レクチャー

 改めて考えると、年月が過ぎるというのはとても早いもので、年齢を重ねるごとにそのスピードは増しているように思う。春にあれだけ舞っていた桜もとっくに散り、枝だけになった木々が渇いた空気の中で揺れている。

 人事部も時の流れと共にメンバーの入れ替わりが多少あった。ずっとお世話になっていた事務職の川添さんも営業の部署に異動し、代わりに金田さんという女性事務職の人が入ってきた。川添さんとは同期らしい。

 依然として私の上司は新庄さんではあるが、水野と私の2人でマネージメントをしているで、ほぼほぼ新庄さんの手が入らずともチームは回っている。そのため新庄さんは新卒採用をメインに見ている状況である。



「京本さん、コーヒーおかわりするのであればお湯、注いできますよ」



 事務職を対象にした新ルールの説明会から戻って来た金田さんは、マグカップを持ちながらかわいらしく首をかしげてこちらを見ている。



「お疲れ様です。あ、大丈夫ですよ。私今飲んでるのコーラなので」



 マグカップに入っているコーラの液体を傾けてちらっと見せた。コーヒー用のマグカップにコーラ入れるのは合わないかもしれないけど、これしかないんだから仕方ない。飲めればいいんだ、飲めれば。



「コーラ……黒いからてっきりコーヒーかと……何か意外です、あぁ、良い意味で言ってます!」


「ふふ。ペットボトル2リットル持ってきてますから、良かったら金田さんもどうぞ。冷蔵庫に入っていますよ」


「え、オフィスまで持ってきたんですか……! あ、ありがとうございます。機会があれば……」



 金田さんは目をパチクリさせている。そんなに意外かな。ふふ、と笑みが漏れる。

 正直2リットルコーラの運搬はしんどかったけど、オフィスでコーヒーを飲むよりはコーラを飲んでいた方が幸せなので頑張ったかいがあったと思う。炭酸がこう……身体の細胞を活性化させてくれてる感じがするし……。

 水野のおかげなのか分からないけれど、最近会社でも少しずつ自分を出せている気がする。コーラを飲むエリートがいたって良いじゃないか、と思えてきている。



「あ、金田さん。私お湯注いできますよ」



 席を立ちあがって、金田さんが持っているマグカップをこちらに渡すようジェスチャーする。



「え……」


「水野さんに丁度用があったのを思い出したので。今給湯室にいると思うので、ついでです」



 つい先ほど水野は席を立ってどこかに行った。

 マグカップを持っていたのでおそらく給湯室だと思う。正直たいした用はないのだが、ちょっかいを出したくなってしまうのはしょうがないこと……なのだ。



「良いんですか? ありがとうございます!」



 マグカップを受け取って、ニコっと微笑むと金田さんは照れた表情を作って目を伏せた。

 誰かのために何かしてあげたいと進んで思えるくらいには気分は晴れ晴れとしていた。今日は月曜日なのに。

 


 給湯室に足を運ぶと、コーヒーをかき混ぜている水野がいた。読みは正しかった、我ながら名探偵だ。



「どーん」


「ひゃっ……」


「ふふふっ」



 気配を消して背後から近づき、軽くぶつかってみると水野は声を小さく声をあげた。それがかわいらしくて思わず笑ってしまった。



「……お疲れ様です」



 水野は拗ねたように末頭を少し上に持ち上げて口をすぼめている。



「おつかれさまでーす」


「今日は何だか機嫌が良いですね」


「そりゃあ、まあね……やっと年上らしいことやっとできたというかさ、こうやって付き合ってから夢見てたことがようやく叶ったというか……はぁー!」



 月曜日なのに自分の機嫌が良い理由は分かっていた。一昨日、念願のタチを実現できたからだ。縛られて監禁されるかもしれない状況だったのに、あんな展開になるなんて自分でも思ってなかった。棚から牡丹餅だ。

 上は初めての経験だったけど、水野は予想以上にその……良い反応をしてくれた、と思う。縋りつくような瞳と声、求めるような仕草……あの光景を思い出すと気分が浮きだってしまうほどに嬉しかった。男子ってこんな気持ちなのかな、と分かったような気になってしまっている。



「一昨日の話ですか」


「うん、結構私って素質あるのかな。……どう思う?」


「かわいかったですよ」


「え……それ自分のこと?」


「はるちゃんのことです。慣れないながらにも一生懸命なところとか、かわいかったです」


「……言われたかった感想と全然違うんですけど」



 なんだよそれ……。どういうことだよ……聞き捨てならないセリフなんですけど。

 タチがかわいい、とかある? 慣れた人からするとそういうもんなのかな、悔しいんですけど……。



「どう言われたかったですか」


「んー? そりゃ……ドキドキしたとか、こんなの初めて! とか」


「んふっ、ふふふ」



 水野は口元を押さえてクスクスと笑っている。



「なんだよっ!」



 私の持っていた金田さんのマグカップを水野はすっと取り上げて台に置いた。



「これ、はるちゃんのじゃないですよね。良い人になってわざわざ私に会いに来てくれたんですか」


「……」



 片手が頬に伸びてきた。



「はるちゃん」


「なに……」


「今してること、私にもしてみてください」


「え……こう?」



 言われるがまま水野の片頬に手をピタっと当ててみる。きめ細かい透き通るような肌の感覚に手のひらが癒される。



「手のひら全体じゃなくて指先で。力加減は触れるか触れないかくらいで」



 これじゃだめってことか。力を緩めて指先で触れてみた。指先が癒される。



「な、なに……これで良い?」


「はい」



 すると、頬に触れる水野の指先は首の筋をつたってゆっくり下がっていき鎖骨を辿り胸元まで下がっていった。



「ん……ひっ、なに??」



 ゾクゾクとした感覚と水野から向けられる艶かしい眼差しに肩が吊り上がる。



「手が止まってますよ。私と同じことをしてください?」


「……」



 こやつ、一体何がしたいんだ……。

 水野と同じように、先ほどの力加減をキープしたまま首筋、鎖骨、胸元の順を辿った。



「上手です」


「う、ん……?」



 なんか褒められたんだけど……。



「次は背中です……腰から肩甲骨にかけてなぞるように、ゆっくり」



 水野はこちらを優しく抱きしめると私の背中に服の上からタッチした。

 先ほどよりも強いゾクゾク感に反射的に腰が反る。



「ちょ、ちょっと……給湯室で何やってるのって思われる」


「ふふ、誰も来てませんよ。……してください?」


「会社では普通にしてるって約束したのに……! 人来たらすぐやめるからな……」



 水野の目的は分からないけれど、抱きしめ合うのは嫌いじゃない。うん、嫌いじゃない。

 背中で動き続けている手。妙なゾクゾク感と心地よさに気が逸れそうになってしまうが、ここは集中。水野の真似をして背中を5本の指先で上下にゆっくりと動かした。



「ぁ……上手ですよ」



 小さい声を漏らした後、水野はまた私のことを褒めた。



「ちょっと! さっきからなんなの、目的を言いなさい」



 抱きしめていた手を解いて水野から一歩離れる。



「こうやって触れられるのが私は好きです。はるちゃんだってこういう風に触れられるの、好きですよね」


「え……まさかやり方的なの教えてくれてるわけ?」


「はい」


「はぁ!? なんだよそれ……そんなに私はなってなかったのか……」



 結構うまくいったと思ったのに、「かわいい」と言われた挙句にレクチャーってか。私もまだまだなんだな……。



「いいえ、これはただの好みの問題です」


「んんん……分かったよ、こういうのが好きなのね。教えてくれてありがとう。でも別に上手だとか褒めなくて良いからな! そういうのは間に合ってる」


「はるちゃんは褒めて伸びるタイプじゃないですか」


「あのなー、そういうところはマネジメントしなくて良いから……。攻める側にもロマンっていうものがあるんだから」


「余裕なんて手放してひたすら喘ぎ狂っている私が見たいですか」


「ちょっ、恥ずかしい質問するのやめてよ……。でも……こういうの初めてで手探りだったけど一昨日の飛鳥は本当にかわいくて……。もっと満足させてあげられたらなって思ってるだけ……」



 あぁ、なんか恥ずかしいな。目を伏せた。



「……キスしちゃダメですか」


「えぇ、今? ……軽いのだったら」



 水野は私のつけているブルーライトカットの眼鏡を外してきた。



「まるでウェディングドレスのベールを外している気分になります。私と結婚してくれますか、はるちゃん」


「ん……給湯室でプロポーズってどうなんだよ……」


「……結婚してくれますか?」



 先ほどの触れ方で頬を撫でられた。

 冗談で言っているというのは分かるけど、ここで断ろうものならやばいことになりそうな……そんな空気感だ。



「はい……結婚します」


「良かったです」



 その瞬間唇が重なり合った。上唇を挟まれ、瞬く間に入って来る舌の侵入を阻止することができなかった。水野からの突然の甘い攻撃に一瞬怯んでしまったが、ここは会社の中だぞ。我を保たなければ……。



「待って、これ全然軽くない!」


「私にとっては軽いです」


「このキスが軽かったらどうなるんだよ! 君と俺とでは価値基準が違う。俺は如何なる理由があろうとも鬼にならない」


「……わかりました、じゃあキスは諦めます。先ほどの続きをしましょう。私の内ももを触ってくれますか」


「はぁ、内もも? ……スカートじゃ無理じゃん」



 水野の膝から上はスカートで覆われていて、内ももに触れと言われても無理だ。



「スカートの下から手を入れてくれて良いです」



 水野はスカートの裾を摘み、少し上に持ち上げた。露わになるタイツと太もも。

 スカートの中に手を入れろって……どんだけこの子えっちなの。ちょっとこれ……社内でやるのはどうなのだろうか……でもやりたいような、でもやっちゃいけないような……。



「……」



 水野は無言でこちらを見ている。

 もう断る空気ではなくなってしまった。仕方ない、本当に……仕方なく、だからな。



「あぁ、会社の給湯室でふしだらな……神様こんな私をお許しください」



 かがんで水野を見上げた。

 あぁ、まじでこのタイミングで誰か来たら死ぬわ……。金田さんが、まだかなーなんて言いながらこちらに来るんじゃないかとヒヤヒヤする。



「そう言いつつも、なんだかんだこのシチュエーションを楽しんでいるんじゃないんですか? 顔、嬉しそうですよ」



 水野に頭を撫でられた。



「むぅ……」


「オフィスラブ、できていますね」


「うるさいなぁ……ねぇ、どう? これで良い?」



 膝の少し上のあたりを手で撫でた。

 黒タイツの感触がすべすべとしていて心地が良い。素足も白くて形が良くて良いなぁと思うけれどタイツというのも独特な色気がある。タイツフェチな人の気持ちが少し分かったかもしれない。

 太ももの中間付近まで上ったがこれ以上は気が引けて下に引き返そうとすると水野に腕を掴まれた。



「もっと上の方まで来てください……」


「んん……」



 上って……。

 なんかムズムズする。慎重に着実に手を滑らせていくが、上に上がるにつれスピードは落ちていく。



「もっと上です……」



 やるしかないな。

 私も心に覚悟を決めて手を股関節のあたりまで到達させた。人差し指の爪がふと当たる……。



「はぁっ……」



 水野から息が漏れた。

 なにこれ……やばい。私は自分の中の何かが高まっていくのを感じた。本能のままに先ほど触れた部分に手を忍ばせようとすると、両脚で手がぎゅっと挟まれてしまった。



「あ」


「ふふふ。続き、したくなっちゃいました?」


「……」



 口角を上げている水野に、上から覗き込まれている。

 なんということだ、我を忘れそうになっていた。どうしようもない羞恥心が沸き上がるの。



「定時後のオフィスで、というのも悪くないかもしれませんね」


「……」



 羞恥心に駆られながら膝を伸ばして立ち上がるとピピピっとポケットに入っている社用携帯が鳴った。



「……あ、ごめん、エージェントだ」


「どうぞ、出てください」


「うん――」



 電話に出ようとすると手首をぱっと掴まれて、耳元で囁かれた。

 


「この前……はるちゃんに触れられてるだけで嬉しくて……何度も理性が飛びかけました。自分でするのよりもずっと気持ち良かったです。すごくドキドキしました。こんなの初めてでした……。ねぇ、はるちゃん……また私のことめちゃくちゃにしてくれますか」


「……」



 至近距離での囁きに私は首をただ縦に振るしかなかった。



「ふふ、では……」



 水野は私の手首を放し、給湯室を後にした。



「うわ……なんなのあの子……えっろ………………」



 脳内で反復する水野の声。

 先ほどの内ももを触った時の反応とリンクして余計身体がムズムズしてくる。なんなんだ、本当にヤバすぎる。と思っている間に着信が途絶えてしまった。



「あ、やっべ切れた」



 魔性の女に振り回されるってこういうことなんだろうな……。

 一息整えてからリダイヤルボタンを押した。

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