対峙

「酔っててよく覚えてないんだけど多分された……」



 ミヤちゃんの目線が下にずれて私の唇の方を見てきたので、おもわず上唇と下唇を合わせてきゅっと口の中にしまい込んだ。目線のやり場に困ってそっぽを向く。

 多分された、だなんて言い方をしてしまったけれど私の唇に触れたあの独特の感覚は人の唇以外の何ものではないことは言うまでもない。あの瞬間のことを思い出すだけで気持ちがじりじりする。この話ことを人に言うのもじりじりする。



「誰にされたですか?」


「えっと……水野」



 バックにかかる店のBGMの音に紛れるように小さく呟いた。



「うわぁ……」



 BGMをかき消す勢いの低く唸るような声が聞こえた。

 目線をミヤちゃんの顔の方に戻すと、いかにもゲッとした表情を浮かべて口元を手で隠していた。相当ドン引きしている様子だ。



「そうなるよねーあはは……」



 水野の話は以前からミヤちゃんにもちょくちょくしていた。

 ちょっと変わってますよね、なんてミヤちゃんは水野のことを言っていたけれどそれはオブラートに包んだ言い方なだけで、内心は私と同じように「頭のおかしい奴」だと思っているはずだ。

 そんな水野に唇を許してしまったなんて、我ながら笑えて来る。ミヤちゃんがこういう反応をしてしまうのも無理もない。



「会社の飲み会かなんかでですか?」


「いや、家……」


「……家にあげたんですね」



 ミヤちゃんの声のトーンが若干下がった。



「まぁ……仕方なく……ね」



 自分で言っててため息が出そうになる。

 本当は仕方なく、ではなかった。私が故意で呼んだんだ。でもそれを正直に言ってしまえばこの場の空気はもっと悪くなる気がする。あくまでそうせざるを得なかった状況だったかのように私は振る舞うことにした。



「ちなみにいつです?」



 この問いの正解は、「ミヤちゃんが帰った後」。

 寂しさを埋めるために水野を呼んだ。しかし、このことを本人の前で言うには少し後ろめたさがある。自分が帰った後で他の人を家に呼んでいた。ミヤちゃんよりも水野を選んだというような聞こえ方になってしまいそうで……。



「えっと最近かな……」



 嘘はついてない、嘘は。



「どんな感じでされたんですか」



 ミヤちゃんの尋問は続く。



「なんか不意打ち食らったというか」



 抱きしめられたあたりからそんな雰囲気はあったっけ。

 でも私は酔いに任せて身を委ねていた。どうにでもなれという気持ちだったんだ。



「嫌でした?」


「分からない。そういうの考える間もなかった、酔ってたし」


「思い出して嫌な気持ちになったりません?」


「うーん……なんでしたんだろうって疑問の方が勝つ感じ」



 翌日は二日酔いだったが、吐き気はなかった。キスのことを思い出しても、ガンガンと脳に釘が打たれているような規則正しい痛みが続くだけだった。

 頭痛が和らいできた頃に脳に残ったもの――恋愛感情があったのか、どんなつもりでキスしたのか、水野に対する疑問がぐるぐると頭にひたすら渦巻いていた。



「なんでしたんだろうって、したかったからしたんですよ。もー……春輝さん優しいから。水野さんに隙見せちゃったんじゃないですか?」



 確かにキスをされるということは、それだけ私に隙があったからだろうな。でもそれはきっとお酒のせい。



「私って酔うと無防備かな?」


「無防備ってわけでもない気はしますけど……」



 ミヤちゃんは腕を組んで少し首を傾げた。

 水野は私のことを無防備だと言っていたけど、ミヤちゃんからは見え方は異なるようだった。一応ミヤちゃんより6個上な訳だし、みっともない姿を見られたくはないという思いがあるのでカバーできているようだ。良かった。



「はぁ。水野……恋愛感情、あったのかな」



 色々考えることはあっても結局はここに行きつく。

 私が一番知りたいことは、これだ。



「あったらどうするんです?」


「……」



 どうであれ言えることは1つ。

 私は同性とは恋愛はできないということだ。

 だから仮に交際を求められた時は、相手にしっかりとこのことを伝えなければならない。とは思いつつも本当に水野が私を好きだったら……。いや、ないない。何を迷うことがあるだろうか。一瞬でも真剣に考えようとしてしまったことがバカみたいだ。



「あーあ、水野さんに先越されちゃった。ショックだなぁ」



 ミヤちゃんはおちゃらけたように笑った。



「先越されたって……え?」



 もしかして……もしかするけどミヤちゃん、私のこと……。

 ミヤちゃんがレズビアンだと分かった以上、可能性として……。

 いやいや、口調はいつも通りだしからかってるだけだよね?



「うちもちゅーしたかったです」


「えぇ、まじか」



 本気なのかな……。まだちょっと分からない。



「はい。でも、1つ希望が持てたこともあるから良しとしますかー」


「希望……? 何それ」


「春輝さんが女の子もイケる可能性があるなってことです」


「え…………」



 私はジントニックのグラスを持ったまま固まった。

 お店のBGMと他の客の談笑が時間を進めている。



「?」



 ミヤちゃんは、固まっている私に対してどうしたのと言った表情だ。



「私が……?」



 人差し指をおずおずと自分の方向に向けた。



「はい」


「ちょ、何で!?」



 女の子もイケる……?

 どうしてそのような結論になるか全くもって理解ができない。



「キス、嫌じゃなかったんでしょう?」


「まぁ……いや、でもだからってそれは違くない?」



 同性とのキスが嫌じゃなかったから、その人は同性愛者だと言えるくらい単純な話ではないはずだ。異性愛者でも、同性とキスくらいならできる人もいるだろう。

 私も水野とのキスに特別嫌悪感は感じなかったが、それで同性愛者だと結びつけられるのは納得がいかない。だって違うし。



「可能性はあると思いますよ、無理な人は無理ですもん。私が男とキスできないように」


「……」



 ミヤちゃんは女性オンリーだから男性とのキスはできない。それは分かった。

 じゃあ男性と交際し、いくところまでいった私はいわゆる両性愛――バイセクシュアルの可能性があるということだろうか。いや、そんなわけ……。



「前に、好きが良く分からないって言ってましたよね。それって男と恋愛できないからじゃないですか?」



 痛いところを突かれた。

 でもだからといって女性を好きになったことなんて一度もないし、付き合いたいと思ったこともない。



「待って……。私今まで女子をそういう意味で好きになったことは一度もないよ?」



 高校時代の記憶を辿る。

 それなりに優等生をやっていたし、部活も頑張っていたので人目につかないわけではなかった。後輩の女子がわざわざ私のクラスまで姿を見に来ることもあった。バレンタインデーで匿名の女子からチョコレートを受け取ったこともある。でもそれらはファン的な位置づけによるものだと思うし、露骨な恋愛感情を感じていたわけではなかったし、意識したこともなかった。

 とにかく、「同性愛」という言葉とは無縁の中に私はいた。

 


「これから好きになるかもしれませんよ」


「この年になって今更……?」



 27年生きてきて今更ってことある?

 ミヤちゃんはなんとかして私を同性愛者に仕立て上げようとしている気がする……。



「はい。目覚めるじゃないですけど、そういう人を今まで見てきました」


「いや……ないって。水野に限ってそれはない」



 100歩譲って同性愛者になったとしても、相手が水野なんて無理だろ。

 そもそも水野と付き合っている自分をまず認めたくない。交際するようもんなら金属バッドで自分の頭を思い切り殴ってやりたいと思う。



「はい。水野さんのところには行って欲しくないです」



 ミヤちゃんピシャっと言い切った。

 がっつり目が合った。



「ミヤちゃんって私のこと、さ……」


「わりと良いなって思ってますよ」



 これって告白……?



「ごめん、ちょっと混乱してる」



 今まで友達だと思っていた人にいきなり自分は同性愛者ですとカミングアウトされ、更には告白のようなものを受けて平常心を保っていられるほど肝は据わっていない。

 しかも私が同性愛者である可能性も示唆された。度重なる衝撃。お酒のせいで思考もうまく回らない。



「え、逆に気づかなかったんですか? さすがに鈍感すぎません? 結構分かりやすかったと思うんですけど」


「私が鈍感??」



 聞き捨てならない言葉に少々大きめな声が出た。



「はい」


「初めて言われたんだけど!」



 少なくとも私の同僚は絶対こんなこと言わないだろう。

 最近は業務でもマネジメント寄りな仕事をしているし、メンバーの仕事量や仕事に対するモチベーションに対して「敏感」に反応して動いているつもりだ。

 でもミヤちゃんから見たら私は鈍感なわけで……業務じゃなく恋愛が絡んでくるとこうも変わってくるものなのだろうか。



「スーツ着てる時はぱっと見しっかりした感じしますけど、話してみると全然そんなことないっていうか……まぁそこが好きだったりするんですけど」



 ミヤちゃんの言っているこの「好き」が、恋愛感情を含むものだとはさすがの私でも分かった。



「あのさ、付き合いたい……の?」



 控えめに問いかける。

 おおよその答えは予測できている。心臓の音が速まった。



「春輝さんさえ良ければ」



 そう言った後にミヤちゃんは、ははっと笑った。

 腕組みしているミヤちゃんの手が僅かに震えているのが分かった。指に力が入っているのか爪が白くなっている。表向きは何ともないように振る舞っているけれど、ミヤちゃんも怖いんだ。カミングアウトにプラスして告白。勇気を振り絞っているんだろう。



「ごめん今すぐには返事できない……」



 ミヤちゃんが私に本気で向き合っている。だから私もしっかり向き合わなければならないと思う。お酒も入っているんだ。今この場でNOと返事をするのではなく、自分の可能性も視野に入れてアルコールが抜けた後に改めて返事をしよう……と思う。

 でも、同性と付き合う可能性を考えれば考えるほど私の胸の奥は痛くなった。



 女性との交際がまず想像ができない。

 付き合うという言葉は私にとっては男女間のもので、そうじゃないとなると「付き合う」という言葉の概念が根本から砕かれる。

 付き合うって何? 恋愛って何? まるで脳内が白紙に戻ったかのような感覚になって右も左も分からなくなる。

 仮に付き合ったら? 人からどう見られるのかを気にする自分にとっては同性愛者であることを絶対に人には言いたくないと思うだろう。まだまだ偏見の絶えないこの世の中でみずぼらしい思いをして生きていかなければならないのか。せっかくここまで築き上げてきた私の歴史。セクシャリティによってそれは音をたてて崩れ落ちる。

 ウェディングドレスが2つ並ぶことの違和感を取っ払うことができないし、そもそも私はそっちではないはずだ。やはり――。



「いいですよ、別に急いでないですから。それより私、今度春輝さんと行きたい場所があるんですよね」



 脳内で葛藤していると、ミヤちゃんからの提案を受けた。



「行きたい場所? どこ?」


「まあまあ。もうすぐ受験準備で遊びにも行けなくなっちゃうんで、後輩の最後の頼みとして聞いてくれたら嬉しいなーって」


「……分かった。どこなのかは気になるけど」



 告白の返事をしていないのにミヤちゃんとどこかに出かけるのはどうなのかと思うけれど、最後の頼みというのであれば……。聞いても良いかもしれない。



「週末なら都合つきますか?」


「うん。来週は忙しくなりそうだからそれ以降だと助かる」


「分かりました。また連絡します。……あ、はーい、少々お待ちくださーい」



 ミヤちゃんはテーブル席のお客さんに呼ばれてバーカウンターを後にした。

 


 グラスの氷をじっと見つめる。なんだかどっと疲れた。ずっしりとのしかかる疲労。もう今日は帰ろう。

 このままシャドーで飲む気になれず、残りのジントニックを飲み干して私は席を立った。

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