白と黒

「好き……なんだと思います」



 ついに……言ってしまった……。



「ふ〜ん。じゃあ寝取り返したら?」



 「好き」――渾身の勇気を振り絞って出した言葉だったが、キヨさんは表情1つ変えずにあっさり返してきた。キヨさんにとっては珍しいことではないからなんだろうが、私が意思決定するまでのこの時間は何だったんだろうと思ってしまう。



「えぇっ、そんな簡単に言わないでくださいよ。好きだとも伝えられてないのに……」


初心うぶね」



 ウイスキーグラスをあっという間に空にしたキヨさんはもう一杯目を作り始めている。対して私のウイスキーは全然減っていない。



「初心って……」



 くいっと少し多めに飲むとウイスキーの苦みがダイレクトに口の中に広がり、思わず顔をしかめた。



「男としかヤッたことないんだっけ?」



 そしてそのままウイスキーを吹き出しそうになってしまう。

 下な話になってしまったが下心というよりは純粋な興味から聞かれているということは分かるので全然不快な気持ちにはならない。



「えー付き合ったのは男性だけですね。同性に今みたいな感情を抱いたことはなくて……。ずっと自分は違うって思ってたのに、その人の前になるとどうもおかしくなるというか。最初は全然意識なんてしてなくて、むしろ嫌いだったのに気づいたらみたいな感じで……。私って同性愛者だったんでしょうか」



 「女性」と恋愛する、ということにまだどこか違和感がある。でも水野なら話が違ってくるというか……。上手く言語化できたかは分からないが伝わっただろうか。



「なんて名前なのその子」


「え」


「名前よ、その子の」



 キヨさんは早速作ったウイスキーを飲みながら聞いてきた。

 何故名前を聞くんだろうか。深い意味はない気はするが答えておくか……。



「……水野、です」


「水野セクシャルね」



 キヨさんはグラスを持った反対の手の人差し指を上に立ててニヤッと優美な笑みを浮かべた。



「なる……ほど……」


「前も言ったかもだけど、別に自分を同性愛者だと一括りにする必要はないわよ。あなたが自分は違うんだと思えばそれが答え。同性を1度好きになったって事象は残るけど、セクシャリティなんて実際本人にしか分からない。本人にも分からないことだってあるわ。あたしも最近自分がバイセクシュアルというよりはパンセクシュアルってことを知ったし」



 キヨさんは以前自分をパンセクシュアル――全性愛者だと言っていた。でもそれは最近分かったこと……。それまでは自分はバイセクシュアルだと自認していたということだ。解釈次第でセクシャリティは変わる。

 つまりは私が自分を同性愛者だと思わない限りは同性愛者ではない。現状はただの水野セクシャル……ということを言いたいんだろうと思う。

 キヨさんの言い方は一見トゲのあるようにも思えるが、読み解くと自分は自分のままで良いんだと思えてくる。私自身の存在を許容されているような……そんな不思議な気分だ。前回来た時もこの感覚を感じた。



「今の聞いて少し気が楽になったというか……。人にこのこと話したの初めてなんですけど、キヨさんに聞いていただけて良かったです」


「悩める子羊ちゃんね。告白するつもりはないの?」



 ウイスキーグラスを持つ手に力が入った。告白、という言葉に過剰に反応してしまう。

 もし告白をしたら……。最悪の場合のパターンが頭にいくつも浮かんでくる。でも私の本音は――。



「好きだと伝えた上で……助けてあげたいです。色々闇を抱えてる子なので」


「そう。相手もハルのこと好きなんでしょ? じゃあさっさと告白すればいいじゃない」


「でも彼女に好きだと伝えることは私にとってはかなり勇気のいることなんです。正直、怖いです。キヨさんに話すだけでもこんなに緊張したのに……。相手が同性ってだけですごくハードルが上がった気分になります。世間体とか、そういうのが決断の邪魔をしてくるというか」



 言った後でこれはまずかったかと後悔する。キヨさんは自分のセクシャリティをオープンにして生きている人だから、私がこんなことでクヨクヨしてる状況を良くは思わないかもしれない。

 「そんなつまんないことでグズグズ言ってんじゃねーよ」とか言われそうな気がする。



「分かるよ」


「ぇ……」


「あたしもずっと隠してきたからね……。同じやつおかわりする?」



 ようやく空になった私のウイスキーグラスを見てキヨさんは言った。



「あー……えっとお願いします」



 本当にこの人は私にウイスキーしか飲ませないつもりだろうか。

 1杯でもだいぶ酔いが回っている感覚だ。でもキヨさんの作る栄養ドリンクは摂取しておきたい気分ではある。



「あるお客さんにね、男の人も女の人も好きなら人生2倍楽しめそうだねって言われたことがあるの。まぁ確かにそうだなって思う部分もあったけど……今まで生きてきて、同性を好きになってしまうことに葛藤しないわけではなかったわ。最初に人を好きになったのは小学生の時で女の子だったんだけど、中学生になって初めて男の子を好きになった。その時は異性と恋愛するのが当たり前みたいなところあったから、なんで自分だけ人と違うんだろうって何度も思ったし、自分の気持ちを否定して無理やり押し殺そうとしてた時もあったわ。普通に辛かった。だから、同性も愛せるからって単純にかける2倍人生を楽しめるわけではないと思うって返したの」



 しなやかな手でウイスキーをかき混ぜるキヨさんは憂いを帯びた顔をしていた。



「そっか……そうですよね。でもなんか意外でした。気分を害されたら申し訳ないんですが、悩む感じには見えなかったので」



 キヨさんは見ての通り我が道を行くって感じのキャラだ。

 悩みを抱えていたなんて想像できなかった。



「今じゃこうだけどね、当時は悩んだわよ。女装癖があるってこともずっと隠してたし。自分の愛している人が誰なのか言えないなんて虚しいものよね。自分が抱いている感情が間違っているものだと思うこともとても苦しいし」


「その気持ちは私にも分かる気がします」



 水野のことを抱きしめたいと心に思ったことはあった。でも私は後ろめたさからそれができなかった。自分の気持ちを押し殺した。叶えてはならないものだと封印しようとした。でも好きという気持ちは意思のままに消えてはくれてない。だから、苦しかった。



 2杯目のウイスキーがカクテルコースターの上に置かれた。私はお礼を言って一口飲んだ。



「ハルはあたしのこと気持ち悪いって思う? 正直に言っていいよ」



 キヨさんは軽めのトーンで聞いてきた。



「まさかっ! すごくお綺麗……だと思います」



 容姿はもちろん、曇りのない心を持っている人だと思う。気持ち悪いどころか、正直好感度しか湧かない。……癖は多少あるが。



「まあね」



 そこ認めるのかよ……。

 ちょいちょいボケ入れてくるなこの人……。



「はい、本当にお綺麗だと思いますよ」


「本心かは知らないけど、今のハルがそう言ってくれたみたいに全員が全員セクシャルマイノリティに対して気持ち悪いなんて思わない世の中よ。偏見の目を恐れて目の前の人に好きだと言えない、触れることができない……あたしはそんなの嫌だって思った。だから思い切ってこのお店のオープンと同時に自分自身もオープンに生きることにしたの」


「キヨさんはいつからオープンに?」


「年齢がバレるから言わないわ」


「えぇ、そこは教えてくれないんですね……」



 別にいつからお店やってるか分かったところで年齢分からないだろ。なんで変にもったいぶってるんだ。



「お店の名前調べたら何年前からやってるか分かると思うけどそれはや・め・て・ね」



 演技かかった声に私は携帯を操作して検索画面を開いた。



「フリですか……? お店の名前、Elephantエレファントでしたっけ」


「そうよ。象のように下半身をたくましくって意味で名付けたの〜」


「あぁ……はい」



 店の名前と最寄りの駅名を打ち込んで検索ボタンを押下する。



「嘘よ、その引いたような反応地味にきついからやめて」


「……6年前からやられてるんですね」



 お店のホームページには6年前からオープンしたと記載されていた。



「調べたのー? もぉ」


「これ、キヨさんですか?」



 ホームページの下の方にはキヨさんっ人の写真が載っていた。肩書がオーナーと書いてあるので多分そうなのだが……。



「……そうよ」


「イケメンですね……」



 写っているキヨさんの格好は完全に男性だった。長い髪は後ろで束ねられ、今のように長い前髪で片目は隠れているが服装もベストにズボン。いかにも正統派バーテンダー風な装いで今目の前にいる人ととてもじゃないが同一人物には見えない。

 女装癖があることを隠していたと言っていたキヨさん。お店のオープンと同時に自分もオープンになったのであれば、少し矛盾がある気がする。



「あたしの中には2つの性があるの。生まれてきた身体には満足してるわ。でも心が女の時もあるし、男の時もある。この時は男の時だった」



 セクシャリティが流動的な人もいると以前キヨさんは教えてくれた気がするけど、自分の性別さえも流動的になる人もいるということなのだろうか……。



「キヨさんはトランスジェンダー……ではないんですね」



 心と身体の性が一致しないのがトランスジェンダーだと学んだ。性自認は流動的、でも生まれてきた身体には満足しているということであれば厳密的にはトランスジェンダーの部類ではないということだろうか。

 言葉の定義、線引きがなかなか難しい。



「そうね、男なのか女なのか自分でもよく分からないわ。でも人って曖昧な存在を嫌うでしょう、だからなのかを求めてくる人多くて困っちゃう。……無理やり言語化して枠組に当てこんで区別しようとするから。まぁ区別するのは勝手だけど、差別が生まれるのは区別するから、よね」


「確かにそうですね。実態の掴めないものは人間にとっては恐怖の対象になる。だから言語化して安心させようとするってどこかで聞いたことあります。でもそれによって区別が生まれ、差別に繋がることもあるというのは否めないですね」



 「クラスにいるじゃない、髪の毛が茶色い子。あの子の名前何だっけ?」

 ある親御さんはそう言った。この親御さんは髪の毛の色で生徒を区別をした。しかしこの区別の成れの果て、髪の色が「黒」ではないというだけでそれがいじめに繋がるということはある。誰かをのけ者にすることで共通の敵を作り、自分たちの帰属意識をより高めるために。

 LGBTとして一括りに区別され、マイノリティであるがゆえにそれが差別に繋がるのであればもういっそのこと区別なんてしなければ良いのに、とも思うけれど人間として生きる以上それは不可能なこと。

 区別――それは人を識別するために必要な情報だからだ。



「あたしみたいなね、曖昧な存在もあって良いと思うのよ。だから白黒つける、じゃないけど白にも黒にも染まらないっていう意味合いを込めて灰色の象徴である象を選んだ。これが本当のお店の名前の由来よ。あとなんかエレファントって響き良くない?」



 繋がった。

 今までキヨさんが枠組みに捉われる必要がないと強く言っていた理由が分かった。

 本人自身が何の枠組みにも当てはまらない「自分」をこのお店のオープンと同時に確立させているからだ。



「曖昧な存在……ですか。でもそれがキヨさんなんですもんね、それが個性ですもんね。自分というジャンルを築き上げている、ありのままの生き方って感じですごくかっこ良いです。なんだか……憧れます」



 同性愛者うんぬんよりも、まずは水野を好きな私自身を受け入れる。それなら私にもできる気がする……。



「話が少し逸れたわね。……ハル。あなたがこのまま世間体を恐れて自分の気持ちを隠し続けるのか、ありのままの自分を受け入れて一歩踏み出すか、あたしはそれには関与しない。てめえ自分の人生よ、自分で決めなさい」



 キヨさんは飲み終わったウイスキーグラスを台に置いた。ゴンっと少し力の入った音がした。



 私は……行動したい。

 踏み出さなければ何も変わらないことは分かっているから。

 でも……。ありのままの自分を受け入れることができたとしても、問題なのはその次のステップで――。



「水野は……私の気持ちに応えようとしないで、と言いました。自己肯定感が低すぎるんです。だから……告白したところでそれを受け入れてもらえず、状況が変わらないかもしれない……。そうなったら職場も同じだしもう合わせる顔がないです」



 いくら私のことを好いてくれているとはいえ、あいつはかなり複雑だ。一方的に好意を伝えてくるくせに、私が好意を伝えたところで拒絶されてしまうかもしれない。

 告白がうまくいかず、このことがバレて仮に噂にでもなってしまったらもう会社の人に顔向けなんてとてもじゃないけどできないし、水野とはもう一緒にはいられなくなる。

 最悪会社をやめることも視野に入れなければならない。



「ふーん。じゃあやめる?」


「っ……」



 キヨさんはあくまで中立な立場。

 YESかNOを決めるのは……私だ。でも私の中ではほぼほぼ結論は出ている。



「助言があるとすれば……もちろん失うものはあったわ。仲良くしてた人にカミングアウトした途端に避けられたり、指を差されて批判的な意見を言われたり、不気味そうなものを見る視線を送られたりね。まぁ離れていった人はいたわね」


「……はい」



 寛容的になって来ているとはいえ、まだまだ差別が蔓延る現状。

 自分自身のことを認められたところで、世間の人々他人は同性を好きになったという経験をもつ私をLGBTという枠組みに入れて区別する。ぶつかろうである壁は当然ながら出て来るだろう。

 でも、それでもそばに水野がいてくれたら私は……。溢れる思いと共にグラスに入ったウイスキーを飲みこんだ。



「でもね、得られるものの方が多かった。あたしと同じ境遇の人に出会えたこと、普通に恋愛ができたこと。……今思えば、カミングアウトで離れてった人は本当の友達じゃなかっただけね。エレファント灰色な自分を受け止めてくれる友達こそ本当の友達。まぁとにかく、オープンになると気持ちは楽になれたわ。あたしは今、自分らしく生きていけるこの人生を誇りに思っている」


「……」



 そうだ。失うものもある。でも自分らしく生きることで得られるものだってある。

 オープンになったことで人生がどう変わっていくかは私には分からない。でもこれだけは分かる。

 それは、何もできずに指を咥えているよりは、踏み出せばきっと自分を今よりも好きになれるだろうということだ。酔いもあってか私の気持ちはだんだんと固体化し、固まりつつあった。



「同性を好きになったってこと、誰かに話したことがなかったんでしょう? でも今あたしに話してくれた。本当は後押しの言葉が欲しかったんじゃないの?」



 キヨさんはバーカウンターに肘をついてこちらをじっと妖美な目で見つめてきた。



「はは……お見通し、ですね」



 お酒を飲むと素直になれる。

 そう、いずれにしても私はこのままでいるつもりはなかった。でも行動するまでにはあと一歩何かが足りなかった。

 キヨさんなら背中を押してくれるんじゃないか。そう私は期待していたんだ。



「いいわよ、ハルがその気ならいくらでもくれてやるわ。栄養ドリンクたくさん作ってあげる。頑張りなさい!」


「あ……はい」


「他の人がどうであれ、あたしが店をやってる限りはあなたの居場所を作っておいてあげるから。あたしはハルを認めるわ。もし振られたら全力で慰めてあげるわよ」



 「認める」という言葉を聞いた時、同時にプツンと私を縛っていた縄が解けた音がした。

 残ったウイスキーを全て喉に流し込んだ。こうしちゃいられない。何かの衝動に突き動かされるようにして席を立った。



「キヨさん……私、行ってきます」


「え、どこに?」


「水野のところに」


「は? 今から?」


「気が変わらないうちに行動したくて」



 荷物入れの中からバッグを取り出した。

 怖い。けど、やると決めた。だから今行動しないと。



「ちょっと待って……」


「はい?」



 カウンターから出てきたキヨさんはこちらまでやってくると両手で私の顔を挟んだ。



「あたし目そんな良くなくてね。この前みたいに口紅剥げてないか確認。うん、大丈夫そうね。行ってきなさい」


「はい……!」



 会計を済ませ、店を出た。外はだいぶ日が落ちている。お酒のせいもあってか私の心は高揚しており、心臓の脈打つ音が耳に響いてくる。まるでジェットコースターにでも乗る前のような心境だ。

 今から……いきなり突撃するか、あるいは電話をするか……。酔いと勢いに任せて店を出たが、実際全く無計画だ。バカか私は。

 水野は今何してるんだろう、どうにかしてコンタクトを取れれば良いのだが……。



 携帯を握りしめた。

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