好きと無関心

1on1――水野(再)


 会議室に2人。

 水野は意外にも私が話すのをただ待つスタンスだった。カタカタとノートパソコンに何かを打ち付けている。私はその音を聞きながら頭の中を整理していた。

 問いただされるのかと思ったのに……。私が口を開くまできっとこうして仕事してるつもりなんだろうな。週次ミーティングを欠席してまで無意味な時間を過ごすことになるのは嫌だ。こいつは私のそういう性格を分かっててあえてこうしてる。腹立つ……。



 今回、モチベーションの低下の要因は失恋をしたから。私が思いを寄せていた大久保さんには好きな人がいて、それが目の前に座っている水野。何も知らない水野は私のパフォーマンスの低下の理由を聞きたいと言いやがり、こうして待機している。

 正直、この事実をどう伝えるのか迷っている部分はある。そのまま話してしまうべきだろうか。でもそれこそ、自分はあなたに負けましたと完全な敗北宣言をしている気がしてやるせない。

 適当なことを言って誤魔化すこともできるだろうが、お得意のしつこさと頭の良さで、なぜ、なぜ、と何度も繰り返し尋ねられるうちに嘘をついているとどうせ見抜かれることになる。

 人事評価のため、という唯一まだ息をしている欲求に従って力なく口を開いた。



「大久保さんに頼まれた。水野さんに恋人がいるのかと俺のことをどう思ってるのか聞いてくれって」



 これが全てだ。

 シンプルだが、状況を理解するには十分すぎる言葉だろう。



 もしかしたら大久保さんは、自分の好意を水野に知られたくはなかったかもしれない。けれど、そこまで彼のことを考えてあげようとは思わなかった。コンビニでおしぼりをつけてあげるかあげないかの差だと思う。

 私のことを選ばなかった大久保さんにおしぼりはつけてあげる親切心が湧かなかった、それだけだ。



「……そういうことですか」



 手を止めてパソコンを閉じた水野は、全て理解したように浅くため息をついた。



「聞けって言われてるから教えて。正直に言ってくれて良いよ。私はもう吹っ切れたし……」



 大久保さんに好意を持たれて嫌な女子なんているのか。社内を見渡せば、だいたい女性社員の視線の先には彼がいる。そりゃそうだ。あんなイケメンでエリートなら誰だって付き合ってみたいと思うだろうよ。

 水野が大久保さんのことを多少なりとも気になっているならそれはしょうがないことだ。私がどうこう言える問題じゃない。こっちに気がないと分かっている以上もうどうにでもなれといった感じだ。

 でもあの時と同じように――水野が大久保さんと付き合ってしまったならば、私はこいつとこれから一緒に仕事をしていくのはもう難しいかもしれない。誰のせいとかじゃなくて私のメンタル的な問題だ。



「大久保さんのことはどうも思ってません。同じ会社で働いているチームの上司。それだけです」



 水野はすまし顔で言った。

 あの大久保さんをこんなあっさり……。すげぇ。

 水野の言葉に唖然としながらも、私はどこか安堵していた。今回は水野君の時と同じようにはならなかったことに。

 口先だけかもしれないからまだ油断はできないけれど。



「あのさ、私が大久保さんと付き合っても救われないってどういうことなのか教えてくれないかな」



 ずっと気になっていたこと。

 前回の1on1の時、これを言われて怒りを覚えたけれど、今は単純にどういうことなのか知りたかった。

 回答が納得できるものであれば、それが少しでも自分の慰めになるのではないかという淡い期待も入り混じっていた。



「猫をかぶっているからです」



 水野は変わらぬトーンで告げた。



「猫……」


「あなたが京本さんでいる限り、付き合う相手はしか知らない。を好きになったわけじゃないんです。業務で演じて、恋人の前でも演じて、そうやってずっと演じ続けて生きていくんですか」



 確かに水野の言う通りかもしれない。

 業務中の私は苦手なコーヒーを飲むし、プライベートでは料理が得意なことになっている。DAPで恋人を作ったのであれば、それは隠し通さなければならない。嘘で塗り固めた防壁は一度崩れてしまうと建て直すのが非常に難しいから。欠落した信用を取り戻すのと同じくらいに。



 元彼のことをふと思い出した。彼は大学時代にインターン先で知り合い、学生にして起業家だった。SNSではたくさんのフォロワーがついており、とても発言力のある人だった。そんな彼と付き合えた瞬間は満たされたけれど、月日が経つにつれて会うのがしんどくなった。缶ビールを飲んでいた方が気持ちが楽だと感じるようになって連絡も途絶えがちになった。



 私はそれをキャリアのせいにして逃げていたんだ。



 でもそれが何だと言うんだ。うまくいくかそうじゃないかなんて実際に付き合ってみないと分からないじゃないか。

 今回はうまく行くかもしれないんだし、それを救われないだとか他人に解釈されるのはやっぱり癪だ。



「別にいいだろ……これは私が好きでやってんだから。それ以上のメリットがあるから付き合うんだよ」



 大久保さんと付き合えば、絶対私は今より輝けたはずだ。



「目先の幸せを追いかけるのが人間だと言いましたね。はるちゃんは大久保さんと付き合った先にどんなメリットを見ていたんですか」


「どんなって……。今よりもっと皆から評価されて、認められて……上にいけそうじゃん。一段階上のステージに立てるというかさ」


「ふーん……。ふふふ」



 水野は握った片手を鼻の位置に持ってきてクスクスと笑った。



「何、悪い? 同じバリキャリなんだから私の気持ち分かるだろ?」



 笑われた。

 上に行きたいと思うのは悪いことなのか? 不快感から眉間にしわが寄った。



「本当に大久保さんを好きな人のする回答じゃないなって思っただけです」


「な……」


「変なこと聞いていいですか? もし大久保さんが性格容姿そのままで職位がマネージャーじゃなくて、スタッフ職でも付き合いたいと思います?」



 スタッフ職とは新卒のポジション――つまり正社員としての職位は一番下になる。ほぼほぼ上司の指示に対して手を動かすだけの役回りだ。

 私もそうだったように、大久保さんも元々はスタッフ職上がりなことは確実なのだが、今の大久保さんを見ていると正直想像できない。

 何をいきなり聞いてくるかと思えば……。こんな無意味な質問。



「私は一目惚れはしないから。大久保さんの全部を見て判断した。そんなこといきなり聞かれても分からない」


「では聞き方を変えましょうか。スタッフ職の大久保さんと付き合ったら、はるちゃんは皆から評価されて、認められて上にいけるんですか?」


「……」



 スタッフ職の大久保さんと付き合っても上には行けない……。目的は達成できない。

 ということは私はスタッフ職の大久保さんは好きになっていなかった……?

 お金、性格、など人によって重きを置く場所は違うだろうが、やっぱり私はキャリアにステータスを全振りしているから、付き合う男の人は仕事ができる人であって欲しいという思いはどこかしらあるのかもしれないな、うん。



「はるちゃんが欲しいのは地位と名誉です。大久保さんに恋をしているわけではなくて、すごい人と付き合っている自分に恋してるだけなんじゃないですか?」



 息が詰まって目を伏せた。

 今までの記憶を辿る。

 こんな言われよう、否定したいのに――できない。



「……」



 両手で顔を覆った。



 水野が私の中に入ってくる。足音が聞こえてくる。

 頭を抱えた。嫌だ……嫌だ……。



「水野君の時もそうでしたよね。バスケが上手くてキャプテン。人一倍目立っていて皆から注目されていた。彼と付き合うことが自分のステータスだって。そう思ってたんじゃないですか」


「……やめろ」



 やはり否定できない。

 こんなんじゃまるでただの利己主義な女だ。

 好きだと思っていた感情が実は違うものから来ているかもしれないと今知った。しかも水野の口によって。



 好きってなんなんだ。私の好きって一体……。



「私は水野君が羨ましかったんです。はるちゃんから特別な目を向けられている彼が。だからバスケをたくさん練習しました。でも逆効果でしたね。……尤も、特別な目という意味ではある面私の望み通りにはなったんですが」


「……は?」



 予想外の言葉に身体の力が抜け、口がぽかんと開いてしまった。

 バスケを頑張ったのは私のため……?



 入部当初は、神田はバスケは決して上手い方ではなかった。しかし、ある日を境にどんどん芽を伸ばしていった。そのある日――時期的には私が水野君のこのが好きだと相談していた時だ。

 水野君のことを羨ましく思ってバスケを練習したから上手くなった。パズルのピースがハマった感覚になったが、一方で他のパーツが弾かれてしまった。

 なんで私のためにそんな頑張ったんだ? 当時の神田は私に何を期待していたのだろうか。特別な目で見られたいってどういうこと……?



「春輝さんは誰に対しても平等で、いつも笑顔で皆から好かれて頼られて、ザ・良い人って感じでしたよね。そんなあなたが、スタメン入りの私を避けだした時に思ったんです。他の人と同じ、無関心よりも嫌われる方が良いなって。だって私のことをそれくらい意識してくれているってことじゃないですか」


「……あんた何言ってんの?」



 からかわれてるのか?

 まるで思考回路が理解できない。

 絶句して言葉が出ないというのはこういうことか。ヤバイ人じゃん……。



「ほんの昔話ですよ。聞き流してください」


「……なんで私なの?」


「はるちゃんは一目惚れはしないって言ってましたけど、私はありますよ。一目惚れ」



 水野の目がこちらを向いた。真っすぐな視線が私の両目を射抜いた。



「あんたの好きな人ってまさかさ……」

 


 声が震えた。

 たびたび投げかけられてきた言葉を思い出す。



『好きですよ、はるちゃん』



 いや、嘘だ。絶対嘘。

 だっておかしいもん。こいつが同性の私をそういう対象にするなんて考えられないし、実際水野君と付き合っていたわけだし……。



「大久保さんには、水野には恋人がいるとお伝えください」



 水野は無表情のままノートパソコンを開いてカタカタと何かを打ち込み始めた。



「いるの……?」



 なんだよ、いるのかよ……!

 私には理解できない感情を、私に持っているということは分かったけれど、水野は頭がおかしいのでそれはしょうがない。深く考えると迷宮入りしてしまうので放っておこう。



「これ以上の質問はセクハラです。同性同士でもセクハラには十分成りえる発言なので気をつけてください」


「おい、都合の悪い時だけ卑怯だぞ!」



 この前の飲み会でも同じような話をしたくせに。こいつ……!



「京本さんの仕事のパフォーマンスが落ちたのは失恋したんじゃなくて、自分の思い通りにいかないことが悔しかっただけですね。それが分かったので1on1はこれで終わりです。今夜はお風呂にでも入って疲れをさっさと取ってください」



 水野はノートパソコンを持って席を立った。



「ちょ!」


「……私からできることとして少しポジティブなニュースを置いておくことにします」



 水野は会議室の入り口に立ち止まるとこちらを振り返った。



「……なに?」


「はるちゃんが駒米駅に住んでいると私が知ったのは、はるちゃんの私服を見るよりもっと前の話でした」


「え、どゆこと?」



 ズボンをクリーニングに出したあの日より前に、私が駒米に住んでいると知っていたってこと……?

 やっぱりデータベースにアクセスして私の住所調べていたということだろうか。



「これ」



 水野がジャケットのポケットから取り出したのは見覚えのあるハンドタオルだった。



「は? え……これ私の?」


「大切に使わせていただいてます」


「いやいや、なんで持ってんの?」


「では」


「ちょっ! おい!」



 水野はそそくさと会議室を出て行った。

 情報量が多くて頭がパンクしそうだ……。



 なんで私のハンドタオル……もしかして……。

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