開拓

アドバイス

 その後、社内のコンプライアンス課を尋ねた私は衝撃の真実を耳にする。なんと横内のセクハラ、パワハラに悩み、既に相談している人がいたのだ。その人は女性の事務スタッフ。部署異動で今は人事部にはいないものの、横内との関係は続いていた。長年悩まされていたようだが、ついに相談を決めたという。事情を聴いたコンプライアンス課は、その真偽を確かめるべく既に周辺調査に着手していたところだったが当の横内は否定。本人に否定されては対処の取り様がなく、色々難攻していたという。

 そんな中、その女性の妊娠が発覚した。横内は中絶手術を強要した。中絶手術を受けると、将来的に子供ができにくい、宿しにくい体質になる人もいる中で、下すということは彼女にとっては大きな不安を抱えたままの決断であった。女性の精神的な負担は多大なものだったようで術後、心が病んでしまった。家に籠り、社会復帰できる状況ではなくなってしまった。そんな状況で心配したご両親が娘の内情を聞き出た。

 娘の口から語られる数々の衝撃的な事実。女性社員のご両親は横内を告訴する意向を示したそうだ。



 この話が事実だとしたら私が訴えを起こすより、ずっと重い罪を横内は背負うことになる。遅かれ早かれだったのだ。告訴状が受理されるかも分からないような状況である私が追撃する必要はないと判断した。



 その後、執務室に戻ると既に横内の姿は荷物ごと無かった。社内の連絡用SNSには急な体調不良で早退、と記載されていたが、翌日以降も横内は会社に来ることはなかった。私は完全なマネージメントのポジションではないので詳細は聞いていないが、見る限り上層部のメンバーは今の横内の状況を理解しているようだった。

 マネージャーは会社の重要ポジションなので組織への打撃は大きいように思えたが、今はなんとか回っている状況だ。人員の欠落で組織が破綻しているようでは一流企業とは呼べない。各自の働きによって大抵のことは何とかなるものだと思い知らされる。



 唯一横内が残してくれた良きものとしては新庄さんのマネジメントスタンスが緩くなったということだろうか。寺内さんからの相談を受けて横内は新庄さんにマネジメントスタンスを緩めるよう指示をした。その結果本人も反省をしたようで以前のようなマイクロマネジメントではなくなった。欠けた横内さんの分を現状は新庄さんが上手く立ち回っていて、中途採用チームの進捗管理も行ってくれているが、分単位での進捗報告を強要してくることはなかった。寺内さんも復帰して、しっかり働いている様子が窺える。



 色々大変な部分はあったが、結果的に解決し順調に進んでいる、と言って良い状況ではある。



 しかし一難去ってまた一難だ。

 私には1つ悩み事があった。



 特製栄養ドリンクを1口飲んでコースターの上に置き、深いため息をついた。



「なによ、普通嬉しいものでしょ? なんでそんな顔してんのよ」



 粘りっけの含まれた声に顔の表面を舐められた気分になる。

 ご指摘通りだと思う。本当に嫌だなぁと思っているわけではない。

 でも……。



「色々、緊張するじゃないですか」



 何事も初めて、というのは緊張するものだと思うが、今回の場合は特にプレッシャーがすごい。上手く立ち回れるだろうか、相手を失望させてしまわないだろうか……など色々考えてしまう。



「ほーんと真面目。AVでも観れば良いじゃない」


「……いや、それは何か相手に申し訳ないじゃないですか」



 キヨさんは簡単に言うけれど、もしこれがバレたら水野は絶対に良い顔をしないだろうし、きっと画面を観ながら私は終始罪悪感に苛まれることになる。

 AVはあくまで視覚的に楽しませるファンタジーであって、教材としては適さないことは理解しているつもりだ。



「じゃあ検索かけなさい、今時調べれば何でも出て来るんだから」


「ネットに書いてある情報が正しいとは限らないじゃないですか」


「これだからIT企業に勤める人は……」



 キヨさんはミニストローをタバコに見立てて吸った。綺麗な指から伸びるストローはいかにもそれっぽく見えるが、いちいち突っ込んでたらキリがないのでスルーすることにした。



「嘘のことが書かれた記事を鵜呑みにして下手なことをしてしまう前に当事者に聞いた方が良いと思ってここに来ました」


「あんたそれ言ったら男のあたしに女同士のやり方聞くのもどうかと思うわよ。店に来てくれるのは大歓迎だけどね」


「ですよね……あはは」



 キヨさんはぱっと見女性だし、その辺の知見も深そうだけど実際は男性なんだもんなぁ……。情けなく笑ってウイスキーを飲む。グラスは空になった。

 エレファントに来るのは今日で3回目だ。告白前に相談に乗ってもらったので、付き合えましたという報告も兼ねて来たが、キヨさんには待ちくたびれたと怒られてしまった。こちらも色々もやらなければならないことがあったので仕方がない。数日後には水野とのビッグイベントが待っているのでそれに向けて今は再度相談に乗ってもらっている状況だ。

 私が来店した時は既に何席か埋まっていたが、皆ペアで来ているようでおひとり様の姿は見えない。話し相手がいない私への配慮なのか、キヨさんはオーダーを受けない限りはずっと私の接客をしてくれている。



「次何飲む? スピリっとく?」



 キヨさんは私の飲み終わったグラスを下げながら聞いてきた。



「スピるってスピリタスの略ですか」


「そうよ」


「スピらないです。同じやつおかわりお願いします」



 キヨさんはやたらとスピリタスを飲ませようとしてくるが、ただでさえお酒はそんなに強くない私がそれを口にしたらとんでもないことになるのが目に見えている。まだ死ぬわけにはいかない……。水野というパートナーができて、これから未来を切り開いていくんだと考えると尚更だ。



「ウイスキーロックを決める女、イカすわね。カクテルとかは良いの?」


「はい、キヨさんの栄養ドリンク飲んで告白が成功したので私の中でジンクスがあるというか……」



 これさえ飲んでおけば大抵のことはうまくいくんじゃないかと思えるくらいにはもう既に酔っている。

 でもシラフじゃなかなかこんなことを人には聞けないと思うので良いのだ。



「潰れて誰かにお持ち帰りされても知らないわよ」


「その時は、止めてください。この人には彼女がいる、と……あぁ、彼女か……。彼女って言葉に慣れないです」



 水野と付き合ったが、未だに自分に「彼女」がいるという感覚に慣れない。



「ふふ……酔うとかわいいわね。はい、栄養ドリンク」



 キヨさんは上品に笑いながらウイスキーをコースターの上に置いた。



「かわいいって…… もういい歳してるんですから。ウイスキーありがとうございます」


「彼女さん女性経験あるの?」



 グラスを持つ手が止まる。

 水野にはあまり突っ込んだことは聞けてないが、あの感じだと「女性が好き」という訳でもなさそうだ。だからそういう経験も無いんじゃないかと思うが……でも……1回未遂に終わった時があったが、あの時はかなり手慣れた感じあったような……。経験が豊富だと、たとえ同性であっても自然にできちゃうものなのだろうか。



「多分ない……と思います」


「くよくよ悩む前にとりあえずヤってみたら? 案ずるより産むが易しってやつね」



 キヨさんはすまし顔で良く分からない液体を飲んでいる。



「備えあれば憂いなしです。……下準備はしておきたいんですよ」



 打倒横内に向けて動く中で、下準備はかかせなかった。今回だってそうだ。



「ついてるものが違うだけで流れなんて男女と変わらないわよ。相手も初めてだったら変に気張らなくても良くない? チュッチュしておけば良いわよ。チュッチュ〜」



 通りかかった美男子ノンセクシャルの店員、カエデさんにキヨさんは投げキッスした。カエデさんは苦笑いしながら流している。



「私の方が年上だし身長も高いんですよ。リードしなきゃだめだと思ってます」



 これは言わば戦。

 未遂に終わったあの日に水野の実力は把握済みだ。恐らくこのままだと私は……負ける。知識は武器となる。ここで武器を買い揃えておかなければならない。

 いつも水野に挑発されてきたんだ。打ち負かして、どっちが「上」なのかを思い知らせてやらねば。



「あんまそういうの関係ないけどね~。……ハルはタチやりたいの?」


「……? 立ってするのはあんまり」


「ふ……ふふっ……」



 突然キヨさんは口元を押さえて笑い出した。



「え、なんですか」


「相手にリードしてもらった方が良い気がしてきたわ」


「どうして……?」



 何故そうなる。

 自分がおかしなことを言ったという自覚はないんだが……。



「抱く方がタチで抱かれる方がネコよ、ここだとメジャーな言葉だから覚えておくと良いわ」


「あぁ、そういうことですね……なるほど」



 キヨさんが笑っていた理由が分かった。

 男同士のそれに受けと攻めが存在しているのは知っていたがそれは女性の場合にも同じことが言えるのか……知識がないのは仕方がない。これから知っていけば良いだけの話だ。

 タチかネコをSかMかの属性で判断するのであれば自分はどちらにも当てはまらないように思う。でも水野にタチのポジションを譲るつもりはない。



「こんなこと聞くのもですが、キヨさんはどちらなんですか……?」


「相手によって変わるわね。基本的にはリバ」


「リバ……」



 タチかネコで聞いたのに新しい用語が出てきた。

 どちらのポジションもいける人のことを言うんだろうか……。



「どっちもOKっていう意味。見てる限り女の子はリバが多い印象ね」



 やはりそうだった。

 奥が深い。



 私は……リバ?

 分からないが、基本的には初手でポジションは確立されると思っている。会社でも、「ここを改善しませんか?」と投げかけると、その人が日常の業務に加えて「改善係」としてのポジションを確立させてしまうように……。

 最初に相手に攻めることを許してしまえば巻き取られて固められてしまう可能性がある。であれば、攻め一択だ!



「……私はタチをやりたいです」


「頑張って!」


「……でもちょっと不安です」


「何が不安?」


「……相手が男性経験わりと豊富なんですけど、私で満足してもらえるか不安です。やっぱりそういうおもちゃみたいなのってあった方が良いんですかね」



『ふはっ。女同士も良いかもしれないけどさぁ……京本さんは指で満足しちゃうの? 男が欲しくならない?』


 

 思い出したくもないが、以前横内に言われたこの一言がひっかかっていた。もしかしたら水野も同じことを思うかもしれない、と……。

 物足りないなんて思われてしまったら切ない。物理的なものを用意して補った方が良いんじゃないかと思ってしまう。



「相手次第じゃない? バイブ嫌がる子もいるから。ね」



 キヨさんはグラスを拭いているカエデさんに話を振った。



「そうですね」



 カエデさんは苦笑いだ。



「すいません。こんな話して」



 カエデさんはノンセクシャルで、この手の性的な話を得意としないのに、聞かせてしまって申し訳ない。……あれ、謝った後で気が付いたけど話振ったのキヨさんだよね? なんで私が謝ってんの? 酔ってるのからか……?



「いえ、聞く分には全然。気にしないでください」


「カエデくん、オーダー良い?」


「はい」



 カエデさんは客に呼ばれて行ってしまった。客足もだんだん増えてきて、お店が賑わってきた。



「ハル。体の繋がりだけがセックスじゃないわよ。大事なのは、心の結びつきなんだから」


「そうですね……」



 心で満足させてあげること、できるかな……。



「あたし女の子とするときは使わない時もあるのよ、エレファントを」


「そうなんですか」


「なんか嫌なのよねー。触られるのも嫌になるの。その時々の気分によって変わるんだけど」



 そんなことあるんだ……。



「そういう時はどうしてるんですか? 終わりはどこになるんでしょうか……」


「お互いが満足したらそこで終わり」


「なるほど……」



 顎に手を当てた。

 場合によっては長期戦になることも考えられる、わけか。



「ハル見てるとちょっと心配になるわ。やっぱり彼女さんに任せておいた方が良いんじゃない?」



 キヨさんは頬杖をついて色気ムンムンな口調で言ってきた。



「それはだめですね。任せたら絶対にタチポジションを奪われます。仕事でも負けてるのにベッドでも組み敷かれるなんて無理です」


「なんかそういうあなたを組み敷きたくなっちゃうのよねぇ〜何でだろ」


「え?」


「冗談よ」



 ふふっとキヨさんは目を細めて笑った。

 なんだよビックリした……。



「キヨちゃーん、構ってよぉ。さーみーしーいー」



 奥の方からおじさんの声が聞こえてきた。



「うるさいわね、今行くから待ってなさい」


「……」



 キヨさんはこちらを見た。

 最後まで話聞いてあげられなくてごめんといったものがキヨさんの表情から読み取れる。

 行って良いですよの意を込めて頷いてみる。店が賑わってきたので、しょうがない。今までずっとお話を聞いてくれただけでありがたかった。



「……ハル、爪はちゃんと切っておきなさい。あたしからできるアドバイスはこんなもんね」



 キヨさんは去り際にそう言った。



 爪……か。

 程よく伸びた自分の爪を見ながらウイスキーを一口飲んだのであった。

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