任務終了

 エージェントとのミーティングから戻り、自席に着いた。

 今後はシステム導入のコンサルタントの採用に力を入れていくという方針が人事部内で決まったので、ターゲットとなるペルソナをエージェントにしっかりアピールしてきたところだ。

 ぜひ良い人を紹介して欲しいと思う。



「ミーティングの進行、任せっきりですいません……」



 ミーティングに同席した増田さんは私の横に立つと両手を胸の位置に合わせて申し訳なさそうに片目をぎゅっと閉じた。

 


「いえいえ、気になさらないでください」



 笑顔を作って微笑んだ。



「僕いた意味ありましたかね……」


「もちろんありますよ、増田さんが隣にいてくれると心強いです」



 正直、増田さんがいる意味はないミーティングだった。パソコンの画面をモニターに映すのも、スライドを流しながら説明するのも、エージェントからの質問に答えるのも全部私だった。増田、お前ただの置物だったよな? 無の1時間を過ごして私と同じくらいの給料なんて納得いかないのにも程がある。

 29歳で私と同じ一応チーフ職だが仕事が遅いし、ぶっちゃけ今度の人事評価で降格するんじゃないかと思う。



 増田さんが石と化していたので、非常に腹立たしかった。何か喋れよって何度も心の中で突っ込んだことか……。

 しかし同僚と上手くやれないと後々、自分の首を絞めることになるのでもちろん本音は言わない。エリートたるもの、仕事ができて人当たりが良くて、誰からも愛される存在でなければいけないのだ。



「あはは……。京本さん最近体調悪そうだったんで、今日は僕がしっかりしなきゃって思ってたんすけど、進行が素晴らしすぎて圧倒されちゃいましたよ。もう体調は大丈夫ですか?」


「はい、なんとか回復してきてます。ありがとうございますね」



 振り返ってみたけれど、エージェントとのミーティングはいつもの私らしく進められたと思う。齟齬が生まれないようにできる限りのことはした。

 思ったよりもメンタルは回復しているのかもしれない。これもポジティブなニュースを聞いたおかげかも。



 増田さんは安心したように良かったです、と頷くと自席にガコンと腰掛けた。性格は悪くないんだよな……ただ仕事ができないだけで。

 そのまま目線を増田さんの隣に移す。空席。

 あいつ、今若手のコンサルタントと面接中か……。



 先ほどは逃げるように1on1を切り上げられてしまい、私たちは遅れて週次ミーティングに顔を出すことになった。私たちがこのタイミングで1on1を何故していたのかは暗黙の了解で、誰も聞いてはこなかった。

 そのまま週次ミーティングが終わり、私はエージェントとのミーティングのため席を外し、帰ってきて今に至る。ドタバタな1日。



 確認したいことがあるんだ。

 後で問い詰めてやる……。



『例の件です。大久保さんのことは上司として尊敬していると話しておりましたが、彼女には恋人がいるそうです』



 エージェントとのミーティングが早く終わったこともあって少し時間ができたので、チャットの画面を開いて文章を打った。

 大久保さんのことを尊敬してるなんてあいつは一言も言ってなかったけど、これは大久保さんのショックを和らげるための私なりの気遣いだ。

 送信ボタンを押そうとした手が止まった。

 セキュリティには常に気を配っているとはいえ、誰に見られるか分からない状況でこの文章を送っても良いものだろうかと迷った。文字は残るものだし、業務外のことを容易く送るのはいかがなものかと躊躇してしまう。



 まぁいっか、固有名詞を出しているわけではないし。

 大久保さんと顔を合わせてこれを伝えるのも何となく気まずいのでチャットで済ましてしまおう。



 Enterキーを押そうとした手がまた止まった。

 水野は、私は失恋したんじゃなくて地位と名誉が手に入らなくて悔しいだけだと言った。確かに否定はできなかった。しかし、これは失恋じゃないとは私は言い切ることができない。やはり選ばれないということは辛かった。ショックなものはショックだ。これが恋じゃなかったとしても、それに似たショックを少なからず受けていると思う。

 私が書いた文章を見て、大久保さんはこれから本当の失恋のショックを受けることになる。それはまるで候補者に不合格通知を送るような気分だ。でも送る時は送らなければいけないし、これをしないと私の任務タスクは完了しない。中指に力を込めてEnterキーを押して、文章が送信されたことを確認するとふぅっと一息ついた。



 終わった。



 切り替えていかないとな。デスクの上に置かれているハンドクリームに手を伸ばして、手の甲にすり込んだ。

 これもコーヒーと同じ、できる女を表現するための演出。ハンドクリームの良さは正直分からないけれど、持ってる女ってなんか上品だしかっこいいじゃんって思ったから。



 ちょうどその時、水野が席に戻ってきた。来たな。

 一瞬目が合ったが、逸らされた。水野は席に着くとすぐにデスクトップに向かって無表情でタイピングをし始めた。

 ん、ちょっと怒ってる……? 面接した人、あんま良い人じゃなかったのかな。



「どうでした? 良い感じでした?」



 増田さんは水野の話しかけんなオーラを無視して尋ねた。



「はい、合格です。IQの高さを感じましたし、実績も申し分ないです。二次面接に進んでいただこうと思います」



 水野はちらっと増田さんの方を向いて応答した。



「うおーやった! 若手コンサルは期待っすねー」


「はい、仕事内容についてもう少し聞いてみたいとのことでしたので二次面接は現場のコンサルタントに依頼する予定です。他社選考もあるみたいですが、うちを前向きに考えてくれているみたいなので上手く口説き落としたいところです」



 そう淡々と告げるとデスクトップに視線を戻してまた何かを打ち始めた水野。

 なんで合格なのにちっとも嬉しそうじゃないんだよ……。人事的には面接した人が良い人だったらテンション上がるもんなのに。だいたい合否は戻ってきた面接官の顔を見れば分かるものだが、相変わらず読めない。

 対して水野は私のことを思っている以上に分かっていた。私が地位と名誉に執着してたって高校の時からきっと分かっていたんだろう。恋愛感情なのかそうじゃないかも区別できない私を差し置いて……。

 実際、こんな利己主義な奴が身近にいたら自分だったら嫌だと思う。否定はしないけれど応援したいと思えないし。でも、そんな私から特別な目を向けられたいと水野は思っていた。まぁ、水野は頭おかしいからな……。

 


 含みのある視線と、一目惚れという言葉……。

 もしかして水野君と付き合ったのも私の目を盗むため……? いやいや、さすがにそれはないか。考えすぎかもしれない。



 度々投げかけられてきた「好き」を思い出す。利己主義で、ガサツで、見栄っ張り。女子力なんてどこにもない。そんな私の本性を知ってる上でかけてきた言葉であれば、とんだもの好きだと思う。



 どんな私でも受け入れて、好きって言ってくれんのかな、なんてね……。

 天敵に何を思ってんだか。私の弱みを握っている人間なんていなくなってくれた方がよっぽどマシなのに。



 私は水野が何を考えてるか一切分からないくせに、こいつは私のことを分かってるのが気に食わないな。本当いけ好かない奴。

 そう思いながら目線を斜め下に移すとパソコンの画面に通知が入ったのが見えた。

 大久保さんからの返事だった。



『そっか、了解。

 ありがとう』



 これだけか。なんだかあっけないな。



 不合格通知を受けて大久保さんが水野を諦めたのかどうかは分からない。好きな人に恋人がいても諦めない人は一定数いるだろうし。

 ちなみに弊社の選考は不合格でも1年後にもう一度選考を受けることができるし、不合格だからといって諦めないで毎年のように受けてくる人もいる。

 私としては大久保さんからの恋愛相談なんてもうまっぴらごめんなので、諦めてさっさと満点の人事評価を私に残して転職して欲しいとさえ思う。これが不合格を受けて相手を逆恨みをするパターンの良い例だ。つくづく企業の選考って恋愛に似てるなって思う。



 度なしのブルーライトカットのメガネをくいっと上に押し上げてコーヒーを口に含んだ。

 再度水野に目をやった。

 ひたすらタイピング。確認したいことがあるのに話しかけんなオーラがむんむんと出ている。私は増田さんみたいに空気を読まずに話しかけることは性格上できない。

 ちっ……奥の手だな。



『猫飼ってたりしますか』



 私は大久保さんから水野にチャットの画面を切り替えた。社用チャットで雑談なんて滅多にしないけれど、さっき大久保さんに業務とは関係のない不合格通知を送ったこともあって、この一文は安易に送信することができた。



 1on1で水野が私に見せてきたハンドタオルは子猫にあげたものと同じだった。

 水野も駒米に住んでいるし、駅前で捨てられていた猫の存在は知っていたんだ。だから、私がずぶ濡れになってしまった朝に、捨て猫にハンドタオルをあげたことを知って、データベースにアクセスして私の住所を調べたのかもしれない。

 彼女がいつ子猫と接触したのかは知らないけれど、いずれにせよポジティブなニュースというくらいだから子猫は生きているんだと思う。誰かに保護されたのか、あるいは水野自身が引き取ったのか。そこをクリアにしたかった。



『はい』



 返事はすぐに返って来た。

 前から思っていることだが、仕事ができる人、早い人って忙しそうなのにこういうレスポンスが早いのは何でなんだろうか。かく言う私も即レス人材なのだけれど。



『何匹飼ってますか?』



 もしかしたら、以前から猫を飼っている可能性があるからな。



『1匹です』


『最近飼い始めました?』


『はい』


『グレーの猫だったりしますか?』


『はい』



 ここまでのやり取りで確信した。ビンゴ。あの猫、やっぱり水野が拾ったんだ……。

 夜寝る前や道を歩いている時に度々思い出していた。どこか頭の中にいて離れなかった存在。

 何はともあれ、無事が確認できて良かった。若干水野に拾われて猫は大丈夫なのか心配だけれど。



『元気ですか?』


『元気ですよ。見たいですか?』


『見たいです』



 これで私が見た猫と一致すれば今日は美味しいお酒が飲める気がする。



『申し訳ありませんが、社内チャットでプライベートな画像は送れません』



 は?



 見たいですかって自分から聞いてきておいて、その返しはないだろ!

 目線を上に上げて水野を睨んだが、あいつは相変わらず無表情でカタカタとタイピングしている。

 この野郎……。



『連絡先を教えろってこと?』


『見たいんですよね?

 見せてあげたいですが社内チャットでは送れないってだけです。別に良いですよ、教えてもらわなくても』



 なんでこういう言い方しかできないわけ?

 本当腹立つ!



『Shit!!』



 Enterキーを強めに叩いた。

 見間違いかもしれないけれど水野は一瞬、ふふっと笑ったように見えた。



『言葉には気を付けた方が良いですよ。

 この画面スクショしてグループチャットに貼り付けて良いですか?

 京本さんに暴言吐かれましたって』


『やめろ!

 ちょっと待ってて。ID送るから』


『分かりました』


『猫の写真以外はメッセージ送ってくんなよ?

 ばーかばーか!』


『文章が小学生ですね』



 IDを確認するためにプライベート用の携帯を鞄から取り出した。

 くっそ、こんなことで会社の人に連絡先を教えることになるなんて……。本当は教えたくなかったけど、子猫のためだ、仕方ない。



 チャットアプリを開くと、通知が1件。

 ミヤちゃんからメッセージが着ていた。



『春輝さん! 

 最近来てくれてないの寂しいです。

 お忙しい感じですか?』



 あぁ、そういえば最近残業まみれだったし、気分的に沈んでいたこともあってシャドーに行けてなかったな……。

 仕事だと何百というメールを処理するのに滅多にプライベートなメッセージを受信しない私。私のことを気にかけてくれて、メッセージをくれたんだと思うと嬉しかった。



『ごめん、仕事立て込んでたけどもう大丈夫だと思う。

 今週末行くね!』



 ミヤちゃんと最後に会ったのは、失恋して酔い潰れていた時だった。あれから少し経ったけれど心の傷は癒えただろうか。家族とはうまくやれているだろうか。

 大久保さんから不合格通知を受けた身としてはミヤちゃんの気持ち、今なら分かってあげられる気がする。



 私はIDを水野に送った。

 数分後にグレーの猫の写真がプライベート用の携帯に届いた。

 紛れもない、あの時の子猫だった。口の筋肉が自然と緩んでしまうのを手で隠した。



 あぁ、急にマスターのジントニック飲みたくなってきた。週末はなるべく定時で上がろう。

 そのために残っているタスクを終わらせてしまわなければ。



「よし、集中!」



 心の中で叫んだ。

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