面影

「大丈夫!?」



 考える間もなくしゃがみ込んで顔を覗き込んだ。

 こんな状態のミヤちゃんを見たことがなかったのでにわかには信じがたいが、確かにミヤちゃんだ。



「春輝さん……」



 ミヤちゃんの目は虚ろだったが、私のことはなんとか認識できるようだ。



「これ飲んで」



 近くのあった自販機で水を買って差し出した。受け取ったミヤちゃんはペットボトルに口をつけた。私はしばらくミヤちゃんの呼吸が落ち着くまで横で待った。

 行き交う人々からの視線が痛い。いつまでもここにいる訳にもいかないし、とりあえずは――。



「立てる?」


「はい……」



 私は肩を貸してミヤちゃんを立たせた。

 ダイレクトに伝わる重み。酔っ払いの介抱なら何度かしたことはあるが、人の体重をもろに支えるのなんて何年振りだろうか。



「うわっ、いっ……」



 慣れない重みに身体のバランスを崩し、立ち上がったところで私は後方に倒れてしまった。

 最悪だ。咄嗟にミヤちゃんに怪我がないか見たが、なんとか両手を地面について身体を支えていた。良かった。頭でも打たれたら大変だった……。

 全部ヒールのせいだ。こんな痛くて窮屈でバランスがまともに取れない靴、何が好きで履かなければならないのか。これでミヤちゃんが怪我してたらどうすんだ? 今すぐ道路に放り投げたい。そして車に轢かれてしまえ! ……とは思うがさすがにスーツを着て裸足はまずいので断念。



 ごめんね、と一言添えてから再度私はミヤちゃんの身体を支えて起こした。今度はなんとか支えることができた。



「大丈夫?」


「すいません……ちょっと……飲みすぎちゃって」


「一人で飲んでたの?」


「はい。コンビニで……9%の酎ハイ買って……ベンチで飲んでたら止まんなくなっちゃって……」



 女子が1人、野外で強いお酒を飲むなんて。ミヤちゃんがお酒を好きなのは知ってるけど今日みたいに泥酔している姿は見たことがない。なんかあったのかな……。

 ミヤちゃんの足元はふらついていて、とてもじゃないが1人で歩ける状態じゃなかった。

 早く家に帰したほうが良さそう。



「家こっから近いんだっけ?」


「……そこそこです」


「タクシー代払あげるからこれで帰って」



 鞄の中から財布を引っ張り出した。

 IT企業に勤めていることもあって、カード決済やアプリでの決済で済ませることが多く、現金は普段は持ち合わせていないのだが、飲み会がある日やシャドーに行く日は財布を持っていくようにしている。今日は飲み会があったのでたまたま現金を持っていた。

 10000円札を取り出してミヤちゃんの持っているポーチに押し込もうとすると、手で押しやられてしまった。



「そんな、無理です。こんな大金受け取れません」


「いいから」


「だめです……春輝さん。いやだ……」



 遠慮しているのか頑なに受け取ってくれない。

 ペットボトルは受け取るくせにな……本当にもう……。



「分かった。じゃあ家まで歩いて送って行く」


「だめ……」


「なんでだよ!」


「帰りたくない。帰りたくないんです……!」



 ミヤちゃんは表情を歪めた。

 ……もしかして家の人と何かあった?



「そんなこと言われたってな……」


「ううっ……」



 ミヤちゃんは枯れた声を出しながらうなだれた。



「じゃあうち来る?」


「……良いんですか?」



 家に帰りたくないというならもうこれしか選択肢はない。

 部屋は片付いていないし、あまり人を入れたくはないが泥酔してる女の子を1人にするなんてさすがに無理だ。



「うちに来るか自分の家に帰るかどっちかだよ」


「春輝さんの家に……行きます」


「分かった」



 ミヤちゃんの身体を支えながら私は家を目指した。

 私の借りている賃貸は1Rの部屋。もらえる給料から逆算して少し広めの部屋を借りることができたが、結局は寝るための場所と化しているので、もう少し小さい部屋でも良かったかなと今は思う。

 必要最低限のものしか置いていないのでなんとなく殺風景だし、家に帰っても広さのわりに物が少ないので落ち着かないのだ。

 だから何か色のあるものをとカモフラージュのつもりでサンドバッグを置いた。ごめん、これは嘘だ。



 家に着いて、私は早急に部屋着に手をかけた。いつもはボロボロの部屋着だが今日はミヤちゃんがいるのでちょっとオシャレ目のやつ。

 ミヤちゃんはぼんやりと窓の方を見ていたが、恥ずかしいので着替えは浴室で行い、化粧を落とした。

 スーツは窮屈だからすぐに脱ぎ捨ててしまいたいし、化粧も肌がカピカピしている感じが常に付きまとっている感じがして不快だ。その不快感をより一層洗い流すようにシャワーをそのまま浴びたいところだがミヤちゃんが心配なのでそうもいかなかった。

 私がシャワーを浴びている間に何か起こるかもしれないから。



 浴室から出て部屋に戻るとミヤちゃんはフローリングの上でうつ伏せに倒れていた。 



「ちょっと! 大丈夫?」


「眠くて……」


「ここで寝るつもり?」


「う……」


「絶対身体痛くなるから。ベッド使っていいからここで寝るな!」



 ミヤちゃんを無理やり起こして、ベッドの方に身体を引っ張って寝かしつけた。



「それだと春輝さんが……」



 ミヤちゃんはうつらな目でこちらを見た。

 酔っ払いのくせに回らない舌で私の心配かよ。



「いいよ、私のことは」


「なんで! 嫌だ。じゃあ一緒に寝てください……」



 洋服を引っ張られた。

 普段はクール系でさっぱりしているミヤちゃんだが、酒を飲むと少々キャラが変わるようである。



「……分かったよもう」



 電気を消して、代わりに常夜灯をつけた。

 ベッドに入りミヤちゃんに寄り添うと、安心したのか少しすると寝息を立て始めた。シングルベッドに2人は少し狭いが、どこか懐かしい感じだ。

 短めのサラサラとした髪を撫でる。



 かわいいな。髪の毛緑だし刈り上げてイカついけれど寝顔はまだまだ子供だ。私とミヤちゃんはちょうど6歳差。

 私にも妹がいたらこんな感じだったのかな。

 妹だったら私も少しは――。



 何考えてんだか。

 今更6歳下の弟の面影とミヤちゃんを重ねるなんてバカみたい。



 身体を起こして、ラグの上に毛布を敷いた。

 手を大の字に広げて大きく息を吸った。金曜の夜。平日の疲れも溜まっていたこともあり、眠りにつくのに時間はかからなかった。



 ――そして朝。白い光が目蓋を照らした。

 瞳をゆっくりと開けると、ミヤちゃんの顔が映った。



「あ……おはよ。起きてたんだ」


「あの、本当にすいませんでした!!」



 ミヤちゃんは正座になり、俯いて声を張った。



「いいって! それより体調は平気?」


「はい、若干頭痛いですけど……春輝さんの家に泊めてもらうなんて……本当にありとうございます。どうお礼を言っていいか……」


「いやいや、むしろ偶然通りかかって良かった。あのままだったらヤバかったと思うから……。お味噌汁でも飲む?」


「えぇ、いや、そんな……」



 ミヤちゃんはばつが悪そうな顔になった。



「遠慮しなくて良いよ」


「ありがとうございます、じゃあいただいでも良いですか」



 私は棚に入っている味噌汁のパックを取り出して、電気ケトルのスイッチを入れた。やっぱ二日酔いにはこれでしょ。

 それにしても休日に自分の家に誰かがいるなんて変な気分だな、なんて思いながらミヤちゃんを見ると部屋に置かれているサンドバッグをじっと見ていた。

 やめて欲しい。



「ミヤちゃん喉乾いてない?」


「えと、少し……」


「冷蔵庫にお茶入ってるから自由に飲んで良いよ」


「本当至れり尽くせりで……ありがとうございます」



 動いてもらってサンドバッグから注意を逸らす作戦成功。



「春輝さん、冷蔵庫飲み物しか入ってないじゃないですか……」



 部屋の隅にある冷蔵庫を開けたミヤちゃんは呟いた。

 ……やばい。いや、開けろって言った私が悪いんだけどさ。

 冷蔵庫には基本的にお酒かお茶しか入っていない。私はコンビニで買ったパンやおにぎり、カップラーメンが中心の生活を送っている。自炊とは無縁の生活の中にいることは会話の中で多少は察していたかもしれないが、この冷蔵庫の有様にはさすがにミヤちゃんもドン引きしている様子だ。



「ご飯は会社で食べることが多いからね……あはは」



 電気ケトルで沸かしたお湯が沸いたので、器に注いだ。



「はい、どうぞ」



 小ぶりなテーブルに器を2つ並べた。

 ミヤちゃんはラグに腰掛け、いただきますと言うと口を付けた。



「うまっ……」


「やっぱり二日酔いには味噌汁だよね」


「しみます……。はぁ、もう本当にバカすぎですよね、うち。あんなに飲んで」


「何かあったの?」


「はい。実は……振られました」


「まじか」


「はい」


「それは辛かったね……」



 私も直近の彼氏には振られた。その時に言われた言葉は、「春輝は俺がいなくても生きていけるだろ」だった。確かにそうだと思ってしまった。寂しさなんて感じなかった。むしろ重荷が1つ取れて好都合だった。今思えば別れる直前にはもう情なんてなかったんだと思う。あまりにもあっさりした別れだった。

 失恋の痛みの味は私の中で薄れているけれど、ミヤちゃんにとっては、とてつもなく辛かったんだろうな。



「うちが正規に働いてないのが気に食わなかったみたいです。いつまでそうやって呑気に過ごしてるの? って。今更すぎますよね」


「呑気って……こんなに頑張ってるのにね」



 ミヤちゃんは看護師になるために専門学校の費用を貯めている。昼の飲食のバイトにプラスして夜はシャドー。稼いだお金は家にも入れなければならず、なかなかお金が貯まらない中で、いつも笑顔を絶やさずひた向きに頑張っている姿を見てきたから胸が痛んだ。



「もともと家が金持ちじゃないからしょうがないんですけど、もうどうしろっていうのって感じですよね。それでイライラして親にあたって案の定喧嘩ですよ。なにやってんだか。もう嫌になります。結局飲みすぎて春輝さんにも迷惑かけちゃうし、最悪ですよ」



 ミヤちゃんは器の中で揺れる味噌汁の表面を見た。



「自分じゃどうにもできないことってあるよね」



 子供は両親を選ぶことはできない。

 生まれてくることを自ら望んだわけでもない。勝手に作られて、産み落とされた。

 ハズレくじを引いた子供は生きる意味に悩むことが多くなる。運ゲーだ。



「世の中に平等なんて言葉あるんでしょうか……」


「……」



 きっとない。

 無意識に人は誰かと比較して自分は劣ってるだの勝ってるだの思ってしまうものだ。そんな人間の性質が根底にある限りは、平等なんて言葉は通らない。



 その時、部屋のインターホンが鳴った。



「ごめん、ちょっと待ってて」


「あ、はい」



 宅配便だ。



「いつもありがとうございます」



 ネットで口コミのシャンプーとトリートメントを受け取った。

 土日に外に出たくない私はこうした日用品はネットで買うようにしている。冷蔵庫を開けて栄養ドリンクを1つ取り出して宅配のお兄さんに渡した。



「いえいえ、こちらこそ。いつもありがとうございます」



 お兄さんは笑うと栄養ドリンクを受け取ってくれた。

 毎週のように何かしら届けてもらっていて申し訳なくなるので、こうしたちょっとしたものを渡すようにしている。おかげでよく私の前では笑ってくれるようになった。作戦成功だ。



「春輝さんって優しいですよね」



 段ボールを部屋の隅に置き、テーブルに戻るとミヤちゃんが言った。



「え、どこが?」


「だってうちのこと介抱してくれたし」


「いや、あんな風になっててほっとく方がヤバいから」


「宅配の人にもなんか渡してたし」


「うーんあれは……毎回届けてくれるの悪いなって思って」


「春輝さんのそういう優しさに漬け込む人がいそうですよね」


「やめてよ……冷蔵庫見たでしょ? こんなの知られたら絶対モテない」



 ミヤちゃんだからまだ良かったけど会社の人にだけは絶対にバレたくないな……。特に大久保さんには。



「あはは。今度うちが何か作りますよ、料理なら得意ですから。恩返し、させてください!」


「バーでもよく美味しいつまみ作ってくれるもんね。良いの?」


「はい!」



 味噌汁を飲み終わると、ミヤちゃんは早速シンクで洗い物をしてくれた。



「そろそろ帰りますね。家に帰るのなんとなく気が重いですけど、ちゃんと謝ろうと思います」



 一通り片付けが終わり、ミヤちゃんはポーチに手をかけた。



「うん、応援してる。心配だから家に着いたら一応連絡して」


「はい」



 私とミヤちゃんはこの日、初めて連絡先を交換した。

 スマホの画面を操作していると、ミヤちゃんの視線を感じた。



「ん……なに?」


「春輝さん、化粧してなくても綺麗だなって思って」


「もういいよ、そういうの」



 少し吹き出してしまった。



「いや、本当に! ……ねぇ、春輝さん。どうして床で寝てたんですか?」


「ん?」


「一緒に寝てくれてたと思ったのに起きたら隣にいなかった」



 ミヤちゃんは少し俯いた。

 昨日のこと、覚えてたんだ。失恋した直後できっと寂しかったんだろう。ちょっと申し訳ないことをしてしまっただろうか。



「……いや、窮屈かなって思って。ごめんね」


「あはは、まぁそうですよね、すいません。帰ったら連絡しますね。ありがとうございました!」



 いつも通りのニコッとした笑顔でミヤちゃんはそう言うと、部屋を後にした。



 ――見送り後。

 さて……シャワー浴びよう。

 私は部屋着を脱ぎ捨てて浴室に向かった。

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