1on1――水野


「順調?」



 自ずと大久保さんの口癖を真似てみた。



「はい、おかげ様で」


「良かったね」



 午後、水野との1on1。

 無駄すぎる30分に思えていたのだが、先ほどとても嬉しいことがあったので1対1でも水野に優しくしてやる心の余裕が私にはあった。



「なんか変ですよね、今日」


「そう……?」



 私は自分のスマホでショッピングサイトに掲載されている美容系の商品たちをサッと眺めた。正直浮かれてしまっている。これは認める。だってまさか大久保さんから飲みに誘われるなんて思っていなかったから。

 世界は何十億人もの人間が生きている。中には友情を保ちつつ友達以上な距離感の男女もいるけれど、私と大久保さんが1対1で飲みに行くのはさすがにデート以外の何物でもない気がする。

 思い返せばひた向きに仕事に打ち込み、頑張ってきた。苦手な水野への対応も我慢しながらしっかりやったつもりだ。ここ最近ついていない日が続いたのでそのつけが今ようやく回ってきたと考えても良いのかもしれない。ついに報われる日が来たんだ。

 スマホをスクロールしていた手を止めた。「デート前に」と書かれた広告が目についた。少し高めのパックでも買おうかな。肌が綺麗な女性はモテるってメンタリストのDoiGoも言っていたことだし。



「……」



 沈黙が流れ妙な空気を感じたので、スマホから目を離してふと前を見ると水野の顔が至近距離にあった。



「ちょ、近い!」



 驚いて軽く肩を押すと、やれやれといった表情で椅子に腰かけた水野。



「何だよ!」


「1on1する気ないみたいだったので」


「いや、してんじゃん。接近しすぎなんだよ。普通に話せないわけ?」



 ちょっと焦った。

 水野は頭が良いし、勘も鋭いから至近距離でじっと見られると何もかも見透かされているような感覚になって肌がぞわぞわとする。

 これ以上私の中に入ってくるなと言わんばかりに椅子を引いて水野から距離を取った。



「部下の顔色を伺ってただけです」



 水野はすまし顔で言い放った。

 ……挑発するためか私のことを部下呼ばわりしてきやがった。今は多少機嫌が良いとはいえ、これは屈辱だ。



「は? ぶっ殺すぞ」


「良いんですか、そんなこと言って。次の人事評価、私もはるちゃんの評価者なんですけど」



 テーブルに置かれたコーヒーを水野は一口飲んだ。

 こいつ……。挑発してくるくせに権力を武器に反発を許さないなんて性格がひねくれてるにも程がある。



「……パワハラやめろ」



 本来ならパワハラをやめさせなくてはいけない立場なのに、それでも人事かよ。大久保さんに言いつけてやろうかな。



「冗談ですよ。真面目に1on1してください」



 水野はいかにも面白くないといった表情だった。

 口では冗談だと言っているが本当に最低評価をつける可能性があるのが水野だ。油断はできない。私は次の人事評価にかけているんだ。大久保さんなら高い評価をつけてくれるだろうが、こいつのせいで昇格できなかったらたまったもんじゃない。

 癪だがここは無理してでも機嫌を取った方が良いのか……?

 真面目に1on1をすれば良いんだろうが、急に態度を変えるのも不自然だしな……。



「……」



 バカみたいに整った顔を凝視するが、どう切り出せば良いのか分からず、視線を僅かに横に向けながら口をつぐんだ。



「大久保さんに何か言われたんですか?」



 先に口を開いたのは水野だった。



「何が?」


「大久保さんの1on1から様子がおかしいので。集中力が切れているように思えます」



 相変わらずの勘の鋭さだな。



「気のせいでしょ」



 私は自分の気持ちを隠すように再びスマホの画面に目を向けた。

 正直この痒さにも似た胸のドキドキを誰かに打ち明けたいという気持ちもなくはない。本当は目の前に座っているこの女に自慢してやりたいとさえ思う。でもそれ以前に水野が危険人物であるということは忘れてはならない。また踏みにじられてしまう可能性がある。

 うすうす私が大久保さんに気があることは勘づかれているみたいだが、飲みのことはオフレコだと本人から言われているし、個人的なことを話して話題を広げるつもりはない。



 大久保さんともし付き合えたのなら、それをドヤ顔でこいつの前で言ってやっても良いかなとは思うけれど。

 とにかく、今は黙っておくのが吉だ。



「気のせい? いいえ、そんなことないです。どこか上の空で明らかにいつもと違います」


「やることやってんだからどうでも良いじゃん」



 多少浮かれていることは認めるが、そんなのどうでも良いだろ。今のところ少しペースダウンはしているものの、業務に支障が出ているわけではないんだし私は自分のタスクをちゃんと時間内にやってるんだから。各々、事情を抱えながら仕事をしているだろうが、要はやることやってさえいれば良い。うちはそういう会社だ。

 業務外の個人的なことを水野にマネジメントされる筋合いはない。



「少なくとも私との1on1には支障が出ているようですが」


「元から神田と話すことなんてないし」


「1on1も業務ですよ」


「分かったよ。じゃあ何話しますか水野さん」



 腕を組んでため息をついた。

 めんどくせーな。

 一応上司である水野に、1on1も業務なんだから真面目にやれと言われたらそうするしかない。仕方ない。あともう数分のことだし我慢しよう。



「大久保さんと何があったんですか」



 またこの話題かよ。



「何もない」


「隠し事をしている時の顔をしています」



 水野は確実に私が大久保さんと何かあったと踏んでいるようだ。どうしても聞き出すつもりなのかな。でもなんのために? 好奇心?

 関係のないことは話したくないと返したいところだが、私が1on1に不真面目な理由と紐づけて揚げ足を取られてしまう可能性が高い。そのまましらばっくれておいた方が良さそうだ。



「何もないって言ってんじゃん……」


「嘘ですね」


「なんなの。あんたに何が分かるんだよ」


「私はね、ずっとあなたのことを見てきたから分かるんです」


「……」



 その言葉に思わずフリーズした。

 ずっと見てきた……。それはいつからいつまでのことだろうか。



 DAPの社員の中で「私」のことを1番知っているのは確かに水野だ。私の表の顔と裏の顔の両方を知っているから。でもだからこそ嫌いだし、こいつに心を開いた覚えはない。

 嘘をついていることを言い当てられている現状に返す言葉を見つけることができない中で、まるで私の理解者であるかのような態度に不快感が募る。



「分かった気になってるかもしれないけど、私から神田に話すことなんて何もないから」


「ええ、別に何があったのかを根掘り葉掘り聞こうだなんで思っていません。私が心配しているのは、はるちゃんが大久保さんに傷つけられていないかってことです」



 真っすぐな視線が突き刺さった。

 若干水野のしつこさにイライラしていたが、それは私のことを心配してくれていたからなのか。だとしたらそれは不要な心配だ。



「まさか、そんなわけないじゃん。知ったかぶりなくせに全然分かってないね」



 心の奥を見透かされたような気分になったけれど、やっぱり水野は私のことなんて分かっちゃいない。安堵したような、気勢をそがれるような、妙な気分になった。



「なるほど。では逆ってことですね。まぁそうかと思ってましたけど」


「な……」



 水野は息を軽く吐いた後に髪を耳にかけた。

 これってもしかしてのせられた……?



「なんて言われたのか知らないですけど大久保さんはすごいですね、はるちゃんをこんな風にしちゃうなんて」


「……」



 私ってそんな分かりやすいのかな……。少し恥ずかしくなって目を伏せた。



「はるちゃん、よく考えてみてください。本当に大久保さんを好きなのか」



 頭上に降りかかった言葉。

 また……。



「なんでそんな上から目線で言ってくるわけ? 水野君のこともそうだけど私が誰を好きになろうが勝手だし口出しすんなよ」



 歓迎会の時に、言われた言葉が私の中ではずっと引っかかっていた。

 


 『私今でも思うんですよ。はるちゃんってば本当に水野君のこと好きだったのかなって』



 私のことは私が一番分かっている。

 大久保さんに対する気持ちだってあの頃と同じ。



 私が好きだって思えば好きだし、そうじゃないと思えばそうじゃない。今もなお揺れ動いている感情の波は私にしか分からないことのはずなのに、何もかも知っているかのような口調に腹が立つ。

 好きじゃないって言わせたいわけ? だとしたら声を大にして水野に言ってやりたい。私は大久保さんが好きだと。



「……そうですね、余計なお世話かもしれません。でも仮に大久保さんと付き合えてもはるちゃんは救われない。これだけは言えます」


「救われない? どういうこと?」



 憧れの人と付き合えて、救われないってどういうことだよ。こんなこと普通人に言わないだろ。

 デートを目前にして心躍っているところにこのような言葉を浴びせられて怒らない人なんていない。頼むからこれ以上イラつかせないで欲しい。ストレスでハゲ散らかしてしまう。



「少し考えれば分かることだと思いますけど。本当、鈍感で嫌になります」



 水野はマグカップのコーヒーを揺らした。

 真っ黒の艶のない池がただ揺れていた。



 どう考えたって大久保さんと付き合えたら輝かしい未来しか見えない。きっと社員達は私たちを華やかしいカップルだと口を揃えて言うだろうし、「大久保さんの彼女」という称号を手にすることができる。認めてもらえる。もっと上に行ける。

 ……私のどこが鈍感なんだよ。そんなこと誰にも言われたことない。人を出任せに非難したいだけだろう。



「さっきからさ、自分が何言ってるか分かってんの。嫌がらせ以外の何物でもないじゃん。社会人にもなって恥ずかしくないわけ? 本当、無神経で嫌になる」



 私は怒りに任せてスマホをテーブルにガコンと置いた。

 今ので水野が私に最低評価をつけたとしても知るか。これくらい言ってやらないと腹の虫がおさまらない。

 これからも一緒に仕事をしていく上でこんなことを1on1の度に言われてたらたまったもんじゃないし。



「ごめんなさい」



 私のイライラを察したのか水野は静かに謝った。謝罪によって怒りがすっと引いていくのが分かった。

 ……こんな感じでさ、水野君と付き合った時も素直に謝ってくれれば良かったのにな。



「私のこと応援してくれてるのかそうじゃないのか、どっちなんだよ……」



 落ち着きを取り戻した私はゆっくりと言葉を喉から押し出した。

 水野は大久保さんのことは取らないと言ったし、他に好きな人もいるとも言った。

 私のことを応援してくれているような素振りを見せたかと思ったら、付き合っても救われないとか言ってみたり。なんなんだろうな。



「応援してますよ。でもはるちゃんは目先の幸せに囚われすぎているように見えました。あなたのためを思って、という言い訳ができれば良かったですが不躾でしたね」



 水野はそう言うと目を伏せた。



「……何が言いたいか分からないけどさ、目先の幸せを追いかけるのが人間ってもんじゃないの?」



 私の目の前には大久保さんがいる。届きそうな距離にいる。手を伸ばすことは罪……?

 そんなことはないでしょう。少なくともそれをするかしないか決めるのは他人みずのではなく私だ。



「そうですね。欲しいものが目の前にあれば、盲目になってしまうものです。理性を保ち続けることほど難しいものはない……己の感情に左右されるのが人間だから」



 人間は難しい。だから怖い。

 人事だからこそ分かる人間の怖さがある。

 パソコンのキーボードに「A」と打ち込めばディスプレイには「A」が出る。そんな単純な世界なら良いものの、人間は感情に支配される生き物だから自分の思い通りには動いてくれない。人間に「A」を打たせるためにまずどうすれば良いのかを、その場の状況に応じて答えのない中で考えなくてはいけない。



「……うん」



 私も含めて人間は複雑な生き物だ。水野の言葉に頷くしかなかった。



「ずっと完璧でいるなんて人間である限り無理なんですよ」



 水野の視線が私を射抜いた。その言葉はなんとなく私自身に投げかけられたように感じた。



「もしかして私に言ってる?」


「……私も人間なので不安定にもなるってことです。今回の件は謝ります。許してください」



 水野は軽く頭を下げた。



「……うん」


「そろそろ時間ですね」



 腕時計を確認すると、もう30分経っていた。



「本当だ」


「ありがとうございました」


「……ありがとうございました」



 会議室を出た。



「なんだよ、あいつ……」



 なんだかやるせない気分だった。

 色々なものが入り混じった感情のまま、私はこの後も業務に集中できることはなかった。

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