直撃取材

 よし、送信完了。

 黄金色の光がオフィスに差し込む中、パソコンのエンターキーを少し強めに押して一息つく。

 今日の午前中の作業は、転職媒体に登録している求職者の経歴に一通り目を通して、スカウトメールを送信することだ。1人1人に合わせてスカウトの文面を作っていてはものすごく時間がかかってしまうので、テンプレートを用いて一斉送信で送っているわけだが、返信率は3%以下なのが現状である。

 そんな打率の低い中で1人1人の職務経歴書に目を通して、募集しているポジションにマッチするかを見ていくのはなかなか骨の折れる作業であるが、これをやらなければヒットも打てないので仕方がない。

 たまに求職者の方で舞い上がったのか「どうして私にスカウトメールを送ってくれたんですか?」なんて質問が来るが、これは愚問である。欲しいポジションにただ経歴がマッチしているからという答え以外にないし、そもそも経歴書なんて隅々まで見ない。ザっと見で判断している人事が大半だ。自分にだけ送ってくれたなんて思いこむめでたい人もいるけれど、私からしたらたくさんいる候補者の中の1人に過ぎない。



 軽く上に伸びをしてから、デスクの上に置かれているハンドクリームを取って、手の甲にすりこんだ。ほんのりと良い香りが鼻をかすめる。

 香りが隣のデスクまで届いたのか、川添さんの視線がこちらに向いたのが分かった。



「どうしましたか?」



 川添さんと目が合ったので少し首を傾けてみる。川添さんはなんだか気まずそうな表情だ。

 このハンドクリームを使い始めて2日目くらいだが、もしかして香り、キツかったりしたかな……。だとしたら謝ろう。



「京本さん、私今日お弁当持ってきてなくて水野さんとランチするんですけどよかったら一緒にどうですか?」


「あぁ、ええと……」



 香りのことでなければ業務のことについて何か聞かれるのかと思っていたが、どちらでもなかった。

 


 私はお昼休みはいつも1人で食べる。理由は会社の人とご飯を食べるのが苦痛だからだ。

 誘われた時は付き合いだと思って同僚とランチを共にすることもあるが、基本は1人で食べたいのが本音である。

 いつもお弁当の川添さんは今日は珍しく外に食べに行くとのことで、誘ってくれたのはありがたいのだが断ろうか……。頭の中で断り文句をいくつか考える。



「ご都合悪いですか? 業務で忙しいとかなら無理しないでください」



 乗り気でないことを察知したのか、川添さんは逃げ道を作ってくれた。

 あぁ、空気の読める本当に良い子だ。



 ちらっと水野の方を見る。何食わぬ顔でキーボードを叩いている。こんな涼しい顔をして、裏でとんでもないことをしているかもしれないこいつに川添さんは何故……。何故、私に声をかけるより先に水野に声をかけてやがるんだ。私の方が川添さんと長く働いているし、席も隣なのに。

 水野も仕事とプライベートを割り切っているタイプのように見えるが、猫を飼っているという共通点があるからなのか、川添さんとの距離が日に日に近くなっている感じがしている。

 もし私がここで誘いを断ったら2人でランチに行くんだろうが、その状況は面白くない。川添さんが水野に取られてしまう。



「大丈夫です、以前も一緒に行こうとお話しましたもんね。ぜひランチしましょう」



 口角を上に引き上げて微笑むと、川添さんの目が輝いた。



「良かったぁ、お2人とランチしたかったんですよね。水野さん、京本さん行けるみたいです!」



 川添さんがテンション高めに水野に話しかけた。



「そっか、良かったです」



 水野はパソコンから目を離して川添さんに微笑みながらそう言うと、ちらっとこちらを見た。



「お2人は13時にここ出れますか?」


「うん」


「大丈夫です」



 パソコンの画面の右下に記載されている時刻に目をやる。13時まであともう少し。

 同僚とランチするのは勤務時間が伸びたように感じられて嫌なはずなのに、心は何故かそわそわしている。ちらっと一瞬水野の方を見ると目が合ってニコっとされたのですぐに視線をパソコンの画面に戻した。



 もう少し候補者にスカウトメールを送っておこうか。

 求職者の経歴にカーソルを合わせてマウスをカチっとクリックした。



 ――――――――――――――



 ――昼休み。

 私たちがランチに訪れたのは職場の近くの定食屋さんだ。ここには一度行ったことがあるが、安いし普通に美味しかった。お昼時は混むこともあるようだが、今日は待たずに入ることができてラッキーだ。

 店内には見覚えのあるDAP社員がちらほら。川添さんと水野はここに来るのは初めてらしく、内装をきょろきょろと見渡していた。



「すいません、メニュー決まる前で申し訳ないんですけど、ちょっとお手洗い行って来て良いですか?」


「大丈夫ですよ」


「行ってらっしゃい」



 店員さんに席に案内されるや否や、川添さんは我慢していたのか小走りでトイレの方に向かっていった。



「どれにしますか」



 水野はテーブルにメニュー表を広げて見せてきた。

 あのことには触れないでおこうと思っていたが業務時間外に2人きりのこの状況で、私の好奇心はメニューではなく別のところに向いていた。



「……ねぇ、あんたの彼氏ってさ、何歳?」



 直接的な聞き方じゃないからセーフだろう。

 この返事で、あの時いたおっさんと水野の関係が分かる。



「まずメニューを決めましょう」



 出た、お得意の焦らし。

 業務中のように、質問したことに対しては論点をずらさないですぐに回答してもらいたいものだ。



「じゃあこれにする」



 私は以前来た時に頼んだAセットを即座に指さした。



「即決ですか」


「そう。で、何歳?」


「……」



 言いたくないのか水野は黙ってメニューを眺めている。

 もしかして……あの時いたおっさんが本当に彼氏だったりするのだろうか。これはもう少し攻めてみても良いかもしれない。



「え、それくらい教えてくれても良いだろ。何か言えない理由でもあるわけ? すっごい年上、とか」



 テーブル越しに詰め寄ると、ゆっくりと水野の目がこちらに向いた。

 相変わらず表情は読めない。美しい顔の造形に見入りながらも、返事を待った。



「……彼氏なんていませんよ」



 水野はため息を漏らした後にそうつぶやいた。



「は……? 前いるって言ってたじゃん」



 想定外の答えに脳内にはてなマークがいくつも並んだ。

 私は今までこいつに嘘をつかれていたということなのか。モヤモヤが横隔膜のあたりから噴煙のように湧き出てきた。



「いる、なんて直接言ってないじゃないですか」


「いや、だって大久保さんに……」


「あの時は大久保さんに諦めてもらうために、そうお伝えして欲しいとお願いしただけです」



 相手に諦めてもらうためにそういう嘘をつくこともあるとは思う。私も気のない相手にそう言って嘘をついたことはある。

 でも……



「じゃあ私が彼氏のこと聞いた時にすぐ否定しろよ、自分にはいませんって。なんで今まで濁してたわけ?」



 時折私が、水野の恋人について聞こうとするといつも濁されてきた。さっきだって。

 大久保さんならまだしも、私には本当のことを話してくれても良かったじゃないか。気に食わない。



「私に彼氏がいるということにしておけば色々と都合が良いからです」


「どう都合が良いの……?」



 私に好意を示してくるくせに、自分に恋人がいることを装う意味が分からない。何か意図があったのだろうと思うが、一体それは何なのか。



 落ち着いた頭で考えるが、あのおっさんは水野の彼氏ではなかった。ということは恋人ではないのにそういうことをする関係であるということ……。じゃあ部屋に置いてあった髭剃りは誰のものなんだ。が複数人いる可能性が見えてきた。

 このような存在を隠すために「彼氏」というレッテルでカモフラージュでもするつもりだったのだろうか、はたまた私の気を引くため……? それは考えすぎか。



「模索するなら私の質問にも答えてください」



 水野はメニューを閉じてテーブルの隅に置いた。



「なんだよ」


「ミヤちゃんはお元気ですか? 最近はお弁当を持ってきていないようですけど」



 なんでこのタイミングでこんな質問……。

 私とミヤちゃんの関係はあの時少し話したくらいで、水野の彼氏の有無の話と引き合いに出す話題でもない気がする。

 でも、実際に私とミヤちゃんに何かなかったわけではなった。それをあの時点で見抜いていたというなら恐怖すら覚える鋭さだ。



 元気ですか? というこの質問は、本当に元気なのかを問うものではなく、私とミヤちゃんの関係を聞いているということは言うまでもない。



「……ミヤちゃんとは終わった」



 もう私はシャドーにはしばらくは行くことはないだろうし、ミヤちゃんも受験に向けてこれから忙しくなる。あんなことがあったから、もう前のようには行かないし、お互い会うべきではない。

 きっと数年後、記憶の中では各々遠い存在になっているであろうと思う。侘びしい気もするがこれが人生というものだ。



「終わったってことは、付き合っていたんですか?」



 水野は表情1つ変えずに聞いてきた。

 何故か心臓が速まった。



「つき……まさか! そんなわけないだろ」


「ふーん。付き合う前に終わったんですね」


「いや、何言ってんの。そもそも女同士じゃん」



 水野にこんな質問をされると調子が狂う。動揺していることを見せないようにして冷静に言葉を吐きだす。



「付き合うなら男性の寺内さんが良いってことですか?」


「は? なんで寺内さん?」



 新たな登場人物……。

 水野は、寺内さんが私に好意があることを知っている。

 でもこの言いぶりは、まるで寺内さんに好意があると言っているようにも聞こえる。



「ハンドクリーム。寺内さんとお揃いの使ってますけど何か意図があるのかなって思って」



 水野は髪の横の毛を親指と人差し指でつまみながら、少しいじわるな顔で笑った。



「……もらったから使ってるだけ」



 寺内さんのことが好きかと言われれば答えはNOだ。でもそれは今時点の話でこの先は……。

 私が寺内さんに好意があると踏んでいる水野に対して、今すぐそれを否定したいところだが、このままにしておけと心の中の自分が言っている。水野が他の男と寝てるように私だって……。



「そうですか。でもこの前も寺内さんと一緒にいましたよね」


「いつのこと?」



 時折、寺内さんが私の席まで来て軽い雑談をすることはあるが……。



「先週の金曜日、駒米の駅で見ました」


「まじ……」



 寺内さんとのデート、水野に見られてたの……?



「はるちゃんも私のことを見たからさっきあんな質問してきたんでしょうけど、自分だけが見たって思ってました?」



 水野はテーブルに頬杖をついて、僅かに首をかしげて口角を上げた。

 お互いがあの時、目撃しあっていたということが分かった。なら話が早い。今度は私のターンだ。



「……あんた、一緒にいたあの人のこと愛してる?」



 付き合う前から身体の関係を持つことは否定しないが、年齢が離れていることが気になるし、水野の本心、動機が知りたい。



「私が愛してるのははるちゃんだけですよ」



 水野は視線をテーブルに向けてぽつんと小さい声で言った。

 その様子はいつものように淡々と仕事をこなす姿とは違った。



「そういうの良いから」


「本当のことです」


「神田……あんた達がホテル行ったの見た。……あの人が彼氏じゃないならどういう関係なんだよ」



 性に溺れているのか、お金が必要なだけなのか……。

 水野はむかつくけど、目の前に座っている儚げな、なんとも言えない表情をしている美女にグラつきそうになる。

 あれが思い悩んだ末の話であれば……私がこいつのためにしてあげられることって何かないのかな……。



「この話の続きは業務時間外にお話しします。もうすぐ川添さんが戻ってくるでしょうし」



 水野は窓の方を見た。白い肌、睫毛が光に照らされているが瞳に光はなかった。



「業務時間外……いつだよそれ」



 クソ、こんなんだったら最初から水野と……。

 あぁ、何考えてんだろ私。



「そうですね、例えば私が忘れ物を取りに行くタイミングとか」


「枕のこと言ってる?」


「それ以外に何があるんですか」



 水野がそう言った直後に、戻って来た川添さんが隣に座ってきた。



「すいませーん、メニュー決まりました?」


「京本さんは決まったみたい。私はまだかな、どれも美味しそうで迷っちゃうね」



 水野は営業スマイルを決めると、再びメニューを開いて川添さんに見せるようにして置いた。



「京本さんは何にしたんですか?」


「Aセットです」


「そうなんですね、私はどうしよっかなぁ」



 2人がメニューを決めている間に私はスマホを操作した。



『今日なら空いてる』



 返事が来たのは店員さんにオーダーをした直後だった。



『分かりました』

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