ほくろ

 私は冬が好きだ。

 こう……寒い空間の中で布団などに包まってぬくぬくするのが好きなのだ。だから夏は冷房をガンガンにつけて部屋をキンキンに冷やす。そして布団に包まる。こうして冷気を肺に吸い込みながらも肌で感じる、温もりというのは私の心を満たす。ありがたき生の温もり。それはまるで真冬に温かいお風呂につかった時の腹から「ああぁぁ」と声が出るようなあの感覚に似ている。……ちょっとそれは盛った。

 冬が好きなのは、こういった私のフェチもあって暖房をあまり使わないから。つまり、電気代の節約になる。そういう意味で好きなだけだ。



「おはようございます」


「おはよう」



 眠たい目をこすりながらごろごろしていると頭を軽くなでられた。

 今は年も明けてちょうど一番寒い時期。シングルベッドに2人は少々窮屈だが、誰かと一緒にベッドに入っていると温かい。そして私と水野の間にはプリンがいる。より暖かい。なんという幸せな空間なのだろうか、朝から最高だぜ。



「お腹すいたなー」



 寝起きはあまり空腹感を感じないが、ちょっとちょっかいをかけたくなった。何か会話をしたいが何も出てこないのでただ口に出しているだけ。

 甘え口調で言ってみると、水野は私の頬を親指でなぞってクスっと笑った。



「何か作りますね」


「んーねむいー」



 プリンがひょいとベッドから降りたのに続いてベッドからずらかろうとする水野の服を引っ張って止める。

 お腹すいたとは言ったものの、行って欲しくはないんだよ分かってこの気持ち……。



「……起きないんですか」


「んんん……寒いし」



 布団を自分の身体に巻き付けて包まる。ただし水野の服を掴む手は離さない。



「もう良い時間ですよ。こうされてはご飯を作ることができないです」


「んー。ちゅーしてくれたら放す」


「かわいいおねだりができるようになりましたね……」



 頬に手を軽く添えられて朝一番のご褒美をもらうことができた。

 唇を離した後の至近距離で見つめ合う。

 水野の小さく形の良い唇を人差し指の第一関節でなぞると、そのまま軽く咥えられ、ちゅっと音が鳴った。



「何それ、かわいすぎ」


「誘ってるんですか……」



 もういっそこのまましても良いか、なんて思ってしまうが、ふと水野の顎の横にあるほくろが目について顔が綻んだ。



「……ははっ」


「? ……なんですか?」


「いや……ほくろ、かわいいなって思って」



 この位置にあるの、本当反則だなと思う。だって何かエロいしかわいいし、ちょっとミステリアスだし。



「これ、取りたいんですよね」



 水野は顎付近に手を当てて、眉頭を僅かに上にあげた。



「え、なんでよっ」


「泣きぼくろならまだかわいいですけど、この位置はちょっと……それに、みんなここにキスをしてきて何か嫌でした」



 なんだそれ。

 途端に無の表情になる。



「……」


「はるちゃん?」


「ほんっとにさぁ。飛鳥が嫉妬深いって言うから私はなるべく過去の人とかそういう話題出さないように気をつけてるのに。誰がそこにキスしたとかそんなん今話す必要あった? あーー起きる気失せた」



 水野に背を向ける。

 私は結構配慮しているつもりなのにそりゃないよ……。本当はこんなことでむくれるなんて、らしくないと思うけどそれくらい好きになってしまってるんだから仕方ないだろうが……。くそう……。



「ごめんなさい、私がはるちゃんの立場だったら嫌なだなって今すごく思いました」


「……」



 背後で声がしたけれど、それを溜息で返した。



「償いの意味も込めてやはりこのほくろは取るべきですね」


「取らなくて良いから! そこにほくろあるのめっちゃかわいいんだからな! ……あぁ、もううっざ」



 一瞬体をひねって振り返ったが、相手を称賛する言葉を述べてしまったことに気が付いてすぐに体勢を元に戻した。私は今怒っているんだ、それを忘れてはならない。



「はるちゃん……」



 しがみつくように後ろから抱き着かれる。

 水野の声が首の側面をかすった。



「暑いから離れてください!」


「さっき寒いと言ってましたよね」


「急に暑くなった! あー暑い!」



 身をよじりながら、ぶっきらぼうに声を張って微弱な抵抗をしていると水野の手が私の背中を上下に数回往復した。そしてその手は中間のあたりで止まった。



「ねぇ……肩甲骨のこのあたり、ほくろあるの知ってますか」


「え、誰が……? 私?」


「はい。高校の時にあったので今もきっとあるはずです」


「お、おう。なんか……よく覚えてるね」



 今になってほくろの話されてもなぁ……。

 なんだか反応に困ってしまう。



「ここにキスしたいんですが良いですか」


「……え、今?」



 首をひねって水野の顔を見た。



「はい。ずっとここに口付けたいと思っていました……。でも、いつもする時は電気を全部消しちゃうから見えなくて……」



 水野の瞳に口をぽかんと開けた私の姿が鮮明に映し出されている。瞳に映る自分自身と目が合って我に返った。



「……え、いや、でもここにキスしたところで何もならんやん?」


「いいえ、私の中の閉ざされていた扉が開きます」


「なんだよそれ!」



 どんな扉だよ!



「暑いんですよね? では服を脱げば良いと思いますよ」



 私の着ている服に水野の手が触れた。



「今急に寒くなった!」



 首の位置を戻してハリネズミのように包まってみせる。



「……どうしてそんなに嫌がるんですか」



 ぎゅっとまた後ろから抱き着かれて耳元で囁かれた。

 私は今起こっているんだから相手の好きにはなってやるか、と思う。でもこんな鳥肌の立つような甘え口調で耳をくすぐられては強く言い返すことなんてできない。



「えー恥ずかしいし……」


「恥ずかしいことなら今までたくさんしてきたじゃないですか」


「あっ……う」



 そうこうしている間に私の上着はたくし上げられて、背中が冷たい空気に晒されてしまっている。



「ありました……」



 つーっと水野は指先で私の背に線を引いた先、先ほどの場所で指が静止した。



「っ……」



 くすぐったさに声をこらえる。



「んっ」



 鼻から漏れる甘い吐息が背中にかかる。

 唇で優しく挟まれる感覚に身体の力が抜けそうになったが、舌先でちろちろと一点をなぞられて、思わず目と握りこぶしにぎゅっと力が入った。



「待って、それ、なんかやばいって」


「吸っても良いですか」


「えぇ……?」



 私が返事をする間もなく、唇で挟まれた場所に肌がぐっと引っ張られたのが分かった。数秒耐えた後に唇が離れていった。



「ここもすぐに赤くなるんですね、かわいいです」



 面白がっているような声が背後で聞こえる。

 痕、つけられたようだ。

 ……こういうことを水野はわりとしてくるから、出社前は首元など大丈夫か朝起きた時に鏡の前で確認する日々を過ごしている。



「くっ……この前……首につけられたやつ、コンシーラーで何とか隠せたけど……周りの目、すごく気になってあんま集中できなかったんだから仕事あるときはやめっ……」


「ここは見えない場所だから大丈夫ですよ」


「うっ……」



 見えない場所なら……と変に納得してしまう自分がいて何だかなぁと思ってしまう。



「私にも痕をつけてくれますか」



 服を元に戻して寝返りを打って水野と向かい合った。



「……どこに」


「ほくろのある場所に」


「……顎のほくろは嫌だよ、あんたの過去の人たちと間接キスしたくないし」



 一瞬顎のほくろを見てすぐに目を逸らした。



「ここはどうですか。1つありませんか」



 水野は自分の首の側面のあたりを指さした。

 付近に確かに小さなほくろがある。



「うん、あるね」


「ここに指を当てて首を絞めてくれますか」


「……は? え、なんで」



 キスマークつけるってことじゃないのかよ!!

 「なんで首を絞める」になるんだよ、意味が分からん。



「痕が欲しいんです」


「え、嫌だよ。恋人の首絞めたいとか思わないし」


「はぁ……」



 水野は残念そうな表情をしている。



「何……。なんなの。普通そういう発想になる……? 飛鳥ってSなのかMなのか分からない時があるわ……」



 攻める時は慣れた手つきで導いてくるし、私が上の時はそれはそれはツボを得た表情と仕草でこちらの心拍数を上げてくる。

 首を絞めて欲しいという要求は今までなかった。本当のところドMだったりするのだろうか。自分にはそういう趣味はないけれど、相手が望むというなら考え物かもしれないな……。



「SかMかというよりも私はセックスが好きなんです」


「はい?」


「この広い世界の中で、セックスの時だけは2人きりの世界……本当の意味での1on1になれます。はるちゃんは私しか見ないし、私もはるちゃんしか見ない。泣いた顔、笑った顔、感じている顔……行為中に見せられるもの、与えられる痛みでさえ全てが私だけに向けられたものだと思うと扇情的な気持ちが沸き立てられます。私は……はるちゃんから与えられる痛み、痕なら喜んで受け入れます。それは今も例外ではありません」


「じゃあさ……仮にさ、私が首絞めてって言ったらするの? できるの?」


「はい。その苦しむ顔を私だけに見せてくれるというなら……」



 私の泣き顔を忘れることができない、みたいなこと前に言ってたけどまじか。

 ……やってもやられても大歓迎、つまりは水野は……無敵だ。



「……」



 唇をひっこめるようにして内側に折り込んだ。

 確かに私も好きな人と身体を重ねる時の幸福感や求め合う高揚感は好きだ。でも相手に苦痛を与えることや与えられること――後々それが快楽に変換されるものであっても抵抗がある。

 過去に交際した相手に行為中に首を絞めたいと言われたことはあったが、嫌だったので断ってきた。絞めてくれと要求されたことは今回初めてだが、やはりその気にはなれない。



「されるのは嫌ですよね、分かってますよ。でもする方ならどうですか」


「うーん」



 水野は一点にこちらを見ている。

 抵抗感から身体を起こして、キャットタワーの上の方で毛づくろいをしている視線をプリンの方に移した。



「とりあえずやってみるのはどうですか」


「いやーやり方も分からんし」


「頸動脈を押さえてくれれば良いです。ここです」



 水野は起き上がると私の両手を持って自らの首の方に誘導した。

 首の側面にあった水野のほくろは私の手で隠れている。



「……」


「血流を止めるイメージで。できますか」



 これで断ったら水野は私に失望するだろうか。

 そう考えると、やった方が良いのかなと思う。でも…………どうして好きな人の血流を止めなくてはいけないのか。朝から恋人の苦しむ顔なんて見たくない。

 あぁ、もう……!



「……がっー!!」



 水野の首に腕を回して引き寄せた。



「ぁっ……!」


「うおおおおおお」



 腕にこれ以上ないくらいにぐっと力を込めた。



「ちょっと……ん……」


「首絞めはできない! 抱き締めならできるけど!!」


「っ……」


「……」



 抵抗しない相手。だんだんと腕の力を緩めていく。



「ふふ……はるちゃんらしいですね」



 水野は優しい表情で言った。



「ごめん……でも痛いとか苦しいことはしたくないよ。笑ってて欲しいから……さ……できてもお尻ぺんぺんとかだわ……」



 髪の毛を指に絡めて水野の頭をなぞるようにしてスライドさせた。

 さらさらとした髪が指を抜けていく。



「本当にあなたは私にはもったいないくらいの人です」



 引き寄せられて唇と唇が近づく。

 柔らかくなめらかな唇が溝を埋めるように形を変えて密着した。



「っ……」



 唇にキスをしながらも、その合間に水野の首のほくろの位置に口付けて皮膚を吸い上げた。



「んっ……は……るちゃ……ん…………」



 なんとも色っぽい声が漏れている。



「首につけたよ……。飛鳥も痕つきやすいじゃん。肌、白いから結構目立つね」



 白い肌に絵の具が滲んだような痕が出来ている。これを見ているとなんとも言えない征服感のようなものを感じる。私の……とは思っちゃいけないかもしれないけれど、そんな感じがしてちょっと嬉しい。



「……体質的にこういうの、残りやすいんです。明日もきっと残るでしょうね。でもこのまま出社します」


「は、それはやめてよ! 私だってコンシーラー使ったんだから。隠してよちゃんと!」


「うふふ……。じゃあ今度からは見えない位置にもつけてくれますか」


「うぬ……」


「ほくろのある場所、ですよ」



 艶のある表情で水野は囁いた。



「うん……」


「でも電気、消してたらどこにほくろがあるか分かりませんよね」


「そうだね……」


「今度、ちゃんとお互いが見える時にしませんか」


「……考えとく」


「ふふ」



 あーあ、嵌められた。こういう誘導が上手いのも私の彼女です。

 首絞めの要求には応えることはできなかったけれど、お互いをよく知るという意味では電気的にも、私も一歩踏み出さなければいけないのかな、と思う。



 恥ずかしいけれど。

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