カクテル言葉
人事というものは基本的に優秀な人材が大好きである。
――京本春輝
高い身長に中性的な顔立ち。一見奇抜に見える赤い口紅も魅惑のオーラの中に溶け込ませ、視界に入った者をその美しさで魅了する。高嶺の花とは言ったもので、自分とは別次元にいる人間とは距離を置いてしまうものだが、フランクな振る舞いがその壁を取っ払っている。親しみやすさはあるものの客との距離感、線引きはしっかりしていて意思決定は本人に委ねるその姿勢。その立ち振る舞いや言動から適当なように見えて、実はしっかり考えることは考えているんだということが分かる。
また、言葉に無理に当てはめず分類せずとも、
キヨさんを採用したい。
飲み込みも早そうだし多様性を受け入れるし応用もきっと効く。営業とかに向いてると思うんだよね。……という話を水野にした。その時はあの時のバーのオーナーですか、と少しツンとした表情をしていたのでもうこの話はやめにしようかと思ったのだが、やはり職業病なのか優秀な人材の話はしたくなるというもの……。時折口をついて出てくるキヨさんの話題。
水野が唐突にキヨさんに会ってみたいと言い出したのがつい最近のことだ。
「へぇ、ぶっちゃけもう店には来てくれないじゃないと思ってたからビックリしたかも。いらっしゃーい。好きなところかけて」
店に入るなりキヨさんは、いつもの調子で話しかけてきた。前回水野は愛想笑いをしていたけれど、やはり何かをキヨさんは感じ取っていたらしい……。
水野が人混みは嫌だというので開店直後の早めの時間に行ったこともあって店の中に客はまだ誰もいなかった。
「あなたに会いに来ました。彼女がよくあなたの名前を口にするので」
水野はこの前と同じように愛想笑いをしてそう言った。
どこか目に見えない黒めのオーラを私は感じ取った。言われた当初は深く考えていなかったけれど純粋に会いに来たというよりは、ちょっと違うニュアンスを含んでいるように見える。ちょっと嫌な予感がしてきた。喧嘩売りに来たとか、じゃないよな……。
「あら~悪口言ってないでしょうね?」
キヨさんは冗談っぽく笑ってちらっとこちらを見た。
「え、言ってませんって……!」
「最近くしゃみ止まらなくて~、その時だけ男隠せないから嫌なのよねぇ。あなたたちじゃないならもう誰なのよあたしの噂してるの~人気者も大変だわぁ」
あくまでキヨさんはいつものペースのままだ。
「キヨさん、ハイボールお願いします」
「はーい。……彼女さんは? 今日も血まみれカクテル?」
「そうですね、ベースはジンにして作っていただけますか」
「りょっかーい」
キヨさんはオーダーをとると手際よくお酒を作り始めた。
なんか水野はかっこ良い注文の仕方してたけど、血まみれカクテルってまた物騒な……。確かブラッディメアリーとかいう名前だっけ。
「はいボール」
「……」
私の前に大ぶりなステンレスのボールが置かれた。
「300人のプロテスタントに告ぐ。アーメン」
水野の前に赤いお酒が置かれた。
「ジンベースであれば、これはメアリーではなくサムなので祈りを捧げる必要はないですね」
「あなた……やるわね。今のはなかなか刺さったわよ。血も滴るツッコミみだわ……」
やばい、私もこのタイミングで突っ込まなければ。
「あの……キヨさん……。血が滴ってるところ悪いんですけどボールはボールでも飲めるボール出してくれませんか!」
「あーらやだ~。あたしったらお・ちゃ・め」
キヨさんはわざとらしく笑うとボールを回収して、ちゃんとしたハイボールを出してくれた。
グラスを軽く合わせてお互いに一口、くちに含む。横を向いて水野の顔をふと見てみるけれどいつも通りの無表情だ。なんとなく固い雰囲気だな……。
「メアリーで思い出したけどこの前ぶっつぶれたお客さんがシャツを真っ赤に染めてぐったりしててさぁ、大丈夫!? って思ってそばに行ってみたらトマト酒こぼしてただけだったのよ、本当なんなのかしらね。死んじゃったかと思ったじゃない。腹いせに追いトマトしてやったわよ」
キヨさんはそう言うと手元のお酒を一気に飲み干した。
追いトマトって何……。
追加でトマトジュースシャツにかけたってことかな……。
「……誰かのことを死んで欲しいくらいに好きになったことはありますか」
「え」
水野からの唐突な質問にキヨさんは固まった。
赤く染まったグラスを水野は持ち上げてキヨさんの隣に並べ、口角を上げて微笑んだ。
「ねぇ、ちょっと……何聞いてんの?」
ほぼ初対面、最初の質問でこれはちょっとどうなのか。
小声で小突くが水野はキヨさんを正面に捉えたままだ。
「……ないわね。そう願う前にもう死にかけてたから。あなたはどうなの?」
「私は隣に座っている人が好きすぎてつらくなることがあります。仮に浮気なんてされたら生きていける自信がもうないです。その時はいっそ死んでしまった方が楽になれるんじゃないかとさえ思います。でも私のいない世界に彼女は生きてて欲しくないです。逆もしかり。死ぬ時は一緒が良いと思っています……。私はおかしいでしょうか」
は……。色々内容について思うことはあるものの、なぜいきなりこんな話を……何考えんだ。人生相談でもしているつもりなのか。
「そういうことは浮気されてから考えたら? 精神持たないわよ」
「そうだよ! てか、浮気しないから! やめてよ物騒なこと言うの」
「はるちゃん、その時は一緒に死んでくれますか」
「はぁ……?」
「うんとは言ってくれないんですか」
仮に浮気をしてしまったのならそれは自業自得かもしれないが、私は無罪だ。そんなこといきなり聞かれても、素直に頷けない。
「死んでどうするのよ、苦しみから解放される保証あるの?」
キヨさんは珍しく真面目な表情になって腕を組んだ。
「死後の世界は様々な提唱がありますが、私は無だと思ってます。無になれば自ずと生きづらい感情は消えるかと」
「無じゃなかったら……?」
「……」
無言でいる水野にキヨさんは一歩近づいた。
「仮に無であれば幽霊やその他のスピリチュアルなことの示しがつかないわね。まぁ結局は……死後の世界なんて死んだ人間にしか分からない。そして死んだ人間は肉体と精神が切り離されて、もう二度とここには戻って来られない。……周りに迷惑がかかるでしょ、だとか、生きてればきっと良いことがある、だなんておこがましいことを言うつもりはないわ。ただ、死後の世界をこうだって決めつけて、死んだ後になって後悔しても遅いわよって話」
「……そうですね」
水野は目を伏せた。
確かに言ってることは正論のように思う。もしかしたらキヨさんも死について、真面目に考えたことあるのかな……。
「まぁ、……死ぬほど好きっていうあなたの愛を否定するつもりはないわよ。ある意味本物の愛かもね。なーんか昔を思い出しちゃった。……でも、死ねば、なんてあたしは言わないわよ。だって単純に悲しいもの、まだ会って間もないとはいえ」
「……会って間もないのにこんな話をしてしまってすみません」
水野はそう言うと残りのお酒を喉に流し込み、グラスを空にした。
私も手が止まっていることに気が付いて、ハイボールを1口を多めにして飲んだ。
「あれーホワイトキュラソー切らしちゃったっけ~」
キヨさんは何やらバックヤードの方に行ったので、そのタイミングでそっと水野の手に自分のを重ねてみた。
「飛鳥……」
話題が話題だけあって妙な空気になってしまった。
水野はしょぼくれた顔をしている。
「こんなこと言ってしまうの、どうかしてますよね。でも、確かにそう思っていた時期もありました。でも今は言ってしまったはなからこれが本心なのか分かりません……。それなのにこんな……。いささかなりとも彼に嫉妬していたのかもしれません。私はつくづく面倒くさい奴です……」
「いいよ……」
水野の手をぎゅっと握りこんだ。
「でも……なんだろ、飛鳥みたいな人材、人事的に見ても若くて優秀で貴重すぎるからなんか失うには惜しすぎるというか……。誰目線って感じかもしれないけど……」
例え話とはいえ、死の可能性をちらつかせる相手に対してどんな対応が適切かは分からないまま歯切れの悪い言葉が口から出てくる。
転職の引き留めはこれまで何度もしてきたけど、やはり「死」となると話は違ってくる。飛鳥には前からこの傾向があったことは理解していたけれど、あまり考えないようにしてきた。こういう時、精神科医ならどう言うんだろうなんて思う。
本心としては私もキヨさんと同じで、飛鳥には死んで欲しくないし、自分もこれから先、生きていきたいと思う。
「優秀な人材、ですか。それははるちゃんにも同じことが言えそうですね」
水野は表情を崩して少し笑った。
笑顔を見て少しほっとした気分になった。
「はは、でしょ? 誰かに必要とされてるうちは……こうして世界が色づいて鮮明に見えるうちは、たくさん思い出を作ってさ、2人で人生塗り替えて生きていこうよ。起こってもないマイナスなこと考えるよりきっとそっちの方が良いよ」
「はい……そうですね。いつも私ははるちゃんに励まされていますね」
どこか哀愁漂うような柔らかい表情になった水野。
私は残っているハイボールを飲み干した。
「ふん!」
その時、突然水野の目の前に透明のグラスに入った白みがかった液体が水野の前に置かれた。
「……?」
「カミカゼよ。飲みなさい」
きょとんとした水野を前にキヨさんはドヤ顔で首を少し横に傾げ、ドリンクを指さした。
「え、どうして……?」
「あなたかわいいから。お代はハルが払うって」
「えぇっ!?」
キヨさんを凝視する。そんな私にキヨさんはクスクスと笑った。
「冗談よ。初めて来る人にはみんなにサービスしてるから」
「……私サービスされなかったんですけど!」
「細かいこと言わないのっ」
なんだよ、結局キヨさんのポケットマネーかよ。
かわいいからサービスだなんて、かわいい人は本当お得ですね……。
「あの……本当に良いんですか」
「いいわよ、ただし死ぬ前にあたしに会いにくるのが条件」
「……分かりました」
「よし」
その時、お店の扉が開いて女性客が何人か入ってきた。
女性客の中の一人は「キヨちゃーん!」と大声で叫びながら抱き着いている。グラスに入っている最後の一滴を口に流し入れていると、抱き着き料取るわよ、というキヨさんの声が聞こえた。
「キヨさん、変わってるけど良い人でしょ」
私だけじゃなくて皆に好かれてるんだろうなと思う。
今日の水野の絡みももろともしてないどころか、後味の良い終わらせ方に持っていったし本当にすごい。欲しい、弊社に。
「粋な方ですね」
「それにしてもさー……飛鳥だけドリンクサービスとか良いなー」
「何か飲みます? 今日は私が払いますよ」
「え、良いの?」
「はい、私のおすすめで良いですか」
「えーなになに、そんなのあるの?」
「はい……。ここでコープスリバイバーをはるちゃんに頼んだらキヨさんに怒られてしまいそうですね、ふふ」
軽く握った手を鼻元に当てて水野は小さく笑った。
「ん、コープス……リバイバー? なんで?」
「いえ、こちらの話ですよ」
「……なんかさ、飛鳥って結構お酒詳しいよね、ちょっと意外だった」
さっきもメアリーとサムがどうとかってキヨさんと話してたし。水野の口からカクテルの名前がポンポン出てくるのって何か変な感じがする。
「学生時代、会員制のバーで働いていましたから」
「えぇ、そうなの……。もしかしてだけど……
「……母の借金の返済をするにはこれ以外方法はありませんでした」
水野はカミカゼを一口飲んでふぅっと小さく息を吐いた。
母親、確か夜の仕事してたって言ってたけど、色々複雑な問題を抱えていそうだ。水野の過去についてはまだ詳しく聞けていないけれど、学生が親の借金を背負うなんて……放置プレーの私のがまだマシだったのかな。自分ばかりが恵まれない環境で育った、なんて思っていた時期もあったけれどそんなことは決してないんだ。
「まじか、そっか……苦労してたんだね」
これからは私が目いっぱい甘やかしてやるからな。
「はるちゃんは何かアルバイトをしていましたか?」
「私はめっちゃ普通だよ。レストランとか」
「普通ですね」
「うん……なんか、うん……自分で普通だって言ったし確かに普通なんだけどもう少しそうなんだぁとかそういうのあっても良いんじゃない??」
「そうなんですね」
「ウス……」
まだまだ私たちはお互いに知らないことがある。
焦らずでも良い。少しずつ知っていって、この繋がれている手の絆をもっと太いものにできたら良いね。
指を絡めて握り直すと、ぎゅっと水野も手を握り返してくれたのだった。
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