自覚
「京本さんは仕事ができる人ってどういう人だと思いますか」
寺内さんは細長めのワイングラスを少し傾け、クリーム色の透き通った液体の中の炭酸をぼんやりと見ている。
また仕事の話か……。金曜日、オフィスでの仕事を終えて寺内さんと共に駒米のレストランまでやって来たが、残業気分は抜けない。一つ隣の席に座っている若いカップルはテーブルにパンフレットを並べて一緒に旅行の計画を立てていた。それに比べてこっちは……。
「仕事ができる人ですか。職種によるかと……こんな人と、は一概には言えないと思います」
「仕事ができる人」とは、身体が脂肪・筋肉・骨・水分など様々なものから構成されているのと同じで、掛け合わせによって決まるものだ。必ずしもこれができるから仕事ができる、とは言い切ることはできない。
例えば運動ができる人は筋肉量が多い人だ、と誰かが言ったとしよう。しかしマラソンにおいては筋肉の重みは持久力を維持する妨げとなり、この理論は通用しない。それは仕事においても同じだ。
偏差値の高い大学を出ている学生は仕事ができるから、と率先して企業は採用するが、お勉強ができる頭の良さだけでは「仕事ができる人」には成りえない。ポジション、職種によって求められるスキルは異なるからだ。
「そうですよねぇ。うーん」
寺内さんはクイっとグラスに入っているスパークリングワインを飲み干すと、コトっとテーブルに置いて、斜め下の方を見ながら眉間に皺を寄せている。
「どうかしたんですか?」
「面接で学生に聞かれたんですよ、寺内さんにとって仕事ができる人ってどんな人ですかって」
「あぁ、私も以前聞かれたことあります」
逆質問あるあるだ。かくいう私も学生の頃はこの質問を面接官に投げかけていた。「世の中の情勢に常にアンテナを張っている人」、「自分の頭で考えて行動できる人」など様々な回答が返ってきた。私はそれに対して、うんうんと首を縦に動かしてノートにメモしていたっけ。
今だから言えることとしては、その頃の自分は表面上のことしか見えていなかったということだ。
「成長できる会社が良い」、「挑戦できる会社が良い」と、意識の高い学生は目を輝かせながらこんなことを言ってくる。私から言わせれば、捉えようによってはどの会社に行ったって成長はできる。だから企業の人事は学生の言葉を良いように解釈して「うちは成長できる、挑戦できる」と詠い、巧みに誘導していく。純粋な学生はその言葉に騙されて入社するが、後になって自分の思い描いていた理想とは違うと気が付いて、辞めて行く。
これはラーメンを食べたことがない人が美味しいラーメンのランキングを決めることと同じ。社会に出たことがない人間が成長だの挑戦だの言って理想を描くことはできるが、それは実際に体験してみないと分からないことだ。
社会に出て仕事をしたことのない人間の聞く「仕事ができる人はどういう人か」という質問は、ラーメン食べたことないんですけど美味しいラーメンってどんな味だと思いますかと聞いていることと同じ。実に中身のない、表面上のやり取りに過ぎない。
こんな学生からの質問に対して眉間に皺を寄せるくらい悩む必要ってあるのかな。
「京本さんはその時、なんて答えました?」
「ITに関心が高く論理的思考能力があって、チームメイトとのコミュニケーションを怠らない人と。その方はエンジニア志望だったのでそう答えました。営業志望の方ならまた回答は変わっていたと思います」
「まぁそうですよね。野球選手にサッカーボール蹴らせても、野球選手の無駄遣いというか使う筋肉が違うというか。どの職種でも体幹……にあたる一定の地頭の良さは求められる気はしますけど」
「寺内さんはその学生さんになんて回答したんですか?」
「その人はサークル長やってていかにもって感じの学生だったので……目標を確立して自立自走できる人って答えました」
「反応どうでした?」
「深く頷いていましたね。好感触でした。でも、もっと良い回答の仕方があったんじゃないかと思って……」
「好感触であれば寺内さんの回答は正解だったんじゃないでしょうか」
今回の質問に対して決まった模範解答は存在しない。
我々人事は採用する立場だが、一方で選んでもらう立場でもある。やりとりを通じて学生の自己承認欲求をいかに満たしてあげられるかを考えるのも人事の仕事だ。
今回の件で、学生の反応が良かったのであればそれが正解なのだろうと思う。
「そうですかね、はは。京本さんにそう言ってもらえると安心します」
ウエイトレスがやってきたので、寺内さんはスパークリングワインのおかわりを頼んでいる。
私も同じものを一口飲んで立てかけてある時計に目をやった。年上なのに、年下である私に意見を求めて安心されてもな……。デート相手だ。年上に対して「年上ならこうあるべき」という期待がないわけではない。もっと頭が良くて私より仕事ができて――。寺内さんは弟系のキャラクターだし仕方ないとしても、頼りなさにどうしても目が行ってしまう。
あとどれくらいで解散するだろうか。そんなことを考えながら会話を続ける。
「模範解答が存在しない中で、やってみないと分からないことってありますよね」
水野や大久保さんがいつも言っているその言葉を復唱した。
部下からの提案に対して、相当筋の曲がったことでなければこの2人はいつもこのように言って自由に泳がせる。たとえ失敗してもリカバリーするリソースがあるからだ。まさに挑戦できる環境!
「本当にそう思います。他の企業だと、学生にこう聞かれたらこう答えろ、みたいなマニュアルが用意されてるところもあるみたいじゃないですか。うちはその分自由にやらせてもらってるのかなっていう気がしますよ」
「凝り固まった思考を捨てて柔軟に動ける人、も仕事ができる人の条件に入ってくるかもしれませんね」
そう、大久保さんとか水野みたいに。
やってみれば良い精神でかつ柔軟に対応できる人。
「はは、本当にそうですね。……なんか真剣に考えたら酔いが回ってきちゃいますね」
先ほどから結構早いペースで飲んでいる気がする。寺内さんのグラスはもう空きそうだ。
「大丈夫ですか、そんな飲んで」
「明日休みですしね。京本さんといると楽しくて……つい飲んじゃいます。飲まないんですか?」
「いただいてますよ」
最寄駅だと終電がないし、時間気にせずがぶがぶ飲まれてもな……。相手が結構酔っているとかえって酔いが醒めてくるというもの。寺内さんとは対照的に鈍足で飲み進めていった。
結局、店を出たのは閉店時間だった。
「あぁー……ちょっと酔っちゃったかもしれません」
千鳥足ぎみの寺内さんは頬を赤く染めて呂律の回らない口調で言った。
「ふらふらしてますけど、ちゃんと帰れますか?」
「んー……」
寺内電柱に手をついて、息をふうっと吐き出している。
無理じゃんこれ。勘弁してくれ。
男だしここに放置しても良いかもしれないけれど、これで寺内さんに何かあっても困る。
ほどほどのところで止めておかなかった私にも責任はある気がするしな……。
「家どこですか」
「あーえっと……ここをまっすぐ行って右です……」
ここからそんな離れてないみたいだし、タクシーを呼ぶ必要もないか。だいぶ酔っているようなので家の前まで送っていくことにした。
横に並んで歩いている間に、何度か寺内さんの手の甲が触れた。手、繋ぎたがってる……? 酔っ払ってるだけだよな。私は握り拳を固めた。
「じゃあ私はこれで。お水しっかり飲んでくださいね」
寺内さんの住むマンションのエントランスまでやって来た。もうここまで来れば家に入るだけだし大丈夫だろう。踵を返す。
「ありがとうございます。すいません、最後に一つお願い聞いてくれますか」
「はい?」
「鞄のポケットに鍵が入ってるんですけど、鍵穴にさすまでしてくれませんか。頭くらくらしてて……すいません」
鍵を穴に挿せないのか? さすがにこれは甘えすぎだろ。酔っぱらって家の鍵を開けられないって言うなら一生外で暮らしてどうぞ。
……と言いたいところだが情けなさそうな表情の寺内さんが子犬のように見えて、同情せざるを得ない。仕方なく要求を飲むことにした。
「……分かりました」
エレベーターで指定の階まで上がり、部屋の鍵を開けて中に寺内さんを入れた。
「ふう……。じゃあ私は帰ります」
「京本さん」
ドアをそのまま閉めようとすると、名前を呼ばれて強い力で中に引かれた。
「……っ」
視界がガコンと揺れ、暗闇の中で薄く天井が見える。私は玄関のマットの上に組み敷かれていた。
濃い影がのそっと上がってきて熱い眼差しで見つめられる。男の目。息苦しさが押し寄せた。
「ちょっと……寺内さんっ」
腕を振り動かして抵抗して見せるが、両腕を押さえつけられてしっかり固定されてしまった。
……これ、私抱かれるんだ。悟った。
そうならないようにと配慮してはいたけれど、結果的に男の家に入ってしまった。まさか寺内さんはこんなことをしないと思っていた。酔って制御が効かない理性に訴えかけるように腕に力を込めてみるがビクともしなかった。
嫌だと思う。こんな形で寺内さんに差し出してしまいたくないと思う。
でも水野は? 私に好きと言っておきながら他の男と平気で寝ているじゃないか。今だってきっと……。あぁ、クッソ、モヤモヤする。私が同じことをしたらあいつはどう思うのだろう。私と同じ気持ちになる? 気が狂いそうになる? 自分がいかに愚かなことをしているか自覚をしてくれるのだろうか。もう知るか、あんな奴。
薄目にしてゆっくりと息をしながら身体を力を抜いていく。心臓の鼓動はびっくりするくらい静寂を保っていた。
寺内さんの顔が徐々に近づいてきたが、ぎりぎりの位置で止まった。
「なーんて……」
腕を押さえる寺内さんの力が弱まった。
「へ……」
「ごめんなさい、酔っ払ってるふりしちゃいました。京本さんは優しいからきっと家まで送っていってくれるだろうって……こうなることを期待していたんだと思います。でもやっぱり、できない……」
「……」
戦意を失った寺内さんの目を見て、助かったと内心安堵したが、ここまでしておいて急に身を引いた心境が気になった。
「京本さんは俺とこうなりたくて、家まで着いてきてくれた訳じゃないですもんね。純粋に俺のこと心配してくれただけですよね」
「……はい」
行っても部屋の外までと決めていた。
下心なんてこれっぽっちもなかった。
「ですよね、さっきすごく怯えた目をしてましたから。京本さんの優しさに漬け込んで俺何してるんだろって思って……」
寺内さんはゆっくりと立ち上がった後に、私の手を引いて身体を起こしてくれた。
「もう気が付いてると思いますけど、俺は京本さんのことが好きです。でも……京本さんは俺のこと好きじゃないですよね」
「……」
正直に答えることができずに目を伏せた。
「いいんです、分かってますから。……好きな人とじゃないと嫌、ですもんね」
「……ここでシたら、きっと私たちは今までの関係を続けるのは無理だったと思います」
「言う通りですね、ごめんなさい」
「いえ……」
乱れたブラウス。襟元を整える。
「もうこんなバカな真似しません。俺、もっと釣り合う男になるために頑張ります。努力します。それでも無理だったら、その時はちゃんと振ってください」
「分かりました。……それでは」
家の前まで送って行くと言う寺内の提案を断って、夜道を1人歩く。ぐるぐると晴れない気分が肺を巡回している。
寺内さんはお互いの気持ちが通じてからじゃないと嫌なんだろうな。でもそれは私も同じ。
私があの日の夜、涙を見せてしまった理由もそこから。あいつが私の気持ちを無視したと思ったから。
押さえられた腕がじんじんと脈打っている。寺内さんに組み敷かれているのに思い出したのは水野の顔だった。私を差し置いて他の男と寝ていることへの仕返しをしてやろうと思った。
「ばかかよ」
嫉妬していたのは私の方じゃないか。
カツカツと弱々しくヒールの音を響かせる。吐き気がするほどの湿度、街灯に照らされグレーに光る道路。
私、水野のこと、好きなんだ。
溢れる反発心と失望をため息にのせた。
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