目撃

 店内は週末だからか賑わっていた。ジャズ調のBGMにナイフとフォークがカチンと合わさる音がそこかしこから響いている。

 そして目の前には満面の笑みの少年のような男――寺内さんがパスタをスプーンの上でくるくるとフォークに巻き付けて口に運んでいる。本場イタリアではスプーンを使った食べ方はNGと言われているが、そんなこと知りもしない寺内さんは格好よく見せようとしてなのか、ぎこちない手つきでパスタを巻いている。私は窓に反射している店内の灯りをぼんやりと見ながら赤ワインを一口飲んだ。



 ミヤちゃんの告白を受けて色々考えたが、自分のパートナーはやはり男性であるべきだと思った。その方が違和感がない。そして、男性の中で一番私に好意を分かりやすくぶつけてくる人物が寺内……。

 正直今までは眼中にはなかったが、私はそもそも寺内さんのことをあまり知らない。これから知っていく中でもしかしたら好きになるかもしれない。

 とにかく、異性愛者である自分を信じたいという気持ちが強く出た結果が今だ。



「なんか2人で飲みに行けるなんて思ってなかったんで、夢みたいで……この店、気に入ってくれたら良いんですけど」



 寺内さんは照れくさそうに笑った。

 駒米駅の近くにあるオシャレなイタリアン。予約してくれていたみたいだが、デートのチョイスとしては悪くはない。

 私はミートソースのパスタを口に運んだ。業務後もこうして皮を被らなければいけないのは疲れるが、美味しいワインとパスタで気持ちは満たされている。うん、悪くはない。



「とても美味しいですね、わざわざ調べてくださったんですか? ありがとうございます」



 目を細めて満面の笑顔を作ると寺内さんは目を輝かせた。



「いえいえ。今日を楽しみに1週間頑張れたんです、全部京本さんのおかげです」


「そんなそんな……でも私も楽しみにしていました」


「本当ですか!」


「はい、本当です」



 ふふっと笑ってもう一口ワインを飲んだ。

 こう言っておけば良いんだ。本当に単純。寺内さんが何を考えているのか、何を期待しているのかが私には一目で分かる。表情や言動、考えていることがまるで読めない誰かさんとは大違いだ。



「そういえば新しいマネージャー決まったらしいですね、大久保さんの代わりの」


「はい、新庄さんという方ですね、35歳の男性です」



 大久保さんが退職するまであと1か月ほどだ。

 代わりのマネージャー候補の募集を行い、面接を回していたがついに内定承諾に至り、入社が決まった。大手メーカー勤務の男性社員で業界的にITとは少し離れているが人事部でのマネージメント経験が豊富で、海外でも実績を積んできたエリートだ。



「なるほど、もう会いました?」


「いいえ。でも大久保さんからは几帳面で少し堅めなお人柄だと聞いています」


「お堅めかぁ、うちの社風に合いますかね」


「柔軟性という意味では少し心配ではありますね。でも実績としては申し分ないと思います」



 メーカー企業は日本古来の古風な社風が比較的多かったりする。例えば朝礼でラジオ体操をしたり、社歌を歌ったり……上司にお酌をするのは当たり前、成果主義ではなく会社に長くいるだけで役職と地位が自然と上がっていく年功序列であったり。新庄さんのいる会社も例外ではない。

 別にそれらの文化を否定しているわけではないが、DAPは極端に言うと仕事で成果を出せるなら何をしてもOKな文化で、上下関係も比較的緩いのですぐに馴染めるかは懸念点ではある。

 しかし新庄さんはリーダーシップを発揮して職務経歴書に堂々と書けるような成果を残してきている人だから、成果主義のうちの文化を気に入ってくれるのではないかと思うし、その上での内定承諾だった。きっと大丈夫だろう。



「実力主義っていっても性格に難がある人がたまに紛れ込んだりすることもありますから、新庄さんが変な人じゃないと良いですね」



 寺内さんは苦笑いをして、ワイングラスを円を描くようにして揺らした。



「お会いしたことがないので何とも言えませんが……そうですね、良い人だと嬉しいですね」


「まぁ、どんな人が来ても京本さんなら心配ないか。誰とでもうまくやれるだろうし」



 京本さんなら心配ない、という言葉をこれまで何度も聞いて来た。

 嬉しい一方で、プレッシャーのかかる言葉だ。努力して飛び越えられるハードルの記録を伸ばすと、それにつれて周りからの期待も高まっていく。「こらくらいのハードルなら越えてくれるだろう」と高く見積もられ、私はそれを越えようとまた必死になる。失敗は恐怖。自分が少しでもやらかしてしまえば、それはたちまち失望に変わり、皆が自分から離れていってしまうのではないかと不安になる。

 いつからか、私は自分のためではなく、誰かの期待に応えるために頑張るようになった。理想の自分を維持し続けるために。これをあいつは「猫を被ってる」と表現したんだ。



「あはは、幸いにも同僚には恵まれて来ましたから。これからもそうであって欲しいです」



 水野みたいに本質に気づいて踏み込んでくるタイプじゃなければ良いな。



「さすが京本さんだ……あ、もう聞いてるかもしれないですけど来月の組織改変に伴って横内さんが中途採用と新卒採用を束ねるグループ長になるって言ってましたよ」


「そうなんですか、グループ長に……。横内さんもマネージャー歴長いですもんね」



 新卒採用のマネージャーの横内さんだが、これからは新卒採用と中途採用を束ねるポジションに昇格になったようだ。つまりは、来月からは横内さんは我々の直属の上司になるということになる。

 横内さんが仕事ができることは知っているが、直属の上司だと思うと何か嫌だ。キモい。



「横内さんみたいな人、どう思います?」



 私の心の中を見透かしたような質問が飛んできて、姿勢を正した。



「え、どう思うか……ですか。仕事ができる人は素敵だなと思いますよ」



 これは出まかせな回答。

 素敵だなんて微塵たりとも思ってない。まず第一に水野を舐めまわすように見るあの視線、女性社員に対する接し方、表情……。何を取っても生理的に受け付けないし、やっぱり最終的に「キモい」という言葉に落ち着く。仕事ができたとしても無理なものは無理だ。

 しかし、ありのままを寺内さんに言うわけにもいかず、こう答えておくのが無難だと判断したまでだ。



「素敵、か」



 寺内さんは天を仰いだ。



「どうしてそんなことを聞くんですか?」


「京本さんは大久保さんみたいな人が好きなのかなって思ってたんですけど、横内さんみたいなタイプでもいけたりするのかなって……仕事ができる人が好みですか?」


「そんなことは考えたこともありませんでした。どうでしょうね……私はその人の性格、内面を見られる人間になりたいと思っていますから役職とか外見では判断したくないです」



 何言ってんだか。心の中の自分があきれ顔で笑っている。

 塗り固められたロウでできた美しい像。誤って火をつけるわけにはいかない。寺内さんの前では輝く私でいさせて欲しい。



「はは、そっか。じゃあ俺でも可能性はあるって思って良いのかな……。こうして一緒に飲めてるわけだし……自惚れてなければ……あの……」


「はい」



 これ告られないだろうな……?

 やめてくれ。

 今じゃないだろ。



「……」



 寺内さんは言葉を発さずに、子犬のような瞳でじっとこちらを向いている。



「寺内さん?」



 しばらく目を合わせてみたものの、ついに耐えきれなくなって声をかけた。



「あ、すいません、見とれてました。その……綺麗で」


「綺麗って……」



 思わず手元の布巾で口元を拭った。

 寺内さんのあまりにも素直でまっすぐな気持ちにくすぐったさを感じて目を逸らす。これ、計算して言ってるわけじゃないんだよね……? なんていう奴だ、一瞬だが揺らいでしまいそうになった。



「京本さん、これ受け取ってくれませんか?」



 寺内さんは何かを思い出したかのような表情をした後で、小袋をテーブルの上に置いた。



「なんですか?」


「ハンドクリームです。夏にハンドクリームっていうのもアレかもしれませんけど、いつも使ってるイメージだったから。京本さん見て良いなって思って俺も使うようになったんです。……嫌じゃなければ受け取って欲しいです」


「開けて良いですか?」


「もちろんです」



 袋を開けると、有名ブランドのハンドクリームが入っていた。わざわざ買いに行ってくれたんだな。



「ありがとうございます、夏でもハンドクリームは重宝してますから使わせていただきますね」


「はい、是非!」



 笑顔を作ってそっと自分の鞄の中に小袋を入れた。



 私にとってハンドクリームはコーヒーと同じでファッションだ。

 手元を清潔にしている女子は周りからの印象が良くなるという判断の元だ。別に乾燥が気になってつけている、とかではない。だから本心でこのプレゼントに対して喜んでいるわけではないけれど、自分のためにここまでしてくれたことが純粋に嬉しい。せっかくくれたんだから会社で使ってやらないこともないな、と思う。



 手元のワインがなくなるまで、会社のこと、同僚のことなどを話した。寺内さんも終始笑顔で満足してくれている感じだったし、無難にやりきった。



 会計は寺内さんの奢りだった。店の外に出てから駅前を目指す。

 並んで街灯の光の当たる道を歩く。聞こえる2人分の足音。



 ここ最近、デートというデートをしてこなかった私にとっては新鮮で、次があっても良いかなという気になってしまっていた。寺内さんは私のタイプではないけれど、まっすぐで素直、仕事もできる方だ。もしかしたら好きになれるかもしれない……なんて考えていると見慣れた顔が視界に映り込んできた。



「あれ……神田……」


「ん、神田?」



 寺内さんは不思議そうな顔でこちらに問いかけた。

 おっと、ついいつもの呼び方が出てしまった。



「間違えました。あれ、水野さんですよね」



 寺内さんは私の視線の先を追った。



「あぁ、本当だ。隣にいる人って……彼氏さんですか?」


「分からないです、見たことないので」



 電柱の前に立つ水野の隣には、白髪で後頭部が薄いおじさんが立っている。何やら近い距離間で話しているようだが、ここからでは会話の内容は分からない。



「彼氏にしては年上すぎる気もしますね……。水野さん、私生活謎ですけどあれ大丈夫なやつなんでしょうか。つまり、その……援助交際とかじゃないですよね……」


「……」



 社会人だし誰と付き合うのも自由だ。年の差カップルもいる。だがあれはさすがに離れすぎている気がするし、寺内さんが言っているそれに近い気がしている。

 なんとも不愉快な気分になると同時にチクチクと細い針で何度も心臓を突かれているような感覚になって息苦しさを覚えた。

 



「一応挨拶くらいしておきましょうか、一応……」



 寺内さんが水野の方に向かおうとしたのでシャツの袖を掴んで止めた。



「やめておきましょう、彼女には彼女のプライベートがあります」



 これで良いんだ。

 お互い何も知らないということにすれば良いだけの話。今のは見なかったことにしよう。



「そうですね……。あの、京本さん、手……」



 寺内さんは少し恥ずかしそうにして袖の方をちらっと見た。



「あ、ごめんなさい」



 私は即座に袖から手を離した。寺内さんは苦笑いをしてふっと息を吐いた。

 シチュエーションに酔っている場合ではない。先程の電柱に目をやると水野はいなくなっていた。目線を動かして姿を追う――いた。水野とおっさんは愛を育むホテルへと消えていった。アイツ……。



「私あっちなんで、そろそろ」



 私の声のトーンは2つ分くらい下がっていた。



「あ、分かりました。今日、すっげー楽しかったです。気をつけて帰ってください……送って行っても全然良いですけど、夜道は危ないですし」


「大丈夫です、これより遅い時間にいつも帰っているので」



 頬の筋肉に力を入れて無理やり笑顔を作ってみせる。



「あはは、そっか。じゃあ……また誘いますね。おやすみなさい」


「おやすみなさい」



 即座に早足で自宅を目指した。

 全く名残惜しくない別れだった。さっきまで少し良い気分だったのに最悪なものを見せられたせいだ。

 駅近に自宅があるのに、あえてホテルに行っていた。水野の家に髭剃りが置かれていたのを思い出す。きっとあれはさっきのおっさんのものではない。



 今も依存してるって言ってたけど本当に……。やれれば何でも良いのかよ、だからあの時も平気で私にキスを……。



 誰もいない道路で「あぁ!」と声をあげる。



 空を見上げると月に靄がかかっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る