同根
週末になり、日の当たるファミレスの屋根の下、私と水野はランチを共にしていた。ファミレスに入るのはずいぶん久しぶりだ。立地的にオフィスの周りにはランチに1000円以上かかるところがざらだし、休日は基本的に出歩かないのでこういった場所になかなか縁がなかった。ぶっちゃけ、高級レストランなんかよりも、私はこういうところの方が気楽で良いと思う。以前、丸川製麺を拒否られたのでファミレスは大丈夫かと懸念していたが、すんなり許可してくれた。今度は牛丼屋チェーン店にでも誘ってみようかなと思う。
家も徒歩圏内、ラフな服装に、ローカル感の漂うファミレス。
環境面において私にふりかかる重りは今、究極に少ない状態ではあるものの、先日の横内との1on1を受けてなかなか晴れ晴れとした気分にはなれない。ファミレスデート。水野と一緒にいられることは嬉しい。しかし、とてもじゃないが最近何か楽しいことあった? などというポップな会話をする心境ではない。店員さんのいらっしゃいませ、という声や子供のふざける声。のどかな日常の切れ端だが、それらを煩わしく感じるくらいだ。
「あれからもう横内さんから連絡来てない?」
「来てません」
「そっか。うーん」
あくまで通信口は私に絞り込んだってわけか。
でもそれで良かった。横内と水野の接触がなくなったのだから。私に矛先が向いたのは良しとする。
横内は結果的に私を通じて水野との接触を図っている訳だが、もちろんそうさせるつもりはない。あんな下劣なやり方がまかり通るなんて思ってもらっちゃ困るぜおっさん。なめんなよクソが。
怒りに任せてパスタにタバスコを振りかける。ふりかける手の振動に対して少ししか出ないタバスコ……。いらいらする。もっと出ろや。
だんだん赤く染まっていくクリームパスタ。謎に征服欲が満たされていく。
「……はるちゃん?」
「ん」
「かけすぎでは……」
「うん……。でもこれくらい辛くしたい気分なの」
辛いのが得意なわけではない。
気持ち的に、この辛みでストレスが吹っ飛んでくれれば良いのに、と思うだけだ。
「じゃあ今度すごく辛いの作ってあげます。家にデッドソースあるので」
デッドソース……。
動画配信者がよくネタで使っている卒倒する辛さの激辛ソースのことだ。うん、そこまで辛くなくて良い。うん。
「それは大丈夫、間に合ってる」
滴り落ちる赤い雫をただ見つめる。
「……なんでですか?」
「……」
不安げな声のトーンに、私はタバスコを置いて水野を見た。私の思い描いていた通りの顔をしていて、いたたまれない気持ちになる。
きっと水野は私に何かあったのだと察し始めている。でも私は水野にこのことを言いたくない。巻き込みたくないし、横内に関わって欲しくない。できれば、この話は私と横内さんだけで完結させたいと思っている。
「何かあったんですか。さっきから全然目を合わせてくれないのはどうしてでしょうか」
「ごめん、ちょっと考え事してただけ」
デート中だというのに申し訳ないと思う。
相手を不安にさせてしまう私はまだまだだ。でも無理に笑ったところで、今のように水野は私に違和感を抱くだろう。彼女の前で取り繕ったってどうしようもないんだ、それは分かっている……。
でも言いたくないんだ。この気持ちは分かってくれ……。
「何を考えているんですか」
「色々」
「そのうちの1つで良いので教えてください」
はぁっとため息をついた。
水野はこうなるとなかなかしつこい。言わないと延々に詰められることになりかねないので、無難に開示できる情報はしておこうと思う。
「……寺内さんがね、横内さんに言ったみたい。うちらのこと」
まぁ目の前で公言したんだし、誰かに言われるのは仕方がないことだと思う。私としては別に横内さんに知られても良かった。もう水野に手を出されたくなかったし。
でもなんだか……寺内さんが……。こうも簡単に言われてしまうんだと思うとやるせない気分になる。打倒横内に向けて動こうとしている中で、寺内さんの立場が謎だったが、彼は完全に横内陣営に回ったと理解しても良いだろうか。
「そうですか。以前から寺内さんは横内さんにはるちゃんのこと相談してたみたいなので言ってもおかしくはないですね」
「え、そうなの?」
「関西出張以降は寺内君の恋愛のマネージメントもしてる、と横内さんが言ってました」
「うわっ、きっも!!」
思わずありのままの心境が声に出た。
あの見た目と性格で、よく恋愛のマネジメントをしてる、なんてことが言えたものだ。お前がしてるのは自分の下半身のマネジメントだろうが。まじでキモすぎる。
関西に出張した時、夜ロビーで寺内さんに会っていたのを、通りかかった横内に見つかったんだっけ。あれで多分その後そういう話になったんだろうな。横内に相談する寺内さんも寺内さんだが……。
以前から恋愛相談をしていて、いざ自分の狙っている相手が他の人と付き合ったとなると報告して当然か……。
「横内さんは今私たちの関係を把握しているんですよね。……横内さんに何か言われたんですか」
勘と頭の良い水野は、真相までたどり着くのが上手い。出した少しのヒントで芋づる式に情報を得ていく。
「いや……」
「話してくれませんか」
歯切れの悪い回答に、畳み掛けるように言い放たれる。
「……」
水野は紙ナプキンで口元を拭うと、こちらを見つめたまま動かなくなった。
連動するかのように私もその場でじっと瞬きを繰り返す。
「はるちゃんは人に頼ろうとせずに全て自分で解決しようとします。実際、本当に1人でできてしまうところがすごいかもしれませんが、それだと寂しいです。本当に困った時に頼れる存在に私は成りえないのでしょうか」
水野はそう言い終わると、露骨に残念さを含ませたため息をついた。
私は前回の人事評価のことを思い出していた。似たようなことを書いてきた人が1名いた。そうだとは思ってたけどやっぱりあれ書いたの、水野だったんだ。
あの時からずっと私のこと、心配して……。
今のままでは頼って欲しいと願う彼女の期待には応えられない。もどかしい。でも、誰かに共有して楽になりたいという思いが無いわけではない。
悩んだ末のことだった。
「横内に……3P誘われた」
「断わりましたよね?」
間髪入れず淡々とした口調で返された。
いつも通りと言ったらいつも通りだが、なんだか水野がドス黒いオーラを放っているように見える……。
「えーと……まだ。でも、断るつもりだから!」
「どうしてその場で回答しなかったんですか」
「それは……えー……」
「また何か条件を付けられたのでしょうか」
「……うん、その通り。私を関西に飛ばすって。でも行くつもりはないから!」
「……そういうことですか、理解しました。私ならまだしも、はるちゃんに手を出したのは許せませんね。この場にいたら刺していたところです」
水野はナイフやフォークの入っているトレーの方を見た。なかなか物騒だ。
「私も殴ってやろうかと思ったけど……。手を出した方が悪くなっちゃうからね」
寸前までいってしまったが、あの時手を上げなかった自分を褒めてあげたいと思う。
100%相手に非がある状況を作っておくに越したことはない。
「法律がないなら殺めていたところですよ」
「法律様様だな……恋人を人殺しにはしたくないから」
「恋人……」
水野はコップに注がれているコーヒーにちょこんと口をつけたまま固まってしまった。
「どした?」
「はるちゃん。……関西に行くなら私は会社を辞めて付いて行きます」
水野はコーヒーを置くと、意を決したように言った。
「関西に行くつもりはないって言ったじゃんか」
「……横内さんとするつもりですか? やめてください。はるちゃんが他の人とするなんて耐えられません。法律を犯してでも阻止します」
……実際、今回の件で仮に私がやろうと言えば水野は、OKを出すのか気になっていた。はるちゃんがそう言うのであれば、と話にのって来たら私は失望しているところだった。
自分だって散々他の人とやってたくせによく言うわ、と思いつつも心のどこかで安心している自分がいた。
「横内とやるつもりもない」
「……会社を辞めるんですか?」
「それも一瞬考えたけど、辞めない。そんな辞め方してもモヤモヤするだけだし。それにこれからも飛鳥と一緒に仕事がしたいし」
この場合は条件を呑む、呑まない云々で揉める前に逃げてしまった方が賢いと思う。でも横内を前にただ尻尾を巻いて逃げるというのは、私の中では腑に落ちない。
「じゃあどうするんですか」
「勝つんだよ、横内に」
「勝つ……」
1人でなんとかするつもりだったが、1人味方が増えた。仲間を迎えるにあたって1点確認しておきたいことがある。私は社用携帯から履歴書、職務経歴書が保存されているファイルを開いた。
えっと水野、水野ー……あった。タップして開いて書類を確認する。
「うん、やっぱり」
ビンゴだ。これは心強い。
私はテンションが上がってフォークにパスタを多めに絡めた。
「何ですか」
「ちょっと協力して欲しいことがあるんだ」
「何でも言ってください」
パスタを口に放り込む。
「待って、かっら!!」
じわじわと喉元を焼かれる辛さに、むせそうになった。
「あれだけ入れたらそうなると思いますが」
身体がみるみる熱くなってくる。全身の毛穴が開いていく感覚。
これがザ・トウガラシの力か。
「燃えてきたぜ……」
「なに言ってるんですか」
水野はこの日初めてふふっと笑いを漏らした。
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