取引
悪い予感というのは的中するものだ。
何も起こらないと願ってはみるものの、そう上手く事は運ぶはずもなくそれは簡単に裏切られてしまう。
翌日のことだった。順番が巡り、横内さんとの1on1があった。そこで私は彼の本性を見ることになる。
「新庄君いなくてもぶっちゃけ中途採用チームはうまく回ってるよね。うまく行き過ぎてるくらいに思っちゃってるけど!」
小さな会議室に響く大きな声。
こいつが私の恋人とそういう関係を結んでいたというだけで怒りが湧き上がる。うるせぇ。加減しろよ大声オヤジが。
「そうですね、問題ないかと思います」
心の声と、現状を切り離すことには慣れている。愛想笑いを浮かべ、当たり障りなく冷静に返す。
「それに比べて新卒チームは……。何人かから話聞いたけど、ねぇ? 悲しくなっちゃうよ」
新卒チームはうまくいっていないようで……。
横内さんは立場上、今の新卒採用チームのメンバーとも1on1をしてるから……。仕事はできるし、上司ヅラも良いのである程度の信頼を部下からは得ているんだろう。
中途採用チームとは違って、新卒採用チームは素直に横内さんに相談してくるくさい。こんなキモい奴なのに無駄に仕事ができるのがうざったらしくて仕方がない。
「新卒採用チームはうまくいっていないんですか」
「寺内君くんも言ってたけど新庄君が少々ね……。京本さん的には彼のマネジメントのやり方どうだった?」
横内さんは結構オープンに誰から何を聞いた、と言う人なんだな。私の1つ上の上司だからこそ信用して開示してくれているのか……謎だが、とりあえずは素直に答えておこうと思う。
「マイクロマネジメントだと思います。合わない人はとことん合わないんじゃないかと」
「京本さんもそう思うかぁ。こーりゃ少し緩めるよう言わなくちゃなぁ」
「……はい」
厳重注意で留めてくれるならこれほど嬉しい事はない。私たちは今まで通り業務をこなせるし、寺内さんも自分らしく働けるのであれば……。
「あぁ、そういえばさぁ」
横内さんは急にねちっこい声を出した。
「はい」
「寺内君から聞いたけどさぁ……京本さん、水野さんと付き合ってるんだって?」
横内さんにはニヤッと不気味に笑ってみせた。
ぐっと胸ぐらを掴まれたような感覚になる。
水野もそうだったように、業務のことだけ話して無難に終わるのかと思っていたのだが。……私の場合はそうではいかなかったらしい。ここでぶっ込んできやがった……。
しかも寺内さん私たちが付き合ってること言っちゃったのかよ! なんの話の流れでそれ言ったの!? いや、別に言うのは良いけどさ! でもわざわざ横内さんにそんなこと言ったのはなんで……? 話題作りのため……? 分からない。
横内さんと2人きりの状況。逃げ道はない。
相手は仕事はできるがクズだ。どう仕掛けてくるのか分からない恐怖に鳥肌が立っている。狭い会議室に男と女。力づくで乱暴やレイプなどされてしまわないかという不安が渦巻く。
「はい。……すいません、限られた時間ですので、するなら業務に関係のある話にしていただけませんか?」
無難に、差し障りのないように言うのが私の精一杯だ。
「関係あるよ、俺のモチベーションが下がってるから」
横内はわざとらしくため息をついて首の後ろをかいた。
「そう言われましても…………」
水野を取られて悔しいのか知らないが、お前のモチベーションなんて知ったこっちゃない。私情を持ち出してくんなよ、ガキじゃないんだから。
うぜぇ。あぁ、本当無理。拒否反応が出る。こいつと同じ空気を吸いたくない。早く執務室に戻りたい。
「最近水野さんがやる気ないみたいで困ってるんだよね」
「……」
業務上のことではない何かを仄めかすようなわざとらしい言い方。この時点で私の「無理パラメータ」はカンストし、目の前にいる横内が人間なのか疑うほどになってしまっている。
なんでこの人は生きてるの? 私の前に座っているの? この人と一緒に仕事をしているの?
「俺と水野さんの関係、聞いてるっしょ?」
「何の話でしょうか……」
知らぬが仏、知らぬが仏だ。
ここで知ってるなんて言おうものなら、その話に振り切れてしまう。私は一刻も早くこの話を切り上げて執務室に戻りたい。そうでもしなければ蕁麻疹が出てしまう。
「え、まさか聞いてないの? じゃあ教えといてあげるけどヤる関係だったわけなのよ」
「っ……」
そりゃねーだろ横内。
こいつもう人間として終わってる。怒りで震える握り拳、爪が肌に食い込んで鈍い痛みが走る。身を庇うように手の甲を相手に向けて服の襟元を巻き込んで握り直した。内ポケットに入っているペンが怒りの振動でカタカタと震えている。きっとこれがりんごだったら粉々に砕けているレベルだ。
「あ、勘違いしないでよ。別に俺は君たちの関係を否定しようとは思ってないから。若い女性が2人並ぶだけで華があるしね、それはOKOK」
必死に唇を噛み締めて平常を保とうとする私を見てか、横内はフォローを入れてきた。
OKだと思ってるくせに自分が水野と関係を持っていたことを引き合いに出す意図は何なんだ。もう何もかもが気持ち悪い。
シューティングゲームなら顔面を撃ち落としているところだ。
「何が目的でしょうか……」
「うーんとね、資料に目を通してたんだ、京本さんの。履歴書でしょ、内定承諾書でしょ、まぁ色々ね」
「……」
テーブルの上に私の個人情報が並べられた。どれも過去に私がPC上で記入したもの。こういった個人情報は人事だけにアクセスを認められているものだ。
横内がわざわざ私のデータを調べてこうして印刷してきたんだ。気持ち悪すぎる。何が目的なんだ??
「京本さん、転勤OKなんだって?」
横内はニッと口を目一杯横に広げた。
……そういうことか。
水野を取られた腹いせに私を遠くに飛ばすつもりなのか。
「……私を転勤させるつもりですか」
「まぁ……。関西支社のマネージャーの橘田さんがね、リーダークラス以上の人材が欲しいんだってさ。正直中途採用チームにリーダーは2人いなくても回るんじゃないかと思っててね。京本さんが行ってくれたら関西チームの英雄になれちゃうかも」
ぐちゃぐちゃうるせぇ、
結論はどうなんだ。
「転勤はもう決定事項でしょうか」
「いいや、京本さん次第」
横内さんは口角を釣り上げてみせた。唾液で濡れた黄色い歯が不気味に光っている。
「私は転勤を希望しません」
付き合ったばかりなのに遠距離恋愛になってしまうなんて冗談じゃない。私ならまだしも、水野がそれに耐えられるなんて思えないし……。
こいつの水野に対する執着は計り知れない。死んで欲しい。
「はっは! でもこのままだと俺は京本さんに異動命令出すよ。書類にも転勤はOKって書いてあるんだから拒否するならそれなりの理由がないと、ね?」
「転勤は私次第だとおっしゃったじゃないですか。何が望みなんですか」
クソ、引っ張りやがって。結論から言えよカスが。
絶対こいつには真に眠る欲求がある。結論から言ってもらったほうが早い。
「はは、話が通じやすくて助かるよ。要はさぁ……俺も仲間に入れて欲しいんだよね」
「……はい?」
仲間……?
「寂しいじゃん? 2人だけで楽しもうとしないでよ」
「何を……言ってるんですか……」
仲間に入れて欲しいってそういうこと?
頭の中で想像を膨らませる。……ちょっと無理すぎるんだが。吐きそうだ。そもそもなんでこいつ生きてんの……? 横内というクソが存在するこの世界そのものを呪いたくなる。
「京本さんって純粋なレズ?」
レズという言葉がグサクザと心に刺さる。はい、とも、いいえ、とも言えない。でも私は水野のことが好き……。でも自分をレズとは言いたくない。
「……答えたくありません」
「ふはっ。女同士も良いかもしれないけどさぁ……京本さんは指で満足しちゃうの? 男が欲しくならない?」
横内さんは自身の股間を円を描くように撫でて舌なめずりした。
「……横内さん、ちょっと」
目頭の部分を抑えて、はぁっと息を吐く。視界に入る横内さんの股間を見たくないからだ。無理すぎる。こんな生物を生んでしまった地球を恨むレベルだ。
しかし取り乱してはダメだ……。キレたらだめだ。ここはあくまで会社、私は大人なんだ。
「水野さんはバイ? まぁいいや。どちらにせよさぁ、レズと寝るってある意味男の夢なんだよね。そうそう、夢。2人は特に綺麗だし妄想が膨らむなぁ……」
ひたすら歯を噛み締める。
「寺内君は京本さんに気があったみたいだから身を引いてたけど……。まさか京本さんと水野さんがねぇ。仲良いとは思ってたけど、こんなことあるんだね、レズは初めて見たよ」
「……」
何か言い返したい。でも言葉がなかなか見つからない。
「レズと寝るっていう俺の夢、叶えてくれるなら異動命令は出さないでおいてあげる。飛鳥ちゃんとも離れたくないでしょう?」
権力という猫じゃらしをぶら下げ、勝ち誇った顔で横内は言った。
「……この話はコンプライアンスに反しています。社内のコンプライアンス課に相談させていただきます」
今すぐにでも横内を八つ裂きにしてやりたいところだが、学生の頃とは違い、暴力で解決するほど単純な世界ではない。
今回の件はセクハラの度を超えている。相手がバカみたいな条件を突きつけてくるならば、こちらも真っ向勝負するまでだ。
「写真」
「はい?」
横内はスマホの画面をゆび指さした。
「そんなことしたら恋人の恥ずかしい写真、ばらまかれちゃうかもね」
「……」
恥ずかしい写真……。まさか水野との行為中の写真、撮ったってこと……? 凝視していると横内はこちらを見てコクンと頷いた。ビンゴだ。
ふざけるなよ!! どこまで最低なの。有り得ない……。
さすがに私も平常を保てずに両手で顔面を覆った。
「俺はここで何十年もやってきてるからね。京本さんがいくら優秀な社員と言え、俺がそんな事実は一切ないと話を否定すれば悪者になるのは京本さんかもしれないよ?」
あぁ、この男の思惑通りになってたまるか。転勤なんてするくらいなら……
「はぁ……異動命令が出たら、私は会社をやめると思います」
「そう、それは残念だね。でも良いよ、どっちにしろ俺は会社で水野さんと2人きりになれるし。気にしないよ」
「……」
水野は私の彼女なんだが??
お前なんかに……お前なんかに……ふざけんな。
こんなに人をイライラさせる才能ってある?
私、こんな奴と今までずっと仕事をしてきたの? 吐き気がする。法律が無ければ殺してるところだ。
「改めて聞くけど、どうする?」
横内は時計を見ながら尋ねてきた。
お前と3Pするか?
無理に決まっている。しかし、そう言ったところで私の異動が早まってしまうだけ……。
「考えさせてください」
「水野さんはOKするんじゃないかな、俺が上手いの知ってるし。恋人同伴なら問題ないでしょ」
吐き気がする。水野がOKする? バカか?。お前みたいな勘違い野郎がうまい訳ないだろ、さっさと死んでくれ。
「……ねぇ、水野さんってプロ経験ありだったりする? あれ素人の動きじゃなかったもん。1番気持ち良かった。京本さんは独占できて良いねぇ」
「……」
は?
小動物が何か鳴いている。そう思おう。
じゃなきゃもう発狂レベルでは済まない。気持ちを落ち着けることに全集中した。
「そ、れ、で。いつ返事もらえる? あんま待つ時間はないよ」
横内は目を細めて腕組みをした。
「……来週までには」
今回の話を踏まえてできた、業務時間外のToDo。まずは色々調べる時間が必要だ。
ぎゅっと襟元を再度握りしめる。
「OK。あー誤解しないでよ、いつもじゃなくて、たまに混ぜてくれるだけで良いって言ってるんだから。一緒に楽しめることを期待してるよ、京本さん」
油の乗った不快な声。
私は返事をせずに会議室を去った。
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