あんたのせいで私のエリートが台無しなんだが

風丸

光と影

私はエリート

「おはようございます」


「「おはようございます」」



 月曜日の朝、朧げな目をPCに向ける同僚たちに声をかけると、途端に彼らの瞳孔に光が戻った。

 時間をかけてセットした長めの焦げ茶色の髪をヒールの音と共に雅びやかに揺らし、白い光に導かれるように自席の前まで来ると、鞄を置いてジャケットの襟元を少しひっぱって整えた。



「京本さんを見ると今日も頑張ろうって思えます」


「月曜日ですけど頑張りましょうね」



 隣の席の一般事務の若い女性社員、川添さんに微笑みかけると、はいっと元気の良い返事が返って来た。



 椅子に座り、ビルの1階で購入したコーヒーをコトッとデスクの上に置いた。飲み口のところから僅かに漂うコーヒー豆の煮立った香り。嫌いではない。

 でも、コーヒーの味は好きじゃない。最初は飲めなかったけれど我慢して飲んでいるうちになんとか飲めるようになった。



 これコーヒーは私を私たらしめるための飾りなのである。



 ブルーライトカットの眼鏡を身に着けて一口コーヒーを口に含むと、ノートパソコンの電源を入れた。タイピング音をなめらかに響かせながらパスワードを入力、画面ロックを解除してから届いているメールや今日のスケジュールに目を通す。



 そんな私の姿は傍から見たらいかにもできる女であろう。

 誰もが憧れるような、品と華のある仕事ができるかっこいいOL。

 それが私――京本きょうもと春輝はるきだ。



 株式会社ディープアプリケーション。通称DAPダップ。AIを搭載した会計システムを法人向けに販売、シェア率がナンバーワンの名の知れた大手IT企業である。この会社は知名度も相まって、優秀な社員が数多く在籍している。

 学生時代、人材業界でのインターンシップの経験と持ち前の外面の良さを活かして何倍もの倍率を潜り抜けて新卒で入社した。最初の配属は営業であったが、結果にとことんこだわる性格もあって同期100人の中で断トツ1位の成績を確立し、入社2年目になる頃には異動命令が出されて人事部に来た。


 

 人事部には優秀な人が集まる。それはどこの会社も同じはずだ。

 企業を支える資源は主に「ヒト・モノ・カネ・情報」の4つからなる。その中でも、企業の最も重要な部分であるのが「ヒト」だ。誰と働くかで生産性は大きく変わってくる。

 そんな「ヒト」を扱う重要な管理部門で働くからには能力と責任を伴うことが前提になるわけで、仕事ができない人はまず人事部には来ない。というか来れない。

 


 DAPの優秀な社員の中でも特に優秀な人しか集まらないとされる人事部への異動、私はいわゆる出世街道に乗った。最初は簡単な仕事からこなし、今では人事としてはもうすぐ3年目となり面接を月に何度も回すまでになった。



 PCの画面に映されているスケジュール表にカーソルを合わせた。

 この後も1件面接が入っている。25歳、大手IT企業勤務の女性人事の1次面接だ。



「もういらしてるみたいだから行こうか」


「はい」



 大久保さんに声をかけられて席を立った。メンズ香水のシトラスの香りが鼻をかすめた。髪をオールバックで固め、パリッとしたスーツを着こなしている長身のこの人もまた営業成績トップ上がりのエリートで、現在は人事部のマネージャーである。30歳という若さでマネージャー。そしてイケメンで女性社員から人気。私も密かに気になる存在としてマークしている。

 若いうちからマネージャーになれるのは、うちの会社特有の人事制度があるからだ。結果を出せばその分評価され、役職や給料にも反映される。しかし、結果を出さねば降格も免れない。そこがこの会社の良いところでもあり、ハードなところでもある。合わない人にはとことん合わないだろうが、目に見えた評価が役職、給料となって返ってくるところは成果主義の私にとっては都合の良い制度だった。

 お陰様でマネージャーの一個下の階級であるリーダー職を目前に控えている状況だ。



 採用面接は通常1、2人で行うことが多く、今回の面接は大久保さんも参加する。この25歳の女性、今求めているポジションを考えると経験がド真ん中な人材なこともあり、非常に期待が高い。



「メインの進行は任せるから。俺は経験の部分詳しく聞くつもり」


「承知しました」



 会議室に向かう途中で軽く打ち合わせた。すれ違う社員たちの視線を感じながら歩みを進める。私たちが肩を並べて歩いている様子は様になっているようで昂然とした気分だ。



 セキュリティカードを使ってドアのロックを解除し、会議室に入った。

 ストレートヘアーの暗めの髪に大きな目。童顔なのにどこか冷めたような表情の色白の女がそこには座っていた。



 は?

 息を飲んだ。



 ……神田。

 間違いない、神田だ。

 驚きのあまり思わず私は歩みを止めたが、かろうじて表情は「できる女」のまま崩さなかった。



 頭の中を駆け巡る過去の記憶。

 忘れもしない――いけ好かない女が目の前に座っている。

 


 何で神田がここにいんの?

 事前にざっと経歴には目を通していたが、Web媒体に掲載されている履歴書に顔写真は貼られていなかったし気がつかなかった。しかも名前は神田じゃなくて水野のはずだ。

 え、もしかして結婚した……?



 神田は高校のバスケ部の1個下の後輩だ。 

 私は当時、バスケ部の水野という男子に思いを寄せていた。しかし神田は私の気持ちを知りながらも水野と付き合った。奪われたのだ。あいつが私から奪ったのはそれだけじゃない。試合のスタメンの座もだ。

 正直私はバスケがそこまで上手いわけではなかった。でも神田はずば抜けて上手かった。いや、正確に言えば上手くなった。

 試合に勝つため、コーチは神田をスタメンにして私をベンチに省いたのだ。上手くないながらにも、ひたむきに練習を頑張っていたのに後輩にスタメンの座を奪われて私は絶望した。悔しくて悔しくて仕方なかった。そんな私を嘲笑うかのように、追い討ちをかけるように神田は水野と付き合い始めたのだ。



 ほっといてくれれば良いものを、神田はいつもどこか冷めた表情で私に近づき、憎まれ口を叩いてきた。大嫌いだ。



 高校を卒業してからは、バスケ部の集まりには一切参加しなかった。完全にシャットアウトした。だから水野と神田の2人の関係がその後どうなったのかは知らないが、仮にも結婚していたというなら素直に喜べる自信はない。



 咄嗟に神田の薬指を見たが、指輪はしていなかった。



「初めまして。本日はよろしくお願いします」



 神田は椅子から立ち上がって頭を下げた。

 はじめまして……だと? こいつ……。



「初めまして。こちらこそよろしくお願いします。人事部の京本です」



 笑顔は絶やさずに拳を握りこんだ。



「人事部マネージャーの大久保です。よろしくお願いします。どうぞ、おかけください」



 大久保さんはさわやかに笑うと、手のひらを見せて椅子に座るよう促した。

 神田は軽く会釈してから椅子に腰かけると履歴書と職務経歴書の入った封筒を鞄から取り出して渡してきた。

 私は目を合わせないようにしながら封筒を受け取り、パソコンを開いた。



「では……自己紹介からお願いできますか?」



 いつものお決まりのセリフである。

 正直普段の仕事が忙しすぎて、そこまでしっかりと履歴書、経歴書を読み込んでいるわけではない。だからこうして最初に自己紹介をさせて、相手の経歴をちゃんと把握する時間としている。ぶっちゃけ面接の始め方としてこの質問が私の中でデフォルトになってしまったので、今更他の始め方は思いつかないというのもある。



「はい。では改めまして水野飛鳥あすかと申します。本日はお忙しい中、お時間設けてくださりありがとうございます。まず経歴からですが――」



 神田は落ち着いたトーンで自己紹介をし始めた。私はうんうん、と相槌を打って聞いてるふりをしながら履歴書の配偶者の欄を見た。配偶者はなしと記載されている。

 もしかして水野と結婚したけど離婚したとか……? 離婚したのはざまあみろという感じだが結婚を先越されたというのはまた癪だ。



 自己紹介を終えた神田は私の顔を見ると口角を僅かに上げた。



 非の打ちどころのない自己紹介に、できる女の表情を崩さないようにしながら奥歯を噛んだ。

 何かいじわるな質問をして嫌な思いをさせてやりたいところだが、隣には大久保さんが座っているのでそれはできない。次に何を質問しようか考えているところで、大久保さんが口を開いた。



「新卒で入社してすぐに人事業務に就かれていますが、配属はご自身で希望されたんですか?」


「学生時代にインターンシップで採用回りのお手伝いをさせていただいてまして、それもあってかと。自分が最もパフォーマンスの出る領域であることは自負しておりまして、それは前もって採用担当者には伝えてありました」


「なるほど。学生時代からご経験が……」



 大久保さんは顎に触れながら口角を上げた。大久保さんがこの顔をする時は好感触の時だ。



「京本さんと大久保さんは、人事歴はどれくらいになりますか?」



 神田からの逆質問が飛んできた。



「私は最初は営業から入って、人事としてはもうすぐ3年目です」


「私も最初は営業からだったので……人事としては6年くらいですね」


「そうなんですね」



 神田は作りこまれたスマイルを決めてきた。こいつはどういう心境で私を見ているんだ。人事歴としては私の方が上ですねってか?



「志望動機をお願いできますか?」



 私は心のざわめきを抑え込んで面接の進行を続けた。



「はい、私は評価制度が明確な会社でメリハリのある働き方を実現したいと考えておりまして、そこで御社のホームページを拝見したところ――という理由で志願させていただきました。具体的には――」



 神田の転職理由は簡単に言うと、今の会社がかったるいからだ。結果を出しても評価が反映されずモチベーションが低下してしまったらしい。



「ご自身が人事なのであれば、評価制度を工夫することもできたとは思うのですが、その点はいかがでしょうか?」



 このような質問は根拠を取るためのものなので、本人をいじめてやろうといった悪意から来ているわけではない。しかし、私は心の底から神田がこの質問で苦しむことを願った。



「そうですね、その点は何度も提案しましたし資料作成をしてプレゼンテーションも実施したのですが年齢も年齢だけに上司に諭されてしまいまして反映までには至りませんでした。このまま残ってなんとかならないか考えたのですが、時間もかかってしまうことが推測されましたので思い切って転職活動に踏み切りました」



 隣の大久保さんは「好感触な顔」をして水野の言い訳を聞いていた。

 ……嫌だ。人事として優秀な人が欲しいとは思うし採用ノルマも存在する。でも神田が入社したら私の同僚になるってことでしょう? 嫌だ。学生時代の二の舞なんてことにはなりたくない。



 そんな私の思いも虚しく、大久保さんと神田の話が弾んでしまい、終始和やかなムードで面接は終了した。

 他の企業も何社か並行で受けているみたいなので、どうかそっちに行って欲しいと思う。



「どうでしたか?」


「ばっちりじゃない?」


「そうですかね……」



 面接終了後、執務スペースに戻る途中で大久保さんに尋ねた。ばっちりという回答に肩を落とす。

 面接の合否を決めるのは面接官だが、面接官が2人の時は役職の高い人の意見が優先される傾向にある。もう無理じゃんこれ。



「何か懸念点でもあった?」


「なんというか、作りこまれてるというか。そういう感じがしました」



 神田は私に似て外面は良い。本当は性格がひん曲がっているし、嫌な奴なんだ。エリートならそれくらい見抜いて欲しいんだけど。



「そう? 俺は水野さん良いと思うけどな。綺麗だしね」


「容姿は……そうですね」



 他の部署には公にはしていないが、人前に出るような営業職や人事職で且つ女性だった場合、容姿も選考対象となる。綺麗な女性ほど成績を出すし、周りの男性社員のモチベーションの上昇にもつながるからだ。



「京本さんが問題なければ上にあげちゃいたいんだけど」


「……問題ないかと思います」



 ……完敗。私が何を言っても無駄だろうと諦めた。



「うんうん。じゃあ受け答えの所感を簡単にまとめて俺に送っておいてくれるかな」


「承知しました」



 これは仕事だ。仕方ない。

 人事の京本としての目線で見た、神田のプラス面を無心でパソコンに打ち込んで大久保さんに送信した。



 その日の夜、業務を終えた私は家に帰るとスーツを背負い投げでベッドに叩きつけた。

 そして、床に置くタイプのサンドバッグを思いきり殴った。



「くそがっ!!!」



 あいつが私の前からいなくなって何もかもが順調だったのに、こうして目の前に急に現れて私の心はかき乱された。

 神田が同僚になるくらいなら転職したい。でも、あいつのせいで会社を離れるなんて嫌だ。良いことばかりではなかったけれど、DAPで働くことは私の一種のステータスでもあり、誇りでもあるのだ。



 大丈夫。あいつは二次、三次面接できっと落ちる。



「うらぁ!」



 息を切らしながらファイティングポーズをとると、サンドバッグにもう一発拳を叩き込んだ。

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