共通点

「いつも弟と比較されてお前はダメな子だって親から言われてきたんだよね……。だからちょっとでも褒めてもらいたいって思って親の前では良い子でいなきゃ、完璧でいなきゃってそんな感じ。……でも無駄だった。結局親が私のことを認めてくれることなんて最後までなかった。今はその延長かな。本当はプライドなんて捨てて普通に生きられれば少し楽になるのかなって思うよ。でも慣れって怖いものでさ、普通に生きる感覚がもう分からなくなってる。だからもうこうなったら出世して見返すしかないなって思った。親とはもうとっくに縁は切ってるんだけどね……。バカみたいな話かもしれないけど」 



 溢れ出てくる言葉。

 初めて誰かに話した。

 別に同情して欲しいわけじゃない。聞かれたから話しただけだ。

 私が築き上げてきた人生――生い立ちは恵まれていなかったかもしれないけれど、輝かしい功績を残してきたし、これはこれで良かったと思ってる。

 でもこうして言葉に出すことで少し救われたような気分になるのはどうしてだろうか。

 私は時折、どこか拭えない不安や焦りのようなものを感じては自問自答を繰り返してきた。本当にこれが正なのか否かと。でも、それを否定するということは私自身を否定するようなもの。ふと浮かび上がるこの愚かな自問に対して、これが正なのだと思い込もうとしていた部分は否めない。



「はるちゃん……」



 ぽつんと呟かれた名前。

 向けられる真っすぐな視線。交わる。



「なに」



 消え入るような水野の声とその表情から何を考えているかまだ読み取ることができない。これを聞いてどう思うも自由だが、初めて人に告げた自分の生い立ちを……自分が正だと思ってきた道を、この場で否定されてしまったら辛いなとは思う。



「私たちは、似てますね」



 予想外の返事だった。

 布団をぎゅっと抱きしめながら言った水野の声はどこか優しかった。



「似てるか?」


「はい。欠けているものを補おうとしているところが。でも私はキャリアで補おうとは思ってません。そこがはるちゃんとの違いかもしれませんね」


「笑える。じゃあなんでキャリアにかけてる私よりもあんたは上にいってんの。今までの経歴見る限り意識の高さしか感じないよ。DAPにもリーダー職で入って……さっきもビジネス本読んでたし。キャリア重視してないのに逆になんでそんな頑張れるのか教えて欲しい」



 皮肉な話だ。

 私はキャリアに全てを注いできたのに、そうじゃない水野の方が結果出してるなんて。やればなんでもできちゃう人っているもんな。人間、能力の違いはあれど水野と比較するとしんどくなる。

 じゃあそんな水野は何で欠けているものを補おうとしているんだろう。てかそもそも欠けてるものって……。私たちは似ていると言った水野の言葉から連想する。不穏な予感がちらつき始めた。



「別に仕事が好きなわけではないです。仕事をしていれば気が紛れるからしているだけで。特に趣味もこれといってないですし、やることがそれくらいしかないからしているだけです。……暇な時間を作りたくないんですよ。空白の時間ができたら、私は自分が生きてる意味を考えてしまうから」


「まだそんなこと考えちゃうの? もしかして補おうとしているものって……」



 不穏な予感は的中しかけている。

 共通点。私たちの欠けているもの――それは親からの愛情だ。

 補おうとするものの対象――私はキャリア、そして水野は……。



「はい。私が求めるものはあの頃から変わっていません。ペットを飼って少しマシになりましたけど、今でも夜は人肌に触れてないと安心して眠れないんです。服を脱ぐ時は特にそう。浴室も誰かが入った後じゃないと嫌で……」



 心臓がトクンと跳ねた。

 だから私が入るまでシャワー浴びなかったんだ……。



「まじかよ……」



 こいつの抱える闇。もう大丈夫かと思っていたのに、そうじゃなかったんだな……。

 今までずっと引きずってきたのだろうか。かける言葉が思いつかない。



「はるちゃんの毛布、貸してくれませんか。寒くて」



 水野は布団を更に強く抱きしめながら言った。

 私は椅子にかかっている水野の毛布に目を移した後、自分のベッドの端に置かれているそれを見た。



「いいけど……でも毛布なら自分の分あるでしょ」


「はるちゃんのじゃないと嫌です」


「なんでよ」


「分かりませんか? 抱きしめて寝たいんです」


「私の毛布があれば寝られるわけ??」


「ベッドに一人は寒いですから。はるちゃんの毛布なら暖かいと思って」



 そんなに寒いか?

 私にとっては寝るにはちょうど良い温度のように思うけれど、水野は先ほどから寒いと言う。

 水野の言うこの「寒い」は人肌でしか温まらないものだろう。だから私の毛布を彼女は欲しがっているんだ。譲らない水野の子供のような一面に胸を衝かれた。

 私は再び自分が先ほど使っていた毛布を見た。



「……」



 ため息を一つついて身体ごと水野の方に向けた。

 人肌が恋しくなることはある。でも私は水野のような「寒さ」を感じたことがないからそれがどういう状態なのかは分からない。



 でも水野が言ったように確かに私たちは似ていた。私がキャリアに縛られているように、水野も縛られているものがあるんだ。

 儚げな顔。布団を抱きしめるその様子を見ていると、あの日、雨の中身体を震わせていたプリンと重なるものがあって胸が締め付けられた。



 右手を布団から出す。

 今日習った小技を使ってみた。



「……?」



 布団を抱きしめている水野の手が緩んだ。

 普段は見せないような、きょとんとした顔をしている。



「……隣くれば」



 言わせんなよ、と心の中で呟く。



「……良いんですか」


「さっきまで私が使ってたからって理由で毛布抱きしめられて寝られてもなんか気味悪いし。1人じゃ寝られないっていうのならどうぞ」



 横にもぞもぞとずれた。1人で使うには広いベッドだ。

 さすがに密着は勘弁して欲しいけれど、空いたスペースに水野が寝るくらいなら別に構わないと思う。



「嬉しい……」


「言っとくけど何もしないからな」



 どうこうしようとは思ってないかもしれないけれど、念のため。

 不愛想に言って水野に背を向けた。



「何かされると思ったんですか。それでも隣で寝て良いって言ってくれるんですね」



 こうしてからかわれるのが嫌だから早く寝ようとしたのに結局……。私っていつもこうだな、呆れる。



「……うるさい」


「ふふっ」


「……」



 ベッドが沈んで、隣に水野が来たのが分かった。

 同性と1つのベッドで寝たことならある。別になんてことはない。でも相手が水野だとやはり少し警戒してしまうのが正直なところだ。

 大丈夫、何も考えるな、と言い聞かせながら目を閉じた。



「はるちゃん、背中に触れるだけなら良いですか」



 先ほどよりも近い距離で感じる水野の声に頭の後ろが揺らぐような感覚になった。

 やっぱ隣で寝るだけじゃダメだったか……でも背中に触れられるだけならいいか。それで寝やすくなるというのなら、好きにすれば良いと思う。



「勝手にすれば」



 細い指で背中の筋を縦にすっとなぞられる。

 触り方……思わず変な声が出そうになるのを堪えた。



「ピクってして……かわいい」



 クスクスと後ろで小さく笑っている。



「っ……」



 絶対楽しんでるだけじゃんか。ちょっと隣に呼んだの失敗だったかも……。

 次かわかわれたら自分のベッドで寝てもらおう、まじで。



「実は今日、誕生日なんです」



 はい?

 水野の言葉は私の思考をぶった切った。



「え、そうなの!?」



 思わず振り返る。



「はい」


「……おめでとう」


「ありがとうございます」


「ごめん、知らなかった……」



 水野は私の誕生日を覚えてくれていて、朝一におめでとうと言ってくれた。そして別に求めていないが使い古しのハンカチをプレゼントしてくれた。

 それなのに私はこいつの誕生日なんて全く覚えてなくて今知った。ギブ&テイクが全てではないけれど、自分があまりにも情のない人間に見えてしまう。

 せめて知ってたらご飯奢るくらいはしてあげたのにな……。



「いいんです。でもまだ日付が変わる前ですから……1つお願いを聞いてくれませんか」


「な、なに」



 少し身構える。何を言うのか知らないが、できることであれば検討したいと思う。



「また、あの時みたいに飛鳥あすかって呼んでくれませんか」


「な……」


「1回で良いですから。お願いです」



 口元を手で押さえた。

 部活のメンバーは基本名前呼びだったから、水野のことも名前で呼んでいた時期もあった。名字で呼び始めたのは丁度スタメンの座を奪われたあたりからだった。理由は単純で名前で呼ぶのが嫌になったから。下の名前で呼ぶのは親しい間柄の証拠。私はとにかく飛鳥を遠ざけたかった。でも名残りで名前呼びしてしまいそうになることが何度かあった。それは今もだ。

 その度にぐっと喉の奥に押しやっていたのに今更また呼んでくれなんて……。言いづらいことこの上ない。こんなお願い聞くくらいならご飯奢った方が全然マシなんだけど……。

 でもしょうがないか。今日は特別な日なんだしこれくらい聞いてあげないとだめな気がする。



「あ、飛鳥……」



 ぎこちない感じになる。何か伝えたいことがあるならまだしも、名前を単独で呼ぶことがこんなにも難しいだなんて。自分で言った直後に喉元をくすぐられる感覚になってすぐにまた水野に背を向けた。

 ただ名前を呼ぶだけなのになんでこんなに恥ずかしいのだろうか。



「嬉しい……」



 吐息にも似た声。再び背中に当たる手。こつんと水野の額が肩の部分に当たった。喜んでくれてる。それだけは分かった。



「こんなんで良いのかよ」


「はい、耳が幸せです」


「そう……」



 とりあえず良い誕プレにはなったのかな。お願いを聞き終えた私は脱力して深呼吸した。



「……実は神田って呼んでくれるのも嬉しいんですよ。今じゃ私のことをそう呼ぶ人はいないから、特別な感じがして」



 ミーティングや会議の場では「水野さん」と呼んでいるが、1対1の時は基本的に神田と呼んでいる。

 水野と呼ぶのは、なんとなく嫌なのだ。

 知人で「よっしー」と呼ばれていた人がいた。名字が吉澤だからだ。結婚した今、名字は平田に変わったらしいが彼女は今でも皆から「よっしー」と呼ばれている。それと同じだ。私の中では神田は神田、飛鳥は飛鳥。水野ではないのだ。



 しかし、この神田呼びが水野を密かに喜ばせていたよう。そういうもんなのかな、別に私ははるちゃんって呼ばれても……。



「私のことをはるちゃんって呼ぶのも神田くらいだよ。最初、あんたは春輝さんって呼んでたのにいつの間にかはるちゃん呼びになってたよな」



 会社にいる時に最初にこう呼ばれた時はぶっ殺してやろうと思ったけど、今はなんとも思わなくなった。耳に心地よい水野の声で呼ばれるとむしろ……。



「春輝さんの輝かない部分も知ってるので、取りました」


「は、どういうこと?」



 輝かない部分って……春輝の輝の部分を取ったからはるちゃんってこと? なんなんだよ。



「良いじゃないですか」


「はぁ……もう勝手にしろよ」


「勝手にします」



 本当、よく分からない女。

 寝よう。目を閉じた。



「……」


「……」


「……ねぇ、神田が付き合ってる人ってどんな人なの。イケメン?」



 背中の温もりが存在感を際立たせている。まだ眠くない私はふと浮かんだ疑問をぶつけてみた。

 こいつと付き合ってる人ってどんな人なんだろうな。大事にされてんのかな。



「秘密です」


「はぁ……いつも肝心なこと教えてくれないよね」


「教えないと気になって、もっと私のことを知りたいって思ってくれるかなって」


「なんだそれ」



 もしそれが狙いだとすると、まんまと私は引っかかっているかもしれない。頭のおかしいこいつの思考回路がどうなってるかとか、何考えてるのか、とか考えてしまうから。分からないからこそ、謎が多いからこそ考えてしまう。

 これが計算だとしたらこういうところ、水野は策士だよな。

 水野の好意の正体は分かっていない。どうして私にここまでするのか。付き合ってる人がいるくせに。最終的にこいつはどうなりたいんだろうか。あぁ、くそ。またこうして色々と考えてしまう……。



「はるちゃんの中にいたいって言ったじゃないですか。私はずるい人間ですから。できることはするんです、だから……」


「だから?」



 小さな呼吸の音が安定したリズムで聞こえてきた。



「……ここで寝るのかよ」



 本当、よく分からない女。本当……。

 後ろで微かに聞こえる呼吸音に合わせて横隔膜を上下させる。私はゆっくりと眠りの世界に入っていった。

 

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