プレゼント

「ん……」



 いつも見ているものとは違った空間が視界に映し出された。

 カーテンとカーテンの間から薄い光が室内に差し込んでいる。

 薄明りの中、室内はぼんやりと灰色に照らされていた。手を頭上に伸ばして棚に置いた携帯のディスプレイを確認すると、時刻は6時。まだ起きるには少し早い時間だった。

 昨日仮眠したこともあって、この時間に目覚めてしまったみたいだが体感的にはよく眠れたと思う。



 仰向けになって天井をぼやっと見つめた。その場で呼吸を繰り返しているうちに、横に感じる小さな熱に意識が傾いた。

 私は昨夜夢を見た。暗い部屋、光の差し込まない部屋のベッドでうずくまって声を殺して泣いている水野の姿がそこにはあった。それを見た私は……助けてあげたいと思った。しかし、そう思いつつも何もすることができずに、懐中電灯を握りしめたままその場に立ち尽くしていた。そんな夢だ。



 夢に関する研究はかねてよりされているが、潜在意識と密に関わりがある説が濃厚だと大学の教授が言っていた。人は睡眠中に、その日の記憶や経験を過去の記憶を照らし合わせて、要るものと要らないものに情報を取捨選択し、整理しているそうだ。夢はその過程の中で見るものだと言われている。

 つまり私は無意識のうちに水野のことを考えているということになる……。はぁっと天井に向かって溜息を漏らした。まんまと沼にハマっているのかもしれないな。首を傾けて私の潜在意識の支配者の方を見た。



「……」



 音も立てずにすやすやと眠っている。まるで人形のようだ。



 私に持ってないものを持っている女。いつも私を挑発するようなことばかり言う女。何を考えているのかよく分からない女。……私を好きだと言ってくる女。



 水野にも抱えているものがあると知ってから、同情の念からかそこまで嫌悪感を感じることはなくなった。でもだからといって、こいつを好きかと言われたらそれは違うように思う。

 良く思ってないはずなのに、視界に映るその寝顔は何故かかわいく見えた。それはこの女が恐ろしいほど整った顔立ちに長いまつ毛を持っているからなのか、はたまた昨夜の夢で見た彼女と面影を重ねているからなのか……。よく分からない。

 右手で水野の前髪を少しかき分けた。白いおでこが現れる。

 そういえば前にミヤちゃんがうちに泊まった時も私は自然とこうして彼女の髪をかき分ける素振りを行なっていたっけ。無意識にこんなことをしてしまうのは、私に隠れた母性がある証拠なのだろうか。年下相手に這い出てくる自分の知らない一面に変な気分になった。

 白いおでこを露出した水野はそのまま小さく呼吸を繰り返している。されるがまま。寝てるときって皆、無防備だよな。手の甲でそっときめ細やかな頬を撫で、顎のほくろの位置まで下った。

 その時、水野の瞼が少し動いたので私はドキッとして反射的に手を離した。

 ゆっくりと開かれた人形の瞳と目が合う。



「おはようございます」



 生が宿った人形――水野は眠たそうに目元を手で拭った。



「あぁ……うん、おはよ」



 少しずらかって水野と距離を取った。

 もしかして撫でてたってバレてないだろうな……?

 こんなことしてたって知られてたら嫌だな。なんか調子に乗りそうだし。あくまで今回はたまたまというか、水野が水野に見えなかったからというか……綺麗な宝石が目の前に置かれていたら手に取って見たくなるようなそういう感覚だったし――。



「はるちゃん。私の眼鏡取ってくれませんか」



 薄目の水野は寝起きの小さな声で言った。



「うぇ、眼鏡?」


「多分私のベッドの端にあります。眼鏡がないと何も見えなくて……」



 水野は隣のベッドの方に首を向けた。

 そっか、そういえば昨日眼鏡してたっけ。寝る時に外したきりだったんだ。

 業務中はかっこつけてブルーライトカットの度なし眼鏡をしている私だが、視力は生まれつき良く、今でもそれは衰えていない。ずっと裸眼な私にとって目の見えない不自由さは分からないが、本人が何も見えないというんだから文字通りそうなんだろうと思う。



「分かった。ちょっと待って」



 布団を追いやって、のそっと身体を起こして隣のベッドの方に行くと、水野の言う通り枕元の端に眼鏡が置いてあったのでそれを手に取った。



「ん、これ」



 ベッドとベッドの間の隙間に立って眼鏡を差し出した。私の声に反応して水野はこちらに身体を向けたが、受け取ろうとはしなかった。

 眼鏡を差し出したまま私は瞬きを繰り返した。なんで受け取らないの……? 目は見えないにしても、さすがに私が差し出してるっていうのは分かるよね?



「かけさせてくれませんか」



 僅かに顔を傾けた水野。



「は? 自分でかけろや」



 さすがに眼鏡くらい1人でかけられるだろ。

 じゃなかったらいつもどうやって生活してるんだよ! 甘ったれんな!



「……」



 水野はこちらを見上げる姿勢ですっと目を閉じた。

 まるでそのしぐさは……。むず痒さが全身を襲う。くそ、なんなんだよ。

 動揺を隠すようにして大きなため息をついた後、眼鏡のテンプルの部分を開いてそのまま水野の顔に押し込んだ。すっと水野の顔に引き込まれていく眼鏡を見届け、手を荒く下ろした。



「ありがとうございます、ふふ」



 レンズ越しに見える水野の目が細まった。



「なんなんだよまじで」



 ちょっかいを出したいだけだったにしても、あんな小っ恥ずかしいねだり方を普通にできる水野をある意味尊敬する。

 私には絶対できない、あんなこと。



「起きてから最初に見た顔がはるちゃんで良かった」



 そんな私の心境に追い討ちをかけるかのごとく呟いた水野。その場で私は固まった。見つめてくる綺麗な目を無心で見返す。

 なんでこんなこと普通の顔して言えちゃうのかな、本当にこいつは……。手招きの時もそうだったけど小技が多すぎる。完全に異性を落とすテクニックを熟知しているんだと思う。

 私は女なんだから効かないけどな。水野を前に、緩みそうになる口元を手で押さえて隠した。



 早く自分のベッドに戻れと促すと、水野は立ち上がってようやく隣のベッドの方に戻っていった。

 何かしていないと落ち着かない。私は水野に背を向け、意味もなく布団の端を掴んでベッドメイクをした。



「で……結局眠れたわけ?」



 今でも夜は人肌に触れてないと安心して眠れないと言った水野。

 恋人がいない夜はどうしてるのだろうか。私が夢で見たように泣きながら眠りについているのだろうか。またはあの時のように恋人以外の人と――。いや、このことについて深く考えるのはやめておこう。

 いつもそう。いらない心配をしてしまうのは私の悪いところかもしれないな。



「はい、おかげ様で。ありがとうございました」


「そ、良かったね」



 夜眠れないのはつらいだろうが、とりあえず昨夜は眠れたようで良かった。微力だったかもしれないが人助けができたことは悪い気はしない。

 ベッドメイクをした布団の上にダイブして仰向けに大の字になり、頭上の携帯に手を伸ばした。そういえばさっきメール来てたような……。画面を開くとやはりメールが1件届いていた。開封するといつも利用しているネットショップのセール情報だった。まぁいつも通りだ。私に届くメールなんてこういった類のものばかりだし。

 だいたい流し読んだ後でゴミ箱フォルダに行くだけの日課。本当はメルマガなんて全部解約したいくらいだがリンク先に飛んで解約ボタンを押すことがそもそも面倒なのでやっていない。

 他にやることもないし、出勤まで時間があるので一応中身を確認した。家具、家電などの色とりどりのセール情報が掲載されている。物欲がない私にとってはあまり有益な情報ではない。

 ゴミ箱行きかな……と思ったところで私はスクロールしていた親指を止めた。

 これは……。



 その日、このメールがゴミ箱フォルダに移されることはなかった。



 ――――――――――――――



 出張から帰ってきた週の金曜日のこと。



 定時を回り、社内にいる人影もまばらになる頃。仕事がひと段落ついて、残っているコーヒーを口に流し込んだ私は立ち上がった。渡すなら今かな。

 水野の席の近くまで行き、紙袋を差し出した。



「お疲れ様です」


「……?」



 水野はキーボードに置いた手を止めてこちらを見上げた。目を丸くしている。心の中の私はクスクスと笑い声を立てた。



「誕生日プレゼントです。この前のピザのお返しも兼ねて。受け取ってくれますか」


「……ありがとうございます。これは何ですか」



 水野は紙袋の中を覗いた。



「枕です。あまり眠れないとおっしゃっていたので私なりにネットで調べてみたんですけど……結構評判が良かったのでぜひ使ってみてください」



 私は営業スマイルを決めてみせた。

 水野の誕生日の日、本人の誕生日プレゼントの要望は飛鳥呼びされることだったが、さすがにあれだけでは割に合わない気がしてならなかった。

 そんな中、目に入ってきたメールマガジン。セール情報の特集の中に「安眠フェア」というものがあって蒸気アイマスクなど様々なものが紹介されていた。あまり寝れないと言う水野にはうってつけなタイムリーな情報だった。

 普段業務で支えてもらっている部分もあるし、ピザのお礼もまだだった。500円とはいえ、警察沙汰になる直前の私を救ってくれたわけだし……。ここで一気に返してしまおうということで様々な商品に目を通したが、誕生日プレゼントでアイマスクなどではなんだか味気ないと思ったので、少し奮発したまでだ。

 同僚に贈り物をする素敵社員を演じられて清々しい気分である。



「新品ですか?」



 水野は表情を崩さないまま言った。私の笑顔は凍りついた。

 ……は? 何言ってんだこいつ。



「新品に決まってるじゃないですか。私はどこかの誰かさんと違って中古品をプレゼントするほど野暮ではないですので」



 やられたらやりかえす……。

 どこかの銀行マンがそんなことを言っていたが私は違う。

 誕生日に平気で中古品を渡してくるようなこいつと一緒にしないで欲しい。



「本当、分かってないですよね、京本さん……。私は中古の方が嬉しいです」



 水野はやれやれといった表情で何度かキーボードのエンターキーを軽く叩いた。おいおい、なんでそんな表情されないといけないんだよ。

 この会話、誰かに聞かれてないだろうな……?

 周りを見渡すが特に他の社員は気に留めていないようで安心する。



「そう言われても……さすがに枕で中古は良くないんじゃないですか」



 覇気のない声が出る。

 潔癖症な人からしたから身の毛もよだつような話だろう。平然とありえない要求をしてくるのでたじろいでしまう。



「この場合、良いか悪いか決めるのは私ですよね。京本さんの使いふるしの枕が欲しいです」



 水野は軽く微笑むと、やんわり私の差し出した紙袋を突き返してきた。

 正気かよこいつ……。



「……まさかプレゼントを突き返されるとは思いませんでした」


「せっかく持ってきてくださったのに申し訳ありません。だから今度は私の方から取りに行きますよ。またわざわざ会社に持ってくるのは手間でしょうから」


「本気か……本気ですか?」



 取りに来るだと……?

 社内では年下だろうが役職が下だろうが誰に対しても敬語を貫いているが、それが崩れそうになるほどに平静を失いかけている自分がいた。



「本気ですよ。スケジュールが分かったら送ってください、取りに行きますから」



 水野はパソコンをシャッドダウンして荷物を持って立ち上がった。

 ここで話を切り上げるつもりか。それはダメだ!



「待ってください、差し上げるとは一言も……!」



 ハンカチならまだしも自分の枕を人にあげるなんてちょっと抵抗があるし嫌だ。水野がどんな使い方をするのか想像すると尚更である。

 私にも少しは考えさせて欲しい。



「京本さんも今使ってるものが新品のそれになると思えば得じゃないですか?」


「……」



 はたして今の枕、どれくらい使ってたっけ……。

 確かに自分の枕が新品になるのは嬉しいけれど……けど……でも――!

 


「では私はもうあがりますので。お疲れ様でした」


「ちょ! ……お疲れ様でし……た?」



 次第に遠くなっていく小さな背中。

 まじかよ……。こんなことってあるの……。

 私は唖然と取り残された紙袋と一緒に立ち尽くすことしかできなかった。

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