グレーの道

 『今家に着きました!ありがとうございました!』



 シャワーから出てタオルで髪を拭きながらスマホを見ると、ミヤちゃんからメッセージが届いていた。着いたみたいで良かった。

 本当のことを言うと、ミヤちゃんがグレて家に戻らないことを私は心配していたのだ。私から見たらまだまだミヤちゃんは子供だから。



 喧嘩したとはいえ我が子が連絡もなしに1日帰って来ないとなると、きっと家の人も心配していただろうしこれで一安心だ。

 失恋直後で心が不安定になりやすい時期だろうが、どうかうまくやっていって欲しいと思う。

 既読の意味を込めたスタンプを1つ送ってから、軽く息を吐いて肩を回した。



 普段は土日は家に籠ることが多い私だが、今日は行かなければならないところがある。

 それは、クリーニング屋だ。



 実は昨日、ミヤちゃんを支える時にバランスを崩してしまったせいでズボンが土で汚れてしまった。気が付いたのは浴室で着替えをしている時。水で少し濡らして擦っても、跡になって残ってしまったのでもう店の力を借りる他ないという結論になった。

 定期的にスーツなどはクリーニングに出しているが、4月――新しい季節の始まりなこともあって先日一式出したばっかりだった。このタイミングでまた……。いつもいつも、人助けがあだになって返ってくるのはどうしてなのか。私が何をしたっていうんだ……。本当やる気が出ない。

 少しは良い思いをさせてくれよまじで。



 半乾きのボサボサヘアーにボロボロのスウェット、ジャージ。ミヤちゃんがいる時は少し小綺麗な部屋着を着たが、やっぱりこの格好が一番しっくりくる。近くのクリーニング屋さんに行くだけだしお洒落もクソもないでしょ。こんな野暮用で外に出歩くと言うだけで自分を評価したいくらいだ。さっさと済ませよう。

 計量カップにお茶を入れてそのまま一気飲みすると、私は裸足のままサンダルに足を通した。



 外に出ると、日差しが私を突き刺した。受け入れられる光の容量を軽くオーバーして思わずぎゅっと目を細めた。

 眩しい……休日の太陽は私には眩しすぎる。



「ドラキュラかって……」



 日影の道に避難した。

 道行く人々の話し声が風にゆられる木々の音と共鳴している。

 衣類の入った手提げ袋を肩からぶら下げ、ポケットに手を突っ込んでとぼとぼと1人歩き出す。

 風がさらっと髪を撫でた。これぞ天然ドライヤー。帰ってくるまでに髪の毛乾いてますように。



 クリーニング屋さんは駅ビルのちょうど入り口のところにある。駅までは5分ほどの距離なのでそこまで時間はかからない。

 一人暮らしを始めて、駅からほどほどに近い距離に住んでいて本当に良かったと痛感している。仕事帰りの疲れた状態、駅から家が遠いことほど辛いことはないから。1分でも外にいたくない私としてはもう少し近い距離に住んでも良かったと思うくらいだ。



 程なくして駅前に着いた。人影はまばらだった。

 スウェット姿の私は街に溶け込んでいた。ビルだらけの都会じゃこういう恰好で出歩けないから、ここがほどほどに田舎な場所で良かったなとは思う。

 クリーニング屋さんの前まで来た。透明のドア越しに店員のおばさんの顔が見えた。

 あぁ、この前と同じ人だ。きっと行ったら「またかよ」って思われるんだろうな。



 嫌だなと思いながらドアに手をかける。



「こんにちは!」



 一瞬硬直した。聞こえてきたその声はこちらに向けられている気がする。



「……」



 ……まさか私じゃないよね? 

 恐る恐る振り返ると、ワンピース姿の女性が立っていた――なんと川添さんだった。



 頭が真っ白になる。嘘だろ。なんて日だ。よりによってこんなところで遭遇してしまうなんてついてないにも程があるだろ……。

 ここはDAPの社員が多く住んでいる場所。川添さんも駒米駅に住んでいることは知っていた。でも5分という距離だし長時間外出をするわけでもない。誰かと会うことなんて滅多にないし大丈夫だろうとたかを括っていたが甘かったようだ……。こういう可能性も見越してせめてマスクくらいつけておくべきだった。

 休みの日に社員と会うならまだしも、この状態の私を見られてしまったことにショックを隠せない。あからさまに嫌な顔をすることができず無理やり笑顔を作ったが、川添さんは私の横を素通りしていった。



 え?



 目で追う。川添さんが向かった先には――水野がいた。



 水野……?

 なんでいるの。



 うまく状況が飲み込めない。

 とりあえず川添さんに無視をされたわけだが、それは恐らく私の恰好がヤバすぎたから気が付かれていないだけだと思う。ガッツリ目は合った気がするが、冷静に考えて今の私を見て「京本さん」だと認識する人は多分いない。ラッキーだ。中途半端に着飾らなくて良かったのかもしれない。

 それより、問題は水野だ。



「すいません、待ちましたか?」


「ううん、今来たところだよ」



 水野と川添さんは笑顔で挨拶を交わしていた。何の待ち合わせですか……?

 席が近くなって水野と川添さんが親し気に話す姿は見ていたけれど休日にも会う関係になるの早すぎだろ。なんだこのモヤモヤは。

 ……いや待て。別にそんなことどうでも良くないか? 落ち着け私。誰が誰と仲良くしようが仕事とプライベートを分けている私としては気にする必要のないことのはずだ。――ただし大久保さんを除いては。



 休日に同僚と会って遊ぶ人も社員の中にはいるが、そんな戯れは私には必要のないこと。何故労力を割いてまで休日に会社の人と会わなければならないのか。疲れるだけだ。

 そう思っているはずなのに自分の心のモヤモヤの正体を突き止めることができず歯痒い気分になる。



 ……分かった。

 恐らくこのモヤモヤは水野に「何かを取られるのが嫌」から来ている。そうに違いない。人事部で年の近い唯一の女性。あどけない笑顔で癒してくれる川添さんを水野に取られた気分になっているからこんなに不快なんだ。

 これ以上、奴に何かを奪われる訳にはいかない。週明けに川添さんを何としてでも取り戻さなければ……。



 そんなことを思っていると水野と目が合ってしまった。気づかれた……?

 ドキっとして私は思わず目を逸らした。



『私が見てない時は見てるくせに、私が目を合わせようとするとすぐ逸らしますよね』



 昨日水野に言われた言葉が頭をよぎった。クソ、これだとあいつの思い通りだ。水野が今の姿を見て私だと認識しているかは不明だが、再度水野を睨みつけるように見ると口角を上げて微笑まれた。確信犯だ……。

 まぁそれもそうか。よく考えれば高校時代のすっぴんは見られているわけだし、私のズボラな性格も知られているんだ。分からないなんてことはない。

 川添さんの目はごまかせても水野はそうはいかなかったようだ。



 不快感から握り拳を固めて親指を下に向けると、水野は視線を川添さんの方に向けて何か話しながらも親指を上に突き立ててこちらに返してきた。



「じゃあ行きましょっか」



 川添さんは駅ビルの入り口を手のひらで指差した。



「うん、わざわざありがとう。今日はよろしくね」


「いえいえ、私で良ければって感じです」



 水野と川添さんは並んで歩き出し、駅ビルの中に消えて行った。



「……」



 そんな2人の後ろ姿を私は呆然と見ていた。

 どうしてここで会ってるんだろうか。



 水野の住んでいる場所は履歴書を見る限り、ここから結構距離のあるところだった。それなのにわざわざ時間をかけてここまで出て来る理由が思いつかない。普通友達と会うとしたら中間地点とかだと思うんだけど。

 都会でもないし、特に目立った何かがないこの場所に川添さんと遊ぶために普通来るか? 駅ビルに何の用なわけ? 謎だ。

 ま、いっか。気にするだけ時間の無駄だ。そんなことよりも川添さんを性格の悪いサイコパス女から取り返すことを考えよう。



 クリーニング屋でズボンを出し終わり、空になった手提げ袋を肩にかけると、グレーの野良猫が私の前をササッと横切って行った。



「あの猫生きてんのかなぁ」



 あの時見た子猫も確かグレーだった。

 生きてたら良いな。

 太陽の光が少し弱まり、来る時よりも涼しい風が流れてきた。

 微光に染まるコンクリートの道をゆっくりと歩いた。



 ――――――――――――――



「おはようございます」


「「おはようございます」」



 月曜日、いつもどおりエリートをバッチリ装備して出社すると既に水野と川添さんは出社していた。

 パソコンの電源を入れて、勤怠の打刻ボタンを押した直後のこと。



「川添さん、よかったら今日ランチ行きませんか?」


「今日ですか?」


「はい」



 水野にも聞こえる声のボリュームで言った。

 普段、私はお昼はビルの2階にあるレストランや、コンビニで買ったものを適当な場所で食べている。仕事に追われている時は自席で食べることも多い。

 誰かに誘われたりしない限りは基本的に1人で食べている。休み時間に他の社員に気を使うのが疲れるからだ。

 でも今回は私から誘った。



 川添さんを誘った理由はこれ以上水野と仲良くして欲しくないからだ。土日にいろいろ考えたが、心の距離を確実に縮める方法としては食を共にするしかないと結論が出た。

 最近入ってきたばかりの水野に、長年一緒に働いてきた川添さんを持ってかれるなんて嫌だ。性格の悪い女に川添さんが汚染されてしまうのを防がなければならない。



「ごめんなさい、今日はお弁当持ってきてて……明日とかはどうですか?」



 川添さんは眉を八の字に曲げた。

 そうだった。川添さんは彼氏と同棲中で毎日交代でお弁当を作りあっているとかなんとかって惚気られたことを今思い出した。

 ちっ。何も考えず誘ってしまった。



 明日を提案されたが、チーフ以上の役職者でランチを食べながらミーティングをする予定が入ってるので無理だ。



「あぁ、お弁当……。そうでしたよね、すいません……。私、明日はランチミーティングがあるので厳しいんですよね」


「あーん……京本さんが誘ってくれるなんてすっごくレアなのに……」



 川添さんは残念そうな表情だった。

 まぁ今回は事前に言っていなかった私が悪かったと思う。水野に取られるかもという焦りから早まってしまった。



「今日は誰かとランチしたい気分だったので声かけちゃいました。また近々誘わせてください」



 差し込みでタスクが入ることも多く、正直明日以降予定がどうなるかは分からない。分かり次第前もって知らせて、今度こそ川添さんとランチだ!



「京本さん、私で良ければ付き合いますよ、ランチ」



 口を開いたのは水野だった。

 


「……」



 思わず私は水野を凝視した。



「誰かとランチ、したい気分なんですよね?」



 水野は口角を上げて自然な笑顔を振りまいている。よく割って入ってこれるな? 

 私が誘ったのは川添さんなんですけど?



 しかしまずい……川添さんも見ているしこの流れじゃ断れない。



「水野さんから立候補してくれるなんてとても嬉しいです」



 仕方ないので水野に倣って笑顔を振りまいた。



「いえいえ、前から京本さんとご飯行きたいなって思っていたので」


「羨ましいです……」



 川添さんは私たちを交互に見て口を少し尖らせた。やめて。羨ましく思わなくていいから。



「今度は3人で行けたら良いですね」



 水野がある限り3人も嫌だが、仕方ない。

 社交辞令を言うと私は自分のPCに目を移した。これ以上会話をする気になれなかった。業務をしなくては。

 ブルーライトカットの眼鏡を装着して、そのまま来ているメールなどに目を通すが全く内容が頭に入ってこない。先ほどのやりとりが脳内で再生される。



 川添さん誘ったはずなのに水野とランチの約束が締結されてしまった。決定だよね、これ? 

 何故にこうなった? 流れおかしいだろ! 

 解せん!

 いてもたってもいられず私は立ち上がり、ヒールの音をいつもより響かせながらお手洗いを目指した。



「ファック!!」



 誰もいないことを確認して、個室に入り少し大きな声を出した。

 水野は仕事が多少はできるので一緒に働く分には目を瞑ってきたが、なんで嫌いなやつと一緒にご飯食べなきゃいけないんだよ! あいつと話すことなんて何もない!

 もう存在無視して食べることだけに集中しよう、そうしよう。唇をかみしめた。

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