マイクロマネジメント
「今日から皆さんには1日のプランを分単位で発表してもらいます。そして夕方、また30分ほど時間を設けて予定通りにタスクを進められたのかを確認するルーティンにこれからはしようと思っています」
かたっ苦しさを含んだ重めの空気感。話している新庄さんの方に顔を向けると、差し込む陽光と新庄さんが重なり、眩しさに目を細めた。私は顔を背けつつ影になるところに一歩ずらかった。
新庄さんは入社してから速攻で業務を覚えて、もう一通りのことは回せるようになった。その吸収力と状況を把握する力には驚かされるものがあり、優秀な人を採用できて良かったと思う。その一方で、カタカナを多用したり神経質な面で一緒に働く上ではやりづらさを感じていた。
そんなこんなで新庄さんが入社してから何日目かの朝を迎えているわけだが、朝会を取り仕切る新庄さんは、私たちに1日の予定の共有を求めた。大久保さんがマネージャーの時も、この時間を使って各自が何をするか簡単に予定を共有していた。だから今まで通りにやれば良い……と思っている。若干引っかかる言葉があるが……。
「では京本さんからプレゼンをお願いできますか」
新庄さんと目が合ったかと思うと、早速指名されてしまった。
たかが予定の発表に「プレゼン」なんて言葉を使うのは大げさだと思う。そういうところが本当いけ好かない。
パソコンのモニターに自分のカレンダーを表示させて予定を読み上げていく。
「はい。まずは朝会終了後に、1時間で導入コンサルの新規の求人票を仕上げます。それから――」
「失礼。1時間、という括りでは大まかすぎます」
新庄さんは割って指摘をしてきた。
「……」
悪い予感的中だ。さっき新庄さんは1日のプランを分単位で発表してくれと言ってきた。そう、分単位で……。
つまりは1時間は60分だが、この単位では大まかすぎると新庄さんは言いたいんだろう。そうなのかなとは思ったけどまさか本当に指摘してくるなんて……。
なんでなんだよ。新庄さんの求めているレベル感が分からない。これ以上どう細かく予定を言えと……?
言い返す言葉がなく沈黙する。他のメンバーも唖然と沈黙を貫いていた。
皆の見ている前でこんなクソみたいな指摘をしやがって。なんなんだこいつ。
「1時間のうちの何分をどこに使うのか、更にタスクを細分化できるはずです。少なくとも予定は30分単位で立てるようお願いします。少なくとも、です」
新庄さんは眼鏡を上に押し上げた。
強気な口調。反抗を許さないといったオーラがばんばんと出ている。ここで逆らっても威圧的な態度で制圧されてしまいそうだ。
1日最低でも8時間は働く。30単位で刻むと、それだけでも予定は16個できる。それを全てここで発表しろということなのか? やるせない気持ちでいっぱいだが、今は空気感的に言われたことを黙って実行するのが吉だろう。
瞬時に脳内でシミュレーションを行った。
「承知しました。まず最初の15分で文章構成のたたき台を作り、30分でライティング、残りの15分で誤字チェック、見直しを行います。ダブルチェックは水野さんに行っていただく予定です」
「はい、そんな具合です。皆さんもそのようにプレゼンお願いします」
新庄さんは頷いてくれたが、ここまで細かく報告する必要ある? と疑問が浮かぶ。面倒くさくない? 普通に1時間で求人票仕上げる、で良いじゃん。何なの本当。イライラする。
やはり納得いかないのでリーダーとして一言、言ってやろうかと思って脳内で文章を練っていると、メンバーの一人が新庄さんに問いかけた。
「そこまで細かく予定を立てる意味ってあるんですか?」
疑問に思ったことはたとえ上司であっても問いかける、というのがうちの会社の文化だ。私の代わりに聞いてくれてありがとう、ナイスだ。
「意味はあります。私はこの方法で日々、自分のエビデンスを残し続けました。だからこそ今の私があります。成果発表の際、1番重要なことは自分の成長をどれくらいアピールできるかです。定性的な振り返りでは意味がない。こうして残したエビデンスをサマライズした時、本来かかっていた作業時間がどれくらい短縮できたのかを見える化できます。具体的な数字は重要なアウトプットとなり、評価にも繋がります」
「なるほど……」
チームメンバーはぼそっと呟いた。
おい、負けるなよ、もっと反抗しろ! ここで負けたら本当にこの煩わしい運用になってしまうぞ、いいのかよ!?
私も何か言い返せる言葉がないか必死に探すが見つからない。
自分がこのやり方で成長してきたから、私たちにもそれを強いている。作業をいかに効率的に、「早く」できるかということを新庄さんは「成長」という言葉で表現しているのだと思う。私たちに意地悪をしてやろうと思ってこう言っている訳ではないんだ。
新庄さんの言いたいことは分かった。分かったけど……嫌だ。
こういうのは感情論ではだめだ。相手がこの方法でのメリットを提示してくるなら、こちらがデメリットを提示して反対する。それでやっと議論ができるというものだ。
しかし、この方法が面倒だということ以外にパッとデメリットが浮かばない。
クッ……。心からあふれ出たこの音に漢字をつけるのであれば「苦ッ……」だ。
「プロセスも大事ですが成果発表においては数字が全てです。KPI、バジェット……様々な観点から数字でコミットする。これこそがバイアスに捕らわれない働き方を実現させ、ステークホルダーからのオーソライズを受けられるんです」
あぁ、うぜぇ。ルー新庄め……。
それらのカタカナは私のイライラを更に大きくさせた。
ゆっくり深呼吸をして感情が表に出ないように堪えた。
「1日の振り返りも大事ですが、週単位での振り返りも別途実施します。金曜日に、立てたプランに対しての成果発表の場を1時間ほど設けたいと思っています。業務を振り返り、イシューを特定していきましょう」
はぁ、ちょっと待てや。
進捗会議とは別に、面倒なミーティングを増やすというのか?
週1で成果発表会なんて聞いたことない。そんな短いサイクルで何を発表すれば良いというんだ。今週は立てた予定に対して15分早くできましたってか? ふざけんな! ぶっ殺すぞ! 今すぐそのワックスで固められた髪をむしってやろうか。
人差し指の爪を親指のはらに突き立てた。
「お聞きしたいことがあります」
高めの透明感のある声。水野は手のひらを肩付近まで持ち上げて声を発した。
おぉ、何か言ってくれる……? 私の期待は高まった。
「どうぞ」
「ルーチン業務でないものは予定を細分化して立てても、その通りいかないことの方が多いかと思いますが、その点はどうお考えでしょうか」
そうだそうだ。やったことのない業務に対して、30分単位で工数を見積もるなんて難しい話。差し込み業務だってあるし、やっていくうちに方向性が変わって色んな寄り道が増えることだってある。
臨機応変にその場の状況を踏まえて対応していく中で、このようにガッチガチに分単位で予定を刻むことに意味なんてないはずだ。
「ええ。だからこそ、バッファも見積もって予定を立ててください。最悪の場合のコンティンジェンシープランも定めておくことです。日々、PDCAを回しながら自分なりの業務のスキームを確立していってください」
「……承知しました」
水野は少しの沈黙の後、静かに言った。
……おい、承知すんなよ!
水野をガン見すると彼女もこちらをチラっと見たので私は目を逸らした。クソ……。
「失礼、話が長くなってしまいましたが……。京本さん、プレゼンの続きをお願いします」
メンバーの視線がこちらに向いた。
納得いかないが、論理で新庄さんのやり方にケチをつけるための材料は私の中では持ち合わせていない。この口ぶりだと、きっと今何を言っても言い返されてしまう気がするし、不本意だが今は目を瞑って新庄さんのやり方に合わせるしかないのかもしれない……。
「はい」
私は平然を装って発表を続けた。
朝会はいつもよりも長めの時間を取ることなった。
今日1日、平和に終わってくれれば良いと願っていたが、想定してた通りのことが起こった。30分で終わらせるタスクに45分かかってしまった。分単位で立てた予定がその通りにうまくいくことはあまりない。当然予定はズレる。ズレた時にしなければならないことは、どのようにしてこの15分のズレを取り返せるか再度予定を立て直さなければならないことだ。
軌道修正のため、プランを練り上げるという作業がまた差し込みタスクとして追加されていく。15分のズレを取り戻すために15分の時間を使って予定を組み直している状況だ。そうしているうちに工数が奪われて、本来の業務がどんどん遅れていく。アホみたいな循環だ。
夕方にはまた進捗確認のミーティングが入っている。その時に、立てたプランを予定通り実行できませんでした、なんて皆の前で言うのはリーダーとして不甲斐なさすぎる。何としてでも死に物狂いで間に合わせなければならない。焦る。強めにキーボードを叩く。
抜くときは抜く、やる時はやる、という切り替えが業務においては大事だと思うが、タスクが分単位で管理されている今、この「抜く」ということが容易にできる状況ではない。これは私にとってかなりストレスのかかることだ。
ならばこの「抜く」という時間を考慮した予定にすれば良いのに、と言われてしまいそうだが、それもそれで「単純作業にこんな時間がかかるなんて京本さんらしくない」なんて思われてしまうのが嫌だ。仕事が早くできてミスも少なく優秀であること。それが私の考えるエリートの条件だ。だからこそ自分のできる最速タイムで予定を組む。
こうして誰が何のタスクに何分かかってしまっているのか記録されている以上、全てのタスクが私にとっては気の抜けないレースと化してしまっている。
くそ、この後面接が入っている……それまでには今のタスクを終わらさなければならないというのに。
画面をキっと睨みつけながらこれまでにないような速い速度で文字を打ち込んでいく。焦る……。時計の針が倍速で過ぎていくような感覚だ。
「京本さん、大丈夫ですか」
誰かに声をかけられた。私の斜め後ろには水野が立っていた。
「何がですか?」
「……汗、かいてます」
水野はハンカチで私のこめかみあたりを拭った。
「ちょっ、何……」
人前で恥ずかしいことするなよ!
誰か見てたらどうすんだ。咄嗟に回りを確認したが皆の視線は幸いにもパソコンの画面に注がれていた。
「暑いでしょうか」
水野の顔が近づいて来た。瞳の綺麗さに見入りながらも思わず息を止めた。
「そういうわけでもないですけど……ちょっと集中してたので」
何なんだよ、調子狂う。水野の顔を見ていられなくなってクーラーの方に視線を向けた。
オフィスの温度は適温に保たれている。いったいこれは何の汗なんだよ……。
「息抜きに冷たいコーヒーでも飲みに行きませんか」
きっと心配されている。だからこうして声をかけてくれているんだろうが、今はそんなことをしている時間はない。
「すいません、お誘い嬉しいですが今は作業に集中したいので」
「分かりました。集中するのも良いですが、塩分補給も忘れないでくださいね」
水野は無表情のまま、ハンカチの私の汗を拭った部分にそっとキスを落とした。
何してんの……別の意味でまた汗が吹き出しそうになる。
いかんいかん、今は作業に集中しなくちゃいけないのに……。無理やり水野のことを脳の外に押しやって無我夢中でパソコンをタイピングし続けたのであった。
「ふぅ……」
外は真っ暗。
全ての業務が片付く頃、どっと疲れが全身を襲った。いつもの倍は疲れている気がする。背もたれに体重を預けてオフィスの白い照明をぼんやり眺めた。
同じ執務室にはまだ数人残っているが、同じチームメンバーの中では私と新庄さん以外の人はもう業務を切り上げて帰ってしまった。夕方の進捗確認の後も見事に予定がズレまくり、そのリカバリーを練っていたら結局この時間だ。
皆この新庄さん方式のやり方に不満はないのかな、なんて思っていたけれど、結局皆は立てた予定に対して順調に業務を終わらせていた。
自分だけがうまくいってないんじゃないかという気分になって落ち込む。今日も水野に心配されていたように思うし……。正直つらい、だいぶ。
新庄さんは無表情でパソコンの一点を見ながら文字を打ち込んでいる。いつもは大久保さんが座っていた席のはずなのに……。
明日以降、ずっとこのマイクロマネジメントが続くのだろうか。
「お疲れ様です、お先に失礼しますね」
新庄さんに声をかけると、彼は手を止めてこちらを見た。
「お疲れ様です。人身事故で電車が遅れているようです、気を付けてお帰りください」
人身事故か……。
新庄さんはこのように気にかけてくれるし悪い人ではない、というのは分かる。でも……。
だめだ、環境のせいにするのは良くない。できないのは私が甘いからだ。もっともっと頑張らないと。リーダーとしてもっと……。
混み合う帰りの電車の中でため息を何度も漏らした。
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