侵入者
からかい上手
「行きましょうか」
お昼になり、水野に声をかけられた。
基本的に我が社は好きな時間に休憩時間を取って良いのでランチに行くタイミングは各々の判断に委ねられる。
自分から水野に行こうだなんて絶対に言いたくなかったので、空腹を我慢しながら黙って業務をしていたがついに声をかけられてしまった。仕方ない。
水野とランチは気が進まないが食にありつけるのでまぁ良しとしよう。
「はい、そうですね」
パソコンの画面をショートカットキーを駆使してロックし、席を立ってジャケットを羽織った。
「いいなぁ……行ってらっしゃい!」
川添さんに見届けられながら私たちは執務室を出てエレベーターを降りた。
「どこに行きますか?」
1階のロビーに着いて、比較的空いてるスペースまで足を運ぶと水野は私に尋ねた。
「そばで良い」
「……そばが食べたいんですか?」
水野は僅かに首を傾げた。意外といった表情だ。
……うるせーな、そばで良いだろ。つべこべ言わずに黙って頷いてろや。
今回のランチに限り、レストランなどの洒落たところで長く居座るつもりなどない。2人きりで話すことなんてないし、一刻も早く食べて帰りたいのだ。そのためには一瞬で料理が提供され、そそくさと席を立てる回転の速い店の方が良い。
特に今日はそばが食べたい気分だったし、ちょうど良いだろう。
ランチとは、「胃にモノを入れるため」の時間だ。
エリートたるもの黙ってそばを啜ってれば良いのだ。……もちろん女なので上品に。つゆが服につかないようにも注意しながら。
「丸川製麺にしよ」
会社の2階にある丸川製麺。会計と同時にそばが提供され、店の回転率も高い。味はまぁまぁだが、そこは妥協点だ。食べられればそれで良い。
「嫌です。味気ないじゃないですか」
水野は片側の髪を耳にかけた。
なんだと……?
まさかの拒否に私は動揺が隠せなかった。
「貴様、言う事が聞けないのか?」
握り拳を胸の前で固めた。
私はそばを啜るって決めたんだ。
歯向かう奴は許さない。
「なんでそんなに怒ってるんですか? そばごときで」
「ごときって言うな。今日はそばの気分なんだよ!」
ここでパスタとか提案されたら折が合わないのでもうここで解散だ。グッバイ。
「そういえば……同じそば屋で良ければ行ってみたいところあるんですよね、丸川製麺じゃないところで」
「……そばなんてどこも同じだろ」
もう丸川製麺で良いじゃん。2階だしエスカレーター上がれば一瞬で着くんだからさ。
「すごく美味しいって評判みたいですよ」
美味しいそばか……。
でも歩くの嫌だな。
「……近いの?」
「はい、駅の近くで最近できたみたいです。大久保さんもおすすめしてましたよ」
水野はわざとらしく言うと、ほくそ微笑んだ。
「……」
こいつ……。
今ので完全に私はその店に行く気になってしまった。
もうこれ絶対私が大久保さんのこと意識してるって水野に見抜かれてるじゃん。終わった。
また高校のときのように奪われてしまうんじゃないかと不安だが、飲み会の時に取らないって言ってたしな……。まだ信用してるわけじゃないけど一旦はそこまで警戒しなくても良いか。様子見だ。
それにしても水野の好きな人って誰なんだろうな……。
「はるちゃん……。行ってみたくないですか?」
水野の耳打ちで我に返った。
「……案内しろ」
「ふふ、分かりました。じゃあ外に出ましょう」
ビルを出て、水野に誘導されるがまま歩いた。特に何か話すわけではなく、お互いの地面に擦れるヒールの音をただ聞いていた。
3分ほど歩いた場所に例の蕎麦屋はあった。思ったより近い。店内は少し暗めで、上品の漂う空間だった。
さすが美味しいと評判なだけあって店内は満席であったが、私たちが店に入ったところでちょうど入れ替わりで2席空いたので待たずに済んだ。ラッキーだ。
席に座り、定番の人気メニューを2つ頼むと私は会社用の携帯を操作した。
正直この状況は目のやり場に困る。――ランチタイム。水野と仕事関係の話をするわけでもないし、プライベートな会話をする気もさらさらない。目を合わせたら負けだ。無の時間を過ごすにも落ち着かず、メールの履歴を意味もなくただ眺めていた。
さっさと蕎麦運ばれてこないかな。
「そうやって私のこと見ないようにしてるのかもしれませんけど、逆に言えば意識してくれてるってことですよね」
その言葉のジャブは私の頬を打った。
「そんなわけないでしょ? 勘違いもほどほどにしたら?」
「やっとこっち、見てくれましたね」
睨み付けると、整いすぎた顔が覗いていた。
口角は上がっているのに瞳の輝きの薄れたどこか冷めたような儚げな顔。
……分かってる。
わざと私を挑発するようなことを言ってるだけでそれは本心ではないと。全部私をばかにして見下すためだって。本当はこういうのは相手にしないのが1番だって分かってる。
でも水野に限ってこれを放置したら本当に負けな気がして脳の指令とは反対に私は反発してしまうのだ。これも相手の思い通りだと思うともどかしくて仕方がない。
私はこういうところも含めてこいつが嫌いなんだと思う。
「向かいに座ってんだから見るしかないでしょ」
「じゃあそうやって見てればいいじゃないですか、私のこと。不自然ですよ」
水野はテーブルに頬杖をついて顔を少し斜めに傾けて顎を引いた。
その仕草、自分でかわいいと思ってやってんだろ。腹立つな。
「考えごとしてたから」
「何を考えてたんですか?」
「……なんで神田が目の前に座ってんのか理解できなくて苦しんでたの。川添さん誘ったのにさ」
だってどう考えたっておかしいじゃん。テーブルを挟んだ向かいにこいつが座ってるなんて。
水野はお手拭きの袋を折りたたんでいる。この癖はあの頃と一緒。まだ仲が良かった頃はこうしてファミレスでご飯を食べていた。少し懐かしくも感じる記憶の破片を奥歯を噛んでかみ砕いた。
「はるちゃん、もしかして妬いちゃったんですか?」
「は? どういうこと? なんでそうなるの?」
イライラして社用携帯を握りしめた。
「わざと私に聞こえるように川添さん誘ってたから」
毎回痛いところ突いてくるな……。でも妬いたわけではない。川添さんを水野から守ろうとしただけだ。
「違うし。単純に川添さんとランチしたかっただけ!」
「そうですか。土曜日に私たちが一緒にいたから寂しくなっちゃったのかと思いましたけど」
「……」
正直、寂しいかと聞かれたら寂しくないわけではない気がする。でも別に仲間に入れて欲しいとかそういうのじゃない。
それより……。
「……てかあそこで何してたわけ?」
「遊んでただけですよ」
水野は平然と言うと、水を一口飲んだ。
「駒米まで遠いでしょ、何であんな場所までわざわざ遊ぶために来てんの……」
ずっと引っかかってた。
家遠いくせになんでここまで来てるんだろうって。まぁ知ったところで、って感じではあるけど話の流れで聞いてみても良いかなと思った。
「私が住んでるところ、駒米ですから」
ん……これはからかわれてる?
「……え? いや、でも履歴書には……」
「転職が決まった時、ちょうど家賃の更新の時期だったので引っ越したんです」
「……は!? 聞いてないんだけど!」
机を軽くグーで叩いた。
住んでる駅まで水野と一緒とかどういうことだよ! そりゃ駒米で遊ぶわな!
「聞かれてないです」
「いや、まぁそうだけど」
「ご近所さんですね」
水野は外向けの笑顔で言った。
「……なんで私が駒米に住んでるって知ってるわけ?」
いつ引越したのかは知らないが、人事しか見られない社員のデータベースにアクセスして調べたのかな。だとしたら本当にストーカーだ、あり得ない!
「あんな恰好で出歩くなんて、普通に考えて近くに住んでないとできないじゃないですか」
水野はコップをテーブルに置くと、ふっと笑った。
……まぁ正論だ。少し頭に血が上ってしまっていた。
水野にさえも「あんな恰好」呼ばわり……。相当やばかったんだろうな、自分。
「あの、さ……川添さんにはバレてなかったと思っていいんだよね……?」
あの時、ガッツリ目が合ったが川添さんに無視された。私のためを思って気づいていないふりをしていたならありがたい話だが頭から火が出そうだ。
今朝の様子から、いつもと変わらない調子だったけれど念のため確認しておきたいと思った。
「ええ。気づいてませんでしたよ。……まぁ気づいてもらっても困るんですけど」
水野はそう言うとチラっと時計を確認した。
いや、気付いてもらっても困るのは私なんだが。なんで水野が困るわけ。
「どういうこと?」
「こっちの話です」
「なんだそれ」
店員さんがお盆を持ってこちらまで来た。
「お待たせいたしました。ランチセットAです」
そばがテーブルに2つ置かれた。
つやつやとしたそばに天ぷらが添えられている。思ったよりも本格的だ。まぁ値段もそこそこだったしな。
お腹が空いていたので、すぐさまつゆにつけて口に運んだ。
「う……」
そばとつゆの香りが絶妙に溶け合って口の中に広がった。コシのある麺の食感に素直に感想を述べてしまいそうになった。
「う……?」
「まい」
もういいや、うまいもんはうまいんだから。ここを提案してきた水野に美味しいって言うことには少し抵抗があったが料理に罪はないし。
「ふふ、良かったです」
「いや、食べてみって」
水野はそばを少量口に運んだ。
「うん、美味しいです。……これで大久保さんとの話の話題に使えますね」
「……」
そばにがっついていた私の箸が止まった。
水野を改めて見たが、平然とそばを食べ進めている。どんな気持ちでその言葉を発してんのか、本当に何考えてるか分かんないな。
いいや、食べることに集中しよう。私は黙ってそばを口に運んだ。
――――――――――――――
「なんか狙いでもあったの」
会計が済み、帰り道で尋ねた。
さっきのことといい、水野は私の恋を応援してくれているのだろうか。相変わらず人を怒らせるようなことばかり言ってくるが、今のところ目立った被害は受けていない気がするし、業務中や他の社員がいる前ではちゃんと空気を読んでくれる。
私にこうして近寄ってくるのは何か違う目的――裏があるのかと疑っているのだ。
「狙い?」
「なんか裏があるのかなって」
「狙いも何も誰かとランチしたい気分だって、はるちゃんが言うから」
「本当にそれだけ?」
私は足を止めた。
水野も立ち止まってこちらを振り返った。
「……単純にはるちゃんと一緒にご飯が食べたかっただけです、昔みたいに。今日一緒にランチできて、なんだか懐かしかった」
「……」
あす……水野も思い出してたのか、一緒だ。
どこか哀愁を感じさせる春の背景を背に、道路を行き交う車をぼんやり見ている水野。嘘をついているようには見えなかった。
「またおっしゃってください、誰かとランチしたい気分の時は」
水野の顔がこちらに向いたので私はそっぽを向いた。
「……絶対言わない」
再び歩き出す足。
「私のことが嫌いですか?」
背後から聞こえてきた声に、顔の筋肉を固くしながら答えた。
「嫌いだよ」
「はは、そうですか」
水野はクスクスと笑いながら私の横に並んだ。
「なんで嬉しそうの、ドMなの?」
私のこと見下して笑ってる水野がドMのわけない気もするけど、嫌いって言ってんのに笑ってるのはやばいだろ。本当変な奴。
「嫌われるだけならまだ幸せですから」
お昼時の太陽が道路に照りつける。照らされた黒いコンクリートの道は鼠色に光っている。
水野の表情は緩んでいたが目の光は薄れていた。
嫌われるだけならって……他にどんなこと想像して言ってんだろう。
「意味分かんない」
「分かんなくて良いです」
この後は、特に会話もなくオフィスに着くと、エレベーターに乗って執務室に戻った。
「どこ行ってきたんですか?」
私たちが先に着くと、川添さんがワクワクした表情で尋ねてきた。
「お蕎麦屋さん。最近できたところで」
水野は川添さんに答えた。
川添さんに対して完全にタメ口だ。年齢的には水野より川添さんの方が下になるからだろうが、ずいぶん仲良くなったもんだな。
「あぁ、あそこ行ってみたかったんですよね、どうでした?」
「美味しかったよ」
「美味しかったですね」
「いいなぁ……」
私たちは顔を見合わせて笑った。
水野もなかなか演技派だよな、と心の中で呟く。
「川添さんにも今度また行きましょうね」
「はい! ぜひ!」
深呼吸してパソコンを開いた。この後、面接が2件入っているがなんとか午後も乗り越えられそうな気がする。
きっとそばで胃袋が満たされたからだ。
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