ペット
前から飼いたいだの言われて来たが、何か言ってるな程度にしか思っていなかった。
1人バーを咎められ、反省していた矢先に言われた「ペットになってくれませんか」という提案。状況的に断ることができず、迎えてしまった週末。
行為中に首輪に繋がれて犬の真似などやらされるのではないかと色んな想像をしてはビクついていた。でも、恋人がそれを望むなら私も多少は寄り添わないといけないと思っている。拒否をすることで冷められたくないから。ずっと好きでいて欲しいから。
しかし――。多少不安があったものの、いざ部屋に通されて水野に言われたことは、ただ部屋の中で1日過ごすといったものだった。要はただのお家デートだ。これならいつもと変わらない。楽勝だ。何か裏がある気はするけど、それは今は考えないでおく。
「なんだ、ただ部屋で過ごすだけか。もっとヤバいの想像してた」
ミニソファの背もたれに体重をのせた。
家を出る前のあの心構えは何だったのか。色々覚悟を決めた後だったので拍子抜けだ。何はともあれ一安心、一安心。
部屋の中、水野の膝にプリンがすりすりと頬擦りをしている。水野はプリンを抱き抱えると顎の下のあたりをくすぐるようにして撫でた。プリンは撫でられて気持ち良いのか目を細めている。
「今日は甘えんぼさんなのかな、かわいいね」
水野は年下と猫には敬語を使わない。普段は冷静に端的にバリバリ仕事をこなしているイメージだが、こういう一面はやはり女の子だ。かわいいなと思う。
立ち上がり水野の方まで行って、プリンの頭を撫でるとゴロゴロと喉から音を出した。水野曰く、これは好意の表れだという。付き合ってからプリンとの接触回数も増えた。今となっては私のことをしっかり認識してくれているようで嬉しい。
「プリンはかわいいなぁー」
名前もかわいい。
私の名前の春の字から取って名付けられていると思うとちょっとむずむずした気持ちになるけれど、悪くないと思う。
「そうですね」
「プリンと触れ合えるのも飛鳥の家に行く1つの楽しみだったりする。……うしゃうしゃ」
顎の下をわしゃわしゃする。
ペットは今まで飼ったことはなかったけど、彼女が飼っていると自分も飼った気になってしまう。
温かくてモフモフしていて……本当にかわいい。動画サイトでかわいい動物を見たりするのも好きだけれど、やっぱり直接触れ合うとより癒される。
「ペットってどうしてこんなにかわいいんだと思いますか」
膝の上に抱かれているプリンと触れ合っていると、水野は唐突に聞いてきた。
「どうしてって……。えーと……従順だから、とか?」
回答に詰まる質問だ。
街でばったり会った知り合いに笑顔で挨拶をして、「どうしてあなたは笑顔なんですか」と聞かれているのと同じような感覚。ペットがかわいいことに理由を求めたところでどうなんだ。
「そうですね。……ペットは人間なしでは生きられません……。人間に愛されて初めて生を得ます」
「……」
水野はたまにこういう哲学的な話をする。
それ自体は嫌いじゃない。その話から学びとれるものも多いから。
「生きるために、愛されるためにペットは人を愛します。だから、かわいいんです」
「そんな考え方もあるのか……」
確かに人間が世話を放棄したら死んじゃうもんな。だから自分に生を与えてくれる人間を愛する……。ペットの気持ちは分からないけれど、水野の言ってることも一理あるのかもしれないとは思う。
「きっとこの子は……私がキャットフードの中に毒を入れても食べてしまうでしょう。無垢で儚く、愛おしい存在です」
水野はプリンを撫でながら穏やかな顔をして言った。
「ちょ……毒入れんなよ?」
「入れませんよ、例え話です」
「うん……」
水野はプリンを床に放すと、私の膝の上に腰を落とした。ぎゅっと抱きしめられて耳元で囁かれる。
「はるちゃん、もし手足が使えなくなったらどうしますか」
「え、何いきなり」
自分の身体が若干強張ったのが分かった。
「はるちゃんを縛りたいです」
「はぁ!?」
私が身体をくねらせると、水野は横にずらかり四つん這いの状態でこちらを上目遣いで見ている。
「本気……?」
「本気です」
「……」
「私なしでは生を得られない状態にさせてくれませんか」
恍惚な表情をしている水野。もしかして最初から狙いはこれだったのか……。
「……ペットになれってそういう意味だったりする?」
「はい……」
やはり……。
ペットになれって言いながら部屋で過ごすだけなんて、そんなうまい話あるわけないよな。
「まじかよ……でもそういう趣味はないんだけどな……」
手足を縛られるといった経験は今までない。中にはそういうプレイを好む人もいるかもしれないが、身体の自由が利かなくなることは私にとってはストレスだ。
「心配はいりません。私が全部お世話をします。……そうしたら私だけを愛してくれますよね」
「は? いや、もう飛鳥だけ愛してるって」
「言葉では何とでも言えます。私はちゃんと実感したいんです……」
「……」
こんな提案をしてくるのも水野自身が不安を感じているからだというのは分かっている。普段から不安にさせないように意識してやってるつもりなんだけど、それでもまだ信じてもらえていないんだと思うと悲しくなる。じゃあどうすりゃ良いんだよ。おとなしく提案を受け入れろってか……?
「だめですか……」
「約束だもんね、分かったよ」
1日だけ、なら。
これで水野が満たされるというのなら。
水野はどこから仕入れたのか、縄のようなものを持ってくると私の手首と足首をそれぞれセットにして縛った。体育座りをしながら自分の足が縛られる様子を見ていたが結構手の込んだ縛り方をしていて、若干心配になった。今日の終わりにはちゃんと解いてくれるんだよな……?
あれよあれよという間に手も後ろに縛られて自由の利かない状況になった。
「痛くないですか」
「うん……肩甲骨の良いストレッチになってる……気がする」
「そうですか」
「……あのさ、トイレの時だけはさすがに解いてね」
「……………………」
黙りこくる水野。
「え、解いてね??」
「…………わかりました」
さすがにそっちの世話は絶対に嫌だ。念押しするように言うとなんとか了承をもらえたので、良かった。
縛られた状態での最初のイベントとしては食事だった。野菜スープに肉団子、卵とピーマンを和えた料理を作ってくれたが無論手が使えないので食べさせてもらうことになる。食べ物を口に入れて飲み込むまでを水野はニコニコしながらずっと見ていて口が空になったタイミングで食べ物を運んでくる。食事だけでいつもの倍はかかる。こんなの面倒だろとは思うが、水野は満更でもなさそうな様子だった。
「ごめん、首のあたりかゆい」
「ここですか」
「そー、そこそこ」
……
「なんか飲みたい」
「お茶とお水どちらが良いですか」
「どっちでも良い」
「じゃあお茶を淹れます。これ、美容に良いって評判なんですよ」
……
「携帯鳴ってます」
「通知読んで」
「天気予報です。明日は曇りだそうです」
「ふーん」
水野は私の手となって動いてくれた。
私はただこの場所で縛られながら、要求を言えば良い。そんな過ごし方。なんだこの状況、と何度も思ったし動かそうと思った時に身体が動かないストレスはやはり拭うことができないが、水野の様子を見ていると本当にこの人は私のことが好きなんだというのが分かる。両頬を手で覆われて優しいキスを何度も落とされた。自分だけを見てくれていることが嬉しい。心なしか水野もいつもより穏やかに過ごしているように見える。
私は何とも言えない心境でいた。
「はるちゃんは今まで本当によく頑張ってきました。仕事でもそう。必要以上に自分を追い込んでいます。ずっと見てきたから分かるんです。努力の人だと思います」
日も暮れた頃、そろそろ解いてもらおうと声をかけようとしたら水野はそんなことを言ってきた。
「なんだよいきなり……」
「でももう頑張らなくて良いです」
「え……」
水野は私を抱きしめた。
「私が全部愛します、どんなあなたでも……だから……ずっとこのままでいてくれませんか」
「ずっとこのままって……?」
「手足が不自由のまま、私に飼われて欲しいです」
「……」
思えば私は確かにずっと頑張って来たと思う。最初は親に認められたいという一心だった。でも縁を切った私にはもう親はいない。それなのに今もこうして承認欲求の延長線上に生きている。何のためにこんなに頑張っているんだと時折思ったりもしたけれど、努力をやめれば今までの頑張りが水に流れてしまう。怖くてできなかった。
地位と名誉を手に入れる名目。結局上に上り詰めってそこにゴールはない。私は一生努力して生きていかなければならないということには気付いていた。
正直疲れていた。でも水野はどんな私でも無条件に愛してくれる。それだけで私の世界は明るくなった。ずっと何かに渇望していた。穴が空いていた。そこを彼女は埋めてくれる唯一の存在なのだと今の言葉を聞いて改めて実感した。
ペットのように愛されて、かわいがられて……私はただそこに存在しているだけで良い。そうなればきっと楽に生きられる。水野自身もそれを望んでいる。お互いの穴を埋められる。そう思うと、提案に頷きそうになってしまう。
でも。
「ごめん、それは嫌だよ」
「そう……ですか」
水野は抱きしめていた手を解くとその場で残念そうに目を伏せた。
「もう縄解いてくれる?」
「私は……このままが良いです。解きたくありません」
「解いてくれないと困る」
「嫌……」
「私が解いて欲しい理由はね、飛鳥のこと抱きしめたいからだよ」
「……!」
水野は目を丸くしてこちらを見た。
「自分の意思で触れたいよ……。それも許してもらえないなんて嫌だ……」
「はるちゃん……」
「足が使えたら一緒に色んなところ行きたい。手が使えたら抱きしめたい。くじけそうになった時、この手で飛鳥の手を引っ張ってあげたい。だから……」
「…………っ……」
突然手で顔を覆ってしまった水野。
小さく身体を震わせて嗚咽を漏らしている。
「飛鳥……?」
「ごめんなさい……私はなんてことを……許してください。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
水野は涙を流しながら縄を解いてくれた。
「大丈夫、大丈夫だよ」
自由になった手で水野を抱きしめながら背中をさすった。
「嫌いにならないで……」
目を赤く染めながら、首元で絞り出される言葉。
以前は私に嫌われたいとか言っていたくせに。……こんな言葉が出るようになるのも、私達の関係が進んでいるからだ。そう思うと感慨深いものがある。
「嫌いになったりしないよ」
ほっぺに軽く口付けて再びぎゅっと抱きしめた。
「はるちゃん、好きです……好き。大好きです」
「自分だけが好きだと思わないでよ」
抱きしめながらゆっくり前方に体重をかける。水野の背中が床にぴたっとついた。
「ぁ……」
目に涙を浮かべながら、つぶらな瞳でこちらを見上げている。
胸に触れ、ゆっくりなぞるようにして手を下に下ろしていくと水野は咄嗟に脚を閉じて手でガードしてしまった。
「……私に触れられるの、嫌?」
キヨさんのアドバイス通り、思い切って聞いてみた。
「…………私は……何人もの人と関係を持ちました。……ここは穢れていますから。はるちゃんを汚したくないんです……」
そんな理由で……。タチを譲らなかったのもそのため……?
私が女だから嫌なのかな、とか色々考えちゃったじゃんか。
「全部知った上で付き合ってるんだよ。穢れてるなんて思ってない。全部受け止めてるよ」
「……」
おでこから頭にかけて撫でると、水野の脚の力が抜けていくのが分かった。
「愛してるって言った時、言葉では何とでも言えるって言ったよね。不安にさせちゃってたのかな、とか色々考えた」
「……」
「もしそうだったらごめん」
「そんなこと、ないです……ん」
スローなキスを落とし、至近距離で水野を見つめる。見つめ返される瞳は情欲で熱がこもったものになっている。
「いつも飛鳥が私にしてくれてるみたいにさ、今度は私が……どれくらい大事に思ってるか証明させて欲しい」
「はる……ちゃん……」
首に啄むようにキスをしながら、とめられているボタンを外していく。
「今日は私に抱かれてよ、飛鳥」
「ぁ……」
この日は――。
ペットとは一転、無抵抗なお人形さんをひたすら私なりに愛した日となった。
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