介入
週明けのこと。
1日中いちゃいちゃするというなんとも至福な休日を過ごし、だいぶ充電されたからだろうか、いつもの執務室が色鮮やかに見える。
水野の席には既に荷物が置かれていてそれを目にするだけで心が和む。
「あ」
声の方を見るとやつれた顔の男――寺内さん。少し痩せただろうか。マグカップを片手にこちらを見て苦笑いをしている。
「おはようございます」
「京本さん……おはようございます」
「体調、いかがですか」
「はい、なんとか……。一応今日から時短で復活です」
寺内さんと話すのは、あの時の電話以来。
よっぽど辛かったのか、ずっと出社していなかった。見ていられないくらいの委縮した風貌。かわいそうだ。
「顔色が良くないように見えますが……」
「はは、大丈夫ですよ。京本さんに話聞いてもらってから肩の荷が降りたというか、だいぶ気が楽になりました。月末ですし、今日横内さんと1on1があるのでその時に新庄さんの件は相談しようと思います。作戦通り、頑張ります」
寺内さんは口を横ににっと広げて無理に笑ってみせた。
「そうですか。作戦、上手くいくと良いですね」
月末は1on1の時期。私も横内さん達との1on1を目前に控えている。
寺内さんが出社できるまでメンタルが回復したのは良いが、横内さんは寺内さんの相談を受けてどう動くのかが気になる。
水野から聞いた話ではその後も横内はしつこく会える日を尋ねてくるとのこと。相当な執着だ。不服が募る手前、寺内さんからの相談もふまえて、新庄さんがまた中途採用チームに戻される可能性は十分にあり得るだろう。そんなことになったら最悪だが、水野を横内に取られるよりはよっぽどマシだ。
「ありがとうございます。なんか俺たちだけしか知らない話題って感じで照れくさいですね」
「あ……はは」
寺内さんは満更でもないようだが、私には苦笑いしかできない。
「チームは違うけど、支えてもらって同僚として本当頼もしいです。……話聞いてもらったお礼も兼ねて飯でもどうですか? 奢りますから」
……何故そうなる。
私はあくまで同僚として助けただけだ。恋人ができた以上はもう寺内さんの誘いにも乗るわけにはいかない。
だからと言って真向面から拒否するのも……。顔色の悪い寺内さんに刺々しく接する訳にもいかず。
「えっと……もう体調は大丈夫なんですか?」
なんとか場を繋ぐ。
青白い顔でご飯に誘われても、まずは体調治せよと言いたい。
「京本さんと飯行けるなら俺めっちゃ頑張れますから」
「それはダメですね」
突然飛んできたクナイによって会話が切り裂かれた。
「…………水野さん?」
寺内さんは目をぱちくりさせて水野のことを見ている。
私も唖然と水野を見た。
「聞き耳を立てていた訳ではありませんが、偶然にも聞こえてしまったので介入せざるを得ませんでした」
なんで来た……。
なんで来たの……。
驚きと煩わしさの混じった私の心の声が脳内に反響している。
「あの……なんで水野さんが?」
「京本さんは私と付き合っているからです」
水野は淡々と告げた。
え。
そこ言っちゃう!?!?
「……はい?」
寺内さんは苦笑いで返した。
なんで今? ……みるみる血の気が引いていくのが分かった。
「ちょっと水野さん! 寺内さん、これは違っ……違くは……えーと……」
咄嗟に否定しようにも、交際は嘘ではない。
水野を前にして否定もできずに口ごもり、硬直状態になる。
「な、なんなんですか。京本さん困ってるじゃないですか。水野さんってそういう冗談言う人だったんですね、知らなかったなぁ」
凍りついている私に、冷たい空気感の水野。
寺内さんは少しでも場を温めようとしているのか、必死な様子だ。
「冗談ではありません」
「またまた~。もういいですから、そういうの。ねぇ、京本さん?」
寺内さんはこちらを見た。
「……」
無言で水野を見る。
相変わらずの無表情だが、否定すんなよという圧力が込められているような気がする。
「あの……京本さん?」
「……」
葛藤。
「え、違うならそう言ってくださいって。朝から冗談きついですよ」
完全に追い詰められた。もうこれは正直に言うしかない……。
「違わない……です」
「は? ……嘘でしょ」
「……」
寺内さんも固まった。執務室にはパソコンのタイピング音、誰かが話している声が静かに響いている。
「理解が……追いつかないんですけど。本当なんですか? 俺を……からかうための嘘じゃなくて、ガチなんですか?」
「本当だと言っているじゃないですか」
慌てふためく寺内さんに追い討ちをかけるようにして水野はピシャッと言い放った。
「え……もう訳分からないですよ……。京本さんは女性が恋愛対象だったんですか?」
寺内さんの唇はカピカピになっていた。
もう無理だこの空気感。私は時計を確認した。
「申し訳ありませんが、これから面接なので準備させてくれませんか」
「……はい、すいません。俺もコーヒー……はぁ」
切り替えなければ。
あからさまに凹む寺内さんに背を向けて私は面接会場へと向かった。
――――――――――――――
一通り、課題を片付けた私は予定表に目を通した。
次は週次ミーティングだが、まだ時間がある。
「水野さん、別件で話がありますのでちょっと着いてきてくれますか」
「はい」
水野の業務がひっ迫していないのはカレンダーを見て把握済みだ。
給湯室を覗き、誰もいないことを確認したので中に入った。
「あのさ、いきなりぶっ込みすぎじゃない?」
「……今朝のことですか?」
「そうだよ。いきなり現れてびっくりしたし」
「何か不都合なこと、ありましたか」
「不都合っていうか、言うの早くない? 堂々とし過ぎじゃない? こういうのって他の社員の人には秘密、みたいなそういうスリルを味わってこそのオフィスラブなんじゃないの?」
オフィスラブという言葉を自ら口にしてからなんだか急に恥ずかしくなって目を伏せた。
「脳みそがお花畑ですね、人の気も知らないで」
恥ずかしさで若干スタン気味の私に水野の突き攻撃が炸裂する。
「は? 誰がお花畑だよ。私がお花畑ならあんたは雑草だな、冷めすぎなんだよ」
頭の良い人、論理的な人は少し冷めていると思う。私もそこまではっちゃけている方ではないが、秘密の恋愛とかそういうのなんか良いじゃんって思う。あはは、うふふのちょっと駆け引きじみた恋愛に憧れないわけではない。
「脳みそが雑草……その表現は意味がわからないですね。もしギャグのつもりなら冷えているのはあなたの方です」
「おい、辛辣なつっこみやめろや!」
「辛辣に突っ込まざるを得ません。……どうして寺内さんからの誘いをすぐに断ろうとしなかったんですか。寺内さんとなら無しじゃないと思ってるからですか」
不安モードに入ったのか水野の表情は暗いものになった。
「無しだって。でも寺内さんは同僚だし、直球に断り辛いっていうのも分かってよ。こういうのは穏便に済ませたいんだ」
「そっか……はるちゃんらしいと言えばらしいですね。でも交際事実が明るみになれば穏便に断れると思いますよ。もう誰もはるちゃんを気軽に誘えませんしね。我ながら良い仕事をしました」
「そうかもしれないけど……思ってたより言うの早かったな、まじで」
水野と付き合うことで、後々同僚にバレてしまうのは想定していた。
でもまだ人に知られることに抵抗がないわけではない。よりによって最初が寺内さんか……。
「はるちゃんを他の人に見られるのが嫌。はるちゃんが他の人を見るのも嫌。この階の執務室には少なくとも4人はるちゃんをよく見ている人がいます。寺内さんもそのうちの1人です」
「私のこと見てる人って誰?」
「それは知る必要のないことです」
「……」
そこまで言っておいて教えてくれないのかよ。口をへの字にして溜息をついた。
「あなたを一番よく見ているのは私なんですから、よそ見しちゃだめですよ」
両手で頬を挟まれた。
「よそ見とか……別にしてないし」
あえてよそ見しながら言った。
「ふふ」
水野は小さく笑って私から手を離すと、ポケットからハンドクリームを取り出して自らの手につけた。
「出しすぎてしまったのであげます」
「おわっ」
冷たく、しっとりした手で私の手は包み込まれた。
出しすぎた、とかあえてだろ。
「これからは、はるちゃんの手は私が保湿してあげますから。もう机の上のアレは片付けてくださいね……もうすぐ週次定例なので行きましょう」
机の上のアレ……寺内さんからもらったハンドクリームのことだろう。水野は心配性だが、同じことされたら確かに私も良くは思わない気がする。
こういう形で独占欲を出されることは嫌だとは全く思わないが、できるだけ彼女を不安にさせないようにしなければ。
「……分かった」
会議室に向かって私たちは歩き始めた。
中に入ると既にチームメンバー全員が揃っていた。
「横内さんは途中参加ではないのですか?」
不快感を隠しつつ尋ねる。横内さんはいつもこの時間に他の会議が入っていて、このミーティングには途中から参加していたが、今日は最初から居やがる。
「あぁ、寺内君が早退して1on1がなくなったからね。別の会議を前倒ししてもらったんだよ」
「そうですか」
寺内さん……早退って、まさか私たちの話聞いてショックだったのだろうか。
そうしている間に、進行役の水野はノートパソコンを操作してプロジェクターに画面を映している。
「投影に使うファイルですが、クリックするとファイルが破損しているため、開くことができませんと表示されますね。最終更新者は増田さんになってるようですが」
「あれー俺何かしちゃいましたかね」
顔を歪めた増田さんはぎこちない足取りで水野の方まで行き、PCの画面を覗いている。
「増田君、ファイルのバックアップは取ってある?」
横内さんが尋ねた。
「取ってないっす……」
「あらー。まぁ増田君に限らずなんだけど、今後はファイル編集する時は自分のローカルPCに落としてバックアップを取ってからっていうのは徹底で頼んます」
「はい、すいません」
週次ミーティングで使うファイルは、各々が進捗を書き込むことになっている。同じ時間帯にファイルを操作している人が複数いると、問題を起こしてファイルの破損に繋がったりすることがたまにある。
正直、私はいちいち編集前のバックアップを取るということは面倒なのでしていない。
「今朝時点で編集前のデータのバックアップは取ってますがそちらを使いましょうか」
できる社員の水野はしっかりバックアップを取っていたようだ。
「うーん、それだと水野ちゃんの後に編集した人のデータは残ってないしなぁ。今回はフェアに、みんな口頭で発表してもらおっかな。フェアに」
横内のフェア、をあえて強調した耳に付く言い方よりも、「水野ちゃん」と言ったことに腹が立つ。万死に値する。
交際を公にするなら優先的に横内に言って欲しいと思う。
――――――――――――――
会議が終わった後のことだった。
「水野さん残れる?」
と横内。
「ご用件はなんでしょうか」
「まぁ色々」
クソが。2人にさせてたまるか。
「水野さん、先ほど求職者の加瀬さんから連絡が来てました。至急電話で話したいことがあるそうです」
水野の担当している求職者に加瀬さんという人はいない。作り話だ。
「分かりました、ありがとうございます」
水野はそそくさと会議室を出て行った。
ありがとう、は横内から引きはがしてくれてありがとうの意だろう。
「京本さん」
横内さんはこちらを向いた。
げ。私にもなんか用かよ。
「はい」
「何か寺内君から聞いてない?」
「……寺内さんから、ですか?」
「最近寺内君、会社来ないじゃない。京本さんとは何度かデ……食事したって聞いててさぁ。何か聞いてないかなって」
「何も聞いてないですね」
何の目的があるか分からないが、この件については寺内さんから後々直接相談されるものだし、知らないふりで良いだろう。
「……俺の主観ではあるんだけど、水野さんも何か調子が優れない気がしてるんだ。何か聞いてない?」
しわの刻まれた目がぎょろっとこちらを向いた。
「聞いてないです」
「はっは、そっか。俺も組織のために働いてるからさぁ、部下のマネジメントはしっかりしたいと思ってるのよ。だから教えてくれたら……京本さんの次の評価、だいぶ期待できるものになる予感がするんだけどなぁ」
こいつ……評価を釣りにして私にスパイ活動させるつもりか。どこまでも腐ってやがる……!
クズ野郎だということは知っていたが、ついに私にも本性の一部を現してきたようだ。
「……今のところは何も分からないので」
「分かったらで、良いから」
「はい……。すいません、次があるので失礼します」
通路を歩く。
ああやって聞いてきたが、横内さんが1番知りたかったのは水野の情報だろう。あくまで寺内さんのはカモフラージュだ、きっと。
横内という男……。
そのまま大人しく、という訳にはいかないようだ。
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