カクヨム先行 おまけ⑪ 錨を降ろして2(心優の港)


 そんなお二人を、心優も雅臣もしんみりと見守っていたが、それは先に上陸した隊員や迎えに来ていた家族も同じようだった。


 お二人が空母艦との別れを終え歩き出すと、遠巻きにしていた人々が近づいてきた。

 最初に姿が見えたのは、海東司令だった。彼も白い正装服姿で迎えに来てくれていた。


「御園准将、おかえり」


 彼の手には大きな花束があった。


 白い薔薇に、青や紫の小花をいっぱいにアレンジしたクールな色合いの花束を海東司令が差し出す。


「あなたらしい航海を見届けましたよ。私はここで貴女が終わりとはまったく思っていませんからね。新しい使命へと向かってください」

「まあ、こんな素敵な花束を下船でいただくなんて初めて。嬉しいですわ」


 海東司令もハッとしたように、表情を固めた。

 いつもは彼がにこやかにしていて、御園准将が始終クールな微笑で静かに答えているだけなのに。

 花束を喜ぶ女性らしいミセス准将など、もうミセス艦長ではないのだ。それに海東司令も気がついたのだろう。


「……そうですか。よろこんでいただけて、嬉しいですよ。どんなお花がお好みかまったくわからなかったのですけれど」

「この色の選び方は、テッドでしょうね」

「あ、……正解です。彼が準備してくれましたからね。そして私から渡してほしいと」


 御園准将が海東司令を見上げた。


「いろいろとご迷惑をおかけいたしました。あとのこと、隊員たちをよろしくお願いいたします」

「もちろんですよ」


 御園准将が嬉しそうにその花束を受け取った。


 もう御園艦長は蒼い月を見ない。

 馥郁とした白い薔薇のように、凜とした姿で、白い光の中を歩き出すのだろう。


 その白い光の向こうへと、彼女が視線を変えると、そこには栗毛の息子と黒髪の娘が、鈴木少佐と共に待っていた。


「行きましょうか、パパ」

「はは……、もうパパとママか」


 家族と、最後の航海と聞いて出迎えに来てくれた橘大佐や長沼准将といった長年の同僚も待ち構えている輪へと向かっていく。



「光太!!」


 上官と離れるのを見計らっていたのか、人集りの中から駆けてくる女性がいる。光太の母親だった。その後ろに父親もついてくる。


「母さん――」

「行っておいで。集合時間にまた戻って来てね」

「はい。では、失礼いたします」


 光太! 大きな声で呼んで真っ直ぐに駆けてくる母親へと光太も向かっていく。


 雅臣と心優の二人だけになった。


「終わったね」

「ああ、終わった……。ええっと、うちは……」


 雅臣が見渡して探すまでもなかった。


「心優ちゃーーん!!」

「おじちゃんーーー!!」


 大きな双子が揃って、でも泣きそうな顔でこちらに走ってくるのが見えた。雅幸と雅直だった。


「おう、ユキ、ナオ!」


 雅臣が手を振ると、双子がさらに泣き顔になって全速力で走ってくる。

 そんな双子ちゃんに涙が滲みつつ、でも心優はもう暖かい気持ちなって笑うことが出来ていた。


「ドーリーちゃん!!」


 双子だけじゃない。その後ろをあのゴリ母さんが、これまた真顔で走ってきているのでぎょっとした。

 でも……。ああ、帰ってきたんだと心優の心がさらにほどけていく。

 だめだ。なんでだろ。心優の目から涙が一気に溢れ出てしまった。


「お義母さん……」


 双子ちゃんの時に止まったと思った涙が急に止まらない。

 その怖い真顔が、もう怖いものではなくて、どれだけ案じてくれていたかこの日を待ってくれていたかがわかるからだ。

 ゴリ母さんがどれだけ心配して、そして気持ちを強くしてくれていたかが、あの顔でもうわかる。


「おじちゃん!!」

「雅臣おじちゃん! よかった、帰ってきた。めっちゃ心配したんだからな!」


 大きな双子が、白い正装服姿の雅臣に子供のように揃って抱きついた。


「あはは、ちょっとピンチだったけど、全然平気だっただろ。だからおじちゃんはちゃんと帰ってくるんだって。ソニックだぞ」

「だって! 危ない漁船がおじちゃんの空母に向かってきていたんだろ」

「コーストガードの巡視船みたいに、攻撃されそうだったんだろ。空も侵犯されていて、おじちゃんだろ、食い止めて指揮していたの」

「おまえら、声、でかいっ。そういうことは大きな声で言わない! ま、今回は報道されていることばかりのようだけどな」

「おじちゃん、よかった」

「よかったよ~、俺たち、毎日怖かったよー」


 まだ本当に子供のままの双子の甥っ子のそれぞれの頭を、雅臣もよしよしと撫でている。

 かわいい甥っ子のお出迎えに雅臣も満面の笑みだった。

 だが、その双子の視線が一気に心優へと向かってきた。心優もちょっとした既視感を覚え、身構える。


「心優ちゃん!! 怖くなかった!?」

「心優ちゃん、大丈夫だった!?」

「う、うん。ご覧のとおりです。全然、平気よ」


 心優ちゃん!! 双子が一斉に叔父の胸元から離れ、心優へと向かってきた。


「わ、こら。おまえら! 心優に抱きつくな!!」


 ぎょっとした雅臣が、雅直の襟首を引っ張って止めたが、雅幸はもう抱きつきく寸前。


「おら! 叔母さんに抱きつくんじゃない!」

「ば、祖母ちゃん!」


 雅幸の襟首も、がっしりとアサ子母に掴まれていた。


「だって、叔父ちゃん」

「だって、祖母ちゃん」


 双子が一斉に泣き出す。


『叔父ちゃんと心優ちゃんが、あんな危ないところにいたと知って、俺たち怖かったんだよ!』――と。


 まだ子供の気持ちを露わにする双子を見て、心優も雅臣も愛らしいままに微笑む。


「おかえり、ドーリーちゃん。雅臣」

「お義母さん! ただいま帰りました!」


 もう心優から抱きついていた。

 あのあったかい大きな胸元へとぎゅっと抱きついている。


「大変だったね。ドーリーちゃん……。雅臣もよくやった。防衛前線の任務、ご苦労様でした」

「ただいま、母さん。心配かけたな。今回は」


 今回は、じゃないよ。『今回も』だよ。息子はやっぱりわかってない。

 きっと新聞や情報番組で取り沙汰されるたびに、このお姑さんは、あの厳ついハーレーダビッドソンで、浜名湖の湖畔を走っていたはずなのだ。


「無事に帰ってきてくれてよかった。結婚式が楽しみだよ」


 そうこれからは、家族になる楽しみが待っている。

 心優もそう気がつくと涙が止まって、やっとゴリ母さんの胸元から顔を上げることが出来た。


「叔父ちゃん。心優ちゃんのパパとママに、俺たちもう会っちゃったんだ」

「え!?」

「心優ちゃんの父ちゃんも白い軍人さんでめっちゃかっこいいけど、ちょっと顔が怖い……」

「あー……、いや、怖くなんかないぞ。凄腕の武闘教官だからな! かっこいいんだぞ!!」

「心優ちゃんのママは、めっちゃかわいい人だった」

「心優ちゃんに似てた」


 これから食事会を開いて、家族の対面をする計画だったのに、どうやらこのお出迎えで既に顔合わせを済ませてしまったようだった。


 抱きついていたアサ子母も、心優に向こうへと見せる。


「怖い顔じゃないんだよ。もう娘が無事に帰還して泣きたいけど我慢しているんだよ。そういうお父さんだろ。軍人さんだ。娘が軍人として帰ってきたからには、パパの涙なんて見せられないんだよ。ユキナオ、覚えておきな。あんたたちが目指す軍人とは、そういうものなんだよ」


 アサ子母が見つめる向こうに、白い正装服姿の父と母が静かに佇んでいた。

 父は怖い顔、母がもうハンカチ片手に泣いていた。その側に、雅臣の父親『雅史』も、双子のパパママで雅臣の姉と義兄の『真知子』と『史也』も一緒だった。


「さあ、ドーリーちゃん。行こう。私たちはもう家族だよ」


 アサ子母が背を押してくれる。

 雅臣と顔を見合わせ、そして双子ちゃんたちも一緒にうんうんと頷いてくれる。


「よし、城戸家園田家のただいま式をやろう」


 雅臣の明るい声に、双子たちが心優の腕をひっぱって連れて行ってくれる。


 近づけば近づくほど、心優にもわかった。

 お父さんも泣きそうなの堪えてくれているんだって。


 ただいま、お父さん。お母さん。

 お父さん、護ったよ。艦も艦長も、自分も……。


 少し離れたところでは、葉月さんと隼人さんも笑顔で息子と娘と抱き合っていた。

 鈴木少佐も側にいて、家族五人――無事に集まったという賑やかさに囲まれていた。


「心優……!」


 母から駆けてきた。

 父もゆっくりと歩いてくる。でも制帽のつばを抓んで、目元を隠しながら歩いてくる。


「別に、大魔神が泣いても、俺たち家族なんだから。父ちゃんとしての涙は見せてくれても全然いいんだけどな」


 雅臣も父が涙を堪えて近づいてくるのを、そう言ってくれる。


 母が辿り着き、心優に抱きついてくる。

 その後に父が辿り着いて、心優と目が合う。父と娘がじっと見つめ合っていたので、母がひとまず離れてそばに控えてくれる。


 父が向き合ったのは心優ではない。雅臣だった。

 その婿に父がビシッと敬礼をする。


「城戸大佐、無事に防衛ご帰還、おめでとうございます。ご苦労様でした。お帰りなさいませ」


 あくまで軍人としての姿を崩さない父に、アサ子母も双子も黙って雅臣の側に控えてくれる。

 雅臣も父にビシッと敬礼をしてくれた。

 しかしその返答は大佐であって、やはり婿であるものだった。


「園田少佐、ただいま帰還いたしました。妻とともに護ってきました。……お父さんの訓練のおかげで護れたと思っています。ありがとうございました」


 やっと白い正装姿の父と娘が向き合う。


「よくやった。今度は合格だ。城戸中尉」


 そんな上官としてのお出迎えに、双子が初めてぎょっとして心優の父を畏れるよう、はしゃいでいたのに大人しくなる。


「園田少佐のおかげです。護ってきました。……と、言ってもいいですか」


 もう、またお父さんたら――と母がこぼしたが。


「とっくに立派な護衛官だ。今後も精進せよ」

「はい、教官」


 雅臣と城戸の母は、そんな父娘を暖かく見守っていたが、双子は『軍人になったら父も娘もなくなるんだ』と初めて目の当たりにしたのか、いつになく神妙に静かになっていた。


「よく……、……というか、おまえ……。父さん……もう、死ぬかと思った」


 ついに父が涙をこぼし、でも白い制服の袖でさっと目元を隠してしまった。もう心優もまたもや涙が止まらない。


「……でも、生きて還るには、そうしなくちゃいけなかったから。……今度はちゃんと……」


 民間人となる家族がいるので、お互いにぼかしつつしか語り合えなかった。

 でも、城戸の父と母が揃い、お祖父ちゃんお祖母ちゃんと横須賀まで来てくれた双子も、叔父の雅臣にくっついてなにやら空気を感じ取って静かにしている、もうグズグズと泣いてくれている。子供というよりは、感受性の強い子たちなのだと心優は思う。


「ユキ、ナオ。覚えておけ。おまえたちが目指す空母と海の世界をゆく軍人と家族の姿だ」


 雅臣のその声は叔父というより大佐殿の声だった。

 双子も涙を拭きながら、一緒に『うん』と頷いている。


「ただいま、お父さん」

「うん、……おかえり、心優。またもや大変だったな」


 心優さん、おかえり!!

 雅臣の父に、真知子義姉に史也義兄も家族の輪に入ってくる。


 ただいま。わたしの家族――。


 御園家に負けない賑やかな城戸家と園田家は、ここから始まる。


 でも。もう私も陸にあがりました。

 これからは、隣ににいるこの大佐殿が、夫が……、あの過酷な海域を護りに出て行くことでしょう。

 夫を一緒に護ってください。

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