タスク

「荷物、カゴにどーぞ」



 金曜日。

 仕事を終えて、そのまま会社を出て向かった先はシャドーだ。少し遅い時間になってしまったが、バーは朝までやっているので激務の私には関係ない。

 笑顔で出迎えてくれたミヤちゃんが荷物を入れる用の少し深いカゴを席の近くまで運んで来てくれた。



「ありがとう!」



 私は持っていた紙袋を差し出されたカゴの中に入れた。そう、先ほど突き返されてしまったあの紙袋である。今や誰のものでもないこの枕。放置もできず、結局持って帰る他なかった。

 本当に信じられない。街歩くひとに「あなたは誰かに買った誕生日プレゼントをその場で突き返されたことはありますか?」とアンケートを取りたい。はいと答える人なんてそういないだろう。こんな経験してるの私くらいだ、絶対。



「良い感じの紙袋ですね」



 ミヤちゃんはカゴに入った紙袋を物珍しげに見ている。



「え、そうかな?」



 適当に家にあった紙袋持ってきただけなんだけどな……。

 ミヤちゃんがこちらに視線を向けたので、私はおもむろに目を逸らした。

 紙袋は褒めてもらえた訳なのだが、私はこれ以上紙袋のこと――中身については突っ込んで欲しくはなかった。目を逸らしたのはこれ以上は聞かないで、の意だ。



「洋服か何かでも買ったんですか?」


「あぁ、洋服ではない」


「へぇ、なんだろ」



 私の意に反してミヤちゃん紙袋について聞いてくるじゃん……。でも声色や表情からは悪意はなく、純粋に気になっている様子だ。

 別に何が入ってるかくらいなら言ってもいいか。



「枕。……同僚の誕生日プレゼントなんだ。寝れないっていうからさ」



 嘘はついていない。

 さぁ、もう紙袋の話は良いだろう。私はカウンター席に腰掛けてメニューを開いた。



「そうなんですね! この時間までお店やってとこありました?」



 ミヤちゃんは時計をちらっと見た。

 私が会社帰りにどっかに寄って、さっき買ってきたと思っている様子だ。



「いや、ネットで買ったから」



 嘘はついていない……が雲行きが少々怪しくなってきた気がする。



「ネット……会社まで届けてくれた的な?」


「違う違う。昨日家に届いて、今日渡そうと思って持っていったんだけど……」



 雲行きが……。



「あー渡し忘れちゃったんですね!」



 ミヤちゃんは人差し指を上に立てた。



「忘れたというか……突き返されたというか……」


「え、突き返す!? なんで!?」



 ミヤちゃんは一気に目を丸くした。

 嘘をつかなかった結果、まぁこうなりますよね……。



「色々あってさ、あはは……」



 元気のない笑い声が出る。

 言いたくなかったな、これ。

 同僚にプレゼントを拒否されるなんて恥ずかしい。年下相手に少し見栄を張りたいという気持ちもあるのかもしれない。

 もちろん、一連の流れを説明すれば、拒否をされたというよりは別のものを求められただけなのだが、このことを酔いの回らないうちに他の人には話す気にはなれなかった。何故なら、それはまるで自分の下着を欲しがっている人がいて、あげようか悩んでいると自分で言っているようなものだからだ。羞恥心を感じる。



「枕ですよね? うーん、寝具にこだわる人っていますもんねー。でもいくらなんでも突き返すのはあり得ないです。うちが代わりにもらってあげましょうか?」



 そう言ってくれるのは嬉しい。

 でも仮に私がもし……もし自分の枕を水野にあげた時のことを考えると……。



「いやぁ、そういうわけにもいかないんだよね……。はぁ……。とりあえずビールもらって良いかな」


「あ、今日はビールなんですね! 了解です!」



 ミヤちゃんは冷蔵庫からキンキンに冷えたビールジョッキを取り出して、ビールサーバーの前に立ってレバーを引いた。黄金色の液体がジャッキを埋めていく。

 シャドーではつまみ系やビールやハイボールなどの簡単に作れるお酒はミヤちゃんのようなアルバイトが担当して、マスターは手の凝った料理やカクテルを作るのがメインの仕事配分となっている。

 私がビールを頼んだのはあえてだ。ミヤちゃんにタスクを振ることでこの話を打ち切りたかった。このまま会話を続けていったら、私が枕を持ち帰った理由の根元の部分まできっとたどり着かれてしまうから。



「もうどんどん飲みましょう、春輝さん!」



 ゴトっと目の前になみなみに注がれたビールが置かれた。ミヤちゃんがかけてくれた言葉からは同僚にプレゼントを拒否された私を労ってくれるような、そんなニュアンスを感じた。

 見た目ちょっといかついけれど、やはり優しくて素直な子だと思う。



「うん、そうする!」



 ジョッキを持ち上げてぐいっと飲んだ。

 しゅわしゅわと喉元を暴れまわりながら胃に流れていく冷たい液体。冷たい液体とは反対に通過した部分はアルコールの熱で熱くなる。熱は高揚感に変わり、炭酸を飲んだ後に感じるあの爽快感とビール独特の苦みが合わさって、あぁと声が漏れた。やっぱりビールはこうでないと。

 ビールを頼んだのはミヤちゃんにタスクを振るためだけではない。何か勢いをつけて飲みたい気分だったというのもある。恐らくそれはストレス。全部あいつのせいだ。



「今週はどうだった?」



 カウンターに戻ってきたマスターが口ひげを撫でながら尋ねてきた。

 今週……なんか色々あったな。



「えーと、出張で関西の方に行ってました」


「へぇ、良いね。どうだった? 楽しかった?」


「仕事なんで旅行気分ってわけにもいかず……疲れましたね……。マスターは売上どうです?」


「ぼちぼちかな。今月は結構来てくれてるかも」



 周りを見渡しても、心なしかいつもよりも客が来ている気がする。



「そうですか、良かったです。私も売上げに貢献できるよう頑張りますね」



 控えめに微笑んだ。

 DAPを退職してバーを開いた人がいると風の噂で聞いた。人事をしているとそういう情報が自然と入ってくるものだ。

 その人は開業してから年収が約半分になってしまったようだが、なんとか暮らしていけているらしい。自営業も楽ではないと思う。



「はは、ありがとう。……棚が古くてね、そろそろ新しいのに買い替えようと思ってる。店の維持に手一杯で手元に残る金なんて少しだけど、もうこの年になるとお客さんと酒飲みながら楽しく話せれば俺は満足だよ」



 マスターは何かをしみじみと思い出しているかのような表情で言った。



「マスターらしいですね」



 このタイミングでマスターは同じカウンター席のお客さんに呼ばれてそちら側に行ってしまった。

 マスターがずらかったので色あせた棚が目に入って来た。確かに少し古い感じがするな。そう思った瞬間、ある人物が私の脳をよぎった。



 私がバーに来る理由。それは中身があるようでない話をして、ただ楽しい時を過ごしたいから。なのに……なのに……マスターが「新しいのに買い換える」なんて言うから枕のことを思い出してしまった。考えたくないのに記憶に新しいからか、水野のことが頭にこびりついて離れない。

 ビールと共に流れろと言わんばかりに口に無理やりビールを注ぐが、頭の中から奴が消えてくれることもなく……。

 早急に飲み干した私はミヤちゃんにお代わりを頼んだ。



「今日ペース早くないですか?」


 

 再びなみなみに注がれたビールがコースターの上に置かれた。



「そうかな? ちょっとイライラすることあったからかもしれない」



 ジョッキに口をつけてごくっと飲んだ後にグラスの縁の部分を軽く噛んだ。

 あの野郎……まじでどういうつもりなんだよ。自分の枕をあげるか否か。なんで業務外のタスクでここまで悩まなければいけないんだ。



「あの……もしかして誕生日の同僚って……水野さんだったりしますか」


「あーうん……」



 ミヤちゃんは察したような顔をして、あーと低い声を出した。



「ちょっと変わってますよね、水野さんって。話聞く限り」


「ちょっとどころじゃないよ、だいぶ頭おかしいと思う」



 理解不能な人間が目の前に現れた時、何が起こるか。――正解は、「混乱する」だ。

 業務と同じで、似たような仕事はコツが分かっているのですぐに吸収して実行に移せるが、全く知らないことを依頼されると何もできなくなってしまう。

 例えば、私に法務の仕事は務まらない。きっと現場に放り出されたら右にも左にも行けずに悲惨なことになる。だから新卒には「研修」というものがある。ビジネスも何も分からない人に現場をいきなり任せても混乱させてしまうからだ。

 水野の「研修」、誰かやってくれないかな……。



「……なんでそんな人に誕プレなんか買ったんですか?」



 輪ゴムを口にくわえたミヤちゃんは、短めの髪の毛を後ろで束ねた。



「一応同僚だし仲良くしておいた方が良いのかなっていうのはあるんだよ」


「大人の事情ってやつですね……。会社の春輝さんってどんな感じなんですか? いたら親しみやすそうな気はしますけど」



 会社にいる私は、ミヤちゃんの言っている親しみやすい私とは違うだろう。

 確かに、同僚とは仲良くやれている。エースとして周りから頼りにされたりもしている。でも、好かれているのはあくまで「仕事中の京本」さんであって、素の私ではない。

 プライベートには踏み込まれないよう周りに壁を作っているので、仲が良くても一線は決して越えることはないのだ。所詮は仕事上だけの表面的な関係。



「どうかな、ここの私とはちょっと違うと思うよ。見たら驚くかも」



 もし私の隣に、「京本さん」が座ってきたら……きっと仲良くはできないだろう。

 できる女を演じてすましてる女。作り笑顔。そんな会社での私の姿を、マスターやミヤちゃんにはあまり見られたくないと思った。

 でもそれと同じことを京本さんも思っている。家でのだらしない自分を他の社員には絶対に見せたくないと。どっちも私だけど私ではない。本当の自分はどこにいるんだろうか。



「そうなんですか? でも春輝さんが私に優しいように、同僚の人にも優しいのは一緒じゃないですか。だってうちならその水野さんには何もしないと思います。変な人とは極力関わりたくないですから」


「そうだよね。でも色々お世話になったし、一応私が誕生日の時も誕プレもらったんだ。だからあいつの誕生日に何もできないのもなって思って……100円もらったら150円にして返したいのが私だからさ」



 平等という言葉に昔から惹かれていた。

 ゲームのように皆レベル0からスタートして、努力した人がステータスを上げて勝ち上がっていく。そんな世界だったら良いのにと思ってきた。でも平等なんて存在しないのは分かっている。子供が信じてやまないスーパーヒーローが架空の存在であるのと同じように。水野みたいなチートキャラがいるのと同じように……。

 もらったものは返したいというのは、そんな私のなけなしの正義感から来ているものだと思う。私だけが得する状況を作りたくないのだ。



「お返しか……春輝さん、そういえば私まだあの時のお返しできてないんですけど。返させてくれませんか」



 ミヤちゃんは若干私の方に一歩近づいてきた。切れ長のクリッとした目が瞬く。



「あの時? ……あぁ、つぶれちゃった日のこと?」


「はい。ご飯作るって約束しましたよ」



 そういえばそんな約束したっけ……。



「大丈夫だよ、なんとかなってるから」



 親指を立てて歯を見せて微笑む。

 気持ちはありがたいけれど、平日は仕事で家にはいないし土日はウーホーイーツやコンビニ飯で間に合っているんだよなぁ。



「だめです」



 ミヤちゃんの細長い手が私の手首を掴んだ。



「だめなの?」


「平日は忙しいですよね、だからせめて週末だけでも!」


「いや、大丈夫だよ本当に!」



 私もやけになってきた。

 土日は唯一1人になれる時間なんだ。

 いくらミヤちゃんでもそれはちょっと……。

 休みの日は人を極力家に入れたくないしゆっくりしたいのが正直なところだ。



「春輝さん。お願いです」



 掴まれた手首に力が入る。



「……」



 どうしてそこまで……。

 ミヤちゃんも、私と同じでお返ししないと気が済まない人種なのだろうか。こんなにお願いされて断るのも胸が痛む。

 仕方ない、1日くらいなら良いか……。



「空いてる日教えてください」


「分かった。スケジュール分かったら連絡するよ」



 主にスケジュール面で連絡しないといけないタスクが2件に増えた……。メルマガの解除も面倒くさくてやらない女が、業務外の気の乗らないタスクを2件……。なんだか気が重い。

 2件のうちの1件は別に無視しても良いものだと思っているけれど。



 何も考えずに気持ち良く飲めれば良かったものの、タスクを抱えている今、朝まで飲む気になれず、その日は結局日の光が出ないうちに席を立ったのであった。

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