過去

 薄暗い部屋の中だった。その日は雨。ブツブツと降りつける雨の音を聞きながら女の子の人形で遊んでいると、母親はガスコンロの前に立ち、タバコに火をつけた。

 広がる不快な臭い。



「男の子が欲しかったのに」



 その時、母親は口から白いタバコの煙を吐きながらそんなことを言った。冷たい目が私を映していた。私は何も言えずに俯きながら人形を見てただ黙っていた。

 私の名前――春輝。名前の由来は知らない。春に生まれたから名前に春という文字が入ってるんだろうなとは思う。男の子っぽい名前だよねと知人にはよく言われるが、男の子が欲しかった両親がつけた名前なのだからそりゃそうなるよねという感じだ。



 ゲームのように、人は生まれる前に性別を選択することはできない。私にも同様にその選択権が与えられないまま女としてこの世に誕生した。

 男の子が欲しかったと言われた私は、男の子のように振る舞えば親は喜んでくれると幼いながらに思った。だからその日から自分の中の女の子を封じ込めようとして生きた。私が女の子の人形に触れることはその後なかった。



 小学校に入る前に弟が生まれた。

 これは私にとっては悲劇的なことだった。


 

 念願の男の子の誕生に、両親は私を無視して弟ばかりを可愛がるようになった。

 私と弟に対する接し方の差はひどいもので、可愛がられる弟の姿を遠目で見ながら、常に疎外感のようなものを感じていた。

 弟が遊んでいたレゴブロックを片付けるのはいつも私だったし、弟が何かをこぼして床を汚したら早く掃除しろと私が怒られた。私が赤ん坊の時の話題を出しては、些細なことでも弟と比較されて「だから春輝はだめなんだよ」と言われる日々。唇を噛んでぐっと耐えていた。



 弟が可愛がられるのは、弟の性別が男だからなのか。今考えるともっと理由はありそうな気がするけれど、男の子が欲しかったと言われたことが心の奥に残っていた私は性別のせいだと思い込み、ますます自分の中の女を隠すようになった。



 環境には恵まれなかった方だと思う。最悪なことに家族だけならまだしも、親戚全体が男尊女卑の文化を持っていたのだ。

 年に1回の地獄のような行事がある。正月の親戚の集まりである。私は皿洗い担当だった。

 基本的に女が皿洗いや料理の支度をする。女の中でも序列があって、若い女ほど使いパシリされる。それがこの集まりのルール。なんとも古典的でバカバカしい会だ。年齢が1番若く、女であった私が食事にありつけるのはだいぶ後だった。その頃にはご馳走なんてほとんど残っておらず、残り物の惣菜を口に運んではよく噛んで食べた。

 私が流しでお皿を洗っている頃、食べ物の置かれた大きなテーブルを皆で囲み、男たちはいくら稼いだのそういう自慢話で盛り上がっていた。でも稼いだわりに私がもらえるお年玉なんて僅かなものだった。ドケチ人間の集まりだ。

 男たちにお酌をする母親。流しで皿を洗っている私をよそに弟は平然と座ってタレのかかった唐揚げと赤飯を食べていた。



――――――――――――――



「なんで春輝って男みたいなの?」


「オトコ! かっこつけ!」



 思春期で身体にも変化が訪れる小学5、6年生の頃、これまで触れられてこなかった性に対することでからかわれるようになった。自分を男だと思って生きようとしていた私は、自分の身体の変化に困惑したし、今更女の部分を出すこともできずに苦しんでいた。

 教科書を隠されたり、泥を投げつけられたりいじめのような経験もした。学校に行くのがたまらなく辛くなって一度学校を休んだことがある。

 その時に母親は私に言った。「学校を休むなんて弱虫」だと。

 私が学校を休んだのはその一度きり。親に見放されてしまうことの方が怖かったから。学校を休むことで親に嫌われたくない。その一心だった。



 学校を休んで辛い環境から逃げる事を自ら放棄した。その分どうしたらこの状況をより良くできるだろうかと考える時間が増えた。

 立ち振る舞い方や会話の仕方を工夫した。絶対自分の味方でいてくれる人を探した。いじめの主犯格に直接話をして和解を求めたこともあった。そうこうしているうちに、クラスで私に敵意を向ける人はいなくなっていった。

 これが私の最初の成功体験だった。



 中学生になる頃、制服の袖に手を通した。スカートをはくことが普段なかったので若干抵抗があったけれど、鏡に映る自分を見て思ったことがある。

 やはり自分は女の子なんだと。

 小学生の頃は私服だったし男でいなくてはと思った私が着る服はボーイッシュなものばかり。ズボンしかはかなかった。でもスカートがデフォルトの制服を着て、今後私は生活することになる。私は女でいることを許可されている、そんな気分になった。もう男として生きなくても良いんだ。あの時は目から涙が滴ったのを今でも思い出す。

 自分の本当の性別を否定することにどこか違和感を持っていた。いつまでこんなことをしているんだ、いくら男になろうとしたって女に生まれてきた以上は無理なことだし、それで両親の態度が変わることもなかったじゃないか。男になろうとするのは無意味なことだって薄々分かっていた。

 自分は自分らしくありたい。女である自分を愛して欲しいという思いがその瞬間爆発した。



 どうして男が優遇されて、女が見下されてしまうのかを何度も考えた。世の中を見渡せば、ある分野で成功している人はだいたい男性だし、オリンピックなどでも競技が男女別で分かれているのは男の方が優れた記録を出すから。身体的にも頭脳的にも女は劣っている生き物だから差別されてしまうのか?

 もう親に差別されるのはこりごりだと思った。いつもスポットライトが当たるのは弟。女の自分でも、ある程度のことはできるんだということを両親に認めて欲しかった。私だってきっと輝ける。

 小学生で危機的状況を乗り越えて成功体験を作った私は、この状況をうまく変えられるんじゃないかとどこか信じていた。自信を持っていた。



 中学に入り、勉強にも部活にも力を入れたし、培った外面の良さを利用して友達もたくさん作った。

 みんなから好かれて、勉強も運動もできる女子生徒。そんな模範的な生徒になるまでには時間もかからなかった。

 3者面談の日に担任の先生はそんな私のことをベタ褒めしたけれど、母親は言った。「でもうちの子は家じゃひどいんですよ」と。悲しかった。担任の先生名前でそのようなことを言われて私はひどく落ち込んだ。

 どんなに努力をしても一向に母親の関心、父親の関心は私に向かなかった。弟が授業などで活躍した話では盛り上がるくせに……。私がクラスで1番を取ろうが表彰されようが無視だ。

 弟も両親と同じように私をバカにするようになった。どうせお姉ちゃんは――。これが弟の口癖だった。

 そんな憎まれ口を叩かれるようになり、私は弟のことを当然のことながら好きになることはできなかった。もともと良く思ってなかったし。



 高校に進学し、中学の延長線上で模範学生をやっていたけれど、いくら自分が頑張ったところで両親の反応は何も変わらないということにはすでに気がついていた。

 中学との唯一の変化は、バイトができるようになったこと。レストランでのバイト代を貯めて最初に買ったのは携帯電話だった。当時小学生の弟には携帯電話が無料で与えられていたが、私はもらえなかった。高校生なんだから自分で働いて買えと両親には言われた。ないと連絡が取れず、非常に不便なものだったので自分で買ったのだ。月々にかかる携帯の料金も私が払うので、継続してバイトをする必要があった。

 部活もしていたので、バイトをできる日は限られていたけれど、自分でお金を稼ぐということは私にとっては非常に興味深いことだった。

 あまり家にいる時間を増やしたくなかったので好都合だ。身体は疲れるけどね。



 ある日のこと、事件が起こった。

 アルバイトから帰った私は自分の部屋にある貯金箱からお金が消えていることに気がつく。5万円くらいは入っていたはずだが、見事に消えていた。

 驚きで頭が真っ白になったが、直感で弟だと思った。



 半開きになっている弟の部屋のドアを開けた。私の部屋より広いが、部屋は散らかっていて狭く見える。

 弟はベッドに横になりながらスマホをいじっていたが、こちらを見るとすぐに視線を逸らした。



「ねぇ、私の金とった?」


「……いや」


「なんでこっち見ないの?」


「取ってねーよ!」



 弟は癇癪を起こして怒鳴った。こいつはいつもそう。自分の機嫌が悪くなるとこうして怒鳴る。そうすれば親は黙るって知ってるから。

 でも私はそうはいかない。



「この部屋調べても良い?」


「やめろ出てけカス! ボケが!」


「……どうしたの?」



 母親の声が背後から聞こえた。事情を説明すると、母親は弟のせいにするなと一方的に私を攻めた。

 その時に思った。

 もうここにはいられないと。



 結局誰がお金を取ったのかは分からない。もしかしたら両親の誰かかもしれない。結局誰が犯人でも同じだ。私の味方をしてくれる人はこの家にはいない。

 あの5万円は私にとっての手切金となった。



 ちょうどその時期だった。

 自立して、お金を稼いで、誰もが羨む地位と名誉を確立すること。私の目指す先をそこに設定した。そうすることで、できる娘を手放してしまったと両親はきっと悔いるだろうと思った。私にできる唯一の復讐の手段の一つだった。



 誰かさんのせいで、バスケの試合のスタメン入りは逃すし水野君を取られるしで私の心はズタボロだったけど、依然として優秀な生徒であった私は大学は国立に受かり、奨学金を借りて進学することになった。



 大学進学後は意識の高い連中に混じり、授業は1番前の席で受けた。インターンシップでリアルなビジネスを学び、就職活動に精を出してエリートしか入れないと言われているDAPに入社。

 社会人になったタイミングで私は家を飛び出して、家族との連絡を一切絶った。その頃、高校生の弟はグレて不登校。両親は弟の非行に頭を悩ませていたよう。甘やかされて育った方がこうなってしまったことはなんとも皮肉なことだ。

 弟がこうなってしまったので、私に対する話し方や接し方が以前より優しくなって気持ち悪かった。どちらにしてももう両親に恩を感じているわけではないし、許す気にもなれなかった。家を飛び出して正解だったと思う。



 入社後はできる連中に揉まれながら突破型の研修を上位5%の成績で駆け抜けて、営業配属。その後、出世街道と言われる人事へ異動。

 男女なんて関係ない実力主義な世界で生きている。そして十分すぎるくらいの結果を残してきたと思う。そしてこれからも……。

 それが私――京本春輝の人生。



「春輝さん、もうすぐお店閉めますよ」



 マスターの声で現実に引き戻された。



「あぁ、もうこんな時間ですか……」



 ゆらゆらと浮かぶ白い煙。

 煙は意思を持たない。

 何も抗うことなく、空気に流されるまま上に上がっていく。



 私だって一度くらいグレてみたかったっつの。



 手元のタバコを灰皿の上、ゆっくり先端を潰して火を消した。

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