変化と希望

 春――4月。新しい季節の始まり。

 スーツを着こなせていない新卒社員と、咲き誇る桜の花びら。



 桜が年中咲いていないのと同じように、社内の風情も日々変化している。大きなことと言えば、寺内さんの転職だろうか。詳しくは聞けていないが、ベンチャー企業の人事になったらしい。

 そして来月には、大久保さんがDAPに戻ってくる。転職先の会社が倒産してしまうらしく……。うちの会社は一定以上の成果をあげていると「カムバックパス」というものが発行され、3年以内であれば戻ってくることができる。それを行使し、再び中途採用のマネージャーとして私の上に就くことになった。きっと私たちの関係を知ったら驚くんだろうなと思う。



「あぁ、春輝さん……?」



 エレファントの中――バーカウンターに腰かけていると背後から声がした。

 振り返ると少し髪の伸びたミヤちゃんが目を丸くして立っていた。



「あ……! ミヤちゃん……久しぶりだね」


「またここで会うなんて……元気でしたか?」


「元気だよ。ここさ、紹介してもらってからたまに来るようになったんだ。ミヤちゃんは元気?」


「元気ですよ!」



 ミヤちゃんは屈託のない笑顔で笑った。

 気まずさのようなものは全然感じない。もうミヤちゃんも吹っ切れたんだなと思う。



「隣、彼女さん、ですか?」


「まぁ……うん」


「こんばんは」



 水野はミヤちゃんに笑顔で挨拶をした。

 前はミヤちゃんと水野を会わせるのはちょっと怖かったけれど、今はそんなことはない。だって水野は私を信じてくれていると思うから。

 嫉妬深いのは変わらない。水野はミヤちゃんのことを内心良くは思っていないかもしれないけれど、メンタルは実際かなり回復して来ていると思う。あまり病まなくなったし笑顔も以前より増えているし。

 最近はここでの顔なじみも増えて来た。そして「株」という趣味っぽいのもできたようで、朝にレートをチェックするのが日々の楽しみなんだそう。裁縫や生け花などなどではなく、株、というのがまた水野らしいなと思う。



「こんばんは! いやあ、なんか良いですね。うちも早く相手見つけなきゃなぁ……」



 ミヤちゃんは鼻先を軽くかいて、ため息交じりに笑った。



「ミヤちゃん……受験は……」


「あぁ、決まりましたよ。最近バタバタしてて来られなかったんですけど、晴れて看護学生です!」


「そっか、お疲れ様! おめでとう。良かったね!」


「はい、ありがとうございます!」



 良い結果じゃない可能性もあったから若干聞きにくかったけれど、合格したようでなによりだ。一歩、進めたね。



「ミヤじゃん!」


「おー!」



 なにやらトイレから出てきた短髪の若めの女性がミヤちゃんに話しかけている。



「久しぶりー。ねぇ、彼女できた~?」


「んー勉強が彼女だったー」


「あはは、おっつー。ゆかりとかいるよ、うちらあっちで飲んでるから」


「まじ? 行く行くー! あの……友達いたんで行ってきますね! また機会あったら飲みましょう、彼女さんも一緒に」


「うん、またね」



 ミヤちゃんの背を見送る。



「ミヤちゃん、良い子そうですね」


「そうだね、良い子だよ」


「受験、懐かしいです」



 水野はお酒を一口飲んで、ゆっくり溜息をついた。



「懐かしいねー。思い出したくもないなーあの頃は」


「どうしてですか」


「えーどうしてって……だって起きてる時間ほぼ勉強だったし。楽しみがご飯食べる時とお風呂入ってる時、寝る時くらいしかなかったし……本当は遊びまくりたかったのに」


「そうですか……」



 あの頃は志望校が志望校なだけに一つも気を抜けない状況だった。

 勉強するためのロボットと化していたと思う。全然楽しくなかったし、ふとなんでこんな勉強ばっかやってんだろって全部投げ出したくなる時が度々あった。

 普通はみんなそんな感じだと思うのだけれど、水野は違ったのかな。どうしてですかって聞いてくるくらいだし。



「飛鳥もそんな感じじゃなかった? それとも要領良いからあんまり勉強しなくても良いタイプだったのかな」



 水野は偏差値高めの有名私立大学を卒業している。

 それなりに頑張らなければ受かることはできないようなところだ。大変な思いをしたのは間違いないと思うんだけど……。



「私は、現実に向き合う時間が減ったので受験があって良かったですね。……勉強が好きかと言われればそうではありませんが、勉強をしている時間は自己嫌悪に陥ることはなかったので」


「そうなんだ。法学部行こうと思ったのってなんでなん?」


「受かった学部の中で一番偏差値が高かったからです」


「なんだ、そんな理由か」


「はるちゃんは弁護士にでもなるつもりでした?」


「ううん、法学部だったら将来の幅広がるだろうなぁっていうそんな理由。選択肢は広く持っておきたいなって思ってたから。卒論もなかったしね」



 私たちの共通点。

 勉強したことが直接役に立ったかと言われれば分からないけれど、横内をやっつけた時に水野と連携プレーできたし、法学部で良かったなと思う。



「でも皮肉なことに法律は私たちを守ってはくれませんけどね」


「え……?」


「結婚、できないじゃないですか」



 水野は目を伏せた。



「うーん……」



 私もこの問題は最近考えるようになった。もう年齢も年齢だし。

 グラスを傾けて喉に流し入れる。



「はるちゃんと付き合う前まで、ずっと結婚なんてって思ってました。結婚するメリットは経済面くらいしか思い浮かばなくて。……結局結婚しても私の両親のように関係が破錠しては幸せでいられる保証なんてないですから」


「うん……」



 私も結婚したい、というよりは世間体的にしといた方が良いのかな、くらいにしか思っていなかった。



「でも今は結婚したいと切に思えるようになりました」


「……なんで?」


「……一緒にいる理由がただ欲しいからです。結婚できれば、誰にも私たちの関係を咎められることなく、何も気にすることなく一緒にいられるんです」


「一緒にいられる理由、か……確かにそうだね」



 たかが紙切れ1枚なのかもしれないけれど、それは一緒にいることの許可証にもなり得るもんな。水野の言ってること、分かる気がする。



「結婚は法律に守られます。だから関係がそう簡単には崩れることもありませんし」


「そうだね……」


「でもこの国ではそれが叶いません。パートナーシップなどという制度はできていますが、それらは法の下には適用されません」



 ミヤちゃんも似たようなことを言っていた。

 あの時はミヤちゃんの気持ちが分からなかったけれど、当事者になってみて思うこと――法律が適用されないというのは自分たちの関係を認めてもらえない感じがしてただ悲しい。好き同士でただ一緒にいたいのに、同性というだけでそれが認められないなんて。



「……将来は結婚できるところ行っちゃおうか。住む場所は日本である必要なんてないんだし」


「仮にそれで結婚したとしても……。はるちゃんは子供が欲しいと思ったことはありませんか」


「うーん、あんまり……。結婚自体もピンと来てなかったし。ずっと仕事していくつもりだったから……。飛鳥は?」


「私ははるちゃんがいればそれで良いと思っています。でももしはるちゃんが家族が欲しかったら……女の私を選んだことを後悔してるんじゃないかと思ってしまう時があります……すいません、少し酔っているかもしれません。でもこういう時でしかなかなかこんなこと言えなくて」



 愛に一直線であんまりこういうこととか考えてなさそうだったのに……。

 ずっと気にしていたんだろうか。



「後悔なんてしていないよ。……子供が欲しくなったらそういう選択肢を取ることだってできるじゃん。私は飛鳥と会えて良かったってすごい思ってるよ、性別なんて関係ないよ」


「本当ですか……」


「うん、本当」



 水野の手を握った。

 たとえ今世間が認めてくれなくても、まずは私たちが自分たちの関係を認めることから始めなきゃ。絶対この愛は本物なんだし。



「ハルアス!」


「「!?」」



 突然キヨさんに名前を呼ばれた。

 名前の最後がカ行の人は省略するとういうキヨさんの謎ルールによって、水野は「アス」と呼ばれている。私たちがペアでいると、繋げてそう呼んでくることが多い。



「ねえ、このネイルどう思う? いい感じじゃない?」



 キヨさんは爪を見せてきた。

 綺麗な指先――グレーのラメがキラキラと輝いている。



「かわいいですね」


「ふふ~ん、ハルはどう?」


「良いんじゃないですか」



 職業柄、私たちは派手なネイルができないのでこういうのは羨ましいなと思う。



「うっふーん、ありがとう。男の意見より女の子の感想聞きたかったから~。そう言ってくれてうれしい」


「男の人はあんまり爪とか見ない人多いですもんね」


「それもあるしー? カップルはお互い良い顔見せようとするから、こういうの聞く時はカップルに聞くと良いのよね〜、大概褒めてくれる。道に迷った時もカップルに聞くと高確率で笑顔で道案内してくれるものなのよ、うふふ〜」


「……」


「……」



 キヨさんはご機嫌そうにお店のバックヤードの方に去って行った。

 なんなんだよ。……相変わらずマイペースな人だ。



「今度から私も道に迷ったらカップルに聞くことにします」


「私も……」


「……でも少なくとも今は、道に迷ってません。はるちゃんがいるから」



 水野の顔を見る。

 曇りのない瞳。そんな目をじっと見ながら言葉を返す。



「私もずっと何のために生きてんのかなって思ってたけど今は違う。最近楽しくて仕方ないんだ。飛鳥がいるからだよ」



 ただの後輩だったのにこんなに自分にとって大事な人になるなんて1年前の私は思いもしなかった。

 水野が転職してきて、一時期は築き上げてきたものが全部台無しになってしまうと恐れていたけれど、そんなことはなかった。ありのままを受け入れてくれる存在が1人いることで、会社でも作り笑顔をしなくても自然に笑えるようになってきた。



 握った手の先を見る。



 私は私らしく、これからもエリートとして職務を全うします。

 相方と共に。



 ――あんたのせいで私のエリートが台無しなんだが『完』

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