特定
「非常に悩ましい問題です……うーん……」
ジントニックを気持ち多めに飲み込んでコースターの上に置いた。グラスに残っている氷がカランと音を立てて下に崩れていった。
あれからというもの、水野と会う度にどちらともなくそういう感じの流れになっているのだが、私は一度もタチっぽいことはできていない。
――ある時。
そういう雰囲気になっても水野は服を脱ごうとしなかった。一方的なのはなんだか嫌な感じがして、脱がせにかかったが、生理だから無理だと断られた。
どちらも女性である以上はこういうことは避けられない。そういう時は体調に気を遣いながら他愛もない話をするなど、のんびり過ごす時間にすれば良いと思う。だから中止を申し出たのだが、なんと嫌だと断られてしまった……。
普通、生理になった側が今日は無理だと断るものだと思うのだが、何故逆の現象が起きてしまったのか意味が分からない。結局その日は水野は脱がず、私だけされるがままになることになる。
――そしてまたある時。
今度は私が生理になったので、無論脱ぐことはないと考えていた。事前に相手にも伝えていたことだし、DVDでも観てお部屋デートを楽しむつもりだったが、途中から雲行きが怪しくなる。付き合いたてというのもあり、見つめあったりスキンシップをとっていると自ずとそういう雰囲気になってしまう。
しかし、状況も状況。やることになったとしても今回は私は服を脱がなくて良い。つまりは、水野を攻めて良いということになる。ようやく回ってきた主導権に少々ワクワクしていたが、なんと水野は私にも脱いで欲しいと言ってきたのだ。
自分の時は脱がないくせに何故そうなるのか。さすがにそれは無理だと断ったが、血に染まりながらしたい、だのちょっと私には理解できないことを平然と発している。お風呂ではどうか、と場所を変える提案もされた。場所を変えたところで、抵抗は拭えないので、なんとか言い聞かせてその場はなだめることはできたが上半身なら良いですよね、と結局攻められて私が上になることはなかった。
「ネコは嫌?」
「違和感というか……相手が属性的にタチなら私がネコになっても仕方がないと思うんですけど、やっぱりこういうのって2人で一緒にっていうのが理想な気がしていて……。でも毎回一方的なので……」
最初はタチをやるんだと意気込んでいたけれど、何回か行為を通じて思ったこと……――技量が違いすぎる。テクニシャンな水野に対して、私は未だに同性相手にどう触れば良いのかも分からない。痛くしてしまわないか、など色々心配な状況の中、相手がタチのスタンスならバランスを取るために多少はネコになっても良いと思い始めていることは確かだ。
しかし、今のままではどこか違和感がある。やはり私も少しくらいは相手に良くなってもらいたいと思うのに、それを許されていない気がするのだ。
3回目のエレファント。今の私にこういうことが相談できるのはキヨさんくらいしかいない。夜が深くなると、店内が賑わってきてなんとなく怖いので長居するつもりはないが、このバーにならいくらでもお金を落としても良いと思っている。
「彼女さん、身体触られるの嫌がる素振りとかあった?」
「……上は大丈夫ですね。でも下になると……。嫌なのかなって感じはします」
水野はいつも私の手を自分の胸や首元の方に誘導する。そして、抱きしめてくださいと言ってくるのでそのままぎゅっとしてはいるが、行為中は自分の下半身に意識を向けさせまいと、あえてこうしているようにも思えてくる。
そういうことに抵抗がある人がいるのは知っている。でも、水野は男と普通に寝ていたわけで嫌というのも考えづらい。私が女性だからこその抵抗があるのか、などと色々思索してしまう。
「デリケートな問題かもしんないけどね、そういうのは聞いた方が良いわよ。ハルも分かってるかもしれないけど身体の相性は、いかにコミュニケーションを取ってるかで決まるもんなんだから。こういう性の問題ってどっちかが不安抱えてたままだと長続きしないのよ」
「正論すぎて何も言い返せません……」
今度思い切って聞いてみようかな……。
「付き合ってから初めてお互いがタチだって分かって1回もヤらずに別れたカップルを知ってるわ。バカよね~」
お互いが同性愛者で付き合っても、性の不一致で別れることもある……。男女にも同じことが言えることもあるかもしれないが、こういう話を聞くとなかなか奥深い世界だな、と思う。
「そんなこともあるんですね。……キヨさんは今パートナーいらっしゃるんですか?」
「うーん、こ・れ」
キヨさんは茶色の液体の入ったグラスにチュっと音を立ててキスをした。
「……お酒?」
「あたしが入れられる方だからネコね。ほら、入った」
キヨさんはグラスを傾けて一気にそれを飲むと舌をペロっと出した。ピンク色の舌が艶かしく光っている。
「……」
「ねぇ、ここは笑うところよ?」
こういう突っ込みづらいボケはやめてくれ。苦笑いしてジントニックを飲む。
「お姉さん1人ですか?」
お姉さん……かろうじてまだ私はお姉さんか。声をかけられたっぽいので見ると、髪色の明るいお姉さんがストローのついたグラスを片手に立っていた。見た感じ30代くらいに見える。
「あぁ……はい」
「隣良いですか?」
「どうぞ」
座りたいようなので椅子を少し横にずらしてスペースを作った。
「見ない顔ですね、ここ初めてだったりします?」
お姉さんは頬杖をついてこちらを覗き込んでいる。
このあたりから何だか嫌な予感がしてきたのでキヨさんの方にちらっと視線を向けるが、あきらかに「やっちまったわね」の顔をしていた。
「初めてではないです、何回か、あります」
「セクはなんですか?」
「あーっと……」
この界隈、すぐ相手にセクシャリティを聞くのはあるあるなことなのだろうか。相手が知りたいことは私の恋愛対象と、タチなのかネコなのか、と言ったところだろうが、正直まだ自分でも分からない。
クエスチョニングとでも答えておこうかと回答を詰まらせているところ――。
「ちょっと~今あたしがこの子口説いてるんだから邪魔しないでくれる? ドリンク1杯サービスしてあげるからそこを退いてっ」
キヨさんが会話に入ってきた。
「ええ~。じゃあキヨちゃん誰か良い人紹介してよ~」
「紹介料もらうわよ」
「えーなんでそういうところはケチなーん。……あー! マリちゃん来てたんだー!」
「……」
ハイテンション気味なお姉さんは店内に知り合いを発見したのか、私の隣から退いていった。
「ここはミックスバーで男も来るから、他のゲイバーとかビアンバーよりは程度は低いにしても、酒の場に出会いを求めるのはどこも共通ってとこかしらね」
キヨさんはそう言うと口角だけを上げて笑った。
確かにそうだ。きっかけはミヤちゃんだったけど、気が付いたら普通に通ってしまっている私。もちろん出会いを求めているわけではないし、女の人とどうこうなりたい、などといった願望もない。シャドーに通っていた時もそうだった。マスターたちに私は会いに来ていただけだった。
でもこうして誰かに声をかけられて、「そういう場」にも成りえるものなんだなということを実感する。水野からはできるだけ近況は知らせて欲しいという要望は受けているので、「飲み屋にいる。1杯飲んですぐ帰る」と、ジントニックの写真と合わせてさっき送ったのだけれど……。ここがミックスバーだと分かれば良い顔はしないかもしれない。黙っておこう。
「そうです……よね。なんか気を利かせてくれた感じでした? ありがとうございます」
「ふふ、もう次からは助けてあげないわよ、ハル」
キヨさんはお酒を混ぜていたマドラーを上にきゅっと立てた。
「……」
間接的にキヨさんに彼女持ちなのに1人で店に来るな、と言われている気がしてそれはそれで切ない気持ちだ。
「な~に、そんな顔しないの。今度彼女さんと一緒にいらっしゃいよ。そしたらあたしも2人分儲かって嬉しいから」
「はい、そうですね……そうします」
「隣良いですか?」
これを聞かれるのは2回目であるが、今回のは聞き覚えのある声だった。
隣にちょこんと水野が腰掛けた。
「え……」
「こんばんは」
水野はこちらとキヨさんを交互に見て営業スマイルを決めている。
「こんばんは、彼女さん?」
「あ、はい……。え、なんで」
なんで私のいる場所……。
もしかして水野もここの常連だったりする? たまたま居合わせただけ?
「送ってくれた画像から位置情報を解析しました」
「な……そんなことできるの?」
「一般的なSNSでは位置情報は削除されますが……。カップル用のアプリだと消されないみたいですね」
水野は真顔で言った。
唖然として口元に手を当てる。
特別感を持たせたいからと先日水野にはカップル向けの連絡用アプリをダウンロードするように言われた。ただの連絡用ツールで記念日やアルバム機能などあるものの、これといった特徴のないものだ。ダウンロードして以降、連絡はそのアプリから行っているがこんな落とし穴があったとは思っていなかった……。
にしても、位置情報わざわざ調べて直接来る?? ……ここに来てること怒ってるのかな。
「彼女さん1ドリンク制だけど……何か飲む?」
「ではブラッディメアリーをお願いします」
「はーい、ふんふふん」
キヨさんは淡々とお酒を作っている。
「……」
「……」
ただただ客の話声のBGMが私たちの中に流れている。つらい。
なんだこの状況。
「本当はこんなことをしたり、行動を束縛するのは良くないと分かっています。はるちゃんがお酒好きなのも把握しています。でもこういう場所に1人で行かれるのは嫌です」
口を開いたのは水野からだった。
やはり……。
「ごめん、そういうつもりじゃなかった。オーナーとたまたま仲良くなってこう……色々吐き出せる場というか、そういう感じの認識でいたから」
「何を吐き出していたんですか」
「えー……仕事のこと、とか?」
「私には言えないことがあったんでしょうか」
「……そういうわけじゃないって!」
「はい、ブラッディメアリー」
「どうもありがとうございます」
赤く染まったカクテルを受け取った水野は再びニコっと微笑んだ。
カクテルの色がその笑顔を妙に怖くしている気がする。ちゃんと弁明したつもりだけどやばい、結構怒ってるかもこれ……。
キヨさんは私たちの空気を察したのかドリンクを置くと、他の客の方に接客に行ってしまった。
「ちょっと……これ飲み終わったら出ようか」
「はい」
お互い無言でお酒を胃に入れて、会計を済まして外に出る。
「……」
「飲み屋、だなんて良い代名詞ですよね」
あぁ……水野の機嫌はまだ直ってくれない。
「ちょっと軽率だったかもしれない。なんか……うん、ごめん。でもそういうつもりじゃないっていうのは分かって欲しい。オーナーも今度2人でおいでって言ってくれたらから一緒に行こう?」
「なんのために?」
「なんのため……なんのため……うーん……」
軽く、とはいえどバーで飲むアルコール。
しっかり酔っていた私はなかなか頭が回らないでいる。
「……」
再び訪れる沈黙。
「ごめんって……。何か美味しいもの今度おごるから」
「そんなのいいです。でも……1つお願いを聞いて欲しいです」
「何……?」
「今度の週末、私のペットになってくれますか?」
「ペット……」
「はい。いいですか……?」
「……分かった」
水野がどんなことを想像しているのか分からないから、何とも言えない部分ではあったけれどこの提案を断ったら水野は更におかしな方向に堕ちてしまう可能性があるのは何となく察した。今は一刻も彼女の機嫌を直すことを考えなければならない。
思うにきっと私にそういった意味で何かする気なんだろうが、そんなハードなプレイは強いられない、と思う……。そう信じてる……。
「この後、私の家に来てくれますか」
「え、うん……」
家に誘われたってことは、少しは許してくれたって思って良いだろうか……。
「どこにも行っちゃだめですよ、私のはるちゃん」
ぎゅっと腕を組まれた。
「うん……」
とりあえずは今回の過ちは今ので何とかなったっぽい……。良かった。
家に帰ったらまたいつも通りな展開になるんだろう。引っかかってる部分はあるにしても、もちろん好きな人とできることはすごく嬉しい……。
水野に直接聞いてみようと思っていることはあったけれど、今日はタイミングが悪いので大人しくしておこうと思う。
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