視線

 1週間の終わり。

 水野が業務をキャッチアップしていく姿をただ隣で見ているだけで、特にこれといって変わったこともなく週末になった。

 そして今日は水野の歓迎会である。



 会社の飲み会は頻繁には実施されない。誰かが新しく入ってきた時、あるいは退職する時などに内輪でぽつぽつと行う程度である。

 私はあまり会社の飲み会は好きじゃない。飲み会でも完璧な「京本さん」を演じ続けないといけないのは苦痛だ。でも、これによって人間関係が良好になって業務が円滑に進むのであれば、業務時間が伸びたと思って参加する価値はあると思っている。

 私が今回飲み会に出席するのは部署内の人間関係をより良好にするためでもあるし、大久保さんが幹事だからでもある。

 決して水野を歓迎するために参加するのではない。



 業務がまだ終わらない社員を何人か残して予約した時間に店に向かった。

 今回は国内の中途採用、新卒採用の人事と一般事務を含めた15人が飲み会に参加予定だ。飲み会への参加を強制するような社風ではないため参加しない社員も多い中で、こんなに人が集まるのはレアだ。幹事である大久保さんの人望の厚さをうかがわせる。



 会場は宴会形式の座敷だった。最悪だ。もうこれだけでテンションが下がる。

 女子は胡坐をかくことができないのでお姉様座りたるものをしなければならない。この体勢は窮屈だし、ずっと続けていると脚が痺れるので嫌だし、隣の人との距離の取り方が良く分からない。

 幹事やってくれたのは嬉しいけれど、モテ男ならそういうところ汲み取って欲しかったな……。



 集団の後の方だった私は適当な空いている適当な場所に腰掛けた。本当は大久保さんの近くが良かったが水野がすでに彼の隣に座っていたのが見えたので、もう席なんてどうでも良くなってしまった。



「水野さん、これからよろしくお願いしますね。人事部、一緒に盛り上げていきましょう」



 ドリンクが運ばれてくると、大久保さんはビールを片手に声をかけた。



「頑張ります。わざわざこのような場を設けていただき、ありがとうございます」



 水野はハイボールを片手に口角を上げた。



「それじゃあ……乾杯!」


「「「乾杯!」」」



 愛想笑いをしながら適当に周りに座っている社員たちとグラスを合わせた。



「水野さんってさ、前職でもマネージメント寄りな仕事をしてきたんだっけ?」



 おじさんマネージャーの横内さんが水野に話しかけている。

 声が大きいから嫌でも会話が聞こえてきてしまう。



「はい、そうですね。プレイングマネージャーみたいな感じでしたけど」



 今週はフォロー側に回れたけど水野が仕事ができるということは十分に分かった。

 水野にマネージメントされるのは嫌すぎるので、なんとか手を打たなければ……。



「そっかそっかー。転職してみてどう? まだ1週間ちょっとだけど慣れた?」


「はい、おかげ様で。京本さんが優しく色々教えてくださいましたから」



 負かす方法を考えていると自分の名前が出てきて思わず水野の顔を見た。

 水野がちらっとこちらを見たので私は思わず目を逸らした。



「京本さんとは年齢も近いもんね。一緒に給湯室から戻ってくるところ見てなんか良いなぁって思ってたよ」


「そうですか? ふふ」


「うん、なんかオフィスが明るくなるっていうかさ。一言でいうと最高」



 何が「最高」だよ、キモ。

 横内さん……社内でも女好きなのは評判だけど水野のこと狙ってんのかな。まぁどうでも良いけど。



 私はビールを一口、口に含んでゆっくりと舌の上で転がしながら飲んだ。ビールは喉越しが命。苦いし口の中で味わうものではないとは思っているが、今はこの飲み方をしなければならない。

 ――酒に乱れる女はエリート失格だ。酒に酔って社員証をなくす人、会社のノートPCを電車に忘れてくる人、終電を逃して夜の街に消えていく弊社の既婚者の男と女、泥沼。会社の飲み会で酒を飲み過ぎて起こる良いことなんて1つもない。

 1つの酒の失敗で人生を棒に振る人を見てきた。だから私は会社の飲み会では自制するのだ。



「京本さん、休みの日はいつも何されてるんですか?」



 隣に座っている寺内さんが話しかけてきた。背が少し低めで可愛い系の男子。同じチーフ職で1個上の先輩、新卒採用担当である。



「そうですね、ビジネス本を読んだりネットで情報収集したりとかですかね」



 本当はベッドの上で寝たきりで過ごしているし、配信者がヤンチャしている動画をボサボサの頭で見る日々だがそんなことはとても言えない。



「さすがだなぁ。最近売り手市場だし全然良い人採れないですよね。それなのにノルマは上がってくばっかりで……いつ降格するかヒヤヒヤですよ」



 寺内さんは困り顔ではにかんだ。

 実際その通りだ。最近は全然良い人が採用できない。応募人数もずいぶん減っていて転職エージェントに頼る日々だ。



「そうですよね。労働人口が全体的に減ってるから人が少ないのはしょうがないとは思うんですけど」


「あー仕事の話はやめましょう! 京本さんは土日はどっか遊びに行ったりはしないんですか?」


「そうですね……。気分転換に散歩くらいはしますよ」


「京本さんも駒米こまこめ駅でしたよね? 俺もよく駅の近く散歩してるんですよ。いつか会えたりして」



 寺内さんは照れたように笑うとビールをぐいっと飲んだ。

 私の住んでいるところ――駒米駅にはDAPの社員が結構住んでいる。都会すぎずに田舎すぎず、アクセス的にも会社まで1本で行けるし人気な場所なのだ。



「もし会ったら面白いですね。休みの日にはあまり社員には会わないですから」



 私も寺内さんに笑顔を見せ、ビールをまた1口舌で転がした。



 こいつは私のことが恐らく好きだ。なんとなく分かる。休みの予定を聞くのは私に彼氏がいるかいないかチェックするため。不躾に恋人がいるのか聞くのは捉えようによってはセクハラにあたる。人事部だからそこら辺はシビアなのだ。

 だからこうしたちょっとした情報から、恋人の有無を判断する。私もこの手を使って大久保さんに彼女がいないということを突き詰めている。



「京本さんって趣味ありますか? 学生時代なんか部活とかされてたりしました?」


「……趣味は料理とか、ですかね」



 もともと運動はそこまで好きじゃなかった。でも部活は運動部に入れと親に言われ、身長が少し高いこともあったので仕方なくバスケを選んだ。中学からやっていたが高校でスタメンに入れず、自分にはやっぱり運動は向いていないんだって思った。だから大学になってからは一切運動をしていないし、私がバスケ部だったこともあまり人には言っていない。

 口頭では趣味は料理と言ったが本当はこれといった趣味もない。男ウケの良い趣味ランキングの1位が料理だったから今こうして言っただけだ。

 どうせ会社だけ。この男とプライベートで関わることなんかないのだからこれくらいの嘘は良いだろう。



「へぇ、料理もできるんだぁ。何作るんですか?」



 くっ……。こういう時ってなんて答えたら良いんだ……。せいぜい作る料理といっても卵かけご飯くらいだが、そんなこと言ったら幻滅されてしまうだろう。

 仕事ができる女に似合う料理とは――。



「……イタリアンとかですかね。寺内さんは何か作りますか?」



 自分のことはこれ以上話せないと悟ったので相手のことに話題を移して逃げる作戦に出た。



「すげぇ。俺もパスタはよく作るんですけどね。あ、最近会社の近くに美味しいイタリアンができたんですけど今度行きませんか?」


「はい、機会があればぜひよろしくお願いします」



 私はニコっと笑うと席を立った。



「トイレですか?」


「はい。ついでに少し酔い覚ましに外の風にあたってきます」


「お酒そんな強くないって言ってましたもんね。あんまり無理しないでくださいね」


「ありがとうございます」



 寺内さんはどこか残念そうな表情で薄く笑った。



 脚が痺れたし、気のない男に口説かれ続けるのも億劫だ。

 立ち上がったついでに大久保さんの方を見ると楽しそうに水野と話していた。心にチクっとした何かが刺さった。



 トイレの後、ようやく仕事が終わって合流する組と店の廊下ですれ違ったので軽く挨拶を交わした。

 店を出たところにあるベンチに腰掛けて溜息をもらした。社員たちの楽しそうな笑い声が薄く聞こえてくる。



 大久保さんと水野、なんか良い感じだったな。なんだか嫌な予感だ。私の気のせいだと良いんだけど。



 夜風は優しかった。

 なかなか中に戻る気になれずに手元の腕時計を確認しながら、早く終わってくれないかな、と呟いた。



「京本さん、何してるんですか」



 見ると店の入り口には水野が立っていた。



「水野さんこそ、どうしたんです」



 水野はこちらまで歩いてきた。



「はるちゃんいないなって思って探して来ちゃいました」



 そろそろ戻らないと、と思っていたが水野が来たことでもう少しここにいて良いんだという意味不明な安心感がやってきた。



「何それ、気持ち悪っ」



 そんな自分の意味不明な気持ちを否定するように言葉を吐き捨てる。



「ひどいですね」



 私の隣に水野は座った。



「ストーカーかよ」


「その言われようはいただけないです。はるちゃんだって私のことよく見てるくせに……」



 水野はチラッと儚げな目でこちらを見た。



「は? 見てないし! なんなの?」



 私は思わず水野から少し距離をとった。

 自意識過剰も良いところだ。



「私が見てない時は見てるくせに、私が目を合わせようとするとすぐ逸らしますよね。さっきもそうだったし」


「……勘違いすんな。あんたのフォローをするように大久保さんに頼まれたんだ。だから……」



 確かに今週は水野の存在は気にかけてた。これは認める。でもこれは大久保さんのためだ。



「はるちゃん、大久保さんのこと気になってます?」


「は? そんなわけないじゃん!」


「……本当ですか?」


「本当だってば!」



 心臓が速くなった。

 嫌だ。これは絶対バレたくない。



「そっか……私今でも思うんですよ。はるちゃんってば本当に水野君のこと好きだったのかなって」



 今更何を……。



「何言ってんの。あんなに相談してたじゃん。なのにあんたはさ……」



 思えば私と水野の仲は最初は良かったと思う。少なくとも誰が好きかを相談できるくらいには。

 男子バスケ部のキャプテン。人望も熱くて人気者。私は光の当たる水野君と並んで歩くことを夢見ていた。

 こいつの言うように、水野君のことなんて最初から好きじゃなかったと開き直れるならそうしたいところだが無理だ。だってあの痛みは……失恋の痛みでしょう? それ以外に何があるっていうんだ。



「また私に取られちゃうのが心配ですか。大久保さんを」


「……なんでそういうこと言うの」



 本当にこいつは無神経な奴だ……。目を合わせずに自分の拳を見る。苛立ちと情けなの入り混じった気分で息苦しさを覚えた。



「大丈夫ですよ、もう取ったりしません。私には好きな人がいますし」



 苛立ちが小さな驚きでかき消された。水野の顔を見た。好きな人、いるんだ。



「……神田は今誰かと付き合ってんの?」


「はるちゃんは誰かと付き合ってますか?」


「先にこっちの質問に答えろよ……」



 水野が口を開くのを待っていると、ふと私達の前に影が現れた。



「主役がどこに行ってるのかと思ったら抜け駆け?」


「大久保さん……」


「増田君たちに聞いたら外にいるって言うから。大丈夫? 酔った?」



 大久保さんは私たちの顔を交互に見た。



「大丈夫です。ただ夜風に当たりたいなって思っただけなんで」


「私もです」



 水野は私の後に続いた。

 お前は私のこと追いかけてここまで来たんだろうが。



「そっか。なんだかこの1週間で2人ともずいぶん打ち解けた感じがするね」


「はは、そうですかね」



 他の社員にも言われたけど、私たちは表面上は仲が良く見えるみたいだ。あんまり嬉しくはないが、仲が悪いと思われるよりかはマシだろう。



「すいません、少し長話をしてしまいました。すぐに戻りますね」



 私は大久保さんと水野を残して席を立って居酒屋に再び入った。



 適当に周りの社員たちと雑談して時間を過ごし、飲み会はお開きになった。



 二次会もあるみたいだったけど私は参加しなかった。

 水野は主役なので参加するみたいだったけど。



 電車に揺られて最寄駅を降りる。

 疲れた。飲み会、行った意味あったのかな。モヤモヤが残る。私が大久保さんのこと気になってるのが水野にバレたくさいし最悪だ。

 改札を出て交差点で信号が変わるのを待っていると電柱のところでえずいている女性が目についた。



「ゲホッゲホ……」



 うわっ……。

 金曜日だからって飲みすぎちゃったのかな。こういうのは放っておいた方が良さげ……?

 でもうずくまってるし苦しそうだ。背中くらいさすってあげた方が良いだろうか。



「あの……大丈夫ですか?」



 あまり下を見ないようにしながら近づいた。



「ケホッ……」



 女性が口元を押さえながら顔を上げた。涙目。目は充血し、頬は涙で濡れていた。



「ミヤちゃん!?」



 なんとえずいていた女性はミヤちゃんだった。

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