失うものと得られるもの
新上司登場
鳥の声でも聞こえて来そうなほどの清々しい朝、ひんやりとした冷房の空気が横内さんの短めの前髪をひらひらと揺らしている。そしてその横には髪の毛をワックスでパリッパリに固めた見知らぬ男性社員。無論、彼の髪はエアコンの風の影響を微塵も受けていない。
今日から横内さんは新卒採用チームと中途採用チームを束ねるグループ長になる。こうようにマネージャーはどんどん自分の管轄するチームの幅を広げていき、最終的には人事部全体を束ねるVPに職位が上がっていくのだ。
月が変わりメンバーの入れ替えもある中で、月初めの全体挨拶として私たちは今、横内さんたちを取り囲むようにして立っている。
横内さんの隣に立つ分け目をきっちり7:3にした眼鏡のパリパリワックスマンはおそらく私のチームのマネージャーになる新庄さんだろうと思う。
業務連絡など一通り話し終えた横内さんは新庄さんを手のひらで差した。
「こちら今日から中途採用チームに参画の新庄さんです。何か皆に一言お願いできたら……」
やはりこの人がそうか。
直接面接した大久保さんは、新庄さんのことを几帳面で少し堅めな人柄と言っていたが、外見からしてまんまそうだ。切れ長の目が1mmのズレさえも許さないという雰囲気をギリギリとにじませている。
新庄さんは背筋を伸ばして口を開いた。
「初めまして、新庄です。私はずっとメーカーの畑で採用業務に携わってきました。メーカー出身の身ではありますがDAP製品もERPパッケージ……広い目で見ればITのメーカーですから、私の提供できるリソースはあるように思っています。こうしてここで皆さんと働けるというオポチュニティを大事にしつつ、業務を取りまとめるオーガーナイザーとして結果にコミットしていきたいと考えております。共に問題解決に向けたソリューションを確立させていきましょう」
こめかみのあたりにピクピクと力が入る。私は絶句してその場に固まった。
待って。何なのこの人。カタカナ多くない……? 無理なんだけど。
我々もIT業界出身なこともあってこのようなビジネス用語を使うことはあるがここまで露骨な話し方をする人は見たことがない。
外資系出身者で社内公用語が英語だったり、ITエンジニアなんかは会話をするにあたってこのようなカタカナ率は多くなる傾向があるが、新庄さんのいた会社はバリバリの日系企業のはずだしエンジニアでもない……。でも直近、企業のグローバル化に向けて海外を拠点とした人材採用の推進を先陣を切って行ってきた人物だ。だからこのしゃべり方はしょうがないのか……? にしても嫌だ。なんかこう……受け付けないものがある。
「今日が初日なこともあり、早速業務のキャッチアップや社内ツールのプラットフォームになるものに目を通さねばなりませんが、プライオリティ的にまずは何よりも一緒に働く方々のことを知りたいです。月初ではありますが、中途採用チームのメンバーとはお互いのビジョンを語り合う場として1on1をセッティングしたいと思っています。カレンダーの空いている時間に30分枠で予定を押さえますので問題がなければフィックスを、都合が悪ければ別日程をサジェストしてください」
……周りをちらっと見た。皆真剣そうに新庄さんの話を聞いている。え、私だけなの? プライオリティって言ったあたりからもう蕁麻疹が出る勢いで拒否反応が出ている。
なんとなく口ぶりからして仕事ができそうな感じはするが日本人なら日本語使おうよ……。だってあなた黒髪7:3分け眼鏡の典型的な日本人じゃない? いや、見た目で判断しちゃだめか。分かってる、分かってるんだけどさぁ……。
大学時代にもこういうタイプはいた。一応そういう人たちとつるんできたので新庄さんの言っていることの意味は分かるが、不快だ。
あの頃の私たちはいきっていた。自分は最強だと根拠のない自信を胸に、カタカナをいっぱい使ってかっこつけていた。傍から見たら、きっと痛い奴だったと思う。
社会人になり、意識高い系用語ばかり使うとなんとなく会話が偉そうに聞こえてしまうし、このような言葉に普段触れていない人とは意思疎通なんてできやしないということに気が付いてからやめた。だからこそ嫌なのかもしれない。過去の自分を見ているようで。
顔合わせが終わり、席に着いてメールをチェックしていると、早速新庄さんとの1on1がセッティングされていた。
さっき初めて出社したのにもうセッティングされている……段取りが早すぎやしないか……? ビビるレベルだ。新庄さんのカレンダーを開いてみると予定が隙間なくビッチリと埋め尽くされていた。初日でこれかよ。
予定を目で辿ると、どうやら私の前に水野と1on1を実施するということが分かった。
『1on1どうだった?』
帰って来た水野に向けて社内チャットでメッセージを送った。
目の前に座っているが話しかけずにあえてメッセージを送った私の心境を察してか水野はすぐに返事を送ってくれた。
『お互い自己紹介して終わりです。良いアイスブレイクにはなったんじゃないかと思います』
あれ、思った反応と違う。
ちょっとあの人はやばいですね、くらいのことは言って欲しかったが……。実際に1対1で話してみたら違うのだろうか。
『そっか』
あの最初の自己紹介に私が過剰に反応しているだけかもしれないな。
『どうしてですか?』
『いや、何となく気になって』
水野は少し考えるようなそぶりをした後に再びタイピングした。
『苦手ですか? ああいうタイプ』
『そういうわけじゃない。まだまともに話したことないし』
たとえどんな相手であろうと、もう同じチームとしてやっていかなければならないんだ。多少、ん? っと性格に疑問に感じることがあっても目を瞑れば良い。要は仕事をちゃんと回せれば良いんだ。新庄さんは優秀な人だろうしそこはきっと大丈夫……。
『そろそろ行った方が良いですよ』
『うん』
パソコンの画面をロックして席を立ちあがり、会議室へと向かった。
中に入るとパソコンを開いた新庄さんはカタカタと何かを打ち込んでいたが、こちらに気が付くと、座ってくれというそぶりを見せられたのでそのまま腰かけた。
「改めまして新庄です」
「京本です、どうぞよろしくお願いいたします」
初対面というのもあるかもしれないが、なかなか堅い雰囲気にリラックスなんてできたもんじゃない。
「特にアジェンダというものは用意していないのですが、フランクにお話できればと思っています。早速ですが……京本さんにとって仕事とは何ですか? ゼロベースでお答えください」
新庄さんはクイっと眼鏡を上に押し上げた。レンズの部分がギラっと光った気がした。
この空気感で頭を悩ませる質問をぶつけて来やがった……。どこがフランクなんだよ、ふざけんな。大久保さんと初めて1on1した時に聞かれた質問は朝ごはん何食べた? だったのにな……。
まぁこの手の質問は面接時にも受けているし、私の中で答えが出ている。ゼロベースで考えてやる必要もない。
「私にとって仕事は人生の目的を叶えるための土台となるものです。人生の目的がビジネスに関することでも、そうでないことであっても、仕事で得た経験や資金はそれを助長するものに成りえると思っていますので」
私にとって、と冒頭でつけたがこれは万人に当てはまるものなのではないかと思う。
好きではない仕事だが、お金のため、家族のために働かなけばいけない人もいるし、将来的に叶えたいものがあって起業するために仕事を通じて経験を積んでいる人もいる。仕事の在り方は人それぞれだが、人生の3分の1以上は仕事で費やすと言われている現状、それを逆手に取って利用し、欲しいものを手に入れるという考え方は間違っていないように思う。
私の人生の目的は地位と名誉を手に入れることだ。だからそのために仕事を利用してここまでのし上がってきた。この先、もっともっとキャリアで昇進して皆に認めてもらいたい。でも認められたその先は……? つんと張った糸が心をスパッと引き裂いた。
色んな人に称えられたって、尊敬されたって私は満たされることはきっとない。今までがそうだったから。もっともっとと望む。現状を維持しようと自分を追い詰める。いったい何のために? 私は一生この承認欲求から逃れることはできないのだろうか。一生……。
「アグリーです」
新庄さんの声で我に返りバッと前を見た。キメ顔でこちらを見ている。
アグリー……。賛成を表す言葉だが、脳内は不快感で満たされた。賛成です、で良いじゃん。なんであえてその言葉を使う?
もうさ、サンキューって返して良いですか?? まじで言うぞこら。
「サ……」
「……?」
新庄さんは僅かに首をかしげた。
あぶない、出かかった。
「サ……さようでございますか」
武士のように、和の心で舞え。
「はい。私も仕事をする上で意味のないものはないと思っています。ただ時間を浪費しているようでは成長は望めません。特に私のチームの皆さんには少しでも働くことの意味を見出して欲しいと思っています」
よし、今回はカタカナなしだった。そうそれで良いんだよ、その話し方を続けろ。
「はい」
アグリーされたようなので好印象は勝ち取れたと思っても良いだろうか。今後、この人が私を評価する立場になるのだから少しでも好かれていた方が良いに決まっている。本心としてはあまり好かれたくないけれど……。
「皆さんがいち早く成長を実感してもらえるようなイノベーション環境を作るのが私のマターです。そして京本さんは成長を実感しながら仕事をより意味のあるものにする、これでウィンウィンな関係が築けると思いませんか?」
もう無理だ、これがこいつの話し方なんだ。受け入れるしかない。何も考えるな。
「そうですね、どのようなメソッドを展開してくださるのか楽しみです」
作り笑顔を作って微笑む。新庄さんに倣って、少し意識高い系用語を織り交ぜてみた。私の返しを聞いて新庄さんは満足げに頷いた。
「リーダーは京本さんと水野さんのお2人と伺っています。大久保さん曰く、特にこのお2人は若くて優秀だと。このチームにアサインされたからには、色々と頼りにする部分は出て来るとは思いますが、タフネスに頑張っていきたいと思っています。ぜひよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私たちはその場で握手を交わした。
「そろそろ時間ですね、ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました」
次の1on1がもうすぐ始まる時間だ。話し方にイライラすることはあったが、落ち着かない空間でなんとか無事に終えた。心の中でため息をつく。
「京本さん」
会議室のドアに手を延ばすと、新庄さんに呼び止められた。
「はい?」
早くこの場を去りたいという気持ちをぐっとこらえて振り返る。
「期待していますよ」
「頑張ります、タフネスに」
笑顔でそう言って会議室を後にした。
やばい、口調がうつってきたかもしれない。不甲斐ない。
『どうでしたか?』
席に戻ると水野からすぐにチャットが飛んで来た。気にしていてくれたみたいだ。なんだかほんわかした気分になる。
背後に誰もいないことを確認してから返信を打った。
『癖強くない?』
『そうですね、良くも悪くも几帳面な方かと思います』
一応癖の強さは水野も認めてたんだ、なんか安心した。
『カタカナ多い』
『前職の環境がそうだったんじゃないですか』
『だとしても無理。あの7:3分けを5:5分けにしてやりたいくらい無理』
同僚の愚痴なんて誰かに言ったことなかった私がこんな……。こういう些細なやり取りでも私の先ほどのストレスはだいぶ緩和されている、水野のおかげだ。
『分け目は真ん中が好きなんですね』
そういうわけじゃねーし。心の中で笑う。
水野からの返事を見た後、席を立って給湯室に行こうとしたところ、執務室の入り口でふんわりタバコの香りを身にまとった増田さんに遭遇した。
「あ、京本さん」
「お疲れ様です」
「1on1どうでした?」
「お互い自己紹介して終わりです。良いアイスブレイクにはなったんじゃないかと思います」
水野の言葉をそのまま引用した。ちょっとできる女って感じだろうか。
「さすがっすねぇ」
「何がですか?」
「俺、解読不可能だったんで」
増田さんはヘヘっと不貞腐れたように笑った。
「少々難しい言葉を使う方ですよね」
「ですね。まぁマネージャーはああいう感じですけど、俺は京本さんに着いていけばなんとかなるって思ってるんで」
「何をおっしゃってるんですか」
「はは、それじゃあ」
我々のチームでアソシエイト職はただ1人、増田さんのみ。一番下の立場は気楽で良いなと思う。彼がアソシエイトに落ちた時、会社をやめてしまうんじゃないかと思ったが、本人は開き直っているようだしキャリアなんてどうだって良いんだと思う。
でも私は上から期待され、下からも期待されてる……。これまで以上に頑張らないとな。
執務室を出て、少し暗い道を進んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます