小技
「色々相談に乗ってもらったからこれくらいは報告しておかないとと思って、水野さんの件。あの後、結局諦めきれなくてさ、飯に誘ったんだけど断られちゃったよ。やっぱり俺じゃだめみたい」
大久保さんは苦し紛れに言った。業務で見せる顔とはまた別の顔をしていた。
初めての一目惚れだったわけだし、相手に恋人がいるというだけでは諦めきれなかったようだ。
「そうだったんですか……何もお役に立てずにすいません」
水野はやっぱり大久保さんには手を出さなかったという事実。消沈する大久保さんを前に、とても暗い表情を作ってみたものの、心の中ではどこかほっとしている自分がいた。表ではどうとでも言えるものだし、一度裏切りという形でトラウマを経験しているので、実は裏で動いて良からぬことを企んでいるという可能性も無きにしも非ずだと思っていた。
大久保さんのようなハイスペックな人に言い寄られても見向きもしないなんて……私の欲しいものを横取りしたりしないと言ったあの言葉に偽りはなかった。私は水野の席をちらっと見た。華奢な背中――。
「いやいや、京本さんに相談できて俺は良かったと思ってるよ。結果は惨敗だったけどね。まぁ、それで決心がついたよ。後々皆にも言うつもりだけど……転職することにした」
転職、という言葉に身体が反応して視線を大久保さんに戻した。
「確定ですか……?」
「うん。8月末までここで頑張らせてもらうよ。お世話になりました」
「そうですか。引き止めたいところですけど、よく考えて決められたことなら仕方ないですね。優秀な上司を失うのは私としては非常に残念です……」
社員が会社を辞める場合、相当窓際でない限り基本引き止めが入るものだ。辞められてしまうことが会社としては1番コスト的に痛手だからである。そんなこともあって、部下がたくさん辞めてしまうような部署の上司は人事評価が下がる。退職者をいかに出さないかもマネージメントをする上での重要な責務なのだ。
我々人事も、優秀な社員を退職させまいと手を尽くす立場ではあるが、人事本人である大久保さんが決めた決断なので私からできることはないように思う。
マネジメントが上手だし、広い裁量で仕事を任せてもらえたので良い上司を失うのは悔やまれる。1度失恋にも似た経験をしている私としては当初は顔を見ることすら辛く、去って欲しいとさえ思っていたけれど、不思議と今はそんな感情は消え去っていた。驚くくらいさっぱりとしている。
もう自分の中で未練なんてものがほとんど残っていない証拠だ。大久保さんは転職して知り合いの小さなベンチャー企業で働く。DAPという大きな看板を掲げて働く姿にほれ込んでいた私は、この時点でいずれにしても冷めていたであろうと予測がつくし、これで良かったんだ。
「ありがとう。近々俺のポジション、募集かけなくちゃいけなくなるね。大変だけど頑張って」
ワックスで固めた髪の束を中指でなぞりながら大久保さんは申し訳なさそうな表情で笑った。
穴を埋める。それが私たちの仕事。
大久保さんがいなくなるということは、マネージャーというポジションに穴が空くということになる。社内にいるメンバーでその穴を補うことができなければ、中途採用の枠として募集をかけるしかない。
売り手市場でなかなか良い人に出会えない中で、大久保さんよりも良い人に出会えるか少々不安ではある。
「DAPにいるうちは私の上司は大久保さんですから。その間はしっかり頑張らさせていただきます」
優しい声のトーンで返して席を立った。
――――――――――――――
そんなこんなで出張先――関西のとある就活フォーラムにいる。
東京からは私と水野の他に新卒採用担当の横内さんと寺内さんの計4名が出向いた。
勤め始めて今年で5年目だが、このような地方を跨いだ出張は初めてのことだった。会社は東京、関西、名古屋……海外だとシンガポールや上海、インドにオフィスを構えており、営業や採用などは現地の人たちで賄えてしまうので、東京から地方に出向くことはしてこなかった。レアである。
駅で待ち合わせて新幹線で移動。いつもと違う日常にワクワクがないと言ったら嘘になるが、業務は業務。やることは所詮一緒。ばか広いフォーラムの中にいくつもの企業がブースを設置、必死に学生の呼び込みを行う人事たちの姿が目に入る。地方が違えども、これは私が新卒採用担当だった時に見てきた景色と同じだ。
学生を企業のブースに呼び込んで、PRのためのプレゼンを一通り聞いてもらい、最後にアンケート用紙を配布する。そこで個人情報を取得し、夏季インターンシップや本採用への導線に繋げるのが狙いだ。今回プレゼンは関西支社の人が行うそうなので、私たちは呼び込みや学生達からの質問への回答がメインとなる。本当はもう少し頭を使った仕事の方が得意なのだが仕方ない。
たくさんの学生がフォーラムの中を行き交っているがDAPのブースには人があまり入っていないのが現状。
DAPは業界ではシェア率ナンバーワンだし知名度もそれなりにあるが、ウーホーイーツのようにコンシューマー向けではなく、BtoB、すなわち対企業に向けてシステムを開発していることもあり、学生たちからの知名度が低いのが悩みなのだ。見知った名前の企業に興味を持つのが当たり前なので、DAPのブースは素通りされてしまう。声をかけても無視をされてしまうことが多い。
その光景はまるで駅前でティッシュ配りをするそれに近いものがある。名の知れた企業ではあるが、この就活フォーラムでは私たちの存在はとても小さい。
「こんにちはー! ……人工知能に興味はありませんか?」
我々の強みは最先端の技術にあると思っている。
意識の高い学生はAIや人工知能といった言葉に惹かれるだろうと思って、あえてこのワードを強調して声をかけてみるが面白いくらいに興味を持ってもらえない。
おい、こっち見ろや。
せっかく大久保さんに指名してもらってここまで来たのに何も成果が出せないなんてことにはしたくない。こんな呼び込みじゃなくて、せめてプレゼンをやらせてもらえればな……。ブースの方を見ると奥の方で水野が学生と立ち話をしていた。
なんなんだ。視界に入る度にあいつは学生を捕まえて話している。対して私は手持無沙汰。比較されたらしんどいな……。同じリーダー、ライバルとして焦る。
「では時間になりましたので始めていきたいと思います」
DAPの司会者がそう言うと、水野と話していた学生はプレゼンを聞くためにブースの中の空いている席に腰掛けた。私はそのタイミングで早足で水野に近づいて声をかけた。
「ちょっと、なんでそんな呼び込めるわけ? 賄賂でも使ってんの?」
「普通に話しかけてたら他の人たちと同じですからね。差別化を図るためにも少し小技を使ってます」
水野はこちらを見ると少し口角を上げた。
小技……。
「なにそれ?」
「手招きです」
「手招き……」
「はい」
水野は私に向かって僅かに微笑みながら手招きをしてみせた。
まるで小動物を扱うようなその動きに体中がかゆくなる。くそ、あざとい。絶対自分のことかわいいって分かってて度々こういうことをしてくるからむかつく。
「あんたみたいな人がやったら違和感ないかもしれないけどさ……私がやったらさ……」
1人にターゲットを当てて手招き。
された側は確かに自分だけに声をかけてくれたと思って、話を聞こうと思うだろう。でもこんな動作……。
「恥ずかしいんですか?」
高いのにどこか落ち着いた声はいつも通りだが、これは絶対面白がってる時の声だ。
これでこのままやらずして、京本さんが全然呼び込めてなかったなんて言われたら最悪だしな。どこで覚えた技か知らないが、結果を出すためにもできる手段は使うしか……。
「……やるしかないか」
「ふふ」
手招き作戦に方向をシフトし、再び呼び込んでみたが普通に声をかけるよりも会話に繋げられる率が明らかに高かった。
ずっと朝から晩まで立ちっぱなしで呼び込みを続けていたので最後の方には脚が悲鳴を上げていたが我慢して頑張った。そのおかげもあってか、最終的に収集した個人情報数は目標値を超えることができたのであった。良かった。
関西支社のマネージャーにも褒められ、大久保さんにも良い報告ができそうだ。
イベント終了後、東京組の4人で夜ご飯を食べながら軽く飲んだ。
異色な顔ぶれであったが横内さんが大声で話すのをただ聞くような感じでなかなかつまらない会だった。女好きと評判の横内さん。バツイチの41歳。事務職の女を食い散らかしているなど良い噂を聞かない。今日もご飯を食べながらも水野のことをちらちらと見ていてキモかった。あそこまであからさまだと何だかな……。仕事はできてすごいなとは思うけれど、生理的に受け付けない人というのはやっぱりいるもので……。大久保さんの次に私の上司になる人があんな人でないことを祈るばかりだ。
「それじゃあ明日もよろしく」
「「お疲れ様でした」」
一旦ホテルのロビーで解散した後、部屋を目指した。もう脚がガクガクだ。朝の早起きから始まって、ヒールで1日立ちっぱなしはさすがにキツかった。男性陣はこの後また飲み直すらしいけれどどこからそんな元気が出てくるのだろうか。明日もあるってのに。
カードキーを入れて部屋に入った。ツインベッドで水野と同じ部屋だ。
ドアの閉まる音が部屋に響いた。あぁ、この感じ。若干気まずさを覚える。別に一緒に業務をする分には良いのだ。ただ、部屋に2人だけだとなんだか……。1回水野の部屋にお邪魔した時は猫を見るという口実があったけれど今はないし、あんな話を聞いてしまったからかむず痒い気持ちになる。
別に何かが起こるとかそういうのはないとは思うけれど、視線のやり場だとか、空気感にどうしたら良いのか分からなくなるのだ。
でも今はそんなことを気にしていられるほど心も身体も元気じゃなかった。適当な場所に荷物を置いてベッドに飛び込んだ。
「ごめん、疲れすぎてるからちょっと仮眠する」
包み込まれるような布団の心地よさに顔を埋めて、か細い声を出した。
「仮眠するくらいだったらそのまま寝れば良いじゃないですか」
「シャワー浴びたりとか色々しなくちゃじゃん……今そんな元気ない。あんた疲れてないわけ?」
「そうですね、少し疲れました。でも仮眠を取るほどじゃないです」
「若いなちくしょー……」
そう言い終わる時には意識を手放していた。
そして起きたのは夜の11時過ぎだった。少しだけ寝るつもりがしくった……。とりあえずシャワー浴びるか。
「おはようございます」
むくっと起き上がるとビジネス本をテーブルの上で開いていた水野に声をかけられた。業務後も勉強かよ。意識高いな……。
オフモードの水野は眼鏡をつけていてなかなか似合っていた。普段コンタクトだったんだ、知らなかった。
「おはよ……ん、これ……」
肩から薄い毛布のようなものが滑り落ちた。
「無防備に倒れていたので何かかけてあげないとって本能的に思いました」
水野は向かいの席にかけられている毛布を見た。部屋に備え付けられたもののうちの1つを私にかけてくれたようだ。
「なんだよそれ……」
ありがたいけど年下にこんなことされるなんてなんかな……。
毛布をたたんでベッドの隅に置いた。
「てかシャワー浴びた?」
一度背伸びをした後に、トランクから白いシャツの小綺麗な部屋着を取り出しながら尋ねた。ビジネスの場なのでジャージにスウェットという装いはさすがに避けさせてもらった次第である。
「まだです。先入ってください」
「まだ入ってなかったのかよ。んじゃお先」
浴室に入って温水を身体に浴びる。
結構寝たこともあってか、肌に感じるお湯の粒が1つ1つ分かるくらいに意識は冴えていた。これ今日眠れるかな……。
「電話、鳴ってましたよ」
「電話?」
シャワーから戻ると水野はテーブルの上を指差した。
「社用携帯です」
「は、こんな時間に? 誰だろ……」
もう業務時間とっくに終わってんだろうが……。非常識すぎる。誰だよこんな時間に電話かけてくる奴。……もしかして相当緊急なことだったりする? 嫌な予感だ。勘弁してくれ。
携帯に手を伸ばし着信履歴を確認したところで、じゃあ私も入ってきますと言い残して水野は浴室に消えていった。
「もしもし」
リダイヤルで掛け直すと、すぐに相手は電話に出た。
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