疑惑

「様々な職種との関わりが避けられない中で開発エンジニアと渡り合えるくらいの知識が人事にも必要かと思います。ですので、週1で開発エンジニアを講師として招いて、自社製品のノウハウについて勉強会を実施したいと考えているのですがどうでしょうか」


「そうですね、やってみれば良いんじゃないでしょうか。時間はどれくらいで考えていますか」


「30分から1時間くらいかと。ある程度、メンバーの理解が深まるまでを想定しているので長期スパンでは考えていません」


「工数を割くメリットが見出せるのであれば続けていけば良いと思います。この案は横内さんに私から提案しておきます」


「ありがとうございます。もし許可が下りたら講師となる開発エンジニアの選別、日程調整はこちらで受け持ちますのでメンバーへの周知をお願いします」


「承知しました」



 実にスムーズ。

 新庄さんが新卒採用チームに異動してからというもの、我々中途採用チームの運用方針は私と水野にほぼほぼ委ねられた。横内さんも時折顔を出すこともあるが、その頻度は少なく私たちは放し飼い状態だ。今まではプレイヤーとしてが主体だったが、マネージャーが近くにいない今、チームをまとめる立場としての立場が確立し、新しい刺激を得ている。



 私は主に運用や仕組みづくり、水野はチームへの共有やフォロー、横内さんへの連絡口といった形でやんわりと役割分担ができており、ストレスなく働けている。仕事ができる人と一緒に働くと話が早くて助かる。

 比較的我々は若い組織だ。でも実力に年齢は関係ない。メンバーの中には年上の人もいるが、水野のその仕事ぶりは年齢によるハンデを微塵も感じさせない。本当にやるなぁと感化されている。



「いきますか。今回の人材は貴重だから逃したくないっすよねー」



 喫煙所から戻った増田さんが消臭スプレーを振りかけながらこちらにやって来た。時計を確認する。良い時間だ。

 増田さんとはこの後、内定者に対して条件面などのフォローアップを行うオファー面接が入っている。

 今欲している経営推進に特化した人材、ぜひともここでアプローチをして内定承諾を勝ち取りたいところ。気合が入る。ちなみに増田さんの活躍には全く期待していない。



「そうですね、いきましょうか」


「噂ですけど、すごい寺内さんに似てるらしいですよ」


「新卒採用チームのですか?」


「はい。こっちの寺内さんは最近来てないけど大丈夫ですかねー」



 増田さんの視線の先――寺内さんの先は空席だ。

 最近、彼はちょこちょこと会社を休み始めた。最近……具体的に言えば、新庄さんが新卒採用チームに入ってからだ。ここ数日は連続して休むようになってしまった。

 寺内さんが休んでいる原因は新庄さんなんじゃないかと、なんとなく私は思っている。



『体調大丈夫ですか?』



 送信っと……。



 休日になってベッドに寝転がりながら私は寺内さんにメッセージを送った。

 今となっては新庄さんから解放され、ストレスのない労働環境で自由にやらせてもらっているが、会社を休んだあの時は正直心境的には死にそうだった。メンタルも弱り、皆から失望されることへの恐怖に耐え続けていた。寺内さんも今きっと、メンタルが弱っている時期だと思う。私が休んだ時に彼は心配してくれた。

 だから私も同じ様に返したい。普段、特別なことがない限り自分から連絡したりはしないが今回は特別だ。



 携帯を枕元に放って天井を仰いだ。

 業務中は仕事のことを結構話すけど、最近は私生活のことをあまり話していない。水野は今何してるんだろう、なんて。

 枕元で携帯のバイブが鳴った。寺内さんから返事だ。



『京本さんから連絡なんて嬉しいな……。なんとか大丈夫です、連絡もらって元気出ました!』



 こんなメッセージ1つで元気が出るなら送って良かったと思うけど……。実際はそんな単純なもんじゃないよなぁ……。

 あんまりこちらから介入することでもないか。



『お大事になさってくださいね』


『ありがとうございます』



 意外とアッサリ。やりとりはこれまでかな。

 そう思っていたが、しばらくしてから寺内さんから再度連絡があった。



『京本さん。ちょっと相談したいことがあって……。お電話でお話できませんか』



 相談……。来たか。何となくその相談内容は想像がついている。

 もし想像の通りであれば、寺内さんの心境は私は痛いほど理解できる立場だ。私にできることなら力になりたい。



『大丈夫ですよ。今ですか?』


『いつでも大丈夫です』


『では、今かけますね』



 ベッドから起き上がって姿勢を正す。パジャマ姿だが、表情だけ仕事モードに切り替え、通話ボタンを押す。

 寺内さんはすぐに電話に出た。



『あ、お疲れ様です』



 いつもよりも落ち着いた声のトーン。

 寺内さんは低めのテンションだった。



「お疲れ様です」


『えっと……』


「はい」


『俺、ちょっと俺新庄さんとは合わないみたいです。なんかこう……細かすぎて息もできないというか。京本さんよく耐えられましたね……なんて』



 ビンゴだ。

 寺内さんは仕事に対してはタフだと聞いていたし、自分を追い詰め過ぎてしまったんだろう。



「そうですね、新庄さん少しマイクロマネジメントなところありますよね。私も……」


『はい』



 うっかり自分もそうだと言ってしまいそうになった。同じ立場の寺内さんになら、と心が揺らいだが、喉から言葉が出る直前で押さえ込む。



「何でもありません。体調は大丈夫ですか?」


『はい、なんとか……』



 寺内さんはばつが悪そうに答えた。体調さん身体の問題というよりは、恐らく心の問題だろう。



「このまま、新庄さんの元でやっていけるイメージはつきますか?」


『正直、厳しいかもしれません。地獄ですよもう……』


「であれば新庄さんと合わずに業務に支障をきたしてしまうと、まず上長に伝えた方が良いと思いますよ。横内さんに相談してはいかがでしょうか。指導や異動など、良い方向に行くよう打診してくれるかもしれません」



 これは私個人が動いてどうこうできる問題ではない。せいぜいできることといえば、こうして話を聞くことくらいだ。

 横内さんは寺内さんの直属の上司として前まで一緒に働いていたわけだし、ある程度の信頼関係は築けているはず。

 貴重な戦力である寺内さんに辞められてしまうのであれば、それを阻止したいと上司が思うのは普通のことだ。

 私のように新庄さんとのしがらみを作りたくないなどという、バカみたいなこだわりがない限りは横内さんを頼った方が良いだろう。



『その件なんですけど……』


「はい」


『今、横内さんと少し気まずいんです』


「え、どうしてですか?」


『はぁ……。あの、今から言うこと秘密にしてくれますか』



 寺内さんは、より一層低めのトーンで言った。



「はい」



 重めの空気に若干戸惑いながらも返事を返す。

 喧嘩した、とかだろうか。



『この前、終電近くまで残業してたんですけど……。帰り際、反対のホームに横内さんと水野さんがいました』



 ……。



 ……。



「横内さんと、水野さんが……?」


『はい』


 なんでこの2人が……?

 意味がわからない。仲良かったっけ……? 私が知らないだけ?



「いつですか?」


『先週か、先々週あたりかと……』


「っ……」



 心臓がドクドクと飛び跳ねている。

 ただホームに一緒にいただけだ、そう思いたい。だが寺内さんがこうして真面目なトーンで「秘密の話」をしているくらいだ。

 物語はこれで終わらない、きっと……。寺内さんに気づかれないように大きく息を吸って吐き出して己を落ち着かせる。



『水野さん、住んでるところ駒米ですよね。反対のホームにいるなんておかしいと思って……』


「……」



 そうだ。反対側のホームは電車が逆方向に進む。普通に家に帰るなら水野は寺内さんと同じホームに立っているべきだったはず。

 ……でも反対方面の駅に用があっただけで、たまたま駅のホームで横内さんと鉢合わせただけだという可能性もあるじゃないか。



『しかもあんな時間ですよ……泊まったんでしょうか』



 寺内さんのこの言葉で完全に私はノックアウトした。終電だもんな……。寄り道をするような時間ではなかった。

 ということは寺内さんの言った通り……。

 身体の力が入らず、魂が口から抜けていくような感覚。放心状態になる。心臓だけが低く嫌な響き方で胸を揺らしている。



「……」



 もしかして、あの時感じた水野のタバコの臭いは横内さんのタバコの移り香……。

 嘘、嘘だ。悪夢だ。なんで横内さんなんかと……。なんで……。



『京本さん?』


「はい、すいません。驚いて……」



 寺内さんの相談内容なんてもうどうでも良くなってしまうほどには心が動揺している。

 全く気が付かなかった。最近業務でも横内さんと関わる機会が増えたが、一体いつからなんだ、いつから……。



『俺も驚きましたよ』


「そう、ですよね……」



 落ち着け……。

 相談されてる側が動揺してどうする。我を保て、私。



『横内さんと目が合った気がするんですよね、その時』


「……向こうに気が付かれたってことですか」


『はい、多分……。目が合った時に逃げるようにして水野さんを連れて階段の影に隠れてしまいましたから。だから今は、横内さんに声かけづらいというか……』



 逃げるようにして……。後ろめたい関係があるか、ただバレちゃいけない恋愛ゲームを楽しんでいるのかどちらかということだろうか。

 ショックすぎる。私のことを好きだと言ったのは嘘だったのか? 横内さんが好きなのか? 今すぐにでも水野に真偽を問いたいところだがそれは後だ。

 私は今、寺内さんからの相談を受けている。躊躇っただろうに、信用して話してくれているんだ、向き合う相手は今は寺内さんだ。

 そう思いながら彼の言葉を脳内に流して行く。



「なんとなく気まずいのは分かりますが、上司が他の社員とそういうことになっても別に不思議なことではないんじゃないでしょうか。社内恋愛はNGではないですし。あまり深く考えなくて良いのでは……」



 そんなことで相談を戸惑う必要なんてない。それとこれとは別の話だ。



『そ、そうですよね……。でも水野さん、前にもすごい年上の人と歩いてたじゃないですか。横内さんも色んな女の人とその……デートしてるの知っているし、大丈夫なのかなって色々考えちゃって。新庄さんで打ちのめされてるところにこれが舞い込んで来て気が滅入ってしまいました……はは。京本さんの言う通り考えすぎですね、俺』



 からげんきな笑い声。

 私だって今すごい気が滅入っているよ……。

 


「横内さんに相談の件ですが、あの現場は見ていないということにして、しらを切れば良いと思います。本人がこのことを隠しているかはどうかは分かりませんが、見た、ということになれば今後ややこしい問題に巻き込まれる可能性も0ではありませんから……」


『そうですよね、そうします』


「……まずは休んでご自愛なさってください」


『一旦自分の中でどうすべきか整理がつきましたよ。仕事だけの関係だと割り切れれば良いんですけど、どうも俺にはそれが難しいようで……。でも気持ち的に少しすっきりしました。ありがとうございます……』


「いいえ、こんな私でも良ければまた何かあったらおっしゃってください」



 電話を切る。

 無の状態のまま、ベッドの上で項垂れた。先程の寺内さんの声が脳内再生される。

 群がる邪念。ベッドから降りた。私はファイティングポーズをとって、視界の端に映るサンドバッグに焦点を合わせて回し蹴りを入れた。



「なんなのゴミが!」



 ボスっと音を立てて1回地面に倒れたサンドバッグは再び起き上がってきた。



「ふざけんじゃねぇ!」



 後ろ蹴りで追撃する。

 床に激しくバウンドすることサンドバッグ。



「カス!」



 再度起き上がって来たサンドバックにジャブからのクロスを叩き込んで、コンビネーションは終了。

 その場で息を整えた。



 横内さんとの関係を隠されていた。2人には何もないと信じたい、でも寺内さんの証言、水野のタバコの臭いからして男女の関係にある可能性は高い。というかほぼ間違いない。



 水野に聞いた時、あいつは自分は組織改変に関わっていないと言った。でもあれはきっと嘘だ。

 私の予想が正しければ、水野が横内さんに頼んで組織改変まで結び付けた。



 何のために……?



『私ははるちゃんのためなら何だってしますから。何だって……』



 私のため?

 私のために水野から横内さんに近づいたということ?



 胸のざわつきが治らない。

 水野の気持ちが知りたい。あいつは横内さんのことを……好きなのか。



 どうであれ、このままなんかにしておけない。

 もし私のためにしたことだなんて言ったらぶっ飛ばしてやる。



 ……横内さんに取られたくない。



 でもきっと闇雲に突っ込んでも、あの時みたいにはぐらかされてしまうだろうと思う。なんてことないみたいな顔をして水野はコーヒーを飲むんだ。



 腹を割って話す機会を……。



 アポ、取らないと。

 水野にメッセージを入れた。

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