」


「甘えたがりの後輩ちゃん。言うことを聞いて?」


「……言うことって何ですか」


「私に身を委ねて……」



 ゆっくりとした動きで覆いかぶさられた。



「……」


「いいよね。だって今日は……私が先輩、でしょ?」


「はい……」



 先輩の巧みなキスを受ける。キスをされながら部屋着をめくられ、お腹に直に手が触れる。その手は徐々に上にあがっていきトップスがまくられていくのであった――。



 ――――――――――――――



 事が終わり、ベッドの上、薄明りの中に私たちはいる。



「途中で交代してくれるかと思ったのに……」


 

 お返しするよ、と名乗りを上げたのだが結局水野は先輩を最後まで譲らなかった。……でもこういうシチュエーションもアリだなと思っている自分がいたことは内緒だ。



「ごめんなさい、あまりにかわいかったので我慢できませんでした」



 枕に頭を預けて横向きになると髪を撫でられた。



「包容力のある先輩やるんじゃなかったのかよ……」


「ふふ、私もまだまだですね。最後までかわいい後輩を演じきったはるちゃんの演技力に屈服です」


「はぁ、別に演じたつもりは……」


「あれ、素でしたか」


「違うわ!」


「うふふ、楽しかったですね」



 ちょっと恥ずかしくなって仰向けになる。

 


「なんだかんだ飛鳥もノリノリだったもんねー。なんか……新しい一面見られたっていうか……その点は良かったかも」


「私は結構素に近い部分ありましたけどね」


「ふーん……。でもいくら飛鳥が包容力ある先輩だからって川添さんとか金田さんにはこういうことしちゃだめだかんな」


「はるちゃん……私がどうして川添さんや金田さんと仲良くしているか知ってますか」


「ん? え、なに」



 仲良くしていることに何か理由があるのか……?



「……彼女たちをはるちゃんのところに行かせたくないからですよ。同性だからという理由で距離を矢庭に縮められるのは嫌です。……はるちゃんのこと好きになってほしくない。私だけが好きでいたいから……彼女たちの関心が私に向くようにしていました」



 水野は川添さんとも仲良くしていたけれど、初期からそんなことを思っていたのだろうか。



「はぁ……何言って……。皆私をそういう目で見ないって」


「いえ、そんなことはないです。金田さん、結構はるちゃんのこと好きだと思います」


「ばか、そんなことあるか……!」


「あります。よくはるちゃんのことを話してます」


「……だからって飛鳥が金田さんとばっかり仲良くしてたら私だって嫌だよ? あんまり妬かせんなよ」



 水野のほっぺを両手で軽くつまんで顔の外側にみゅーっと伸ばした。



「……」



 ばか整った顔のハムスターが誕生した。



「ふっはははは」


「そんなに面白いですか」


「面白い」



 普段の姿からは想像できないもん、こんなの。かわいすぎるよ。



「ふふ、はるちゃんの声聞いてると安心します……。最近、よく眠れるんです。これも……こうしていつもそばで笑ってくれて、抱きしめてくれるはるちゃんのおかげなのかな」


「そっか、良かった。これからも抱きしめ続けるから」

 


 なんだかんだ、現実世界では私が先輩だから。この子を守ってあげたいってすごく思ってる。



 自分でいうのもなんだけど、今水野は私さえいれば良いって思ってそうだ。金田さん達と仲良くするのも、目的があって自分の意思ではないというのだから。私だけを見てくれることはすごく嬉しいし、そんな水野の一途さも彼女の良さだと思う。

 けれどこのままで良いのだろうか。私は……恋人以外にも友人や趣味といったものに時間を割くことも大事なように思う。心の拠り所がそこしかない場合、そこに亀裂が生じた時の逃げ道がなくなってしまうからだ。私には漫画とか動画を観る、バーに行く、サンドバッグを叩くなどの趣味的? なものがまだあるので、仕事で行き詰ったりしたらそこでリフレッシュしてこられたが、水野にはそれがない。だから恋愛のことばかり気にしてしまい、心が不安定になってしまう点は否めない。



 とはいえ、このところ水野のメンタルは回復しつつあるのは確かだ。

 このまま私との関係に安心感を抱く状態が続けば、次第に関心が外に向くのではないかと思っている。あくまで仮説だが。

 私も最近は、水野が全肯定してくれるおかげか自分らしさを会社でも少しずつ出せていると思う。地位や名誉といったワードに以前よりも固執しなくなって少し楽になってきた。

 お互いに良い方向に作用し合っている状況だと言えるだろう。



 素の自分をさらけ出して、いつか本当の意味での友人や趣味が見つかると良いよね。お互いに。そんな日がいつか来ますように。

 水野の身体を軽く抱擁して頭の後ろをトントンと軽く指先で叩いた。

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