26.訓練には行かない

 ついに空海がアグレッサーを引き受けてくれた訓練が始まる。


 日程は五日間、集中的に行われる。たった五日間だがこれが日本全国の基地に迷惑をかけながら取れる精一杯の日程だった。


 その間に、雷神のパイロット達がなにかを掴んでくれれば。それを狙っての合同訓練が開始される。


 朝一番、九時から訓練が始まる。高須賀准将は既に、空海と雷神のメンバーと共に連絡船に乗り空母入りしている。


「准将、支度できました」


 心優と光太も、紺色の指揮官チームの訓練着に着替え終え、御園准将デスクに報告する。


 御園准将は朝の事務仕事をひとしきり片づけてから、訓練が既に始まった頃に空母入りをする予定。


「行きましょうか」


 御園准将も久しぶりの紺の指揮官服。颯爽と歩き出し、准将室のドアノブを握った。


 はあ、久しぶりの空母~。光太はもうウキウキしていた。心優も雅臣が指揮をする素敵な大佐殿に会えると密かに心躍らせて……。


 御園准将がドアを開けたが、何故かそこで止まった。

 前に進まないので、心優と光太は一緒に訝しむ。


 ドアが閉められてしまう。


「やめておくわ」


 え! 心優も光太も驚いて、顔を見合わせた。

 指揮官服の上着を脱ぎながら、御園准将はいつもの皮椅子に戻っていく。


 黒いタンクトップ一枚になって、彼女は溜め息をついて座ってしまった。


「あなた達、着替えてきなさい。ここで仕事する」

「あの、准将……」

「光太、ごめんね。空母の訓練、見たかったわよね」


 葉月さんの顔で微笑んでいる。でも光太がすぐにぶるぶると首を振った。


「御園大佐の空母研修でまた行く予定なので、大丈夫です! それにもうすぐ毎日艦上ですし!」


「ごめん……。ちょっと一人にして……」


 心優も呆然とした。だけれど、ミセス准将の望み通りにするため、黙って光太と一緒に准将室を出る。


 光太が真っ青になっている。


「どうしたの、吉岡君」

「あの、あの、准将の肩に傷跡が……すごい、その、」


 しまった。准将もすっかり気を許している証拠。光太という男性がいるのに、先ほど紺色訓練着の上着をそういえば脱いでいた。


「あの傷のことなんですか。子供の頃なにかあったのって」


 もう迷うまい、心優も腹を決める。


「そうだよ。肩と胸にそれぞれ『刺殺されそうになった傷跡』がある。肩は十歳の時、胸は二十八歳のご結婚前に。どちらも同じ男に狙われて……」


「え、え……あの」


「吉岡君、動揺しないで、いつもどおりにして。お願い。週末にはぜんぶ話せるから」


「わ、わかりました……」


 でも。人の好い青年だから……。彼の指先が震えているのがわかる。


「わたしもそうだったよ……。初めて見た時。でもね、ああやって吉岡君の前で平気で上着を脱げちゃったのは、吉岡隊員という存在に気を許している証拠なの。大丈夫だから」


「わかりました」


「先に着替えに行って。わたし、ラングラー中佐に御園准将が行かないと決めてお部屋に一人でいること報告しておきたいから」


 イエッサー。光太も呼吸を整え、男子更衣室に入っていった。

 心優は隣にある秘書室に入る。ラングラー中佐に言っておきたいことがあるから。


 入室後、心優は皆のデスクを従えている大窓前にある秘書室長のデスクへと向かう。


 デスクトップPCにいろいろなデータのウィンドウを並べて眺めている彼が、心優が訪ねてきたのを見て少し驚いた顔。


「どうしたミユ。空母に行く時間ではなかったのか、葉月さんは?」


「急に行かないとおっしゃって、いま准将室にいます。しばらく一人にして欲しいと……。吉岡と共に外に出て着替えるところです。それから、いま准将が上着を脱いでしまったので、吉岡海曹が初めて……傷を目の当たりにして動揺しています」


「なんだって。葉月さん、光太の目の前で平気で脱いだのか」


「ご本人はなんら気にしていない様子でした。気を許されているのでしょう……。普段も息子みたいだと、かわいいうちの男の子とわたしにふざけていうぐらいです。そこで、いよいよ……」


 心優は口ごもる。ラングラー中佐の表情も険しくなる。そして背後にいる秘書室のメンバー数名が緊迫したのか、こちらを注目している視線もかんじた。


 ここにいる秘書官は『御園のタブー、横須賀基地の隠匿』という事情を飲み込んだうえで仕えるという約束をしている隊員ばかり。


「わかった。心優に任せる。伝えた後、俺まで報告を」


「承知しました。あの、しばらく准将室に入れないのですが……。そこの休憩ブースで待機しております。ですがお一人なのでお願いできますか」


「そうか。了解した。三十分ほどして戻ってきたらいいだろう……。しかし、訓練を見に行かないとは……どうされたものか」


 ラングラー中佐も首を傾げているし、心優もまだその心情がわからない。


「空母で橘大佐に城戸大佐、そして高須賀准将がお待ちだと思うのです。ご連絡をお願いしてもよろしいですか」


「わかった、やっておく。戻ってきたら准将のこと頼んだぞ」

「イエッサー」


 心優も着替えた後、休憩ブースで光太と合流する。光太もドリンクを飲んで、少し落ち着いたようだった。


「俺、護衛の技。早く覚えたいです。心優さん、指導お願いします。厳しくてもいいです」


 御園准将のそばにいる護衛としてなにかを初めて感じたようだった。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 案の定、訓練上がりになる午後。高須賀准将がすごい剣幕で准将室に戻ってきた。


「お嬢さん! 来ないとはどういうことだ!!」


 さすがの僧侶もおかんむりのご様子。しかしながら、御園准将はすでにいつもの優雅なタイトスカートの制服姿に戻っていて、静かにデスクで書類にむかってるところ。


「おかえりなさいませ」

「おかえりではない!!」


 高須賀准将が、ミセス准将のデスクに手をついて詰め寄ってくる。

 ひとまず、彼がにっこり笑う。


「お嬢さん? あちこちの基地に迷惑をかけてまで、こっちは基地で主力の飛行部隊をひっぱってわざわざ来てやったんだよ。それを……」


「いかがでしたか、雅臣と英太は」


 アイスドールの顔で淡々と彼女が聞き返すと、高須賀准将のほうが子供っぽくぷいっとそっぽを向く始末。


「指揮官として来なかった者に教えるつもりはない」

「それでは後ほど、データ室から上がってきたもので確かめます」

「現場でその目で見て、訓練をライブで確認してこそ、ではないのか!」


 それでも御園准将はしらっとした氷の顔で、書類に万年筆でサインをしている。


「私がいなくてはまとまらない現場でしたか。それならば、私も明日から行きます」

「……、ほう、そういうことか?」


 心優にはわからなかったミセス准将の意図。ミセスの先輩になる高須賀准将にはわかってしまうらしい。


「ふう、ではそっとしておこうかね。どうせ、俺は部外者。どうなるか高みの見物と行こう」


「橘さんは怒っていましたか」


「怒らなかったね。あれも結婚して落ち着いたのか、君に雷神を任されて落ち着いたのか。お嬢さんの気まぐれなんかに動揺もしなかった」


「雅臣はいかがでしたか」


「生き生きしていたよ。嬉々として鈴木のバレットに失態を犯すよう追い込んでね」


 生き生きしていた? 心優はそんな父のように『えげつない仮想敵に力を注ぐ大佐殿』も見てみたかったと思ってしまった。父親が夫が、現場でどのように働いているのか見られるうちに見ておきたい。


 そして父、園田教官の『仮想敵』を目の当たりにして、心優も雅臣がやろうとしている意図を理解できるようになっていた。


 えげつない敵を演じてこそ、後輩も部下も守れる。彼等はそう思っているから酷いことに踏み込む。険しい愛がそこにあるのだと……。だから心優はこれからも娘として妻として、そんな嫌な上官になる父と夫を見守っていきたいし支えていきたい。


「設定ラインを越えて侵犯判定の連続、うちの空海数機に囲まれ、あっというまのキルコール責め。逃げる道しか雅臣は残さない。バレットはそこに逃げ込むしかない。エースには屈辱的だろうなあ」


 高須賀准将が、落ち着き払っている無表情なミセスの様子をちらっと横目で確かめている。かわいい君のエースパイロット君がめちゃくちゃにされているよ、悔しくないのかとばかりに。


「鈴木は、君が言うとおり果敢なパイロットだね。あれでは駄目だ」


 高須賀准将からの駄目押し。それでも平気なのか君は――。御園准将がふっと笑う。


「では、私がドタキャンして慌てていたのは、高須賀さんだけでしたのね」


 高須賀准将は呆れた顔をして、彼の定位置になるだろうソファーにどっかり座った。


「そんなわけないだろ。でも、きっと『なんでだよ、なんで来ると言っておいて来ないんだ』はどの男も腹でむかついていただろう。俺も君の澄ました顔を見た途端、腹に据えかねた」


「申し訳ありません……」


 そこは本当に、自分でも軽率だったと御園准将が悔いている表情を見せた。いつも傍にいる心優としては、御園准将自身に『なにかの迷い』があると感じる。唐突な取りやめもそう、自分でそうやっておいて、いざ指摘されるとそんな申し訳ない顔をする。まだ彼女自身が自分の行動と気持ちに折り合いをつけていないような。


「いいよ。君がどうしたいのか、長沼と橘からも聞いているし、石黒さんも知っているんだろう。知らぬは旦那ばかりってね。可哀想な澤村君」


 夫のことを出されると、御園准将は黙り込んでその話題については取り合わないとばかりに、また万年筆を書類に向けて動かし始める。


「さて。俺も報告書をまとめるかな」


 両将軍とも黙ってしまい、准将室が静かになる。お二人の集中している空気がとても研ぎ澄まされていた。


 その傍らに、心優はいつものアイスチェリーティーを置いた。

 高須賀准将はそっと『ありがとう』と言うだけで、ミセス准将に至っては今日は無言だった。


 事務仕事を進める准将二人のアシストに徹する午後、半ば。そろそろティータイムかなと心優が壁時計を見上げた時、准将室のドアからノック音。


 雷神室の城戸です。雅臣の声。心優はそっとドアを開け、お疲れ様ですと彼を入室させる。


「お邪魔いたします、御園准将」

「お疲れ様、雅臣」


 すっぽかした御園准将のほうが、今日は気後れした様子でソニックを迎え入れる。


「こちら、今日の訓練を撮影したものです。そして対戦結果と機動記録です」

「ありがとう。あとで確認します」


 小脇に抱えていたファイルが准将デスクに置かれる。

 座って万年筆を握ってそのままの准将に用事を終えても、雅臣は正面に立ったまま黙って彼女を見下ろしている。

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